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誰も導かなかった世界で、俺たちは答えを与えなかった 救わない勇者たちが世界を変えた理由  作者: 慈架太子


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王国の崩壊

城は、残っていた。


かつてこの世の栄華を一身に集めたかのようなその威容は、夕闇に溶け込む巨大な影となって、今も街を見下ろしている。堅牢な石造りの壁にはひび一つなく、高くそびえる尖塔も、空を刺すような鋭さを保ったままだ。門も、崩れていない。重厚な鉄の扉は、侵入者を拒むためのその機能を完璧に維持していた。


兵も、いる。

城壁の至る所には、訓練された兵士たちが配置されている。彼らの鎧は手入れが行き届き、鈍い銀色の光を放っている。手にした槍の穂先は鋭く、腰の剣も、一分子の錆すら浮いていない。装備も、整っている。王国が長年かけて蓄積してきた軍事の粋が、そこには凝縮されていた。


それなのに。

人が、いない。


正確には、そこに存在しているはずの人間の「気配」が、霧散してしまっていた。広大な城内を巡るのは、冷たい隙間風と、意味を持たなくなった規律の残骸だけだった。


広間は、静かだった。

かつては貴族たちの権謀術数が渦巻き、着飾った男女の笑い声や、執事たちの慌ただしい足音が絶えることのなかった場所。今は、ただの広大な石の空洞と化している。

誰も、座っていない。

壁際に並べられた豪奢な椅子は、かつて誰が座るべきかという厳格な序列に従って並べられている。その配置は一分子の乱れもなく、完璧な秩序を保っている。しかし、そこには誰も座ろうとしない。主を失った家具たちは、ただの死んだ木材として、そこに静止していた。


玉座の前。

赤い絨毯が敷き詰められた、王国の中心。

誰も、立たない。

かつては王の言葉を、あるいは慈悲を求めて、跪く者たちが絶えなかったその場所。今は、塵一つ落ちていないほどに清掃されているにもかかわらず、そこへ足を踏み入れる者は一人もいなかった。


「……」


一人の役人が、広間へ入ってきた。

静寂を切り裂くように、彼の革靴の足音だけが、高い天井に反響して不気味に響き渡る。

彼は、玉座の数歩手前で足を止めた。

ゆっくりと顔を上げ、かつて自分たちの世界の頂点であったその椅子を見つめる。

そこには、王の幻影すら宿っていない。


彼は何も言わなかった。

ただ、手に持った一枚の紙をじっと見つめる。

そこには、王の名において記された「命令」が書かれている。誰に何をさせ、いかにしてこの街を再び支配するか。そのための、完璧な論理。

だが、彼はその紙を読み上げることはしなかった。

顔を上げ、もう一度玉座を見る。


「……」


言葉が、出なかった。

自分が信じていたもの、自分が奉じていたものが、これほどまでにあっけなく、その「実体」を失ってしまったことに、彼は立ち尽くすしかなかった。

役人はゆっくりと、紙を持っていた手を下ろした。

そのまま、近くの机の上に置く。

誰も、その紙を受け取らない。

誰も、その内容を確認し、実行しようとしない。

命令は、発せられた瞬間に、ただのインクの染みへと成り下がっていた。


城の外。

兵が、直立不動で立っている。

正門の前。

彼は鋭い剣を握り、背筋を伸ばして周囲を警戒している。

だが、その警戒には意味がなかった。


「……」


誰も、入ってこようとしない。

城を攻め落とそうとする暴徒も、略奪を企む賊もいない。

そして同時に、誰も彼を止めようとしなかった。

街を歩く人々は、城の門の前を通り過ぎる際、一瞬たりとも視線を城へ向けない。

かつての恐怖の対象、あるいは憧れの象徴であった城は、今や背景の壁画と何ら変わりないものになっていた。


人々は、止まらない。

自分の足で歩き、自分の目的のために動く。

彼らにとって、城の中で誰が何を命じていようと、もはや一分子の関心もなかった。


「……」


兵は、動かなかった。

かつてのように「どけ」と叫ぶことも、「名乗れ」と問い詰めることもない。

自分の職務が、この街という巨大な生命体から切り離されたことを、彼は沈黙の中で悟りつつあった。


広場では、人が動いている。

新しく開墾された畑では、土の匂いが立ち込め、人々が汗を流している。

作業場からは、織機が布を織り上げる単調な音が、昨日までと同じように響いている。

すべては、城とは関係なく。

すべては、王の意志とは無関係に。


「……」


誰も、王の名を口にしなかった。

王がいなくなったことを喜ぶ者も、嘆く者もいない。

ただ、最初からいなかったかのように、人々の記憶から、その名前が滑り落ちていく。

誰も、命令を使わない。

指示を待つのではなく、自らの不器用な知恵を絞り、隣人と語らい、今日を決定していく。


カイは、その光景を時計塔の影から静かに見つめていた。

何も言わない。

彼が求めたのは、城を焼き払うことではなかった。

人々が自らの手で、城を「必要としなくなる」こと。

その静かな、しかし確実な離別を、彼は観測し続けていた。


ミーナは、人々の喧騒の中に混じり、静かに立っていた。

城という名の重しが外れ、軽やかになったはずの世界。

それでも、彼女は人々の背負った自由という名の重責を、祈るように見守っていた。


マーガレットは、動きを止めない。

城の中で磨かれた美徳ではなく、泥にまみれた中での労働を、彼女は選び続けている。


アリアは、石柱に背を預け、目を細めて城を見つめていた。

自分が守り抜こうとした規律が、これほどまでにあっけなく放置される。

彼女は、その崩壊の静けさに、言葉を失っていた。


ユークスが、薬草の袋を肩に担ぎ直し、低い声で言った。


「……空だな。箱だけが残り、中身はすべて外へ溢れ出した」


リーヴは何も言わず、風に吹かれて舞い上がる砂埃を眺めていた。

ガルドは、無造作に新しい道具を置き去る。その乾いた音が、城の静寂を遠くから叩く。


時間は、静かに、重厚に過ぎていく。

城は、依然としてそこに残っている。

兵も、配置されている。

制度も、法典も、形式の上ではすべてそこにある。


それでも。

使われていない。

誰も、その正当性を認めず、誰も、その指示に従わない。


その日。

王国は、物理的に壊れたわけではなかった。

火を放たれたわけでも、略奪されたわけでもない。


ただ。

誰も使わなくなっただけだった。

人々が自らの足で立ち、自らの手で明日を耕し始めた瞬間、王国という名の巨大な虚構は、その存在理由を失ったのだ。


そして。

それこそが、真の崩壊だった。

建物が崩れるよりも、王が討たれるよりも、遥かに決定的で、二度と元には戻らない終わり。

命令が届かない場所で、人々は不器用に、しかし力強く生きている。

王国は、その背後で静かに、誰にも顧みられることなく、冷たい石の塊へと変わっていった。




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