王太子の婚約者が「殿下を篭絡した悪女」と私を責め立てるんですが、普通に王太子が悪くないですか?
王宮で開催されている夜会。
煌びやかに飾り付けられたその中央で、私ことラテュール男爵令嬢ピオニーは、罵倒されている。
額に青筋を立てて私を罵倒しているのは、ブライトン公爵令嬢ヴィクトリア様。この国の王太子の婚約者である。
王太子が衣装を変えるために退出した隙を狙って、私を攻撃し始めたのだ。
「この泥棒猫!よくもまあ、堂々と王宮に顔を出せたものですわね!」
「お言葉ですが、私は何も盗んでおりません。正規の招待状もいただいておりますので、堂々と参加するのは当然です」
「だまらっしゃい!あなたは王太子殿下を篭絡し、私たちの婚約関係に深刻な打撃を与えているではないの!」
ヴィクトリア様の美しい顔は、「憤怒」「嫉妬」「憎悪」の三重奏で台無しだ。
「あなたが社交会に現れてからというもの、殿下は私に見向きもしてくださらない…っ!以前はあんなに優しかったのに…!!」
――あの王太子の、どこがそんなにいいんだか。
いや、確かに顔はいい。
政務への取り組みも真面目で、馬術も剣術もでき、馬上槍試合でも王族への忖度を差し引いても最強。
《ええ、貿易協定の件は通商大臣と一緒に詰めているところですよ。来週中に大枠は発表できるかと》
《戦争孤児の数が減ったのは、私の提案した政策がうまくいったことが理由です。しかしそれは現場で頑張ってくれる人たちの努力あってこそですから》
だが、とにかく…私の前では…
《ピオニー、好き。こっち見て。あ、その目で見られたらもっと好き♡》
《ピオニー、ハグしよう?え、だめ?どうして?照れてるの可愛い♡》
勘弁してほしい。
「殿下の周りをうろうろするのはやめてちょうだい!」
周囲も完全にヴィクトリア様の味方だ。
経済力で爵位を得た男爵の娘かつ、ピンク髪の小動物系令嬢である私に、世間は根強い偏見を抱いている。
「見た目だけで殿下に取り入って」
「殿下の愛人になれたらいいな、という浅はかな考えなのでしょうね」
「殿下の寵愛をかさに着て、生意気で」
取り入ってないし、生意気なのは生まれつき。
勝手に決めつけるのはやめてほしい。
「お言葉ですが、私が殿下の周りをうろうろしているのではなく、殿下が私の周りをうろうろされているのです。正直、とても迷惑しています」
「嘘ばかり!そんなはずないでしょう!これが証拠の…殿下の日記よ!」
ヴィクトリア様は王太子の日記を開いて掲げる。
いやいや、人の日記を盗み出して公衆の面前で晒すとか、いくら相手が変態でもまずくないですか?一応王太子の日記だし。
『抱きしめようとしたら、ピオニーはするりと逃げてしまう。僕をわざと傷つけて喜ばせて、もっと好きにさせるんだ。小賢しくて可愛いピオニー』
『どうにか捕まえてぎゅっと抱きしめたら、彼女は顔を真っ赤にしてわざと怒る。それがどうしようもなく僕を刺激すると、わかってやっているんだろう。これこそ愛だ』
聞いていられない。妄想が過ぎる。
すべてを「可愛い」と「好き」と「愛」に変換されていて、吐き気がする。
「逃げたのはわざとじゃなくて本気ですし、抱きしめられて顔が真っ赤だったのは逃げたくて腕に力を込めていたからです」
私も、手帳を取り出した。
「では私からも、証拠となる記録を」
「記録…?」
「殿下はここ一ヶ月、我が家の裏口の鍵を針金で開けようとして二回、私の自室へ雨どいを伝って登ろうとして三回、捕縛されています」
「そ、そんなの嘘よ…!でたらめよ!」
「ではこちらもどうぞ」
それは父が書いた「王太子殿下による邸内侵入・未遂事案報告書」の写し。
「報告書をもとに、再三、王宮騎士団には相談も通報もしています。しかし『殿下がそんなことをするはずがない』などと、組織ぐるみで事実を隠蔽されています。ひどすぎませんか?」
ヴィクトリア様は震える手で書類をめくる。
《王太子殿下は「ピオニー、僕を放置して興奮させようとしているの?正解だよ」と叫びながら服を脱ぎ…》
《ピオニーは「邪険にするのが逆効果なら、優しくしてみる」と試行したが、殿下からは「優しくするっていう嫌がらせプレイ?」との返答…》
「う、嘘よ…殿下がこんな…こんな…おぞましいっ!」
