昼休み 2
お気に入りありがとうございます。
誤字脱字を見つけ次第、訂正します。直っていなかったら「気づいてないんだ」と流してください。
「伏見先生、どうぞ」
図書室に来て、開閉一番に柏木はそう言った。
「昼食まだですよね」
疑問形ですらない確信の言葉に、司書室にいる伏見先生から反論はなかった。
紙袋から食堂で買ったらしいベーコンレタスバーガーを、椅子に座る伏見先生に手渡す。
やけに大きな袋だと思ったら、伏見先生の分も買っていたのか。と言うか、一つの袋にまとめて入れた食堂のおばちゃんって、凄い。
伏見先生は蒼い顔をして、柏木と手渡されたバーガーを交互に見た。頬が引きつり、不格好な笑みを浮かべる。
「これは・・・・・・・・・・・・、どう言う、意味があるのか・・・な?」
「あえて意味をつけるなら、使用料ですよ」
「使用、料・・・?」
「ええ、使用料」
伏見先生はきっと、「何の?」と聞きたいんだろう。けど、笑顔の柏木が怖くてそれが告げないでいる。その証拠に、柏木と眼が合わないようにしていた。そこまで柏木が苦手ですか、伏見先生。
若干の呆れを抱きつつ、私が伏見先生の変わりに問いかけた。
「何の使用料なの?」
「司書室の使用料」
さらりと答えた柏木に、伏見先生は大げさに驚き、椅子から落ちた。
「そ、それはどう言う理由での」
痛めた腰を撫でながら尋ねた伏見先生に、柏木が満面の笑みで答えた。
「司書室を使うためだよ」
明日の天気を語るかのように、さらりと告げられた言葉に伏見先生が固まった。
柏木が私の手を引きつつ、司書室に備え付けられたソファに向かう。持っていた紙袋をテーブルに置き、ソファに座ってゆったりと寛ぎだした。
未だに手を繋がれた私も、誘われるがままソファに座る。
「生徒会室で食べてもいいが、休憩時間に仕事に関わりたくないからな」
「ああ、だから司書室」
納得すれば硬直が解けて、立ち上がろうとしていた伏見先生がまた転んだ。仕事道具を置いた机に頭をぶつけたようで、床に転がりながら唸っている。
「別に先生に迷惑はかけないよ。静かな場所を提供して頂く礼として、俺が昼食を先生に差し上げるだけだし。それとも先生は、俺が図書室にいること自体が迷惑とでも?」
にこやかに告げる柏木に、普段被っている猫が見つけられない。
笑いながら威圧するその姿に、どうやら素で伏見先生と対峙していることを知る。
昨日までは伏見先生にも猫を被っていたと言うのに、一体、どう言う心境の変化だろう?
(なんて、考えるのはやーめよ)
疲れるのが嫌で、あっさりと思考を手放すと、私は意識を柏木と伏見先生に戻した。
「や、べつに迷惑なんて」
「なら問題ないよな?」
私はテーブルに置かれたままの紙袋を手元に引っ張った。
「飲食も図書室ではなく司書室でだし、騒ぐこともなければ面倒もかけない。それに先生に昼食を差し上げるんだから、損どころか食費が浮いて得だと思うけど?」
二種のクラブサンド、今日はハーブベーコンなんだ。
「それに、ソレを受け取った時点で先生に拒否権はない」
「横暴だよ、柏木君」
「横暴・・・ね。だったらもっと、強行手段にでてるよ」
「・・・」
「まぁ、それは最終手段だから安心しろ。だがな、先生。俺がそんな手段を使う前に、素直に頷いた方がいいんじゃないか・・・?」
サラダのドレッシングはシーザーか。・・・私の好みを知っているとは流石、幼馴染。
「・・・・・・・・・・・・・・・飲み物付きなら、許可します」
「ああ、じゃあこれで了承ですね。どうぞ、これを」
眼の前にあった紙袋が消えた。
クラブサンドの包みをはいでいた私は、手を止めることなく視線だけを柏木に向ける。
「何が好きか解らなかったから、お茶だけど。冬歌は珈琲だったな」
「ん、ありがとう」
柏木からレギュラーサイズの珈琲を受け取り、ストローを咥えた。
喫茶店で出す珈琲となんら変わらぬ味に、食堂の関係者はいったいどれだけの金を使っているのか気になったけど・・・。今は素直に美味しい食事にひたろう。
余計なことを思考の隅に追いやり、私はクラブサンドに齧りついた。
うん、美味しい。
「ところで先生」
柏木が怪訝な声をだした。
「何、してんだ?」
「何って・・・・・・調味料かけてるんだけど」
私は伏見先生の手元を見てから、そっと眼をそらした。間違いでないなら、胡椒に七味、砂糖に蜂蜜がバーガーにかけられている。
