初春の風
「山下!」
金曜日の放課後、明日からの2連休をどう過ごそうか考えながら帰り支度をしている僕を、威圧的に呼ぶ声に驚き振り向く。
声の主は加藤香奈子だった。あの勉強会以来、僕だけじゃなく加藤もすごく僕のことを意識しいるのは感じていた。
そのせいもあって、あの日以来まともに話もしていない。
何かが起こりそうな期待や予感もあったけど時間が経つにつれてその期待も薄れていた。
「なんだよ」
久しぶりの会話で緊張のあまりぶっきらぼうに応えてしまう。
「月曜日の授業が終わったら私の家で勉強会をするから来るように」
は?また僕の都合も聞かずにいきなりの誘い…… っていうかなんで月曜日なんだよ。勉強会なら土曜日か日曜日の休みの日にすればいいのに。
と思っても声に出して言ったりはしない。変に反対の事を言ったら思いっきり言い返されるのは目に見えているからな。
「ああ、月曜日ね」
「うん、月曜日。ちゃんと来てよ」
加藤、土日は用事があるのかな?
「わかった、ちゃんといくよ」
とにかくまた誘われたのは嬉しい気がする。
「ただいま」
玄関のドアを開けると同時に誰に言うでもなく帰宅を告げる挨拶をする。
「お帰り。遅かったわね。すぐ晩御飯だから着替えてらっしゃい」
僕は無言のまま自分の部屋に行き着替えて夕食をとるためダイニングへ赴く。
「士鶴、もうすぐホワイトデーだけどお返しのプレゼント用意したの?」
お母さんの言葉に箸を落しそうになる。
「あんた、今年初めてバレンタインのチョコレートもらったでしょ?ちゃんとお返ししないとダメよ」
なんでお母さんがチョコをもらったことを知ってるのかは疑問だけど、そんなことはこの際どうでもいい。僕は大事な事を忘れていた。
「別に義理だからお返しなんて要らないよ」
そうは言ったが内心焦っている。
「そうなの?残念だわ。もしお返しのプレゼント買うならお小遣いあげるわよ」
「プレゼントなんてしないからいいよ」
僕は大急ぎで食事を済ませて自分の部屋に戻る。
パソコンの電源をつけながらカレンダーに目をやる。
そうか!そうだったんだ。月曜日が3月14日ホワイトデーなんだ。
だから土日の休日じゃなくて、あえて月曜日だったんだ。ホワイトデーの存在なんてすっかり忘れてた。
放課後のやり取りを思いだし、あの時「なぜ月曜日なんだ?」という疑問を口に出さなくてよかったと心のそこから思った。
パソコンが立ち上がる。僕は早速インターネットの検索欄に「中学生 ホワイトデー お返し」と打ち込み検索する。
今までホワイトデーのお返しなんてした事がないので何をすればいいのか見当もつかない。
検索でお返しのランキングが出る。
「1位:アクセサリー 2位:ぬいぐるみ 3位:クッキー 4位:チョコ 5位:キャンディー 6位ケーキ 7位マシュマロ……」と続く。
1位はアクセサリーかぁ…… 高そうだな。それに趣味も分からないし…… これは却下だ。
2位はぬいぐるみか。加藤の家に行った時、部屋にぬいぐるみなんてあったかな?目を瞑って思いだそうとする。
そういえばテディベアのぬいぐるみが1つあったような気がする。しかしちょっとしたぬいぐるみとなるとこれも高そうだよなぁ~ぬいぐるみは保留しておこう。
あまり高価なものは無理だ。
お母さんに言えばお小遣いをもらえるんだろうけど、プレゼントを買うなんて恥ずかしくて言えないしなぁ。
3位クッキー、4位チョコ…… 3位以下は食べ物ばっかりだな。なんとなく嫌だ。
他のやつが渡しそうもないようなプレゼントで安くて良い物ってないかなぁ~。
もう少しネットで検索してみる。
やっぱり低予算でお返しとなると殆どがクッキー等のお菓子系ばっかりだ。
どれもこれもピンと来ない。
まぁ考える時間は土日の2日間ある。今日決めてしまうこともないか。
明日家の近くの大型ショッピングセンターにでも行って考えるか……
ショッピングセンターの柱に掛けられている時計を見ると17時50分。
門限の18時まであと10分しかない。門限に遅れると締め出されたり、晩御飯抜きになるわけでもないがそろそろ帰らないといけない。
土日の2日間を掛けても結局何にすればいいか決められないままタイムリミットが迫ってる。
気持ちは焦るけど何も良いアイデアが浮かばない。もう帰らないといけないのに……
仕方ない。納得いくプレゼントではないけど結局クッキーを買って、ホワイトデー用に包装してもらう。
家路を大急ぎで走ってると1件の店が目に付き足を止める。
いつもの通り道なのに全然気付かなかった。こんな所にこんなお店があったなんて。
通りから中をうかがっている時、はっと閃く。
そうだ!これだ!
