とある日の、科学室
誤字脱字を見つけ次第、訂正します
秦睦実は柏木祀を天才ではなく、努力の人と認識している。
いや、そう思っているのは柏木祀と関わりが深い友人だけだろう。関係性が薄い人間ほど、柏木祀を天才だと思い、努力と無縁だと考えている。
実際は――――惚れた女のために、いかなる労力も厭わぬ人間なのだが。
だが、柏木祀が惚れた女、こと西城冬歌はその努力も「柏木ならば出来て当然」とさらりと受け流している。まったくもって、不憫だ。
(それはともかくとして・・・)
秦は科学室の丸椅子に腰をおろし、苛立ち気味にテーブルを指で叩く柏木から眼をそらした。ばれないようにこっそりと息を吐く。
余程、転校生が鬱陶しかったのだろう。不機嫌がありありと見える。
と言うよりも、これは――――。
(冬歌くんに背を向けられて、拗ねているのだよ)
確かに機嫌も悪いが、それ以上に拗ねている。
判り易く態度に出した柏木を物珍しく思いつつ、秦は科学部顧問と一緒に買い、こっそりと隠した小さな冷蔵庫を開けた。こっそりとは言っても、柏木を筆頭とした友人にはばれているのだが。
開けて、瞬いた。
どうやら、顧問がまた勝手に中身を増やしたようだ。記憶にないドリンクや食糧がびっしりと入っている。
いつものことかと流し、秦は柏木に問いかけた。
「昼食は食べたかい、祀くん?」
「食べたと思うか?」
「そうかい。そんな君に、僕から囁かなプレゼントなのだよ」
冷蔵庫から取り出した昆布と鮭のおにぎりを手渡せば、柏木は呆れた視線を秦に向けた。
「米好きめ」
「日本人ならば米を食うべきなのだよ! 米こそ至高の食材! 和食こそが正義っ!」
「キャラが違うだろう」
「米を食ってこその日本人! 故に日本人は米を食え、洋食を食うな! パンは敵だっ」
興奮したように叫ぶ秦を無視し、柏木はおにぎりをテーブルに置いた。
食べる気はないようだ。
「あの転校生、随分と祀くんを気にいっているようだね」
柏木は反応せず、おにぎりをつまらなそうに眺めている。
「モテる男はつらいものだね、祀くん」
「睦実も素顔をさらせばモテるだろう。いい加減、そのダサい眼鏡と白衣をやめろ」
「科学者とは、こう言う格好をするモノだろう?」
「疑問形で聞くな」
「それに僕は、外見しか見ない人間に興味はないのだよ」
「ああ、そうだったな」
「祀くんたち、限られた友人にだけ素顔をさらせばいい――と、僕は思っているのだが?」
眼鏡をはずし、精悍な顔立ちをさらした秦に柏木が苦笑した。
「それは、光栄なことだ」
嘘のない言葉だが、肩を竦めて呆れながら言われても嬉しくない。
秦は溜息をつき、柏木の前に腰を下ろした。おにぎりの封を開け、丁寧に海苔を米にまきつける。・・・やはりおにぎりは素晴らしい。
具がシーチキンでなければ、もっと喜べるのだが。日本人なら洒落たモノではなく、梅干しやタラコ、昆布を具にしろ。おにぎりに探究心を求めるな、原点に帰れ。――――シーチキンは美味いから罪はないが。
「失礼します。秦研究員は・・・いるね」
「おや、暦くん。・・・何故、上だけ女子の制服なのか、聞いてもいいかい?」
「保険医が『女の子なんだからちゃんと、女子の制服を着なさい』と言い、私に男子の制服予備を渡さなかったから・・・・・・下だけ奪取した結果だが何か」
「逆切れしないでくれ。しかしまぁ・・・ちぐはぐなのだよ」
「ほっといて。妥協案だよ。保険医が大人しく手渡してくれないのが悪いんだ」
拗ねたようにそっぽを向く東雲に苦笑し、秦は頬杖をついた。
「それで――――。僕に一体、何か用かい?」
「とある生徒が、悪質な悪戯にあってな。精神的にダメージを受け、今、保健室で休んでいるんだが・・・」
科学室のドアを閉め、柏木の横を通り過ぎ、東雲は秦の隣に腰を下ろした。
「アレは、秦研究員の仕業だな」
確信を持った言葉に、秦は何も言わず薄く笑う。
「私以外は誰も解らないようだが、アレは間違いなく秦研究員が行ったこと。何故、一人ではなく複数の生徒に仕出かしたのか聞いてもいいか?」
「・・・・・・そうだね」
秦はちらりと柏木を見てから、テーブルに無造作に置かれた自分の眼鏡を見た。足を組み、言葉を頭の中で組み立てる。
言い訳ではない。
自身が聞いた言葉を、簡潔に伝えるにはどうすべきかを考えてからようやく、口を開いた。
「転校生が来てすぐに、祀くんの信者がこう言い出したのだよ」
転校生――。
その言葉に柏木が嫌そうに顔をしかめたのを確認して、東雲は秦に視線を戻した。
「『あの転校生こそ、会長の傍にいるに相応しい女』だとね」
「は?」
何だか馬鹿な言葉を聞いた気がして、東雲は間抜けた声を出した。
