噂の転校生
誤字脱字を見つけ次第、直します。
「今日は皆にお知らせがある」
朝のHRに、江藤先生がやけに真面目な顔で言った。
「奥さんが妊娠したので俺は今日から育児休暇を取ることにした! じゃ、またいつか逢おう!」
「駄目でしょう!?」
転校生のことだとばかり思っていた皆が、そろってツッコンだ。けれど江藤先生の顔は真剣そのもので、冗談ではなく本気なのだと如実に語っている。現に、右手には休暇届けと書かれた封筒を持ち、足は扉へと向かっていた。
それでいいのか、教師。
呆れながら江藤先生を見れば、柏木が溜息まじりに告げた。
「その奥さんから先程電話があったようで、『育児休暇とか、取らなくていいから真面目に仕事をしなさい。仕事をしないなら、私は実家に子供と一緒に帰って生まれる子にも一生、逢わせないわよ』っと、校長先生に言ったそうですよ」
「そんなっ!?」
「校長先生も笑顔で了承し、俺に江藤先生が逃げないよう見張ってくれと頼みましたので。・・・諦めて、仕事をしてください。ちなみに奥さん、『三人目なんだから、旦那がいなくても大丈夫よ。むしろ邪魔、鬱陶しい。黙って金を稼げ』と言っていたそうです」
「なんて・・・ことだ」
教卓に寄りかかり、絶望したとばかりに男泣きを始めた江藤先生。余程、奥さんに「邪魔」と言われたことがショックだったんだろう。暗雲を背負い、じめじめした空気を纏い始めた。小声で何事かを呟く姿は、直視できないほど憐れだ。大人としてはアレだけど。
と言うよりも奥さん。
黙って金を稼げって、凄い台詞を言うね。まぁ、確かにお金は大切だけどさ・・・。
「ほら、江藤先生。落ち込んでないで仕事、しましょ? そうしたら奥さんも何も言わないでしょうし」
「ああ・・・うん。そうだな、そうだよな。夏目が言うように、仕事をしないとな」
「それから奥さんが『私が一番頼りにしてるのは旦那だから、何かあったら連絡するわ』」
江藤先生の眼が輝いた。
それを確かめてから、柏木が言葉を続けた。
「『だから心配しないで、私達のために働いてね』――だそうですよ、江藤先生」
「さて、仕事をしようか。――――今日は転校生を紹介するぞ」
「それでいいのかよ、先生」
ぼそりと呟いたクラスメイトの言葉に、大半が頷いた。
雰囲気を一変させ、普段通りに振る舞う江藤先生が教室のドアを見る。つられて視線を向けた。長身のシルエットが見える。
「入ってきていいぞ、藍染」
教室の扉が開いて、現れたのは息を呑むほどの――――美少女。
人形じみた美を持つ、スレンダーな体型の少女は穏やかに笑い、長い髪を揺らしながら教壇の前に立った。教室を見渡し、少女がにっこりと笑う。ううむ、可憐な笑みだ。
それだけで、男子が歓喜の声を上げた。柏木と夏目以外は。
柏木は興味なさそうに、夏目は怪訝そうに首を傾げている。何故だろう?
ちなみに女子は女子で、あまりの美しさにほぅと、感歎の息を漏らして羨ましげに少女を見ている。確かに、同性すら魅了する笑みだ。
醜悪に興味のない暦すら、薄らと頬が赤い。
私は――――特別、興味はなく顔を赤らむこともうっとりすることもない。
(綺麗、とは思うんだけど・・・なんか、こう)
上手く言えないけど、柏木みたいな猫を感じて警戒心を抱いてしまう。いや、本当に何となくだから気のせいかもしれないけども。
「はい、転校生の藍染姫花さんだ。皆、仲良くするように。藍染、挨拶を頼む」
「隣町から来ました、藍染姫花です。みなさん、よろしくお願いします」
あれ・・・?
隣町? 普通、学校名を言うんじゃないのかな? 奇妙な感覚を覚えつつ、まぁいいかと面倒なことを早々に思考から追い出した。
(しかし・・・藍染姫花って名前、凄いな)
悠乃が食い付きそうだ。苦笑して、転校生を見たら眼が合った。
にこりとほほ笑む姿は、可憐で柔らかな印象を与えるんだけれど・・・・・・何でだろうか? ぞっと、背筋が寒くなったような。
不自然にならないように視線をそらせば、今度は柏木と眼が合った。何?
