Angel Wing 1
「──ふぅ」
大きく息をつく。
長い時間MWOで遊んでいると、つい現実との感覚の差が曖昧になってしまう。こうして息をつく動作一つにしても、現実と全く同じなのだから。それも、PCであるユウが僕に似すぎていることも関わっているのかもしれないけど。
時刻は六時を少し回ったところだ。喉の渇きを感じ、リビングにある冷蔵庫まで足を運ぶ。
コップに注いだ麦茶を飲みながら何か忘れてるような感じがした。それでも結局、何を忘れていたのかも思い出せなかったから、そのまま麦茶を飲み干した。
母さんはどこかへ出かけたようで、姿が見えない。父さんは昨日からどこかに泊りがけで出かけているみたいだ。
コップを洗っていると、ポケットで携帯が震動した。
急いで手を拭いて画面を見てみると、遥夏からの着信だった。
「もしもし?」
『もしもしじゃない! わたしのメール見てないでしょ!』
そうだ。そういえば予備校の帰りにそんな話をしたような気がする。すっかり忘れていた……。
「ご、ごめん。忘れてたよ」
『そんなことだろうと思ったけど。ま、いいや。今から暇?』
「うん、特に予定もないからね」
『そ。じゃあ今から行くね』
ツー、ツー。と無機質な電子音が耳に響く。
相変わらず、伝えたいことだけを伝える電話だなぁ、と苦笑しつつも、玄関まで向かい、鍵を開けた。
「やはー」
「やぁ」
扉を開けると、すぐそこにはもう遥夏がいる。
遥夏の家は僕の家のすぐ隣で、小さい時からこうして、電話があるとすぐに到着しているのだ。それに高校に上がってからは、携帯を持つようになったので、話しながら移動することもあってか、今行くよ? なんていいながら既に扉の前でスタンバイ、なんてことは日常茶飯事だったりする。
我が物顔で玄関に上がりこんで無造作に靴を投げ捨ててどたどたと廊下を歩いていく遥夏。僕は律儀に遥夏の靴をそろえてから、その後を付いていく。ずっと昔から繰り返していることなので、今では全く気にならない。
僕が部屋に入ると、遥夏は床に座り込んで何やらたくさんの紙と格闘していた。床に何枚ものプリントをばら撒いている。
「何してるの?」
「調べてきたの! MWOのある限りの情報!」
てっきり宿題か何かの類だと思った自分自身の発想力の無さに呆れる。思えば、遥夏がそんなものを僕の家に持ってくるはずがないのだ。
「まだ正式サービス二ヶ月ってこともあって、全然だけどね。それに、私からしてみれば今までのどのオンラインゲームよりも難しいし、レベル上げるのも大変だからキャラクター育成とかスキル関連はほんとに情報少ないんだよね。あとマップ情報も」
つい先日までなら分からなかった単語もいくつか混ざっている文で話してくる遥夏。
「それで、その資料で何するの?」
「そりゃあ、ユウのスキル構成とか今の内に決めちゃったほうがいいんじゃないかなーって。MWOってスキルも凄い数多いから、一本に絞っとかないといくら経験値あっても足りないんだよね」
「ええと、遥夏は今日MWO始めたんだよね?」
「そだよ。いやー、もう驚いたね。普段ならゲームしてて当然のように使えるコマンドがスキルだったり、早いとこパーティ組んじゃいたいねー」
スキル、と書かれた紙をまとめ、それを眺める。
「ユウは最初どういう風にスキル取った?」
「ええと、《ウェポンマスタリ:剣》《ウェポンマスタリ:小盾》《アーマメントマスタリ:軽鎧》と、剣技で《バッシュ》に、種族スキルで《オールラウンド》だね」
今スキルを見直してみると、折角マスタリを重視して取得したにもかかわらず、ろくな装備が1200Gのあの剣くらいしかないような……。
「ふーん。じゃあスピード系の剣士になるのかな? もしかして両手剣とか使ってる?」
「いや、片手で使う剣だよ。さっき結構いいやつ買ったんだ」
「へぇ。じゃあやっぱりスピード重視になるね。小盾は腕に固定するタイプだから手が空くでしょ? 両手剣を使う場合は重量系になるけど、小盾で片手剣なら片手が自由だから、アイテムとかを使いつつ、って感じになると思う」
へぇ、としきりに頷く。さすがにゲーマーとしてのレベルが違いすぎるせいで、考察の的確さが違う。