明後日を見ながら、柏木の疑問に解を与えた。
「伏見先生は味覚音痴だよ」
「味覚障害の間違いじゃないのか」
確かにそうだけど・・・。
真顔で私を見る柏木に、何も言えなかった。
「食べてみる? 美味しいよ」
「いらない」
即答した柏木が、生姜焼き定食に箸を伸ばした。
「もしもし、お食事中失礼するよ」
司書室の窓を叩き、律儀にそう告げたのは分厚い眼鏡をかけた、制服にくたびれた白衣を羽織った小柄な人物。基、同級生で友人の秦睦実。
誰も何も言っていないのに、猫背のままゆったりと司書室に入って来た秦は眠そうな眼で柏木を一瞥し、伏見先生へ視線を映した。口をへの字にし、秦が無言で伏見先生に手を伸ばす。何かを差し出すような仕草だが、その手には何もない。
伏見先生が、秦に何か渡す・・・のかな?
「動物および植物図鑑、くれないか」
「あ、ああ! そうだった、そうだった」
思いだしたのか伏見先生はバーガーを机に置き、後ろにある、物で溢れた棚を探りだした。
最後の一口を食べようと口を開いたら、伏見先生が派手に物を落とした。本じゃないなら、図書委員として文句は言わない。クラブサンドを租借しつつ、私は伏見先生を見た。
落としたのは伏見先生がコレクションしていた、戦国武将のフィギュアのようだ。
「そう言えば、麻生先生と仲好かったな」
ぽつりと呟いた柏木の言葉に、ちょくちょく図書室に来ては伏見先生と談笑する麻生先生を思いだした。
「コレクションが・・・・・・・・・」
「先生、早くしてくれないか? 僕だって暇じゃないのだよ」
「うう・・・」
「いい年した大人が、それぐらいで泣かないでくれたまえ」
白い眼を伏見先生に向ける秦に、容赦のよの字もない。
「――――で、祀くんは何故、ここにいるんだい? 先程、書記と会計が君を探して右往左往していたが」
「見て解らないのか、睦実。食事中だ」
「僕を下の名で呼ばないでくれたまえ。まったく、君だけだよ。僕がどれだけ言っても改めないのは」
やれやれと肩を竦める秦に、柏木は一切の視線を向けなかった。どころか、存在すら意識していないように見える。
無言で生姜焼き定食を完食し、烏龍茶を呑んでいた。
「それにしても君は、生会役員が探していると言うのにまったく興味の欠片もよこさないとは。それでよく、生徒会長が務まるものだよ」
「文句があるなら、リコールでもすればいい」
「君をリコールして、僕に何の得がある。無意味なことはしない主義なのだよ、僕は」
二人の話を聞き流しながら、ドレッシングをかけたサラダにフォークをさす。
「何より君は、生徒会長と言う役職にあまり関心がなければ執着もない。あるとしたら・・・・・・・・・。冬歌くん、少しでいいからこちらに興味を向けてくれないか? そのサラダ、ハムスターみたいに頬張って、美味いのかい?」
「んむ?」
「ああ、食べてからでいい。食べてから、僕の言葉に返答してくれたまえ」
呼ばれたから秦に眼を向ければ、何故か呆れた顔をされた。解せん。
だけどまぁ、食べながら話すのは行儀が悪いから、言われた通り口の中の物をなくすことに専念した。取れたてなのか、野菜がみずみずしく感じる。
・・・確か食堂の近くに、畑があったような。
まさかそこで採取した野菜? いやまさか、いくらなんでも・・・だけど鷲ヶ丘高校ならやりかねない。
ここは普通じゃないと言うか、常識外れだし。
「えっと、秦の話に興味を向けろってことだっけ? 酷いな、秦は。二人の会話はちゃんと聞いてたよ、私」
「聞き流してた、の間違いだろ」
確信を持って告げられた柏木の言葉に、私は反論しようとしたが・・・。
「あった! あったよ、秦君!」
それより先に伏見先生が叫んだので、便乗して話題変換させてもらおう。
「本当かい、それはよかったね。・・・埃と蜘蛛の巣が頭についてるなんて、どこに置いてたんだい?」
「え、嘘?」
「嘘を言ってどうなるのだよ。ほら、頭に・・・・・・・・・・・・おお、蜘蛛までいたとは」
「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!?」
蜘蛛が余程嫌なのか、伏見先生は半狂乱になりながら頭をかきむしった。そんなことで、果たして蜘蛛はいなくなるのだろうか?
