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誰も導かなかった世界で、俺たちは答えを与えなかった 救わない勇者たちが世界を変えた理由  作者: 慈架太子


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それでも選ぶ

重さは、消えていない。


空気が軽くなったわけでも、背負わされた荷が消え去ったわけでもない。王がいなくなり、皇帝が倒れ、教国の救済という名の虚飾が剥がれ落ちたあとに残ったのは、ただ剥き出しの、逃げ場のない現実だけだった。支配という名の重力から解放されたはずの身体は、自由という名の、より質量の重い風に押し潰されそうになっていた。


軽くもなっていない。


昨日までの憎しみも、今日からの不安も、等しくそこにある。

それでも。

人は、立っている。


かつて支配者が自ら命を絶ち、その責任を放り出した場所は、そのままだ。

倒れた身体が残した血の跡も、無造作に転がった王冠の破片も、まだ片付いていない。

誰かがその「負の遺産」を魔法のように消し去ってくれることはなかったし、誰もその忌まわしい残骸に触れようとはしなかった。過去の象徴は、冷たい石畳の上で無残に放置されたままだ。


一人が、そこに立った。

かつてその支配者の足元で、ただ震えることしか許されなかった名もなき若者だ。

彼は視線を落とす。


「……」


長く、長く見ている。

その瞳に宿っているのは、かつての恐怖でも、あるいは晴らされた恨みでもなかった。

ただ、自分たちを縛り付けていたものが、これほどまでにあっけなく、そして無責任に終わったという事実への、静かな、しかし深い自覚だった。


やがて。

彼は、ゆっくりとしゃがみ込んだ。

震える手を、その動かなくなった身体へと伸ばす。

指先が触れる寸前で、一度止まる。

空気が凍りついたような静寂の中で、彼の指先は、自分自身の意志の重さに耐えかねるように激しく震えていた。


それでも。

彼は、触れた。

もう誰の命令も介在しない、彼自身の選択として。

ゆっくりと、持っていた粗末な布を、死者の顔にかける。

それだけ。

謝罪のためでも、敬意のためでもない。ただ、放置された過去に、自分たちの手で区切りをつけるために。

彼は立ち上がった。

一度も振り返ることなく、その場を離れる。

足取りは、もう止まらない。


別の場所。

一人の男が、荒れ果てた土の前にいた。

道具は錆び、土は固く締まっている。

彼は動かない。

「……」

長く、重い息を吐き出した。

この土を耕したところで、明日が約束されているわけではない。誰かが褒めてくれるわけでも、税を免除してくれるわけでもない。

それでも、彼は手を入れた。

泥の冷たさが爪の間に食い込む。

止まらない。

かつて強制されていた時よりも、ずっと確かな力強さで、彼はまた、土を穿ち始めた。


織機の前。

風に吹かれて、千切れた糸が力なく揺れている。

誰かが投げ出したまま、誰も触れていなかった機械。

一人の女が、その前に近づいた。

少しだけ迷う。

この糸を繋いだところで、完成する布にどんな意味があるのか。

だが、彼女は手を伸ばした。

迷いを振り払うように、木製の筬を叩く。

動かす。

カタン、という乾いた音が、静まり返った街に響き渡った。

音が、戻る。

それは音楽でも、祈りでもない。人が今日を生きようとする、泥臭い鼓動の音だ。


広場。

そこには、行き場を失った多くの人々が立っている。

誰も、命じない。

「右へ行け」と言う者も、「左を向け」と言う者も、もう一人もいない。

あまりにも広大で、あまりにも静かな、自由という名の荒野。


「……どうする」


誰かが、問いかけた。

かつては何千回と繰り返され、そのたびに「お上の指示を待て」と封じられてきた言葉。

一拍。

沈黙を切り裂いたのは、誰の意図でもない、内側から突き上げてきた声だった。


「……やる」


それだけ。

それで、すべてが動き出した。

効率的な統制はない。完璧な計画もない。

それでも、人々は自らの足で歩き、自らの手で瓦礫を拾い始めた。


カイは、時計塔の影から、その不格好な再生を静かに見つめていた。

何も言わない。

彼が人々に返した「選択」という名の火種。

それが、絶望の泥の中で消えることなく、再び灯り始めたことを。

一分子の感情も交えず、ただ冷徹に、しかし確かに見届けていた。


ミーナは、閉じていた目を開けた。

そこには、かつての王国でも教国でもない、泥にまみれて喘ぎながらも、自らの意志で動く人間たちの姿があった。

彼女は、その残酷なまでに美しい光景を、その瞳に焼き付けている。


マーガレットは、一歩を踏み出し、歩き始めた。

かつての主を埋葬し、過去を背負ったまま、彼女は人々の列の中へと混じっていく。

もう守るべき王はいない。だが、共に土を耕す隣人がいる。


アリアは、ゆっくりと、長く溜まった空気を吐き出した。

規律という名の鎧を脱ぎ捨て、剥き出しの人間として、彼女もまた目の前の石を拾い上げる。


ユークスが、医療鞄を肩に担ぎ直し、低い声で言った。


「……残ったな。死ぬことも、逃げることも選ばなかった、往生際の声たちが」


リーヴは何も言わず、街を吹き抜ける、土の匂いの混じった風を感じていた。

ガルドは、無造作に、しかし力強く道具を置く。その音が、再生への合図のように響いた。


時間は、静かに、重厚に過ぎていく。

何も、軽くはならない。

失われた命は、一分子として戻ることはない。

壊された家も、損なわれた自尊心も、一朝一夕に癒えることはない。


それでも。

手は、動く。

足は、進む。


その日。

そうすべきだという理由は、どこにもなかった。

それを「正しい」と保証してくれる神も王も、どこにもいなかった。


それでも。

彼らは選んだ。

死を、逃走を、崩壊を。そのすべてを目の当たりにしながら。

それでも、ここで生きていくことを、自分自身に誓った。


理由はなかった。

正しさもなかった。

ただ、自分が自分であるために、不器用に一歩を踏み出す。


逃げも見た。

死も見た。

壊れも見た。


それでも。

残った者は、進んだ。

泥を掴み、糸を繋ぎ、重い石を運び出す。

その、一分子の無駄もない、ただ「生きる」という一点に集約された労働。


そして。

その不器用で、正解のない選択こそが。

積み重なり、重なり合い。

この街の、そして新しい世界の、揺るぎない「次」になっていく。

誰もいない玉座の背後で、新しい太陽が瓦礫の街を照らし始めていた。

人々はもう、空を見上げることはしない。

ただ、自分の足元にある土を、しっかりと見据えていた。





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