胃が痛くて仕方がない
誤字脱字を見つけ次第、訂正します。
「改めまして――鷲ヶ丘高校の理事、鷲尾啓介だ。これから末永くよろしく、西城さん」
いい笑顔と共に差し伸べられた右手は、柏木が勢いよく叩いた。
「末永くもよろしくもしないからさっさと失せろ、ロリコン」
「年上には敬意を表するものだよ、柏木くん」
「敬う必要性を感じない」
「・・・躾がなってないね」
無表情なのに殺気が宿った眼で藍染基、理事長を睨む柏木と、そんな柏木に笑顔なのに冷やかな空気を纏う理事長。
・・・おかしいな。
私、隅っこにいるはずなのにどうしてこう、事の中心にいる気がするんだろう。ああ、そうか。二人の言葉に必ず私の名前が入るからか。そうか、そうなんだー。
駄目だ――――。
胃が痛くてどーしよーもないっ。
「胃薬、欲しい・・・」
身体を小さくさせ、現実逃避をすべく窓を見た。ああ、空が青くて鳥羨ましい。私も飛んで逃げたい。切実に。
・・・・・・・・・保健室に逃げようか。
(無理だ)
ちらりと二人を見て、考えを改める。いや、だって・・・。
扉の前には柏木と理事長がいる。二人の視界に入らないよう、どうやってこの部屋から出ればいいのか判らない。解る筈がないっ。
無駄に気配に敏い柏木から逃げられるとは思えないし、ちらちらと私を見る理事長の眼から姿を消せるとも思えない。無理だ。無謀だ。どうあっても私はこの部屋から出られない。うう、胃が痛い。
「・・・・・・・・・」
無意識に、手が窓に触れた。
何気なく下を見る。
「・・・・・・」
二階にある生徒会室。
その下は色鮮やかな花壇。近くには落葉樹。人影はなし。
「・・・」
がしり、と両手で窓枠を掴んだ。
「馬鹿なことはするなよ」
「飛び降り駄目、絶対!」
――――足を上げようとしたら、両肩を力強く掴まれて後ろに倒れそうになった。
反転した視界に、少し怒った柏木と慌てた顔の理事長が映る。ふっと、自嘲した。
二人には是非とも、解って欲しい。――――こうまでして逃げたい私の心境を。
「二階なら最悪、骨折ですむから大丈夫。だから私をここから出して! 逃がして! 後生だからっ」
「ちょっ、と、冬歌?!」
「まさかの暴走?!」
「放せー! 私を放せぇぇぇぇぇええぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ! 飛び降りてやるぅぅぅぅぅぅぅぅうううぅぅぅぅうぅぅぅぅ」
「落ち着け!」
「ふぐっ!?」
思いっきり、頭をチョップされた。
痛い。頭が痛いのとは別の痛みに涙が出そう・・・。
「外には・・・誰もいないな。よかったな、冬歌」
「何がよかったっていうの」
「変な噂にならなくて」
「・・・」
・・・確かに。頭を摩りつつ、息を吐きだした。
落ち着いてみると、何だか馬鹿げたことを平然としようとしていたね。傍から見たら私、自殺志願者だもんな。慌てさせてごめん。
――と、心では謝罪しておく。
「それで、理事長。私達・・・と言うか、私に正体をばらして何がしたいんですか?」
「え? さっき言ったよ?」
さっきって、何時?
「そんな心底、不思議そうな顔で私を見ないでよ。可愛くて頬ずりしたくなる」
「放れろ冬歌、あいつは変態だ」
「物理的に西城さんを遠ざけないでくれないかな、柏木くん」
「なら、伸ばしたその腕を下ろせ。そして冬歌に近づくな変態ロリコン野郎」
「失礼だね、本当。私のどこが変態だっていうのかな?」
「ロリコンは認めるのか、変態が」
「年の差があるのは事実だから仕方がないけど、変態って言わないでくれる?」
「煩い変態、黙れ変態、口を閉ざせ変態、近づくな変態、冬歌に触るな変態がっ」
「変態変態って、連呼するのやめてくれないっ!」
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
実は仲、良いんじゃないだろうか、この二人。
白い眼で二人を見て、痛む頭を押さえた。頭痛が酷い。
「帰っていい?」
「そうだな、帰ろう冬歌」
「まだ本題に入ってないから駄目」
同時に、まったく違うことを言われた。
ごめん。私、聖徳太子じゃないから判らない。今、何て言った?
火花散らしてないで、もう一回、違うタイミングで話してくれないかな?