「席は・・・柏木の隣が空いてるな。藍染、柏木は生徒会長だから何か困ったことがあれば聞きなさい。柏木、藍染を頼むぞ」
「はい」
「えっと・・・よろしく、柏木くん?」
「ああ、よろしく。藍染さん」
美少女が小首を傾げる姿は何で、絵になるんだろう。そして笑みを返すイケメンもまた同様。この光景にクラスがざわついてるよ。
男子が小声で何か囁いている。
女子が声を潜めて何か告げている。
おそらくは――お似合いの二人、と言ったことだろう。
確かに絵になる二人だ。恋人になればそりゃもう、美男美女として有名になるだろう。確実に。うむ、是非ともそうなって欲しいものだ。
深く頷きつつ、転校生が柏木に積極的に話しかけている姿を眺める。うーん、眼福モノだ。
やはり柏木の隣は美がつく女性がいるべきだ。
柏木祀の傍には美女、あるいは美少女だ。――西城冬歌ではない。
チャイムが鳴って、教室が騒がしく鳴った。
私は12時を示す秒針を眺め、さてお昼ご飯はどうしようかと考える。
朝が苦手な母さんは当然、弁当を作らない。学食があるから私も作ろうとしない。父さんは昼食の弁当がないことが寂しいと言うが、作る方としては面倒でしかない。
・・・と、余談だった。
鞄から財布を取り出して、金額を確かめながら席を立つ。
あの日以来、柏木と昼食をとっているんだけど・・・。柏木は生憎と忙しいようだ。
ちらり、と柏木のいる方向へ眼を向けた。
「あの、柏木くん。昼食がてら校内の案内をお願いしてもいい?」
弁当袋を持った転校生に捕まっている。
猫を被った柏木がやんわりと拒否を告げているが、転校生は引かない。むしろ押している。
よし、今のうちに姿を消そう。――久しぶりに、柏木のいない昼食を味わうんだ。
(しかしあの転校生、柏木以外とあんまり会話してないな)
話しかけられれば返答するが、自分から話しかけたのは柏木だけだ。
休み時間も柏木の傍から離れず、色々と聞いていたような・・・。男子が不満気にしていたが、相手が柏木とあっては「仕方ない」と身を引いたらしい。潔いな。
女子は柏木を独占しすぎ! と怒るようなこともなく、ただただ、絵になる二人を見てうっとりとしている。悠乃にメールで事を知らせたら、「少女漫画的展開だからでしょ」と返答が来た。
少女漫画的展開とは、どう言う展開なんだろう?
詳しく聞きたかったけど、悠乃からのメールはそれ以降ない。
転校生。
美少女。
このキーワードなら、普段の悠乃なら騒ぐはずなのに・・・吃驚だ。
さらに驚くことに、藍染姫花と言う名に反応しなかった。むしろ素っ気なく、興味がさらさらないことが文面から判った。ううむ・・・悠乃の琴線が解らん。
柏木の視線を感じつつ、私は教室を出て食堂に向かった。
(今日は何を食べようかなー)
金銭的にあんまり余裕がないから、安いのにしよう。
「あ、悠乃」
「ひっ!?」
「・・・・・・・・・えっと、何か・・・ごめん」
角を曲がった先で、壁にひっついた悠乃がいたから肩を叩いて声をかけたんだけど・・・。物凄く怯えられた。自分を抱くように腕を回し、一気に私から距離をとるのは条件反射か。
青白い顔で私を見て悠乃は、周囲を見渡してから安堵の息を吐きだした。
「冬歌・・・お願いだから、私の背後に立たないで。や、違う。声をかける前に私の身体に障らないで。拳か蹴りが出るから・・・本当、やめて」
何でそんな行動になるのか解らないが、真剣な顔で告げる悠乃に頷くしかない。
「これもそれも・・・あの先輩のせいだ。何で私を標的にしたのかなっ!」
憔悴した声で絶望を瞳に宿した悠乃に、何も言えない。
「あー・・・そうだ、悠乃。昼食は食べた?」
「食べたと思う?」
「そんな真顔で返さないでよ。何? 食べる暇がなかったの?」
「私は登校拒否になりかねたわ」
「ごめん、意味が解らない」
昼食からどうしてそうなる?