疑問に思うが、今の伏見先生に近寄ったら巻き添えを食いそうなので、遠巻きに結果を待つことにした。それは柏木や秦も同じようで、その場から一歩も動かない。酷い生徒だ。――なんて、私が言えた台詞じゃないね。
「うぁ・・・ううううぅ、蜘蛛、蜘蛛がぁぁぁ」
「良い大人がマジ泣きとは」
「まだいる? ねぇ、まだいるのかな?」
ぽろぽろと泣きながら、伏見先生が私に聞く。
床を這うようにずるずると近寄ってくる伏見先生は、正直言って不気味で怖い。逃げ腰になるのは、当然だと思う。が、それよりも・・・。
すいません。私も蜘蛛、苦手なんで近づかないで!
頬を引きつらせ、幽鬼のような伏見先生から逃げるように後退する。ひぃ、腕を掴まれた! 鬼気迫る顔の伏見先生が、困惑と絶望と恐怖と嫌悪・・・あー。とにかく、色んな感情をごちゃ混ぜした瞳で私を見上げる。
その頭には、確かに存在する蜘蛛。
それも一匹ではなくて・・・、目視出来る限りでは数は、五。
見るだけで鳥肌が立つ。気持ち悪い。うう、伏見先生を蹴って逃げ出したい。
「助けて西城さん!」
寧ろ私が助けて欲しいっ。
「生徒に縋りつくなよ、たくっ。・・・・・・・・・・・・ほら、取れた」
泣きそうな私を、いや、すでに泣いていた私を救ったのは柏木だった。
柏木は平然とした顔で伏見先生の頭にいた蜘蛛を掴み、殺すことなく窓を開けて外へ逃がしてやった。ぱんぱんと手を叩く柏木が、おかしいことに格好良く見えた。
いやいや、うっかりときめいている場合か。
「あああああああ、ありがとうっ。でも何だか頭が気持ち悪いから、ちょっと洗ってくる! 水飲み場が呼んでいる! いや、いっそ髪を切れと美容室が叫んでいる!」
伏見先生は動転したまま司書室どころか、図書室から転がる様に出て行った。何かが派手に落ちる音がして、悲鳴が聞こえたけど・・・大丈夫かな?
唖然と扉を見ていた秦が、間抜けな声をだしてから叫んだ。
「本、本を置いていけ! 伏見先生、僕の本を置いてからにしてくれたまえっ」
伏見先生の後を追いかけ、秦も図書室から出て行った。
「・・・・・・っふは」
へたりと蜘蛛の恐怖から解放され、私は床に座り込んだ。
未だに流れる涙を拭わず、深く息を吐きだした。疲労感が半端ない。顔を伏せ、床を注視する。うう、蜘蛛を思い出しただけで鳥肌がたつ。
よし。今度、図書委員全員で掃除を徹底的にやろう。
そう決意して、はたと思いだした。
(謝りそこねた)
だけどまぁ、時間はまだあるから放課後にでも謝ろう。
ついでに、さっきのことに文句を言おう。
いくら蜘蛛が嫌いだからって、女子に「とって」とお願いするのは如何なものか。昆虫が得意な女子なんて、滅多にいないのに。いや、それだけ混乱していたと言うことか?
