Expedition 1
あれから数日。
ルディオは活気を取り戻し、再び退屈な日々がやってきた。
なずなの《テスタメント》で僕の叔父、カディシュの仲間であるルクの両親の呪いは解除され、そちらの方面も問題なく解決したようだ。アクアはと言うと、城の潜入と牢獄の鍵解除だけをすると、さっさと他所に遊びに行ってしまったらしい。自由気ままというか、非常に憧れる。あれほど優秀なレンジャーならうちに欲しいと、なずなは残念がっていたほどだ。
カディシュは特殊騎士団を辞め、再びルク、そして"崩天の環"ミトンと旅に出るのだと言った。
そのミトンはというと、特務を辞め、冒険者となるようだ。これで再び特務に欠員が増えることとなった。なずなをはじめ、光一などはミトンの脱退を寂しげにしていたが、アーチーとしては脱退も止むを得ないと判断を下すしかないだろう。
そして、これは初耳だったのだが、ルディオの暦で三年に一度、特務騎士団員募集というイベントがあるらしい。これは腕に覚えのある冒険者や、剣士、あるいは魔術師などが応募し、試験に合格すれば特務騎士団の団員になれるというものだ。
現在の特務騎士団の人数は僕を入れて九人。
今回の募集では、とりあえず三人を募集するらしい。応募の条件として、CL20以上というものがあった。僕のCLが16なので、僕は恵まれた環境にいるということになる。
あの戦争を経て、僕とリースには報酬が与えられることになった。何も僕ら二人だけの手柄ではないのだが、国が望む方向へ話を持って言ったという事もあり、アシュレイにはえらく感謝されたのだ。
そして僕とリースは、休暇を報酬として求めた。
遠征任務が無理なら──と。しかもこの休暇は、報酬ということもあってかかなり長期の有給休暇だった。
僕とリースがルディオを発つことを知ると、特務の全員が騒ぎ立て、昨日の夜にお祭り騒ぎになっていた。
僕達は今、ルディオ東の平原を歩いている。
ルディオは西と東を山脈、南を迷いの森に囲まれた、秘境のような国である。辺り一帯は平原なので広々としたイメージはあるが、近隣国との接触はあまりない。
ルディオ東平原を進むと、カロッキ山脈へとぶつかる。カロッキ山脈には山道が整備されておらず、その代わりにトンネルが作られている。そのトンネルを通ることで、山脈の向こう側、大陸の東端へと移動することができるのだ。
相変わらず二人分のバックパックを持った僕は、足取り軽やかに平原の道を踏み進んでいた。
「無駄に距離がありますね……そろそろ疲れたのですが」
「夜までには山脈に着いておきたいところだけど……。休憩する? でもここらへんは野生動物もでないし魔法力温存しないでもいいんじゃないかな」
オーヴィエルでMPと発言する際には、魔法力という事でソウルの減少を防ぐことができる。これは豆知識だ。
「んー、それもそうですね。…………《ヴァイタルウィッシュ》」
慈愛神の淡い慈愛の光がリースを包み込み、体中を覆う疲弊感を取り去り、体力を取り戻させる。
「この魔術、重いんですよ。詠唱も長いですし」
「でも便利だよね。魔法力分の価値はあると思うけど」
魔法力は剣士は使うときは使うが、基本的に戦闘以外では使わないので、普段は消費効率などは考えない。リースのような魔術師の場合、例えば今でもエアダッシュを使って二人で歩いているので、基本的にMPが休まる暇などはない。
「そういえば、ユウさんって夏休みはいつからですか? あ、メッセで構わないです」
隣からリースが問いかける。僕もリースも学生で、やはり勉強にしろMWOにしろ大きな時間ができると都合がつきやすくなるものだ。僕は今まで夏休みというと暇なイメージしかなかったが、今年からならMWOという楽しみもできたし、時間を持て余すこともないだろうと踏んでいる。
僕はFLメッセージを起動して返答する。こうしないとソウルがだだ下がりになるからだ。
『明後日からだね。明日が終業式。今日はもう短縮授業だったから楽だったよ』
「む、そうなんですか……。私は明々後日からですね。私立だから未だに土曜も登校なんですよね」
『あ、私立だったんだ。確かにうん、そんな感じする』
