許容オーバー(黒沢視点)
ちょっと長めで。
今、俺は、目の前にいる彼女の様子に、自分がどうすれば良いのか全く分からずおろおろとしている。
どうしてこんなことに!どうすればいいんだ!?
完全に俺はパニックに陥っていた。
そもそも、ことの発端は俺が駅で鈴木を抱きしめてしまったことからはじまる。
痴漢にあい、傷ついたであろう彼女を、俺は抱きしめてしまった。
そう、あれがまずかった。
いや、その後はもっとまずかった。
結果として俺は彼女を避けたのだから。
抱きしめる直前の泣きそうな顔を思い出すたび、改めて抱きしめてしまったことを謝らなければ。
そう思っても、密着した時の柔らかさと男とは違うその華奢な体、そしてほのかに香る石鹸のような香りを思い出すと、また抱きしめたい、そしていつの間にかさらにその先を想像してしまう。
そんな想像というか妄想で鈴木をまともに見ることができず、また抱きしめたときのように無意識のうちに体が動いてしまったら・・・。
倒れた痴漢が俺にかわる図が見えるようだ。
何度も謝りに行こうと彼女の元もまで行くが、結局逃げてしまっていた。
俺のそんな様子は周りの目につき、結局鈴木と俺の間に変な噂まで流れてしまった。
鈴木が俺を倒し、俺が鈴木にビビって逃げ回っている。
というものだった。ビビって逃げ回っているっていうのは、実際間違ってもいないところが否定しにくい。
そんな時だった。
「お前さ、鈴木さんに何かした?」
戸村にそう問いかけられ、思わず声が上ずる。
「っ、なんでそんなこと聞くんだ?」
「彼女に護身術っていうか、殴り方教えてくれって言われたんだよ。」
護身術?殴り方!?それこそ、彼女の無言の答えのように思えた。きっと、怒っている。
彼女に取ったら、俺と痴漢も大差ないのかもしれない。
「お前が何しでかしたのか知らないけど、次手出したら痛い目見るとだけ伝えとくよ」
戸村はそう言うと、俺の肩をぽんと叩き話を切り上げてしまった。
そんな会話を交わしてから、より一層謝らねばと思うが同じことを繰り返していた。
しかし、彼女に謝る機会は思いもよらないところで巡ってきた。
それはまさかの自宅だった。
今日も鈴木に謝れず、先延ばしになればなるほど気は重くなるばかりで、やっと家に着いたと思ったら見慣れた靴が玄関にあるのをみてうんざりする。
そのとき、小さな靴に気づいてはいたが、浩輔が妹でも連れてきたのだろうと思っていた。
そう、母さんに話を聞くまでは。
「ああ、天やっと帰って来たわね。今日ね、鈴木・・・要さん、だったかしら?かわいらしいお嬢さんを、駅前で浩ちゃんがナンパしててね。聞いたらあなたの知り合いって言うじゃない?あなたを怖がらない女の子って珍しくて、今お招きしてるのよ。」
長々と、なんでも無いように告げられた内容に自分の耳を疑った。
彼女が俺の家に居る。それだけでも焦るのに、母さんが俺といるというとことは、今鈴木は浩輔と二人っきりということだ。
まずい!
あいつは小さな女の子が好きなのだ。性的な意味ではない、・・・はずだ。
妹がいるせいか、小柄な女の子を見るとかわいくてかわいくて、構い倒したくなるのだろう、・・・たぶん。
動物好きだと豪語するわりに、嫌われていることにも気付かずなでくりまわす奴がたまに居るが、あれと一緒だ、・・・きっと。
なんにしろ、されている方は迷惑以外の何物でもない。
ましてや、今彼女は護身術を身につけている。床に倒れこんでいる浩輔が一瞬だけよぎった。
だか、それよりあの時の泣きそうな彼女の顔が頭から離れず、急いでリビングに向かい扉を開いた。
しかし、そこで俺が見たのものは、俺の体と頭の動きを止めるには十分だった。
鈴木が浩輔の膝の上に乗り、しかも腰にしっかりと腕までまわされて、ケーキを食べていた。
俗に言う、「あーん」というやつで・・・。
鈴木と俺の時間が止まったかのように錯覚しかけたころ、母さんの声で我に返った。
彼女の様子をうかがうと、こちらから視線をそらし、わずかにだが震えている。
鈴木が痴漢を撃退した時のことがフラッシュバックする。
きっと、二人きりで下手に反抗できなかったんだ。それで黙ってケーキを食べさせられていたのだろう。
ずっと我慢をしていたところに追い打ちをかけるように、浩輔が抱き込んだ。
浩輔が何か言っていたが、それよりその行動が問題だ。
俺に気を取られている浩輔の股間は今とんでもない危険にさらされている。
あわてて浩輔の腕から鈴木を抱き上げ、動けないようにしっかり抱き込むと、俺は怒鳴った。
「怪我したくなきゃこいつに構うな!」
これ以上鈴木を浩輔のそばに置くのは危険だ。
玄関に向かって歩きながら、俺の親しい人間が迷惑をかけたことを謝った。
鈴木に短い返答の後、おろしてほしいといわれ、何の違和感もなく彼女を抱いたままだったことにあわてた。
今までのことをきちんと謝るなら今だ!そう思うが、どう切り出して良いのか分からず悩んでいると、鈴木から声をかけてきた。
しかし、鈴木がふと後ろを振り返るのにつられ俺も振り返ると、リビングの扉から浩輔と母さんがこちらを見ていた。
「お、おじゃましました」
鈴木は、声を絞り出すように言うと、急いで帰ってしまった。
よほど浩輔が怖かったのだろう。
結局この時俺は、巡ってきた謝る機会を逃してしまったのだ。