心臓の危機
誤字脱字を見つけ次第、直します。
「あ、お帰り冬歌。それじゃあ悪いけど、三日ほど祀くんと留守番よろしく」
「は? ちょっといきなり何をっ?!」
家についた直後、何故か玄関先にいた兄さんにそう言われて本気で意味が解らない。
「お、お帰り冬歌。それじゃあ留守番をよろしく」
「祀くんと仲良くするのよ。そしてあわよくば押し倒して既成事実をつくって、子供を孕みなさい!」
「鼻息荒く言う台詞じゃないよ、母さん」
呆然としていれば、父さんと母さんが出てきた。その手には旅行鞄を持っていて、今から出かけることを物語っていて・・・。どう言うこと?
訳が解らなくなって、混乱のあまり興奮する母さんの腹に一撃をみまった私はきっと、たぶん、悪くないはずだ。うん、おそらく・・・。
腹部を押さえて呻く母さんを無視して、私は兄さんを見た。
兄さんの足元にはオレンジ色のキャリーバックがある。
「・・・旅行?」
「ああ、三日ほど取材旅行に行ってくる」
「どこに?」
「札幌」
「何で・・・母さん達も?」
「今日、うっかり取材旅行に行くことを話したら、有給とってた」
「それは・・・・・・大人として、あり?」
職場の人に迷惑しかかけないのに、行き成り休みをとるとは何事だ。この両親、何を考えているんだまったく。つい最近だって旅行に行ってたのに。
「ちなみに父さんはしぶって、職場に迷惑がかかるからって行かない意思だったんだけど母さんが説得と泣き落としと脅しで行くことになった」
言葉が出ないよ、母さん。
「兄さんは・・・便乗を許したの?」
「編集者が了承したら、俺は何も言えない」
「その編集者さん、美人なんだね」
「童顔だから美人より可愛い系だな。しかも巨乳で泣き顔が可愛い」
「泣かせたんだ」
「締め切りをやぶったからな」
何か・・・・・・兄がすいません。顔も名前も知らない編集者さん。
「それで」
私の隣にいた柏木が呆れたように呟いて、首を傾げた。
あ・・・そうだった。柏木もまだ隣にいたんだ。存在を忘れてはいないけどごめん、蚊帳の外にしてしまった。身内ごとに巻き込んで悪いねぇ・・・。
「どうして俺の両親も行くことになったんだ?」
「はい?!」
何それどういうこと!? 思わず柏木の家の方を見れば、確かに玄関先に柏木の両親がいる。足元に揃いのキャリーバックがあることから、旅行に行く様子だけど・・・。あの、美琴さん。視線があったからって別に手を振らなくても・・・・・・ん? 何か口が動いて・・・え゛?
――――息子をよろしく。
って読めたのはきっと、いや、絶対間違いだ。
そうに違いない。いや、そうであって欲しい!
「母さんが誘った」
「なるほど」
合点がいくのが悲しいが、納得されるのも嫌だ。
柏木が肩を竦め、ちらりと自分の家の方を見た。美琴さんと眼が合い、何やら頷いている。まて、二人の間に何があった。ほら、小父さんが困惑して・・・ない、だとっ。苦笑して私に近づいた小父さんは、子供をあやすように私の頭を撫でた。
え、ちょっと何か嫌な予感がするんだけど・・・・・・っ。
「祀をよろしく頼むよ、冬歌ちゃん」
た・・・頼まれたくないっ。
「三日間、息子と一緒に過ごして頂戴ね」
「・・・え゛?」
「冬歌ちゃんも、女一人だと不安でしょ? だから祀と一緒に三日間、過ごしてね。大丈夫、祀なら冬歌ちゃんのことちゃーんと護ってくれるから」
語尾にハートをつけて言わないで、小母さんっ。
「な、なんで一緒?!」
「一人で留守番は危険だから」
「いや、家、隣じゃん! 別に一緒じゃなくてもいいよね?!!」
「世の中、何があるか解らないから」
兄さんの言葉に絶句した。
そんな・・・嘘でしょ? 誰か嘘だと言ってよっ。救いを求めようと周りを見たけど、両親も小母さん達も笑顔で誰も「嘘」とも「冗談」とも言ってくれない。
崩れそうな足に何とか力を入れて、私はぎこちない動作で柏木を見た。
こいつ・・・知ってて私を迎えにきたんじゃ。
「か、柏木は知って・・・・・・た訳ないか」
「ああ、今知った」
「凄く・・・いい、笑顔だね」
「三日間、冬歌と一緒に暮らせるからな」
「押し倒しちゃってもいいからね、祀くん! むしろ既成事実つくってオッケーよ!!」
嬉々とした表情で、何を爆弾投入してくれちゃっうかな母さん!