やや、でもそれにしても。
「まだ泣いてるのか」
ぐいっと無理矢理に顔を上げられ、柏木と眼が合った。
「こんなに泣いて、眼が赤くなるぞ」
「タオルで濡らすから、平気」
「ふぅん」
指先で頬を伝う涙を拭っていた柏木の手が、頬から首筋を撫でる。
腫れ物を扱うような仕草に、いつもの柏木らしさを感じなくて戸惑う。それよりも、首を撫でる指がくすぐったくて仕方がない。
「あの、柏木・・・っ?!」
「しょっぱい」
「舐めるな!」
顔がやけに近いと思ったら、この野郎。
涙を舐めるとか、何でそう言う行動を平然とするのかな・・・っ。だからそう言うのは恋人にやればいいのに。
赤くなった顔を隠すように両手で顔を覆い、息を吐きだした。
「そう言うのは、恋人にやりなさい」
「何で敬語? あと、俺に恋人なんていない」
「いやいや、いるじゃないですか。なーに、嘘言ってるんですか。生徒会長さん」
きっぱりと否定した柏木の言葉を、さらに否定した声が聞こえた。
「年上の美人な女性と付き合ってるくせに」
けたけたと笑うのは、背丈が低く小柄な上に童顔の後輩、幾月遼太郎。よくて中学三年、悪くて小学高学年に間違えられる彼は物凄く――柏木のことを嫌っている。
顔を合わせれば柏木相手に喧嘩を売り、その度に言い負かされている。二人のやりとりは日常的なことだが、同じ場に居合わせるだけで寿命が縮む錯覚を覚えるほどに、空間は冷やかを通り越して絶対零度だ。野次馬根性がある霧生ですら、「居合わせたくない」と答えさせるほどに。
故に、私は幾月と柏木がいるこの空間から・・・物凄く逃げたくて仕方がない。
だけど私の心情を知らない、と言うか、気づいてそうな柏木は無視をして私の身体に抱きついた。逃がさないと言う意志表示か!
「副会長に嫉妬されたいがために、西城先輩を利用するなんてサイテーですね」
「笑顔で嘘を言うか、ガキ」
「あははは、一学年違うだけなのにガキって言われたくないな」
「年上相手に敬語を使えないんだから、十分にガキだろう」
「使ってますよ、敬語。ただ、会長に使う気がさらさらないだけで・・・てか、敬語で話す価値も理由も意味もない」
寒い。
この場の空気が氷点下を越している気がする。
(真冬に戻った気がする)
ぶるりと身体を振わせると、柏木が温めるように私をさらに抱きしめる。うう、恥ずかしいけど暖かさには勝てない。あっさりと白旗を上げて、私は柏木で暖をとった。
「西城先輩から離れたらどうですか、浮気会長」
「浮気も何も、恋人なんていない」
「あれー? おかしいなー」
柏木の冷やかな怒気を受けながらも、幾月が平然と笑った。
「副会長が『祀くんと付き合ってる』って公言してましたよ? しかも副会長曰く、告白してきたのは会長で、了承したその日にキスを済ませたって」
「へぇ・・・とんだ女狐だな」
「恋人に女狐って酷いですねー、会長」
にやにやと意地悪く笑う幾月に対して、柏木の声は何処までも冷たい。
おそらく、いやきっと、間違いなく、激怒を瞳に宿しながらあまりの怒りに感情を消したような顔をしているだろう。――怖いから、確認できないけど。
(嘘にしても、なんてことを公言したんだ副会長)
男子の多くが釘付けになる巨乳を持つ、冷やかな美貌の先輩の姿を脳裏に思い浮かべた。
(いくら柏木の隣にいても遜色ないどころかお似合いだとしても、嘘は駄目でしょう)
「雪村千里・・・・・・・・・クビにするか」
柏木がフルネームで呼んだってことは、敵判定されたのか・・・。
「いくら会長でも無理と言うか、職権乱用はやめろよ。男なら責任とって副会長を幸せにしたらどうだ?」
靴音を鳴らし、幾月がこちらへ近づいて来た。
「だから――――西城先輩から離れろ、下種野郎」
「げ・・・っ」
絶句した。