私立の女学生はお嬢様。この偏見を捨てきれない世の男子は決して僕だけじゃないはずだ。勿論、偏見は偏見であり事実とは全くもって別なのだが。むしろ理想や願望の類とすらいえる。
「よく言われます。でも、うちの学校も捨てたものじゃないんです。エレベーター式なので私は受験生なんですけど、受験の必要がないからこうして今年も遊んでられるというわけです」
『へぇ……高校受験ないのは楽でいいなぁ。僕なんか──って、あれ? リースって僕より年下?』
現実の情報というものはオンラインゲームをやっていて比較的仲が良くなってくると次第に交換し始めるものだ。年齢や性別などはパーティメンバーやギルドメンバーにはちょっとした話の中で伝わることが多いし、携帯のアドレスや住んでいる地域などを教えあうことも珍しくはない。
「ユウさんは高校生ですよね? 私より年上ですよ」
『そ、そうなんだ。てっきり僕はリースのほうが年上だと思ってたけど。しっかりしてるし』
「ゲーム内でしっかりしててもリアルがそうとは限りませんよ」
ふふ、と笑うリース。そんなものなのだろうか。
『なんだか、オーヴィエル越しにプレイヤーが操作してるって実感が未だに沸かないなぁ』
「そうですか? 私は実感ありますよ。AWDDを通してオーヴィエルに接続してるユウさんが真面目でちょっと優柔不断な平凡な容姿の高校生だって、イメージはつきます。
オンラインゲームをやるときは、相手をあまり美化して見ないのが正しいんですよ」
『う……確かに僕はこのキャラの髪型地味なやつみたいな感じだけど』
「自分の顔をAWで再現する辺りユウさんらしいです。ゲーム初心者でしたものね。──もうMMOにも、RPGにも慣れました?」
『うん……と言っても、リースほど慣れてはないけどね』
カタン、擬似キーボードのEnterキーを押す。MWOを始めた当初はタイピングすら覚束なかったものだ。大きな進歩と言える。
「自慢じゃありませんがゲーム暦長いですしね。引きこもりですので」
白くて長い、光を通さないようなその髪。確かに外界とは無縁に見える……そこまで考えて、違和感を感じる。リースの髪は確かに非現実的な色だ。しかしそれも非現実の中でだけのことであって、リースのプレイヤーの髪が白いわけではない。
慣れてきたからこその弊害、プレイヤーの姿を全く想像できなくなるほどに、アバターに慣れてしまっていた。
そんな僕の戸惑いを察したかのように、リースはくすりと笑う。
「ユウさんは、ハルさんとはリアルでお友達ですよね? それと同じことを他のキャラクターでも考えればいいのではないでしょうか」
『ハルは……なんていうのかな、リアルとこっちで性別が違うから分かってるんだけど別人みたいに思えるんだよね』
「AW症候群ですね。VRまでならまだしも、現実世界と同等の表現力を持つAWデバイスにおいては、珍しくない症状ですよ」
『え、僕病気なの?』
なんてことはありません。と付け加えるリース。
「AWでは二人に一人、その症状が現われるといいます。主にAW経験の薄い人や、RP経験の薄い人がかかりやすいんです。
普通のオンラインゲームでしたら、キャラクターとして認識できますが、AWでアバターを見て、話してしまうと脳が本物の人間、として認識してしまうらしいんですよ。AW症候群の人は」
なるほど、と僕は思う。あまりよくない事だと実感できるから、どう治すのかを聞いておきたいところだが──
あっさりと、リースが答えてくれた。
「ユウさん、今度私と遊びましょうか。関東圏なら、ですけど」
「……え?」
思わず声が出た。
ソウルが減っていないのを癖のようにキャラクターウィンドウで確認すると、僕はもう一度リースに聞き返したのだった。
……………………
………………
…………
……
その日、北裏葉の駅前でハルと待ち合わせをした。
夏休みの初日、駅前の通りであるここは人で賑わっていた。運動部と思しき学生の集団が歩いていたり、飲食店のバイトさんが客寄せをしていたり、休みといえどいつもとさほど変わらないこの通り。
僕は後悔していた。理由なんて、簡単だ。
今の時刻は12時を回ろうというところ。ハルとの待ち合わせの時間が、10時。僕は待ち合わせは確実に三十分前に到着する人間なので、実に二時間半をここで立ち尽くしているということになる。