でしょう。それを生で見せられ聞かされるこちらの身にもなってください。
真夜中に「ピオニー、寝顔も可愛い」という声で起こされて、窓ににやにやしながら張り付いている王太子を見て飛び跳ねるこちらの身にも。
しかしヴィクトリア様は「幼いころから慕ってきた、完璧な婚約者を失うことはできない」という想いに縋りついた。
「手書きの書類で、騎士団の公印もない写しだもの。いくらでも偽造できるわ。だからこれらはすべて、あなたの一方的な主張でしょう」
それはまあ…それはそれで正しい。騎士団への相談や通報の記録すら、握りつぶされている可能性もある。
「もっと確実な証拠を出しなさいな」
「証拠…」
そのときすうっと会場の視線が、一人の男に向いた。
王太子。
衣装替えを終えて「どうした?何があった?」と、私たちに歩み寄ってくる。
いかにも王太子然とした足の運びで、微笑みながら。
「殿下…殿下!この男爵令嬢が殿下についてのあり得ない妄言を…!」
だから、妄言ではないんだって。
信じられないなら、現行犯を見ていただこうか。
私は王太子を睨む。彼が「ピオニーのその顔に、僕への愛を感じる」という、憎悪たっぷりの表情で。
「殿下、聞いてください」
王太子がぴくりと動きを止める。彼が、どこからどう来るのかわからない喜びにぞわぞわと満たされていくのがわかる。
「…っ!はぁ…ああ…聞いているよ…」
もうこの時点で呼吸が乱れて、どう考えても異常だ。
だがヴィクトリア様に「あなたが愛しているのはどうしようもないマゾ気質の変態ストーカーだ」と有無を言わさず納得していただくためには、まだ足りない。
「次に私の部屋の窓を割って忍び込んだら、不審者として即座に首を撥ねますからね。命の保証はしませんよ」
「っ…!! あ、ああああぁっ…!!」
王太子の口端から涎が垂れ、とろりと大理石の床を汚す。
「ピオニー、もっと言ってくれ…」
「この害虫」
「害虫…!?ああ、そう…僕は害虫…!もっと、もっと僕を害虫を見るような目で見てくれ! その冷たい声で、僕の存在価値を全否定してくれ…!!それが僕たちの愛だから…っ」
ヴィクトリア様の扇子が、床に落ちて乾いた音を立てた。
自分が見たこともないような「恍惚の表情」で、男爵令嬢に足蹴にされることを望む、婚約者。
「こんな変態に四六時中付きまとわれている私が、本当の被害者です」
「そう…!僕は君だけの変態…っ!」
うん、本当に同意だよ。変態すぎて吐きそう。
「王太子の恋人」みたいな目で見られて、婚約者候補にも逃げられるし最悪。
「わかっていただけますか?」
絶望に満ちたヴィクトリア様の目が「わかった」と告げていた。
「これを愛せるなら、どうぞ。ただし鋼鉄の首輪でもつけて、閉じ込めておいてください。早急に対応いただけないなら、男爵家は爵位を捨てて家族ごと隣国へ移ります」
王太子に愛される男爵令嬢が、全員きゃぴきゃぴ喜んでいるなんて、思わないでいただきたい。
国を捨てるくらいに、嫌がっていることもある。
「ピ、ピオニー…!僕を置いていく…なんて嘘、だよね…!?」
私はくるりと振り返った。
「黙れ」
「あああああっ!でも…っ!でもこれこそ究極の放置…っ!!」
王太子が抗いがたい歓喜にむせび泣いて床を叩き、参加者たちが一斉に三歩引く。
「いくら優秀な王太子殿下でも、これはない…」
「大丈夫か、王家…」
「っていうか、騎士団の証拠隠滅もやばくない?」
「他にも被害者がいて、公になっていない可能性も…」
王家への不信が囁かれ、ヴィクトリア様が「この変態!婚約破棄よ!」と叫ぶのを耳にしながら、私は夜会をあとにした。
「このまま港へ直行だ」
「はい、お父様。引っ越しの準備が早めに整ってよかったです」
そうそう、ヴィクトリア様に伝えたことで嘘がひとつだけ。
「“早急に対応いただけないなら”、男爵家は爵位を捨てて家族ごと隣国へ移ります」という条件は嘘だった。
彼女がどう動こうが、私は今日、この国を去る。
王太子が変態で、王宮の警備もなってなくて、権力者のためなら被害者の訴えを平気で握りつぶし、被害者を「調子乗ってる」なんていって晒し上げるこの国を。
――ねえ、普通に王太子が悪くないですか?




