第一話 相原優平
ここは清潔感のある白い壁に囲まれた一室。
窓からは暖かな日の光が射し込み、室内には微かに消毒の匂いが漂う。
(ここは、東都の治療院?何で俺は・・・そうか、今は夢を見てるのか・・・)
室内を見渡せば、並べられたベッドに三十代の男女と二人の少女が寝かされており、それを幼い男の子が心配そうに見守っているのが確認できる。
幼い男の子は過去の自分の姿であり、ベッドに寝かされているのは両親と二人の姉であることを認識できたが故に、彼はここが夢の中であるということを理解したのだ。
「ん、んん・・・ここは?」
「あっ、お父さん!」
しばらく見つづけていると、目を覚ました父親が半身を起こしてキョロキョロと辺りを見渡す。そして、それを見た幼い頃の自分は心配そうにしていた表情を満面の笑みへと変え、起きたばかりの父親へと駆け寄り抱きついた。しかし・・・・
「えっ?お父さん?・・・んー、僕には息子なんていないはずなんだけどな?」
「・・・ッ!」
・・・と、目を覚ました父親は、困惑しながら自分には息子はいないと口にした。
そして、続けて目を覚ました母と二人の姉も、父親と同じように息子、弟はいないと口にされ、幼き頃の彼の表情は絶望に染まり、やがて時が止まる。
この夢は中途半端に開花した自らの能力を使用したことにより、家族の記憶から自分という存在が消えた日の悲しき記憶。
一枚の静止画のように固まった当時の光景は少しづつ薄まり、彼の意識は現実へと還る・・・
「・・・・・・あの日から十二年、か」
布団の上に身を起こし小さく呟く。
彼の名は、相原優平。黒髪黒目で、身長百七十五センチメートルの細身と言っていい体格、常に目を糸のように細めていること以外にこれといった特徴のない顔立ちをした、十七歳の少年。
十二年前、中途半端に開花した能力を使用したことで、罰則として優平の存在は家族の記憶から完全に消えてしまった。
彼は周囲の人々の証言などにより、息子であることは間違いではないと証明されたため、両親と共に暮らすことができた。が、その後の生活は平穏なものではなかった。
別に虐待とかがあった訳ではない。単に両親と二人の姉には、優平を家族として受け入れることができなかったという話である。
彼らにしてみれば血の繋がりが証明されようと、優平がどれだけ歩み寄ってこようと、記憶の中に存在しない以上は他人の子としか映らなかっただけの話である。
だから、最終的に優平は子宝に恵まれなかった老夫婦のもとに養子として売られてしまったのだ。
養父母は狩人という野草の採集や獣を討伐することを生業する者達だった。
狩人は本来、街から街へと旅し続ける者が多いのだが、養父母は優平を養子にした後は、三年ほど旅をしてから日本列島の西側へ五十キロメートル離れた所にある島国、櫛名に定住した。
櫛名。
日本四十八国の一つであり、四国の半分ほどの面積で四つの大きな街と五つの小さな街からなる、楠木政重が大名として治める国である。
そこで優平は厳しい鍛錬と惜しみない愛情を注がれながら育ち、二年前に養父母が他界した今は部屋数が多いだけとなった家に一人で暮らしている。
「・・・良しっ!」
優平は今しがた見た夢で暗くなりかけた気分を振り払うと手早く身仕度を整え、机の上に置かれた養父母の位牌に手を合わせてから外へ出て柔軟をして体をほぐし、走り出す。
これは養子に引き取られてからの日課であり、優平は早朝の空気を胸一杯に吸い込みながら壁に囲まれた街並みの中を駆け抜ける。
そして、家に戻ると風呂場で汗を流してから手早く朝食と弁当を作り、それらを終えて居間へ行くと・・・
「あ、優ちゃん。おはよー」
・・・そこには何故か赤い首輪をした一人の少女が居て、花が咲いたような笑顔で優平に挨拶してきた。
赤い首輪をした彼女の名は、篠原七華。身長百五十五センチメートルの起伏の乏しい身体に、肩口で切りそろえられた茶色の髪を左右で結わえた幼く愛らしい顔つきをした、優平の家のお隣さんの家の娘である。
「おはよう。それでだ、七華さん」
「わふ?」
「玄関の鍵はかけてたはずなんだけど、君はどこから入って来たのかな?」
「あの、えーっとね・・・えーっと、あそこからだよ」
七華が指差した先には、居間から中庭へ出るための引き戸がある。
「七華、玄関の鍵がかかってるからといって、毎回居間の戸を壊さないでくれないかな?」
「うー、今日は壊してないもん。簡単に戸を外すことができたんだもん」
「簡単に外すことができた?」
「うん」
簡単に外すことができたと聞いて、優平は戸を点検する。
中庭へとつづく戸はスライドする型で、鍵を二枚の戸の重なり合う所に差し込んで回すネジ式のものなのだが、よく見てみると錠にあたる部分の穴が広がってしまっていた。
「まったく・・・。七華が何度も無理やり戸を外すから、穴が広がって鍵としての役割を果たさなくなってるじゃないか」
「く一ん、ごめんなさい。でも、でも、師匠達からは許可もらってるもん・・・」
七華の言う師匠達というのは、優平の養父母のことである。
