柔よく剛を制す(黒沢視点)
好きなようにしてください
何度も何度もあの言葉を思い出すたび自分の時間が止まっていたようで、いつの間にか学校は終わっていた。
家に帰ってからも、言葉だけでなく恥じらうように赤くなった姿を何度も反芻しては、顔がゆるみそうなる。
家族にそんな顔を見られたら、からかわれるに決まっている。なんとか、普段通りにふるまっているつもりでも、母さんに勘づかれているようで時々こちらを興味深そうに見ている。
それに弟には俺自身が自分の気持ちに自覚をもつ前から、疑わしそうな目で何度と見られている。
今のところ、ばれていないようだがそれも時間の問題かもしれない。
なんとも居心地が悪く、コンビニでも行こうかと思っているときだった。いつものように浩輔の妹、香恋が俺を呼びにやってきた。
家が近いせいか浩輔にはこうやってよく呼び出される。呼びに来るのは決まって香恋だった。
家に居づらかったこともあり、そのまま浩輔の家へ向かった。
いつもよりそわそわとした様子の香恋を、不思議に思いながらも佐々木の家の前まで来た時、聞いたことのある声が聞こえた。
鈴木?
いやいやまさか。鈴木のことを考えすぎて幻聴が聞こえるようになったのか?
一瞬そんなことを考えていると、今度こそはっきり聞こえた。
それも悲鳴だ。
考えるより先に体が動き出す。
急いで声が聞こえる方へ進み扉を開くと、今にもこぼれそうなほど目に涙をためて、浩輔の弟の浩次にソファーへ押し倒されている鈴木と視線がぶつかった。鈴木が俺を呼んだ。
その声は震えていて、鈴木が怯えていることを俺に教えた。
体中の血が凄い勢いでめぐっていく。飛びかかりたいのを必死に堪え、ソファーへ近づく。
後ろから浩輔が俺に声をかけてきたが、それどころじゃない。
しかし、近づくにつれどうも様子がおかしいことがわかった。
浩次がまったく動かない・・・?
それを見て、彼女が今まで見たことがないほど怯えている理由が分かった。
今までのこういった場面での彼女の行動から考えるに、戸村から教えてもらった護身術を使ったことは容易に想像できる。
しかし、それが思いもよらずうまく決まったのか、相手の意識を落とすほどの威力を見せたのだろう。
俺に殴り方を教えてほしいと言うくらいだ、力加減が分からなかったのかもしれない。
それが自分に襲いかかってきた相手といえど、知り合いの家族かもしれない。痴漢とは訳が違うのだ。
きっと正当防衛といえど、相手が意識を失い起き上がらないことへ、やりすぎたのかと怯えてしまっているんだ。
そうは言っても、鈴木の華奢な体から考えてもさほど威力があったとは思えない。
まして浩次は兄貴に似て俺ほどとまではいかないが、年の割にでかい。
一発殴れば起きるだろう。
何より気を失ったままとはいえ、怯える彼女にのしかかっているのが気に食わない。
鈴木から浩次をつかみ上げると、思ったとおり意識が無いようでぐったりとしている。
早く目を覚まさせて鈴木を安心させたかった。どさくさにまぎれて力いっぱい殴ってやろうという考えもあり腕を振り上げると、今まで存在を忘れていた浩輔に止められた。
邪魔すんじゃねぇ!
そう思いながら無理やり腕を振りかざそうとしていると、浩輔が鈴木にも声をかけた。
すると弾かれたように起き上がり、俺の腕に抱きついてきた。
「せっ先輩!暴力はダメですよ!暴力は!!」
鈴木の言っている意味を理解するのにしばらくかかった。
温かく、なんとも言えない柔らかい感触が俺の動きを止めたからだ。
鈴木は目に涙をため潤んだ瞳で懇願するようにこちらを見上げ、さらに俺に抱きつく腕に力を入れた。
そうすると自然と俺の腕にさらに強く胸が押し当てられるわけで・・・
鈴木の言っている意味が理解できたのは、掴み上げていた浩次がいつの間にか手から離れた後だった。