僕はお店に入り加藤にお似合いのプレゼントを探す。
あった!これだ。これならきっと……
「今日、学校が終わったら4時に私の家に来て」
昼休み、かばんの中のプレゼントをこっそり確認しようとしていたところに、おもむろに声をかけられビクッとしてしまう。
「どうしたの?聞いてるの?」
「あぁ、わかった。4時に行けばいいんだな」
「私は授業が終わったらさっさと帰るからついて来ないでよ」
言いたい事はわかる。僕だって加藤の後ろをついて行くような恥ずかしい真似はできない。だけどもうちょっと優しい言い方はできないものなんだろうか。
放課後、少し時間をつぶして加藤の家に向かう。
加藤の家に来るのは今日で2回目だ。前に来た時に疑問に思ったあのスカートは僕の中で結論が出ている。
あれはキュロットだ。あの短さはキュロットとしか考えられないというのが僕なりの答えだ。
どうでもいいんだけどどうしても結論付けたかったんだ…… ホントどうでもいいことだ……
玄関先でそんな事を考え込んでいるとドアが開いた。
「なんでそんなところに突っ立ってるのよ。早く入りなさいよ」
しまった。前回と同じ展開になってしまった。また緊張してチャイムも押せない情けない男と思われたんじゃないだろうか?
前回はそうだけど今日は違うんだ!言い訳したいけど…… 今言い訳したら余計におかしいよな……
「今日は5時までよ」
「え?」
「だから今日の勉強会は5時で終わりって言ってるのよ」
「あぁ、わかった」
「同じ事を何度も説明させないでよね」
相変わらず口の悪いやつだ。思わずムッとしてしまう。
「なにがおかしいのよ」
へ?怒ってるんですけど?笑ってるように見えたのか?思わず本当に笑ってしまいそうになる。
「ちょっと質問なんだけど、今日呼ばれてるのって僕だけだよね?」
「そうよ?悪い?」
「そうじゃないけど、前回も僕だけだったよね?」
加藤の顔が少し赤くなった。ちょっと照れたような赤ら顔が可愛い。
「なにが言いたいのよ」
「二人だけなのに勉強『会』って変じゃない?」
「は?そんなのどうでもいいじゃない!勉強する会だから勉強会。人数なんて関係ないわよ」
うわ。すごい剣幕だ……
「そうだな、どうでもよかった」
やっぱりあんまり否定するようなことは言わない方がいいみたいだな。
「そうよ、どうでもいいのよ。早く勉強するわよ」
前回と同じように加藤は淡々と一人で勉強をしている。
今日の加藤は上は制服のブラウスのままだ。しかし下はデニム生地のミニスカートのような…… パンツだよな?
まさかスカートじゃないよな?スカートのように見せたパンツだよな?
あぁ~なんで毎回微妙な格好するんだよ!気になるじゃないか!
例のごとくガラス越しにチラチラと確認する……
とても勉強の出来る環境なんかじゃない。
「はかどってる?」
突然加藤に声をかけられ焦るが、逆になんでもない風を装い気のない返事をする。
「あぁ、まぁまぁかな」
加藤が時計を見る。僕もつられて時計を見ると4時50分。
ええ?もうそんな時間?あと10分しかないじゃないか。
スカートばかり気にしててプレゼントもまだ渡してないしどうしよう……
帰り際に渡そうか。それとも今渡してしまうか。
自分でも馬鹿みたいだけど急にそわそわしてしまう。そしてかばんを開けてプレゼントを確認したりしてしまう。渡したいけどきっかけが……
そして加藤の方をチラリと見ると加藤も僕を見ていたようで慌てて視線を外す。
僕がどうしようか悩んでいると。
「何か渡したい物があるならさっさと出しなさいよ」
げっ!ばれてる。
「な、なんだよ。その言い方。別にあげたいわけじゃないけど、この前のお返しだから持ってきただけだよ」
「この前あげたチョコはバレンタインとは関係ないんだからホワイトデーのプレゼントなんて私もいらないわよ」
「誰もホワイトデーのプレゼントなんて言ってないだろ。この前のお返しって言っただけだ。それともこれがホワイトデーのお返しになるってことは、やっぱりこの前のチョコはバレンタインのチョコだったのか?」
僕は恥ずかしさのあまり一気にまくし立てるように言い放った。
恐る恐る加藤の顔色を確認すると……
俯いているけど顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうなのがはっきりとわかる。
恥ずかしがっているのか、怒っているのか、怒りを抑えようとしているのかは分からないけど涙をこらえてる様子は分かる。
ちょっとやばいかも。
「あ、今のはちょっと言いすぎた。別に深い意味はないんだ。ただ、この前チョコをもらって嬉しかったからお返しをしたかっただけで……」
俺はなにを言ってるんだ?これじゃぁ告白してるみたいじゃないか!
