Expedition 2
病的なまでに白い部屋。白いカーテンが風に揺れている。日差しが作る影、白いベッドに大きな白いテディベア、登校用のものなのか分からないが、白いスクールバッグ、白くて大きな机、そして、白革張りのAWDD。
リース……菅野和泉の部屋。
白い椅子にそれぞれが座り、机にはいくつかのサンドウィッチと人数分のコーヒー。和泉の姉が用意してくれたものだ。
その和泉の姉はというと、僕達と一緒に席についていた。
「和泉ちゃんがお友達連れて来るなんてはじめてね? どういう風の吹き回し?」
「AW症候群を治してもらわないと困るからです」
そう? とくすくす笑う和泉姉はどこか神秘的な雰囲気をまとっていた。和泉と瓜二つの顔立ちに、黒くて長い髪。身長が圧倒的に高いこと以外は、よく似ている姉妹だった。
「AW症候群なんて、簡単に治す方法があるじゃない?」
「そいういうわけにもいかないから、連れてきたんです」
ハルは僕の隣で無心にサンドウィッチを頬張っている。目を離すと僕の分までなくなっていそうなペースだ。
「簡単に治す方法があるんですか?」
僕の問いに、和泉が少し難しい顔をした。
「あるにはあるんですけれど……。あまりしてほしくないといいますか」
「AW症候群は、AWから完全に離れて一週間も経てば治るんだよ。その後は、ほとんど再発もしないしね」
自分の分のサンドウィッチを平らげたハルが、そう補足した。
「それは確かに、"あまり取りたくない"方法だね。こうやって現実で会う時以外は不便もないし、僕としては一週間MWOから離れるほうが辛いかな」
「ネトゲ中毒なのかAW症候群なのか分かんなくなってきたね」
言いつつ、ハルがとうとう僕のサンドウィッチに手を伸ばしてきたので、皿を引き寄せてブロックした。
「でもね。AW症候群のままAWを遊び続けるのは推奨されないの」
僕が和泉のお姉さんのほうを向くと、その隙にサンドウィッチを奪われた。
「治らないままにAW症候群が進行すると、"リアリティの認識欠損"がはじまる」
和泉のお姉さんは続ける。
「まず、他のPCが"AWの世界の人間そのものとしか感じられなくなる"こと。更に進行すると、"自分のPCの中身が自分であることを自覚できなくなる"症状が出るの。
ここまで重症化するプレイヤーは稀だけど、既に重度AW症候群で4名がAWの使用を禁止され、カウンセリングを受ける毎日だそうよ」
ハルもこのことは知っていたようで、特に何の感慨もなさげにサンドウィッチを頬張っていた。
「えっと、つまるところ、しょうがないからAWは一週間休んだほうがいいってことですか?」
「それが絶対にトゥルーなのだけれど、和泉ちゃんとしてはそれは困るそうなのよね」
「別に、困りません」
ふーん、と和泉のお姉さんが面白そうに妹を見る。
「じゃあやっぱりユウさんには一週間AWお休みしていただいたほうがよさそうね。また一週間後に、妹と遊んであげてくださいね」
俯きがちだった和泉が、お姉さんを睨んだ。
「結論を他人に任せるのは駄目よ? 説明は私がしたのだから、後は和泉ちゃんが言ったほうがいいわ」
そういうと、和泉のお姉さんは席を立ち、全員分の皿を回収して台所へと戻って行った。
「ね、リースちゃんさ」
ハルが普段より気持ち真面目な口ぶりで語りかける。
「こいつね、MWOを始めるまでゲームなんてろくに遊んだこともなかったし、普段やることと言えばお堅い本を読むか、勉強するかの二択だったんだ。
でも、MWO始めてからいい意味で毎日楽しんでるみたいでさ。それは多分、リースちゃんがこいつと遊んでくれてるからって面も多いと思うんだ」
だからさ、とハルが一言加えようとしたところで、和泉が口を開く。
「私も、ユウさんやハルさんとMWOで遊べているから、毎日がとても楽しいです。
私の我儘ですが、ユウさんがAW症候群で一週間お休みされてしまうと、困ります。
それでですね……。AWを遊びながらもAW症候群を少しずつ治していく方法……。試してみませんか?」
台所にいた和泉のお姉さんが、保護者のような優しい笑みで和泉を見ている。
「うん、僕としても、そんな方法があるなら助かるよ」