「そうね、解らないわよね・・・。柏木君と恋仲になった冬歌に、私の苦労なんてまったく、これっぽっちも、1ミリだってわからないわよ」
「恋仲って誰が誰とよ」
「冬歌と柏木君よ。3日前は『仲が良すぎる幼馴染』だったのが今日の朝から『恋仲になった幼馴染』よ。気をつけなさい。柏木君に恋する乙女が修羅の表情してたから、何かしら行動するはずよ。・・・・・・ああ、これぞ王道の展開。イケメンが一人の女性のモノになった途端、発生する強制イベント。個人的には一人の女性を気にかけた時点で起こって欲しいわね。ソッチの方が恋愛ゲーム的に好感度が上がるし」
「色々とツッコミたいけど、私は柏木と付き合ってないから恋仲じゃない」
普段の悠乃に戻ったのはいいけど、そんな噂を鵜呑みにしないで欲しい。
しかし・・・そうか。とうとう柏木に恋する乙女が動くのか。これは危機管理と危険察知能力を上げないとな。下手したら、ただの怪我ですまないし。
あ、防犯グッズと護身用常備しないと。
「いくら冬歌が否定しようと、周りは真実だと思ってるから無意味よ。諦めて、柏木君と本当に付き合いなさい」
「やだってば」
「柏木君の横に立てるのは、冬歌しかいないのに?」
「私より相応しい人がいるよ。ほら・・・転校生とか」
悠乃があからさまに嫌な顔をした。
「何か、胡散臭いのよね。あの転校生。と言うより――――嫌い、憎い」
「珍しいね・・・」
「自分でも吃驚よ。あんなネタになりそうな人間を、どうしてここまで嫌えるのかしら。やっぱり、藍染姫花なんて言う名前のせいかな? 夢小説にありそうな、逆ハー狙いの女と似た名前だし」
「逆ハー?」
「ハーレムの女版」
簡潔な説明、どうもありがとう。
「そう言えば暦、今日は珍しく女子の制服着てたわね? 明日は槍が降るのかしら?」
「1限目が終わったら、速攻で普段の服装に戻ったよ」
「あら、残念。珍しい姿に霧生君が写真を撮って、暦ファンに売ってたのに。・・・プレミアがつくわね」
「そんなことしてたのか、霧生」
本人の許可なく、何をやってるんだか。
いつか、間違いなく捕まるよ? 心配だけはしておくけど、巻き込まれたくないから知らない振りをしよう。うん。
「そうそう、その霧生君何だけど」
周囲を警戒しつつ、悠乃が告げる。
「3限目に夏目君が来て、連れられたまま戻ってこないんだけど知らない?」
「知らない」
「メールも電話も応答なし。まったく、使えない男ね」
「霧生をどう使うつもりだったのよ」
「霧生君じゃなくて、霧生君が持つ情報が欲しかったのよ」
ああ、確かに霧生は新聞部に所属しているだけあって情報通だね。
どこから仕入れてくるのか知らないけど、本当、あり得ないくらいに情報は持ってる。変わりに、新聞にするネタがないっていつも嘆いてるけど。
「あ、柏木君」
心なしか、不機嫌な柏木が転校生と一緒に廊下を歩いている。
ううむ、やはり絵になる。お似合いだ。そのままくっつけ!
「・・・・・・くっつけ、なんて思ってないわよね?」
「え?」
「あの柏木君を見て、お似合いだって本当に思ってるの?」
「傍目から見れば、絵になる二人だよね。柏木の機嫌はともかく」
「面倒くさいわね、冬歌って」
「は?」
意味が解らない。
「気づいてないのか、知らない振りをしているのか、無視してるのか。どっちでもいいけど、見ててじれったいわ。柏木君はよく、冬歌を好きでいられるわよね」
「それは私も知りたい」
「・・・・・・・・・もう本当、自分と向き合いなさいよ」
――何で?
首を傾げれば、悠乃が溜息をついた。それはもう、深く長く・・・。呆れたような眼差しが、居心地を悪くさせる。
何か、変なことを言っただろうか?