「それは最終手段で」
「苦笑して言う台詞がそれ?!」
「駄目よ、祀」
美琴さんが柏木を宥めた。
よかった、良心がここにいる。
「同意を得てからじゃないと、犯罪になるわ」
「そうだな。流石に犯罪はやめろよ、祀」
「解ってるよ、二人とも」
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
ここに、私の味方はいないんだろうか・・・・・・?
「冬歌」
ぽん、と兄さんが私の右肩に手を置いた。
「諦めろ」
泣いていいですか――――?
これは何の嫌がらせだろうか――――?
半ば真剣に考えつつ、私は制服を脱いだ。ベッドに放置された寝巻を手にとって、じっとそれを眺める。これは・・・柏木に見せても大丈夫な服かな?
いや、今までも寝巻を見せてたから問題はないよね。うん、ないない。
でも・・・・・・柏木に寝巻を見せるの、恥ずかしいような・・・いやいやいや、今まで大丈夫だったんだから平気だよ! そう、何てことはない・・・・・・・・・はず。
「――――って、服で悩むなよ私っ」
この家に柏木が泊まりに来るって考えただけで、何かこう・・・・・・沸騰しそうなほどに恥ずかしい。気まずい。気恥かしいっ。心臓が煩いんですけどどうしてっ?!
ああもう、何で、今まで平気で、寝巻で遭遇しても何てことなかったのにどうしてこう、想いを自覚した途端に変わるかなっ!! 平常でいたいんですけど!!!
「恋をしたら人は変わるって・・・・・・こと、なのかな」
息をついて、寝巻に着替えた。
「気にしない。何があっても気にしない。心臓が張り裂けそうなほど煩くても気にしない。平常心、平常心。大丈夫、大丈夫。動じない、動揺しない、慌てない、焦らない」
よし、これで何も問題はない! 柏木と三日間、同じ空間にいて生活を共にしても私は大丈夫だ! 問題なし! 心臓が煩いけど気にしなきゃいいだけだよね!!
深呼吸をして、部屋からでてリビングに向かう。たぶん、柏木はまだいないだろう。うん、柏木のことを考えると胸が痛い。心臓が煩い。違うこと、何か別の・・・違うことを考えるんだ私! ・・・・・・今日の夕飯、何かな。
確か母さん、今日は魚が安いとか言ってたような。
「遅かったな、冬歌」
「っふはい?!」
「腐敗? 不敗・・・でもないから返事か?」
「何でもない、何でもないからっ」
首を横に振って、煩い神像を宥める。
私としたことが・・・いきなりで動揺をしたとは言え、「ふはい」って何だよ。「ふはい」って!! あー、落ち着け。落ち着くんだ、私。はい、深呼吸ー。すってー、はいてー、すってー・・・よし、大丈夫だ。たぶん、きっと、おそらく。
確認のために柏木を見れば、心臓の方は何ともない。よし、大丈夫!
「・・・・・・随分と、くつろいでるね」
勝手知ったる他人の家、と言えばいいのか・・・柏木が普通にいた。ソファに座って、何食わぬ顔で珈琲を飲んでいる。そのコップは・・・母さんが柏木用に買った奴だ。置き場所、よく分かったね。
「そう見えるか? これでも緊張してるんだぜ?」
「見えないよ」
どこからどう見ても、平常で緊張のきの字も見られないんだけど・・・?
「あれ・・・? 柏木、なんで制服のままなの?」
「飯食ったら家に帰るんだし、別にいらないだろ?」
「え? 泊まらないの?」
柏木の息が止まった・・・気がする。
コップをテーブルに置き、ソファから立ち上がった柏木が私の傍に近づいてくる。え? あの、なんか・・・顔が怖いんだけど。
「俺が男だって、ちゃんと理解してる?」
「どこからどうみても男だよね?」
「・・・・・・冬歌はさ、俺が男でお前に惚れてるってこと忘れてない?」
「へ?」
柏木が私の腰を抱き寄せ、身体を密着させた。腰を撫でるな!
「小母さん達の手前、ああは言ったけど・・・流石に三日も、誰も邪魔しない空間で惚れた女と同じ屋根の下はきついんだよ」
「ただ一緒にいるだけでしょ? 何がきついの?」
「冬歌って本当、残酷」
意味が解らないんだけど、そんな呆れた顔をしないでくれないかな?