「さらに――『たかだか幼馴染に、会長の相手は務まらない』。『あの程度の容姿で、会長の傍にいること自体が罪だ』。『あの幼馴染と会長を恋仲にしてはいけない』。『分不相応、豚に真珠』。『幼馴染を断罪すべきだ』。『会長の眼を覚まさせなければ』。『幼馴染を排除しなければ、アレは害だ』。『会長の傍にいれないようにしてやろう』――らしいのだよ」
くだらなすぎて、その会話を聞いた時は嘲笑したものだ。
けれど、彼らがそれを実行しようとしたから、その前に秦は彼らを潰した。何も出来ないように、行動を起こす気を萎えさせて、自分達が何をしようとしたのか解らせるために。
・・・いや、違う。
自分の大切な友人に手をだそうとしたから、彼らが実行する前に排除しただけだ。
「だから僕は、愚かにもそんなことをほざいた奴を制裁しただけなのだよ」
「・・・風紀委員の前で、よくもまぁ制裁なんて言葉が使えたモノだ」
そう言いつつも、東雲は呆れた顔をするだけで何もしない。
「制裁と言っても、僕がやったのは些細な悪戯なのだよ。それで精神ダメージを負ったとは、随分と軟弱な奴らなのだね」
けたけたと笑えば、柏木が同意するように笑った。
ああ、やはり――自分が先に行動してよかった。
彼らが秦よりも早く動いて、実際に西城を害していれば間違いなく――――柏木の逆鱗に触れていた。
そうなれば秦が仕出かしたことより、派手で面倒なことになっていただろう。・・・警察沙汰になるようなことが。
東雲もそれを判っているからか、余計なことを口にしない。ただ、淡々と秦に質問をする。
「目撃者がいたり、首謀者が誰かばれるようなヘマは?」
「まさか! 僕は何事も細心の注意を払い、行動を起こす慎重派なのだよ? ばれるとしたらそれこそ、僕と言う人間をよく知っている者だけだ」
「成程、それならばれないか。・・・じゃあ、風紀委員は動かないね。証拠も犯人もいないんじゃあ、仕方ない。実に残念だけど、彼らには泣き寝入りしてもらおうか。風紀委員長にもそう伝えておこう」
「おや? 犯人を教えていなかったのかい?」
「その犯人から、事情を聴いてからでも遅くないと思ったんだよ」
肩を竦めて、東雲は言葉を続けた。
「けど、結果的にそれがよかった。彼らは・・・自業自得なんだから、仕方がない」
「ああ、仕方がないのだよ」
柏木は息を吐き出した。
二人が考えたことがありありと解り、何とも複雑だ。別に二人が思うような、警察沙汰になるようなことはしないと言うのに。するとしたら、・・・二度と西城冬歌に関わらないよう、害さないようにお願いをするだけだと言うのに。
だが、友人はその前に行動を起こした。
これ以上はあまり意味がないだろう。何事も――程ほどが一番だ。
「信者だか何だか知らないが、潰すか」
とは言っても、苛立ちは消えないので何かしらの行動はするのだけれど。
「まぁ・・・ただでさえ非公式だから、潰しても大丈夫とは思うけど」
「ああいう輩は、どこかで続けるのがセオリーなのだよ。例えばSNSとか」
「そう言うのを一つひとつ潰すのは、流石の柏木会長でも骨が折れるとおもうよ。でも柏木会長のことだ。霧生写真家を使ってでも潰すんだろうな」
苦笑した東雲に、柏木は何も答えない。
変わりに秦が口を開いた。
「けれどだね、祀くん」
にやりと口角をつりあげ、秦が笑う。
「潰すよりも認めさせた方が手っ取り早いと思うのだよ、僕は」
「認めさせる、ね」
「そうすれば冬歌くんを悪く言うことも、害することもない。むしろ冬歌くんを護ろうとしてくれるだろう。――認めさえすれば、だがね」
「ふぅん」
関心薄い柏木を気に変えず、秦は言葉を続けた。
楽しげに語る表情とは裏腹に、瞳はどこまでも冷たく一切の熱を孕んでいない。あるのはただの侮蔑。
「認めた時、彼らはどう思うだろうね。今まで自分達が蔑み、見下し、否定してきた人間のことを。どう感じるだろうね。過去の己の所業を知って」
「・・・・・・そうだとしても」
冷やかに語る秦に、東雲が口を挟む。
「認めさせるってどうやって? 彼らは馬鹿みたいに妄執で、盲目的だ。簡単には冬歌のことを認めやしないよ」
「そこを考えるのが、祀くんの仕事なのだよ」
「俺に投げるのかよ」
呆れた表情を隠しもしない柏木に、秦は笑う。人差し指をぴんと伸ばし、実に無邪気で楽しげに。
「冬歌くんを愛しているのは祀くんなのだよ。僕たちは手を貸すだけ。それ以上をしてしまったら、意味はないと思わないかい?」
「意味ね・・・」
柏木が溜息をついた。
何気なく見下ろしたおにぎりから眼を放し、窓へ向けた。雲がない青天が見える。
鴉が大量に空を飛んで行った。
何やら不吉を感じたが、西城と結ばれないこと以上に最悪なことはないと意識から消した。
「冬歌を落とすより簡単だから、別にいいけど」
「あー・・・」
二人から憐れみの視線と、同情を貰った。