この櫛名国には優平の他にも養父母の弟子が七人おり、彼女もその一人だった。
七華との出会いは十年前に遡る。優平が中庭で鍛錬しているのを、彼女が塀越しに覗いていたのが二人の出会いだ。言葉を交わして仲良くなると、七華は毎日塀を乗り越えて中庭から訪れるようになった。
今尚幼き頃と同じように玄関からでなく、中庭からやって来るというのは七華の悪癖といえるだろう。しかし、師匠達から許可をもらっているという言葉の中には、中庭から訪れるのは彼女に許された特権だということが含まれているように聞こえ・・・
(・・・それは七華なりに養父さんや養母さんとの思い出を大切にしてくれているということなんだろうなぁ)
優平が視線を向けると、七華は俯いて指を突き合わせていた。
今までどれだけ注意しても、頑なに中庭から訪れるのを止めなかった七華。けれど、それは彼女なりに、亡くなった養父母との思い出を大切にしてくれている証明と言えるのかもしれない。
一度その答えにたどり着いてしまえば、優平の中にあった七華を注意しようとか叱ろうという意識は消えてしまった。
「はぁ・・・、七華」
「優ちゃん?」
「今の家には新しい戸を買い替えるような余裕はない」
「あうっ」
「だからまあ、これからはお前の好きなように居間から上がればいいよ」
「え?それって・・・」
「言葉通りの意味さ。但し、居間から上がっても、ちゃんと俺に声をかけること。それができないなら赤字覚悟で戸は直すけど、約束できるかい?」
「うん、うん。約束する、するよ」
「あと、もしも居間から泥棒に入られたりしたら、しばらくは七華ん家で養ってもらうからね?」
「うん、養うよ。優ちゃんだったらあたしも家族みんなも大歓迎だよ!優ちゃん、ありがとう。大好き❤」
「はいはい、俺も好きだよ。だから腰にしがみついてじゃれつくんじゃないの」
全身で喜びを伝える七華を、優平は軽くあしらう。
異性に大好きと言われながら抱きついてこられればドキッ!としそうなものだが、七華の言う大好きは友人や家族に向ける親愛の情でありまだ恋愛の情のそれではない。それが解っているからこそ、優平も軽くあしらうことができるのだ。
そして、優平の言った戸を買い替える余裕がないというのは嘘である。
優平には養父母から遺された多額の遺産と、彼自身がアルバイトで稼いだそれなりの貯えがある。なのに嘘をついたのは、七華に対する彼なりの優しさの表れなのだろう。
「さてと・・・、今から朝飯食べるけど、七華はどうする?」
「もちろん、食べるー♪」
「はいはい。一応聞くけど、自分家では?」
「え?食べたよー、お茶碗三杯」
(お茶碗三杯?そんだけ食べておいて、まだ食べるとか。毎度のこととはいえば毎度のことだけど、食べた物がそのちんまい体のどこへ消えていくのか謎だよな。それと・・・)
優平はおもむろに居間と廊下を隔てる衾を開いた。するとそこには・・・
「お前らは何時まで立ち聞きしてるつもりなんだよ?」
「「座ってるよ(ぜ)」」
・・・廊下に眼鏡をかけた少年と体の大きな少年が正座していた。
「あ、重坊と修坊、おはよー。二人とも居たんなら入ってくれば良かったのに」
「うーっす。入ろうと思ったんだけどよぉ、修の奴に止められたんだ」
「おはよう、七ちゃん。いや、邪魔しちゃいけないと思って僕なり気を遣ったつもりだったんだけどねぇ」
「わふ、邪魔?」
二人が言っている意味が分からず首を傾げる七華。
二人の少年のうち眼鏡をかけた方は名を、瀬川修。身長百七十八センチメートルで中肉中背の身体。切れ長の目が特徴的な整った顔をした少年である。
で、体の大きな方の少年が、鉄本重吾。身長百八十三センチメートルの大きくがっしりした体格。短い髪を逆立てていて、少々厳つい顔つきをしている。
この二人も七華同様、優平の養父母の弟子であった者達である。
(修、言っとくけどそんな遠回りな言い方じゃ、七華には伝わらないよ)
(え一、そんな遠回りな言い方じゃないと思うんだけどな。七ちゃんの初心さを甘く見すぎてたかな?)
(だいたい・・・、七華がその手の話を苦手なのは知ってるだろ?気づいたら、ギャーギャー騒ぐのは目に見えてるんだから止めとけって)
(その、照れて騒ぐ姿が見たかったんだけどね。不発だったんなら仕方ないかな)
「ねぇ、重坊。修坊の言う邪魔って、どういう意味だろ?」
「知らねぇよ。俺も修に引き止められてただけだからな」
「そっかぁ・・・。あ、優ちゃんなら分かる?」
「あー、重吾も理解してなかったのか。まあ、修のいつもの戯言だから気にしなくて良いよ」
「分かったー。優ちゃんがそう言うなら気にしないよ」
「それで良いのかよ?」
「うん。だって、優ちゃんの言うことなら間違いないもん。ねー」
「七華の信頼が重い・・・。それはともかく、朝は時間がないんだから、さっさと朝飯食って学院へ行くよ」
「「「はーい」」」
優平は朝食を手際よくテーブルの上に並べながら声をかけ、三人に早く食べるように促す。
そして賑やかに朝食を食べ終えると、四人は学院に向かって駆け出して行った・・・