ちなみに、リースとの待ち合わせが12時に払都宮駅前である。遅刻どころの騒ぎではない。
「うん……。ハルを誘えって言ったリースが、悪い。うん」
遅れる旨をメールで伝えたので、多分問題ないだろう。本当ならば払都宮で昼食を採る予定だったのだが。どの道時間がずれるだけだからいいか。
強烈な日差しの景色の先、ゆらゆらと揺れるティアードスカートが目に入った。涼しげな白いシャツに、レザージャケット。そして装いとはやや不似合いな、運動的なスニーカー。珍しく気合が入っている気がする。駅前の通りをちょっと信じられないくらいの速度で彼女は走り、ぱたぱたと鞄を揺らしながら道行く人々をかき分けて僕のところまで一直線に辿りついた。
「ごめん、待った?」
「ううん、僕も今来たところ──だったらよかったんだけど」
残念ながら二時間半は待っている。日陰に避難していたからいいものの、汗がやばいことになっている。
「ほら」
ぺしっ、とタオルが投げつけられる。有名スポーツメーカーのタオルだ。運動部御用達の一品というか。遠慮する気すら起きない。
がしがしと汗を拭うと、それを無造作にハルに返す。
「今日は寝坊?」
「今日も寝坊」
あははーっと悪びれずに笑うハル。暇すぎてどうしようもなかったのであらかじめ買っておいた切符をハルに渡す。
「お、さんきゅー」
京浜東北線で大宮まで行き、そこから東北本線で払都宮まで。上手く快速を拾えれば、一時間半といったところだろうか。
「小旅行っ! ふっふー」
改札を通り抜けながら両の手を挙げて万歳のようなポーズを取るハル。相変わらずテンションが高かった。
まぁ、こんな夏休みの始まりも悪くないかな、と。
「キュリオ大陸は凄いの!」
座席に座りながら足をぱたぱたさせてハルが力説する。
東北本線。僕は普段、この路線には乗らない。
「キュリオ大陸っていうと?」
「ローグ大陸の東! 未開拓なんだよね。国家とかなくて、原住民の集落とかがちらほらあるくらい。ジャングルだよジャングル! 熱帯林とか!」
「そ、それは行きたくないなぁ……」
「なんで! いいじゃーん。ロマンだよロマン。男のロマン。冒険魂がくすぐられるよね」
「男の僕が感じないならそれは男のロマンじゃないんだよきっと」
僕はといえば生まれてこのかた男のロマンなど感じたことはないのだが
「そこですっごい強いヤツがいてさー」
「うん」
車窓から流れていく景色は見たこともない景色に変わっていく。行動範囲が狭いせいもあるが、そこそこの遠出になっているからだろう。
「ねー聞いてる? そいつ、NPCのクセにLv30もあるんよ」
「へぇ」
「おい聞けよ! 景色見てぼーっとするとかお前鉄か! 鉄男か!」
「えっ、あ、ごめん。あとハル口調変わってるよ」
あと何駅ほどだろうか。今の時刻はというと二時にさしかかろうというところ。大宮で電車が来るまで間が空いてしまったからか、少し時間がかかってしまった。
「だってユウが私の話聞かないから」
「ごめん、でもいつものことだよね」
「なんっ!? いつも私の話聞き流してたの!」
「いやだってついていけない話多いし! まにまにとか言われても僕分かんないよ!」
「読め!」
どこから取り出したのか、可愛らしい女の子のイラストが表紙の文庫本が投げつけられる。
「なんで持ってるのさ……」
「観賞用保存用予備用布教用携帯用があるからね」
「で、これはその中のどれ?」
「携帯用。布教用じゃないから帰るまでに読んでよね」
「無茶だって」
ぱらぱらとページをめくる。字は普通サイズだ。ところどころ挿絵もあるから、読みやすいかも。そういえば僕が最後に読んだ本といえば、教科書。最近一番読んでいる本は参考書。小説などとはしばらく無縁な生活を送っていた。それこそいつだかの予習に読んだ源氏物語が最後かもしれない。あれは正確には小説ではないが。
ハルの話を聞き流しながら、僕は読書に集中することにした。
(タイトルの意味がよくわからないな……。○○物語とかにすればいいのに。それともちゃんとした意味があるのかな)