「お前に指図される謂れはないし、俺が冬歌を離す理由がない。――見たくないなら、ここから消えろ」
嘲笑まじりの言葉に、幾月が足を止めて険しい顔をする。
感情を消したような、何の色もない瞳で私を――いや、柏木を凝視する幾月は口端をつりあげ、にたりと笑った。
「西城先輩が嫌がっても、離す理由がないって? はっ。嫌われてるのに、それでもなお傍に居続けようとするなんて・・・とんだマゾヒストだな」
やれやれと肩を竦めてそう吐き捨てた幾月から、悪意しか感じない。
本気で――――柏木が嫌いなんだね。
呆れつつ、私はちらりと背後を見た。珍しく沈黙する柏木が気になったから・・・じゃなくて、不穏な気配を感じたから。
「言いたいことはそれで終わりか? なら、俺の眼の前から消えてくれないか」
穏やかな声が、逆に不気味だ。
「お前の戯言に付き合うより、俺は冬歌と過ごす時間が一秒でも長く欲しいんでね」
手慰めか、私の髪を弄りながら柏木が告げた。
何だか、余計に部屋が寒くなった気がする。腕をさすりながら柏木と幾月を交互に見やり、溜息をつく。
この状況、どうしたものか。
「その余裕面が腹たつ・・・」
「事実、余裕だからな」
鼻で笑った柏木が、私から腕を放した。
「さて、話は終わりだ」
立ち上がり、幾月と向き合う。
「――――これ以上、無駄な時間を過ごさせるな。童顔通りの幼稚な嫉妬しか出来ない、ガキに割く時間はもう、ない」
「・・・」
「図書当番なら当番らしく、仕事でもしてろ」
冷やかに言葉を告げて、柏木が私に手を伸ばす。
立て、と言うことだろうか? 首を傾げつつ、けれどその手を取らずに私は立ち上がった。柏木が肩を竦め、苦笑する。
「昼休みもあと少し・・・。なぁ、冬歌」
どうやら柏木は、幾月をいないものして扱うらしい。
「お願いがあるんだけど、いいか?」
「笑顔なのが怖い」
「酷いな・・・」
にこやかに笑う柏木から眼をそらそうとしたら、がしりと顔を固定された。
首を横に動かすことは愚か、柏木の手を外すことが出来ない。せめて眼だけをと思うけど、逸らした瞬間に頬を圧迫されて間抜けな顔にされた。おのれ・・・っ。
「アヒルみたいになったな」
(誰のせいだ、誰のっ)
「で、俺のお願い聞いてくれる? ああ、そこの図書委員は大人しく委員会の仕事してろよ。お前が入ってくる余裕も隙間もないから」
幾月が近づく気配でもしたのか、柏木がそう釘をさすが・・・真相は不明。音もしなかったのによくもまぁ、気づいたものだ。
「どうなんだ、冬歌?」
「とひふぁへずふぁなひて」
「何、言ってんのかわかんねー」
解らないと言いつつ、手を放すって矛盾でしょう。
解放された頬を撫でながら、恨みがましく柏木を見上げる。意地の悪い笑みとは違う、穏やかな笑みに何だか居心地が悪い。
「・・・・・・・・・何を頼みたいの」
「たいしたことじゃないけど、冬歌にしか出来ないこと」
「私にしか・・・?」
探る様に柏木を見るも、真意は探れず。
解っていそうな幾月に眼を向ければ、その姿を柏木の身体によって隠された。迫力のある笑顔を浮かべ、私の顎を掴んで上を向かせる柏木は――――何故か、怖い。
笑ってるのに纏う空気が、冷やかで寒い。
身体を振わせて、私は頬を引きつらせた。
(何が琴線なんだろ)
乾いた笑みを浮かべ、私は息を吐きだした。
「変なことじゃないなら、別にいいよ」
「安心しろ。変なことじゃない」
「笑顔なのが嘘くさい」
「失礼だな」
くつくつと喉を鳴らして、柏木が私の顎から手を放して髪を弄る。
「簡単なことだよ、冬歌。――――俺と一緒に登下校して、昼飯を一緒に食って欲しいだけ」
「それなら」
言いかけて、はたと気づく。
「や、駄目だよ。何言ってんの!」
縁を切りたい人間が、何でそれを承諾しようとする!