一週間AWを休まなくてはならないことを覚悟したが、そんな方法があるのなら願ったり叶ったりだ。多少シビアな条件であったとしても、こなすことに躊躇いはない。
「じゃあ、これから毎日私と電話しましょう」
「うん。──うん?」
……………………
………………
…………
……
北浦葉につく頃には、もうすっかり陽が沈んでいた
あの後僕達は和泉の姉も加えて古いテレビゲーム(僕にとっては初めてのもので、新鮮だった)を遊んだ。
「ね、ユウ。楽しかったね」
もう暗い帰路で、ハルが僕に問いかけた。
「うん。ハルが遅刻しなければもっと遊べたんだけどね」
「そういう細かいこと言う男は大きくなれないよ! また遊びに行けばいいじゃんっ」
「それもそうだね」
そういえば高校にあがってから、あまり身長が伸びていない気がする。僕もハルのような豪快な性格だったら、もう少し身長が伸びたのだろうか、などと考えてしまう。
「ユウはさ、こういうの初めてだよね?」
こういうの、とは今日のような、オンラインゲームで出会った友人とリアルで遊ぶことを指すのだろう。
僕は頷いた。
「ネットゲームをしていればさ、オフ会の機会って嫌でも増えてくるんだ。多分、ユウもこれからどんどんこういう機会が増えてくると思う」
ぐいっ、と体を引き寄せられて、ハルのほうを向かせられる。突然のことで、驚いた。
「リースちゃんは……まぁいいけど、これから先、私と一緒じゃなく、ユウだけでオフ会に行くことも多くなると思う。ネットでの友達は、顔を見ないで内面だけを見れるすごい透明なものだけど、だからこそリアル以上に内面を隠しやすい」
ハルは一息に続ける。
「出会いは一つにつき、三つは厄介毎を持ってくるよ。それだけは忘れないこと」
「う、うん」
珍しく真面目に語るハルの声。僕よりも遥かに多く、ネットと過ごした彼女だからこその言葉だろう。
ありがたい忠告として、受け取ることにした。
「ありがと、ハル。気を付けるよ」
「よろしい!」
バシン! と背中を叩くと、駆け足に道をゆく。
「じゃ、またね、ユウ。おやすみ!」
そのまま小走りでさっさと行ってしまった。
その姿が見えなくなってから、
「おやすみ、ハル」
僕は一人呟いた。
その日の夜。
リースと共に今日の昼間の話をしながら平野を抜け、カロッキ山脈を貫く「ダール洞窟」へとたどり着いた。
ダール洞窟は水源に近いのか、暗くてじめっとした、居心地の悪い空間だった。
ルディオの「世界地図」にも多少なりとマッピングされているエリアである。しかし、思いのほか内部が広いのか、完全にマッピングが済んでいるわけではなさそうだった。
「《エアダッシュ》で一気に進む、というわけには行かなさそうですね。慎重に進みましょう、ユウさん」
「そうだね……」
こうした洞窟内ではエネミーの生息数が多いのだという。
一気に進んで、複数のエネミーの群れと遭遇してしまっては、かえって攻略のペースが落ちてしまうし、危険なのだ。
「東の水の国、早く見てみたいけど……ここもしっかり楽しめたらいいね」
「ふふ」
リースはおかしそうに笑った。
「こんな面倒なだけの洞窟行でそんなことが言えるのは、オーヴィエル全土を探してもユウさんだけですよ」
「そうかな? 僕はこの世界、どこを歩いてても楽しいよ」
「ユウさんらしいですね。私はマップの移動は面倒で仕方がない性質です。でも、ユウさんと歩く分には、楽しいかもしれませんね」
ともあれ、とリースが続ける。
「この洞窟、光一さんが言うには海棲のモンスターも出るそうです。見たことのないスキルを使うかもしれませんので、気を付けて行きましょう」
海棲のモンスター、今までに遭遇したことのあるのは霧の竜、純白竜アインのみ。さすがにあのレベルのモンスターは出現しないと思われるが、それでも注意するに越したことはない。
ひたり。
sen値の恩恵か、遠くから何か湿った足音を聴いた。
「リース、こっちへ」
リースの手を引いて、岩陰へと誘導する。
「ユウさん?」
「何かが来る……気がする」
こういった場面ではやはり、感覚値に優れ、遠隔攻撃を得意とするアクアのようなレンジャーが真価を発揮する。しかし、今それを言ってもはじまらない。
「《シャットアウト》」
