第1話 組閣への道
2003年11月10日。秋の爽やかな空気の中、多田進歩党党首と藤川新自由党代表の連立協議が行われていた。進歩党と新自由党の衆議院の議席数を合わせると310議席となり、過半数を大幅に上回ることになる。選挙結果や大手メディアの行った出口調査からも進・新連立政権の誕生は有権者の望んだことと思われており、両党がどのような政権構想で一致するかの一点が注目されていた。
「まずは、おめでとう。多田さん、いや、多田新総理。いや、華麗な選挙戦だった。私も脱帽したよ。」
「これも、新自由党さんとの野党共闘の成果です。共に、頑張りましょう。しかし、私が新総理となるとしても、若輩の身。藤川代表には多方面からご指導を願いたい。」
「うむ。もちろん、出来る限りの協力は惜しまないつもりだ。」
「私達はいち早く連立合意に達し、安定した政権を誕生させなければなりまん。この点は一致するところと思います。私達が安定した政権を確立できず、独立党や人民戦線のような時代錯誤な連中の伸長を許す事態は我が国にとって大きな損失です。」
「まあ、人民戦線のことを言われるとこちらは頭を掻くしかないのだが...... とにかく、安定政権だ。これをどう創り上げるかにかかっていることに異論はない。」
「幸い、私たちは選挙戦を協力して戦えたため、財政改革・年金改革・地方分権など主要な分野での意見対立は少ない。連立政権を樹立することに各々異論はないと思いますが、いかがでしょうか。
「うむ。我々も異論はない。問題は、個別の政策について多少齟齬がある部分が存在することだ。たとえば、憲法問題や地方分権論だが......」
「個別政策については、新政権や定期的な両党協議で決定していけばよろしいでしょう。早速ですが、藤川さんと私、それから両党の幹事長の赤江さんと辻さんなどからなる組閣委員会を設立し、速やかに政権を誕生させたいのですが。」
「組閣委員会?君は、総理の専権事項を手放すというのかね?」
「連立政権の安定した出発のためには必要なことと考えます。」
「......大胆なことをする人だ。よし、早速、赤江幹事長と相談をして...」
「藤川さん。私は今、お返事を頂きたい。速やかな政権の発足にはなんとしても、今、お答えをいただき、明日にでも組閣草案を作り上げたいのです。」
「......。」
こうして、多田主導により組閣委員会の設立は決定した。総理の専権事項である閣僚の任命を組閣委員会で決定するとされたことに、進歩党内では一部から不満の声も聞かれたものの、勝利の余韻からか多田の決断を受け入れるものが多数であり、新自由党からは政権参画への士気が増すこととなったのである。また、大手マスメディアの論調も概ね評価する向きが多く、多田新総理の決断は好意的に受け止められたのであった。
この国において、戦後連立政権が誕生した例は限られたものであった。保革対立の40年においては、統合自由党単独政権か、統合自由党が過半数に足りないときにはパーシャル連合により野党との個別協議が行われていた。統一・同盟連立政権においては、「同盟枠」の閣僚候補を総理大臣が尊重するという形、とはいえ候補を外すことはなかったが、で組閣が行われてきたのであった。今回の多田の決断は、政権の成立に際し、両党首脳が一致した閣僚を決めることにより、閣内不一致のような不都合を産みにくくするものではあったが、他方で進歩党出身の閣僚についても新自由党首脳の意見をかなり尊重しなければならないという諸刃の剣でもあったのである。進歩党内で一部から聞かれた不満の声はこの諸刃の剣を懸念するものであったが、連立協議について多田に一任すると選挙戦で公約していたため、不満の広がりは見られなかったのである。また、だからこそ、藤川は即答を躊躇したのであり、藤川以外の新自由党議員から賛同の声が多数上がったのであった。
2003年11月11日 こうして進歩党・新自由党組閣委員会が開かれることとなった。