馬鹿か? 馬鹿なのか? 私は何をうっかり発動して、目的を見失おうとしているんだ!
「そう言うことは、恋人にしなさい!」
「そうだ、そうだ。恋人の副会長にしてやれよ、甲斐性なし」
「俺に恋人はいないって、何回言えば信じるんだ。あと、部外者は黙ってろ。会話に混じってくるな。鬱陶しい。物理的に黙らせるぞ」
怒気を孕んだ声音に、殺意が混じっているのを感じたのか幾月が素直に口を閉ざした。そりゃ、こんな不穏な空気を纏われちゃ・・・黙るよね。
威圧にも似たものが柏木から放たれ、自然と身体が縮こまる。
「冬歌にはまた、俺の気持ちを親切丁寧に伝える必要があるみたいだな」
「・・・え?」
「なぁ――――冬歌」
「ひっ」
耳元で喋るな、馬鹿!
文句を言おうと柏木を睨みつけたら、耳を甘噛みされた。その瞬間、顔どころか身体全体が熱くなった。それはもう、湯気がでるんじゃないかって思うほどにっ。
「理解するまで、俺はお前に愛を紡ごうか」
無駄に色気がある声に、足の力が抜けた。へたりと床に座り込む私の後を追って、柏木が身体を屈める。さっき噛まれた耳に触られ、過剰に身体が反応した。
何をするんだこの変態めっ。
「ちなみに、昨日の言葉は全部―――――本気だぜ?」
「~~~~~~~~~っ」
だーかーらー、耳元で喋るな、囁くな!
「解った、解ったから離れて!!」
「約束だからな」
「ひぃぃ、だからやめてってば!」
囁くだけに飽き足らず、この男。――耳を舐めおったっ!
あまりの刺激に柏木を突き飛ばした私は、悪くない。耳を庇い、赤くなった顔を隠さずに柏木を睨めば・・・・・・何故か、嬉しそうな顔をしていた。
なんだろう・・・・・・・・・怖い。
「ご、ごめ」
「昼休みも終わるな」
謝罪の言葉を遮って、柏木が立ち上がった。
「教室に戻ろうぜ、冬歌」
「え、あ・・・・・・・・・・・・そ、そうだね」
謝るタイミングを逃してしまった。
気まずくて視線をそらした私の右腕を、柏木がぐいっと引っ張って立たせる。唐突なことに顔を向ければ、満足気な柏木と眼があった。・・・その表情の意味が解らない。
呆れて肩を竦めた。
「西城先輩、狼に食われないように気をつけて」
おそらく独り言であろう、幾月の言葉に頬を引きつらせた。
狼って・・・・・・香坂先輩にも言ったけど、私相手にそうなる輩なんていないって。苦笑して、何となく柏木を見上げた。
「何?」
「・・・や、別に」
柏木が狼になる。――なんてことは、ないよね?
・・・・・・うん、ないない。ありえない。私相手になるよりは、噂の副会長になった方がいいだろうし。うん、そうだ。ありえないから気にするだけ無駄!
さっきのあれはほら、過剰すぎるスキンシップだと思えばいい。
(と言うか、そう思わないと駄目な気がする)
これじゃあ、縁を切るのがより難しくなってしまう。
ああ、どうしようか。考えて、私は図書室から出た。