「西城さんに言いたいことは山とあるけど、具合が悪そうだから二つだけにするね」
私の体調不良に気づいていたなら、早くそうして欲しかった。げんなりして、理事長を見る。
やけにキラキラした顔に、速攻で視線をそらした。
「手短にお願いしますよ、理事長」
「そんな他人行儀な。名前で呼んでくれて構わないよ」
「110番に通報されたくなかったら、不愉快な発言は控えろ変態クソ野郎が」
「私も冬歌と呼ばせてもらうから、是非とも、啓介と呼んで欲しいな」
「110番・・・と」
「邪魔をしないでくれないか、柏木くん。携帯は没収だよ」
「変態ロリコン犯罪予備軍が人の物に触るんじゃねーよ。てか、馴れ馴れしい」
「名前で呼んでもらえないからって、嫉妬しないで欲しいな」
「終わらないなら帰るよ。そして私に二度と関わるな」
冷やかに告げたら、口喧嘩がぴたりと止まった。
まったく・・・何がしたいんだよ、この二人は。呆れた眼を向けて、刺すように痛い胃を押さえた。確実にこれ、胃が悪くなった。慰謝料でも払ってもらおうかな、二人に。
だって元凶だし。
問題ないよね。――――思うだけで、やらないけど。
「それで、話って何ですか?」
早急に、終わらせろ。
そう無言で訴えれば、苦笑された。腹が立つ。
「ちょっと遅いけど、桜もまだ咲いてるからってことで学校が主催する歓桜会があるんだ」
「はぁ・・・新入生と新任のための交流会ですよね。今までもありましたし。で、それが?」
「桜を見て、学年やら教師や関係なく交流するだけじゃつまらないだろうって爺・・・先々代理事長が言ってね。思い付きで『図書委員に鷲ヶ丘高校の歴史と文化を語ってもらおう!』って言い出して」
「それで、どうして私に? 司書の伏見先生に頼んでください」
「上の命令には逆らないないって、顔面蒼白ながら二つ返事で了承したよ。それで、『図書委員がやれば、知識も向上していいです!』なんて、力一杯に言っててね」
「すいません、ちょっと伏見先生に文句言ってきます」
あのヘタレめ。
人前に出るのと語るのが嫌だからって、仕事を押し付けたな。なんて大人だ。
後で幾月に嫌味言われて、胃を悪くしてしまえっ。畜生、馬鹿!
「大丈夫。冬歌さんの前に幾月くんに話してますから」
「あ、そうですか」
ならいいや・・・って、ん?
「許可もないくせに、図々しく冬歌の名を呼ぶな」
「名前を呼ぶのに許可なんているのかな?」
「喧嘩は後でお願いします。で、もう一つは?」
冷やかに告げたら、理事長が困った顔をした。
いや、違う。あれは悲しい顔だ!
・・・何で?
「この状況を見て、何か思いません?」
「別に」
「即答・・・。ちょっと、胸が」
「何を考えたか知らないけど、冬歌にそんなこと、期待するだけ無駄だ。馬鹿が」
「とか、言いつつ柏木くん。胸を押さえてるのはどうして?」
「煩い」
「用件は以上ですか? ですよね? じゃ、さようなら」
さぁ、帰ろう!
意気揚々と歩き出した私を、二つの手が止めた。またか・・・おい。
胡乱に振り返り、両腕を掴む二人を見た。あからさまに息をついて、容赦なく腕を掴む手を振り払う。ああもう、鬱陶しい!
「まだ終わってないんだ、ごめんね。冬歌さん」
「俺を置いて行くな、冬歌」
だから、同時に言うなと・・・・・・はぁ。
げんなりしつつ、仕方なしに聞く体制と取った。胃が痛いから、手短にお願いしますよ。
「西城冬歌さん」
何でフルネーム?
どうして真剣な顔で、けど熱の籠った眼を私に向ける?
「結婚を前提に付き合ってください。絶対に後悔させないし、幸せにするから」
「死ねロリコン」
「ぐはっ!」
柏木が容赦なく理事長をぶん殴った。で、一本背負いまで披露した。お見事!
じゃ、なくて――――。
今、理事長は何を言った?