「通行の邪魔なのだよ、二人とも」
「あ、ごめん・・・って、秦か」
「僕で悪かったのだよ」
むっとした顔の秦が、ちらりと柏木がいる方を見た。
「祀くんが良かったのならば、今すぐにでも呼んで来ようかい? 転校生と話すより、冬歌くんと話した方が機嫌も治ると言うものだよ」
「呼ばなくていいし、機嫌が治るとも思えないからいらない」
「・・・・・・憐れなのだよ」
「そうよね、憐れよね」
何がどう、憐れなのか教えて欲しいんだけど。
口を開いて尋ねようとしたら、秦が先に言葉を告げた。何か、遮られた気がする。
「しかし、あれが噂の転校生か」
「あら、噂に興味のない秦君でも流石に知ってたのね。吃驚」
「あまり吃驚したようには見えないのだが。まぁ、いい。行く先々で転校生について話されていれば、嫌でも耳に入ると言うものだよ。だが、噂通りに祀くんにご執心のようだ」
「本当ね。柏木君の腕を組むなんて強者、初めて見たわ。どうする冬歌?」
「どうもしないよ」
と言うか、話を振るな。
私は関係ないんだから。息をつけば、呆れた視線を頂いた。
「そう言えば、噂って――――何?」
「知らないの?」
「知らないのか?」
そんなに驚くことなんだろうか?
いや、確かに転校生については色々話されていたようだけど・・・正直言って。あの。
「興味がなくて、聞き流してたから」
「秦君ですら噂を知ってたのに?」
「僕ですら知っていると言うのに?」
・・・馬鹿にされた気がするのは、どうしてだろう。
「転校前に知り合った生徒曰く、大和撫子を体現したような人物。怪我をした生徒を保健室にまで付き添って、怪我の手当てをした姿はナイチンゲールが如し」
は?
唐突に何を語りだした、悠乃。
「転入試験はすべて満点。転校前の学校で行った体力測定は女子の平均を超えている」
「容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群・・・・・・。まるで誰かみたいよね」
「文武両道な誰かそのものだ」
つまりは――柏木みたいな人間ってことで、噂になってたんですね。
どーでもいいや、それ。
おそらく私の顔は心底、げんなりしていただろう。いや、実際にそうだと言える。
しかし、まぁ・・・柏木みたいな人間がいるとは驚きだ。
漫画のようなキャラが二人・・・か。
何気なく、柏木がいる方を見た。
転校生こと、藍染に腕を組まれ、判りにくいが機嫌が下降している。猫を被ってなければ、素を出して「放せ」と冷たく言い放つだろう。や・・・「放せ」よりもっとアレな台詞を言うかもしれない。
「しかもその転校生は祀くんに惚れたと言う話もある。が、アレを見るからに否定は出来ないのだよ。僕から見ても、転校生は祀くんに惚れているように見える」
「やっぱりあの転校生、気に喰わないわ」
しみじみと告げた秦と、忌々しそうに藍染を見る悠乃。
(藍染が柏木に惚れようが、私には関係ないよ)
寧ろ、藍染が頑張って柏木を落として欲しい。
柏木が私に抱く想いを、藍染に移るようにして欲しい。
そうしたら私は――――縁を切れる。
幼馴染としての関係が希薄になり、適度な距離を保って友人になれる・・・はず。縁を切って、本当に友人関係になれるかどうか判らないけど、そう願いたい。
「ねぇ、屋上って行けるのかな?」
「昼休みと放課後の一定時間は空いてるから、行けると言えけど」
「案内してもらってもいいかな?」
「それは」
柏木と眼が合った。
だけど私は気付かない振りをして、柏木に背を向けた。
「冬・・・っ」
「駄目かな、柏木くん?」
角を曲がって、柏木の視界から姿を消す。壁に寄り掛かって、息を吐きだした。
・・・?
何か、違和感が・・・。何だろう?
胸を撫でて、理解できない痛みに首を傾げた。胃の痛みが胸に移ったとか? そんな馬鹿な。呆れた思考に苦笑した。
「転校生、悪いが祀くんは僕と用事があるのだよ。校内を案内して欲しいのならば、同級生の誰かに頼むがいい」
「えっ、でも」
お腹すいたし、とっとと食堂に行こーと。
「悪いが、藍染。案内の続きは変わりの誰かと行ってくれ。――睦実、行こうか」
「あ、柏木くんっ!」
「藍染さん。案内なら俺が変わりにするよ!」
「いやいや、ここは俺がっ」
「男子は黙ってなさいよ。ここは女同士、親睦を深めるために行きましょう」
何だか、後ろがやけに賑やかだな。
まぁ、私には関係ないし。面倒事に関わりたくないから、絶対に振り返らないぞ。
「冬歌って・・・」
「悠乃?」
いつの間に隣にいたの、吃驚したよ。
「本当、見ててじれったい」
「はい?」
だから、意味が解らないんだって。