リースが風の気配遮断魔術を行使する。非常に強力な気配遮断能力を持つ魔術であり、クールタイムが長く効果時間が短い代わりに、音や臭いだけでなく、視覚的な隠ぺい能力も備える。
「あれは……」
リースが遠くから聞こえた足音の正体に視線をやる。
水かきのついた足、水色の肌、ぎょろりとした眼球が印象的な、亜人種。手には無骨な三叉槍が握られている
「マーフォーク、でしょうか」
「マーフォーク?」
「男性の人魚ですね。マーマンといったほうが一般的でしょうか」
マーマンなら、少しだけ聞き覚えがある。人魚と比較して醜いといった程度の知識しかないが。
「マーマン、ってえっと、僕らみたいな、その、種族なの?」
「PCではないと思います。海族種は人魚とは違うと聞いたことがありますから」
PCの使用できる種族にも、多く亜人種は存在するが、確かにマーマンをプレイアブルキャラクターにするほどの需要はないだろうなと思った。
PCではないとなると、その容姿の異様さに怖気づいてしまう。シャーマンなどの他の亜人種モンスターより遥かに怖い。
「どうします? ユウさん。今なら奇襲もかけられますし、安全に戦闘を運べる条件になっています」
「少し、抵抗があるかな。できればやり過ごそう」
「わかりました」
マーフォークはしばらくすると、そのまま歩き去ってくれた。
戦闘を避けられたのは幸いだが、マーフォークが立ち去った通路へ進むのは愚策であるため、必然的に別のルートを進むことになった。
洞窟内の道が分かっているわけではないので、あまり問題はないけれど。
道中、コウモリなどの非アクティヴな動物などにしか出会わず、1時間ほど穏やかな洞窟行となった。
「これは、もしかしなくても一日では攻略できない距離ですね」
「丁度今、僕もそんな気がしてた」
ぺたん、とリースがその場に座る。MWOでは現実世界の体力に関係なく、キャラクターのVIT値に依存して体力が決定される。「MIN極振り」のリースは非常に体力が低い。(現実世界でもあまり変わらなそうだったけれど)
「こんな……岩しかない場所では寝れません」
当初は地面に寝袋でも硬くて辛いと言っていたリースだ。岩場では確かに寝れないだろう。
MWOにログインして衝撃的だったのは、寝袋というのは思い描いていたほどに寝心地がよくないということだった。
「もうこちらは夜もいい時間ですし、こちらで寝ている間はログアウトしていましょうか」
僕はそれに頷いた。
実際、僕自身も軟弱な一少年だ。こんな固い地面に背中を預けて寝るのは難しい。
二人で適当な岩の陰に入り、寝袋にくるまる。この世界の寝袋は、文明レベル相応の布袋に近いものだ。携帯性には優れるが、保温性はそこまで高くなく、土の地面でもない限り背中が痛くなるような薄さなのだ。
「それではユウさん。また、現実で」
「え?」
リースはそのままログアウトする。
MWOではその日の初回ログインからの連続行動時間に応じて、キャラクターに睡眠時間を与えなければならない。これがやや複雑なシステムで、「現実時間で前回の最終ログインから6時間以上時間を空けてログインした」場合、そのキャラクターは何らかの形で睡眠をとっていた扱いになる。そして、キャラクターはログインしたオーヴィエル内の日にちの、次の日の朝9:00までに最低5時間の睡眠を取らなければ、不足時間に応じた睡眠不足ペナルティが与えられる。
しかし実際問題、MMOのキャラクターにそこまでのリアリティが求められても遊びづらいことは必至だ。その救済措置として、MWOで睡眠中のキャラクターは、キャラクターをその場に残したままログアウトを行うことができる。これがいわゆる「みなし睡眠」と呼ばれるシステムだ。これを行うことで、キャラクターに睡眠を与えつつ、プレイヤーの時間が拘束されることはない。中には、一つのキャラクターに睡眠を与えている間、他のサブアカウントでログインして遊ぶ者もいるそうだ。
周囲に危険な気配がないことを確認し、僕もMWOをログアウトした。
アナザーワールドダイヴデバイスから半身を起こした僕の耳に、携帯の振動音が届いた。
「誰だろう?」
机の上に置いてあった携帯を手に取り、慌てて携帯を開いた。
(現実で、って……そういうことか)