「だったらごちゃごちゃ言わずに素直に出しなさいよ」
言葉はいつもと変わらないけど明らかに涙声だ。
僕も男だ。ここは僕がリードしないと。
そう覚悟を決め、僕はかばんからプレゼントの入った袋を取り出し加藤に手渡す。
「この前はチョコレートありがとう。これは僕からのお礼の気持ちだ。受け取ってくれ」
「あ、ありがとう」
加藤はすごく嬉しそうにプレゼントの入った袋を見つめている。
「じゃ、僕はそろそろ帰るよ」そう言いながら立ち上がる。
「なんで?」加藤が上目遣いで問いただす。
恥ずかしくて早く逃げ出したいんだよ!という心の叫びは、心の中にそっとしまっておこう。
「だってもう約束の5時を過ぎちゃってるし」
「今からこれが何か確認して、もし変なものだったら突っ返すんだからちょっと待ちなさいよ」
うわ、もう元の加藤に戻ってる。
「恥ずかしいからいいよ、僕が帰ってから開けてくれ」
「ダメ、今から開けるから待ってて」
こうなったら加藤に何を言っても無駄だな。
「早く座って!」
僕は諦めて加藤がプレゼントを開けるのを見守ることにした。
加藤が丁寧に袋のシールをはがす。別に外の袋やシールなんて破ってしまえばいいのに。
「な、なによこれ。文房具じゃない」
「うん。ありきたりのプレゼントっていうのは嫌で色々考えたんだけど、変かな?」
「小学生じゃあるまいし、こんなキャラクターの文房具なんて……」
文句を言ってる割には嬉しそうだな。
「マリー好きだろ?」
加藤が目線をプレゼントから僕に移した。その目は見開かれていて驚いているのが良く分かる。
「な、なんでそんなこと知ってるのよ」
「この前来た時マリーのシャーペンと消しゴムを使ってたから」
「そんな細かいとこまで見てるの?」
そうじゃないけど、学校では絶対使わないような可愛らしいピンクのシャーペンを使ってたので記憶に残っていたんだ。加藤のイメージじゃなかったんでちょっと驚いたし。
でもそれは言わない方が良いだろうと判断して適当に返事をしておく。
「ん、まぁね」
「それにしてもシャーペン、消しゴム、えんぴつはわかるけど、このレターセットは?私にお礼文でも書けってこと?」
「え?そんなつもりじゃないよ、ただそのレターセットが可愛かったから加藤が喜ぶんじゃないかと思って…」
「こ、こんなもので喜ぶわけないじゃない」
どう見てもすっごく喜んでる様に見えるのは気のせいじゃないよな?
「まぁいいわ、そのうち気が向いたらお礼文を書いてあげるから待ってて」
「あ、ああ。ありがとう」
「じゃ今日はもう帰って」
また帰ってって…… 他に言い方は思いつかないのか。
もう加藤のツンデレには慣れてきたので腹も立たなくなってきたけど。
玄関で靴を履きながら今日のお礼を言う
「じゃ帰るわ。勉強ありがとう」
靴を履き終わって立ち上がり振り返って加藤を見ると。
「今日はありがとう」
顔が真っ赤だな。お礼を言うのがそんなに恥ずかしいのか?加藤なりに頑張ってお礼をいってるんだな。そう思うと笑ってしまいそうになる。
そんな加藤を見てるとちょっとからかいたくなってきた。
「今日はこっそり覗いたりするなよ」
前回来た時の帰りに、玄関から俺の後姿を覗いてた事を言ってやると。
加藤の頬はみるみる赤みを帯び恥ずかしそうにしたかと思うと、今度は目の端が釣り上がって怒りの表情に変わる。
やばい、と思った瞬間加藤の前蹴りが俺の左の太ももを捕らえた。
「いって~。なにするんだよ!」
「うるさい!早く帰りなさいよ」
「わかったよ」
僕は突き飛ばされてドアの外に追いやられた。
その瞬間ドアが勢いよく閉じられた。
ちょっとからかいすぎたか……
しかし加藤は右足が利き足なんだな。そんなことどうでもいいけど。などと考えながらとぼとぼと歩いていたが、やっぱり気になって加藤の家を振り返ると。
またドアの隙間から誰かが覗いてる。そして勢いよくドアが閉まる。
なんだ。やっぱりまた覗いてたのか。
僕は足取りが軽くなるのを感じながら、なんとなく鼻で笑う。そして小走りで家に帰る。
夕暮れ時、まだまだ風は冷たいけど、公園に落ちている梅の花が春の訪れを思わせ心を暖かくするようだった。