「ユウはどんな剣士になりたいの?」
「うーん、そうだなぁ。敵の攻撃をガンガン弾いて味方を守りながら戦う、とか……そういうのもできるのかな?」
「じゃあ手を使っちゃうけど大盾のほうが──」
「いや、盾より剣で弾きたいんだよ僕は」
面食らったように一瞬硬直する遥夏。額に指を当てて、数秒考える。
「確か攻撃判定を攻撃判定で相殺できたとは思うけど、結構難しいと思う。【感知判定】が《スカウト&レンジャースキル》でしか取れないから、それを上げて戦闘補助に使うのもいいかもね」
《スカウト&レンジャー》スキル。アクアが取得していたマスタリだ。僕はそのスキルの効果をまだ知らなかった。
「その《スカウト&レンジャースキル》って、どういう効果なの?」
遥夏は汎用スキルが書かれている紙を手に取り、それを読み上げた。
「えーと。汎用のパッシヴスキルで、Dex,Agi,Luckを+SL×6。さらにsenっていう能力値が+SL。このsenっていうのは注記があるね。
なになに……sense、つまり感知の値らしいけど、このスキル以外では絶対に上昇しないステータスみたいだね。この値が高ければ高いほど、咄嗟の行動が取れるようになったり、危険をいち早く察知できたりするようになるみたい。結構便利なんじゃない?」
それは確かに、ユウが取っても役に立ちそうなスキルだった。アクアの戦闘を見てると、素早いということもあって僕より的確に動けている気がするんだ。
「じゃあログインしたら取得するよ。それでさ、遥夏。跳躍力って、どうやったら上がるの?」
「跳躍力ぅ?」
がさがさと紙の束を漁る遥夏。床を泳ぐようにしてぐだぐだと探す。魚じゃないんだから、とは突っ込めない。
「あったあった。これね。各種ステータスの計算式。
跳躍力の計算式は、移動力÷50で端数切捨て。なにこれ、普通のキャラは皆0なんじゃない? 0が普通の人間の跳躍力ってことだと思うよー」
「なるほどね。僕のフレンドにさ、獣人族の兎族? の子がいてさ。その子、普通に3mとか4mくらい飛んでるんだよね」
「兎族の種族スキルで跳躍力+CL×5だもんね。跳躍力が5あれば3~4m跳べるってことになるけどねっ。
まぁ普通のキャラじゃ無理だけど」
「へえ。とりあえず色々な疑問は解決したかな。取りたいスキルの目処も付いたし。
参考までにさ、遥夏が取ったスキルを聞いておきたいんだけど」
遥夏がどんなキャラクターを作ったのかも、そういえば聞いていなかった。これだけの量の資料を集めていたんだから、まだ少しだけしか遊んでいないはずだけど。
「んと、メイキング時に取ったスキルは戦闘カテゴリから《ウェポンマスタリ:格闘》と《イグニッション》。汎用カテゴリから《トレーニング》スキルを筋力、敏捷。これで1000点使い切ったよー」
「《ウェポンマスタリ》は分かるけど、ごめん、他のスキルは全く分からないや……」
「《イグニッション》はクイックスキルで、HP消費があるけどラウンド中攻撃速度と基本攻撃力が上がるスキルだね。トレーニングは、名前の通りステータスを上げるスキル」
資料を見ながら遥夏の話を聞く。凄まじい種類のスキルだけど、なんだか見ていると無性に楽しい気分になってくる。
「それでユウさ、今どこらへんにいるの?」
「えーっと……」
山に囲まれた村、フェネオネ。ログナー大陸の……南? いや東だったような気もする。
「フェネオネっていう村なんだけど、分かるかな」
「え、どこ」
「ログナー大陸、らしいけど」
「それじゃ大陸は同じだね。でもフェネオネって聞いてないなぁ。大陸のどこらへん?」
「南……? のあたりだと思う。多分だけど、迷いの森を越えたあたり」
はぁ? と奇妙な顔をして近づいてくる遥夏。
「迷いの森ってあんた、ログナー大陸の一番栄えてる街から魔笛平原を越えて、いくつも山を越えて、その先……。
なんでそんな秘境からスタートしてるのよ!」
「い、いや、僕に言われても困るんだけど……」
「まぁいいや。ちょっと今からログインして絶対迷いの森越えてやるからね!」
言うなり、遥夏は立ち上がると、資料も持たずにさっさと行ってしまった。
僕は仕方なく資料の束をまとめて、自室に向かった。