「空耳? 空耳だね、そうだね。そうに違いない」
「空耳でも幻聴でもないからね、冬歌さん」
「ちっ。復活が早い」
「言いながら追撃を喰らわせようとしないでくれるかな?!」
眼の前で攻防戦を繰り広げる二人からそっと視線をそらし、無意識にお腹にあてていた手を見ながら息を吐く。――ああ、胃が痛い。
げんなり、というよりもげっそり、と言う感覚を胸中に抱きながら、私は深く息を吸い込む。たったそれだけの動作なのに、胃が痛い。物凄く痛い。泣きそうなほどに痛い。泣かないけど。
頭も痛いのに、胃まで痛くなるなんてある意味凄いな、この二人。
関わると高確率で、私の体調が悪化する。
主に頭痛と胃痛で。
「寝言は寝て言ってください。理事長ならもっと相応しい女性がいますよ、変な戯言だったって聞き流しておきますね。だから――――阿呆なことを言うな」
「冬歌さんの笑みが黒い」
語尾に星がつきそうな勢いで、笑顔で言うアンタが恐ろしいわ。理事長。
「戯言とは心外な、私は本気だよ?」
「家族に反対されますよ」
「私が独身貴族でいると公言して、あの手この手で私に家庭を持たせようとしていた両親のことだ。私が結婚したい相手がいると伝えれば、諸手どころか感激の涙を流して了承するよ。それこそ年の差なんて気にしないで、むしろ些細なことだと叫ぶほどに。だから結婚しよう」
「しませんからこの手を放せ」
両手で私の右手を掴む理事長の眼は、本気と書いてマジと読むほどの色をしている。
・・・自分で言ってよく判らないが、それだけ本気らしい。迷惑な話だ。
「そのまま独身貴族でいろ、そして孤独死してしまえ」
「男の嫉妬は醜いよ、柏木くん」
不機嫌全開な柏木に、理事長がにやにやと笑う。
「安心して、柏木くん。冬歌さんは私が幸せにするから」
「しないって言ったよね? 耳が遠いの? 馬鹿なの? 死ぬの? 死ねば?」
「・・・酷い。けど、そんな冬歌さんも好きだよ」
「すいません。私、話が通じない人とこれ以上、関わるつもりはないんですけど。抱きつくな、鬱陶しい!」
ぞわってした。
背中、ぞわってしたよ!
何がしたいんだよ、この理事長はっ。セクハラで訴えて勝つよ!?
「だから・・・冬歌に近づくなって言ったよな?」
地を這うような低い声に、動物的本能が発揮したのか、理事長が私から離れた。うん、ある意味、正しい判断だ。
そーっと視線を声がした方、と言うか、柏木に向ければ穏やかな表情でこちらを見ている。それだけでも恐ろしいんだけど、双眸に暗い炎を宿していることに果たして理事長は気づいているだろうか?
――――柏木の堪忍袋の緒が切れた。
ある時を境に、一定以上の憤怒を抱くと柏木はこうなる。それはもう、普段の怒りが理性的だったんだなと思うほどに本能が赴くまま、暴力的で過激。容赦のよの字もなければ、情けすらない。
相手が泣いても、気絶してもお構いなし。
徹底的に叩きのめし、屈服させ、服従させる。
「か、柏木・・・くん?」
「はい、何ですか?」
「あの・・・え? ど、どうしたの、彼?」
「ある時・・・確か、小学高学年の時に理性の糸が切れるほどに激怒した柏木がこうなりました。ご愁傷様です。骨は拾いませんが、お葬式には行きますので成仏してください」
「え? と、冬歌さん!?」
そろり、後退した。
「申し訳ありませんが、理事長」
「は・・・はい」
「少し、僕に付き合ってくれませんか」
「疑問符がないっ。・・・今日は、その、これから忙しくて」
さっきとも、普段の猫とも違う柏木に、理事長はたじたじだ。
「大丈夫ですよ」
ふんわりと、花が咲くような笑みを浮かべる柏木。
その笑みを見る限り、何てことのないように感じるが――――一切、眼は笑っていない。
「すぐにすみますから」
「いや、遠慮・・・・・・ぎゃ、ぎゃぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁ、ちょ、ちょっとまって柏木くん、落ち着こうか、柏木くん。ほら、話し合おう。大丈夫、人間、話し合えば大抵のことは判りあえるからっ!!」
視線は床を向いたまま私はそっと扉を開けて、音もなく退散した。
中からは理事長の必死の叫びが聞こえる。柏木の落ち着いた声はまったく、聞こえない。だが、それが余計に恐怖を抱かせる。恐ろしい男だ、柏木・・・っ。
がったん、ばったんと聞こえる音から逃げるように廊下を歩き、未だに痛む胃を押さえる。
「・・・・・・保健室で胃薬貰って、次の授業から出よ」