冒頭部分、そこには僕にとって未知の世界が広がっていた。こんな書き出しの小説が存在するのかと、目を疑う。
『彼は医者の娘である』
日本語として、いや、文として致命的な間違いがあるが、よくこの一文だけを見てみるとどこか芸術的な書き出しのようにも思えてくる。僕はすっかりこの本に興味を持ってしまい、それからものの三十分で読み終えた。
プシュー、という特徴的な音と共に電車のドアが閉まる。
僕とハルは実に三時間の遅刻でこの場所に辿りついたのだった。
「まさかあんな結末になるとは思ってもみなかったよ」
「お父さんが実は弁護士だったってのが熱いよね! 今度二巻も貸してあげるー」
「ん、ありがと」
文系の僕としては、芸術的な現代文学作品を見つけてしまった喜びを隠しきれなかった。後にこれが間違いであることは分かるのだが。
改札を抜け、地元とは違う空気を吸い込む。知らない場所というのは、ある種の別世界である。僕はこうして知らない地を踏む感覚が、嫌いではなかった。
約束通り、東口へ。
熱い日差しを感じて、つい日陰に避難したい気持ちになる。
「ユウ」
「え?」
ハルがくいっ、と僕のシャツを掴んで引き寄せる。
階段を降りながら、
「リースちゃん」
ん、と示すように指差すハル。
それに気がつくはずもなかったが、測ったかのようなタイミングでくるり、とそこにいた女の子がこちらを向いた。
白い日傘。真っ白なワンピースに、とても長い黒い髪。
くすっ、と小さく笑うと、その女の子は僕に向かって、
「ユウさん。遅いですよ」
「え?」
「そちらはハルさんですね? こんにちは」
「ん、やふ。ごめんねー。寝坊しちゃった──おい病気。リースちゃんだっつってんだよー」
「リースのプレイヤーですから初めましてじゃないですよ? 普通のMMOだとこういうことはないんですけどね……」
「そうだねー。AW症候群とかないからギルメンオフとか普通に盛り上がるよね」
ハルが何やら知らない女の子と話してる風に見える。でも黒い髪の子はリースで。どうしても、プレイヤーとPCが全く関係のない別々の存在に思えてしまう。
「ユウさん?」
「っ、はい」
やれやれ、とハルが肩をすくめる。
「……少しショックな反応です。仕方がないですね。はじめまして、菅野和泉です。よろしくお願いしますね」
「永野、裕也。うん。よろしく」
しどろもどろになりながらなんとか返事をする。リースのプレイヤーだと、意識しているものの、脳がそれを拒んでいるような不思議な感覚。リースも割り切ってくれたことだし、菅野和泉という子と知り合ったものとして、今日一日過ごせばいいのかなと考える。
「お二人は昼食は済ませました?」
「ううんー。私はまだ。お昼食べてたらもっと遅かったよ。ユウは食べた?」
「ううん。僕もまだ」
当初の予定では昼ごろにこっちに着く予定だったので、三人でファミレスにでも、という話だったのだが。
「でしたら、私の家で食べませんか? 姉が用意してくれたので」
「わーい」
遠慮のえの字すら見えないハルの喜びように、僕はもう何も言えなかった。
うだるような夏の陽光を浴びながら、リースが先導して僕達は歩く。AW症候群と持ち前の人見知りの性格のせいで妙に気まずい。どうしてハルはあそこまで上手く話せるのだろうか。
それに加えて男子校生というのもある。僕は女の子と話すのが極端に苦手なフシがある。という自覚がある。冷静に分析できてしまう自分がまた憎たらしいのだが。
(このままじゃなんか、リースに悪いな……。ちゃんとしないと)
ある意味今までのどんなクエストよりも難易度が高い。
会話のきっかけを上手く作れるように、とりあえず二人の話に耳を傾けながら、払都宮の街道を歩くのだった。
MWOを読んでくださっている皆様、いつもありがとうございます。灰宵です。
予約投稿を忘れていたので中途半端な時間の投稿になってしまいました。すみません。
何を今更、という感じですが、当MWOはいわゆる主人公最強系、ではありません。そういったジャンルが好きな方のご期待には添えないと思いますので、あらかじめご了承ください。
全くの初心者であるユウがゲーマーとして成長する様と、オンラインゲームと日常のあるあるネタを売りに書いております。