「理性が負けたら、俺・・・冬歌のこと襲うぞ。絶対」
「ひっ?!」
耳元に息を吹きかけるな、耳を舐めるな、齧るな馬鹿っ。
柏木から逃げるように顔をそむければ顎を掴まれ、視線を嫌でも合わせられる。てか、首が痛いから放して! 身長差を考えておくれっ。
涙眼で柏木を見上げたら、頭突きをされた。痛い・・・けど、何で?!
「それでもいいなら三日間、一緒に暮らそうか」
「柏木の理性が負けるとは思えないし、私が嫌がることを本気でするとも思えないから別に・・・いいけど」
「・・・・・・・・・信頼されて喜んでいいのか、男として悲しめばいいのか微妙だな」
「それに・・・」
「それに?」
「悔しいけど、確かに私一人だと不安だから・・・柏木がいてくれると嬉しい」
言葉にするのが恥ずかしくて、最後の方は小声だからきっと聞こえていないだろう。私は柏木の視線から逃げるように顔を伏せ、額を柏木の胸板に押し付けた。うう・・・心臓が、心臓が痛いほどに鳴ってるよ。
ガラじゃないこと、言うんじゃなかったっ。
恥ずかしい、穴を掘って埋まってしまいたい。
「嬉しい・・・ね」
ひぃ、あんなに小さい声で言ったのに聞こえてたよ!
「安心するじゃなくて、俺がいると嬉しいんだ」
意地の悪い声が頭上から聞こえ、羞恥に顔が赤くなる。
「そっか、そっか、嬉しいか。冬歌が嬉しいんじゃ、しょうがない。俺も理性総動員して、本能に負けないように気を引き締めるとするか。冬歌は俺がいると嬉しいんだしな。俺がここに三日、入れるようにしないとな」
「ああもう、煩い!」
「いっ?!」
しつこいほどに「嬉しい」を連呼する柏木に羞恥が爆発し、恥ずかしさを隠すように柏木の右足を思いっきり踏んだ。私は、悪くないっ!
「阿呆なこと言ってないで、さっさとご飯食べて、お風呂入って、寝ろ!」
「冬歌と一緒に?」
「にやにや笑うな! 一人で寝ろ! 馬鹿、変態!」
「俺がいると嬉しいんだろ? なら、寝る時も一緒だろ」
「ふざけないでよ、ねっ!!」
「照れ隠しに殴ろうとするなよ、怖いな」
「逃げるな避けるな! ・・・ってちょっとっ」
柏木に振りかざした右手を掴まれ、身体を抱きあげられた。なんなのさ!
「冬歌って本当、素直じゃないよな」
「下ろしてよ!」
「まぁその分、素直になった時のギャップが堪らないんだけど」
「おーろーせー!」
「はいはい、暴れない。暴れない」
子供をあやすように言うな! おでこにチューするな、馬鹿!
私の要望を聞いたからか、はたまた殴られるのが嫌だからかは不明だけど、柏木は私を下ろして右手で髪を梳きだした。指にからめるように弄り、毛先を触っては指を放す。それを繰り返す手とは逆に、左手は撫でるように私の腰に触れる。
・・・叩き落としていいだろうか? いいよね。いいに決まってる。
好き勝手にする柏木の手を叩き、私は息を吐きだした。
「馬鹿なことしてないで、ご飯食べようよ」
「んー――――――・・・俺はもう少し、冬歌を堪能したいんだけどな」
「・・・」
「半分冗談だから、そんな冷めた眼で俺を見るなって」
「半分は本気なんだ」
「さぁて、今日の夕飯は何だ? 冬歌」
「・・・・・・・・・はぁ。母さんは魚って言ってたけど・・・ああ、そうみたい」
リビングのテーブルを見れば、ラップされた魚がある。形からしてあれは・・・・・・ひらめ、かな? それとお浸しに最近、母さんがはまっている漬物がある。お汁は・・・中身を見ないと判らないな。うん。
「へ?」
意識をそらしたのが悪かったのか、後ろに身体が引っ張られた。
「ちょっ?!」
倒れる! と恐怖にかられた私を、柏木が難なく受け止めた。何をするんだコイツは・・・。呆れながら柏木を見れば、とろけそうな眼で私を見ている。その視線に、瞳に、息が止まりそうになった。
本当に高校生なのか? 疑いたくなるほどに色気を含んだそれに、静まったはずの鼓動が高鳴った。柏木に聞こえるんじゃないかと思うほどに、煩く鳴り響く。
緊張に、喉が鳴った。
「冬歌」
ただ一言、名を呼んだだけなのに目眩がする。
「これから三日間、よろしくな」
心臓・・・もつかな?




