Memory 3
「昔、どの帝の御世のことでありましたか、女御や更衣などのたくさんのお妃がお仕えしている中に、さほど身分が高い方ではありませんのに、帝から深い寵愛を受けている方がいらっしゃいました」
浦葉高校1-C。ごくごく一般的な高等学校の教室だ。
古典を担当している髪の薄い男性教師の板書による注釈を眺めつつ、生徒達はテキストを手に文字へと目を走らせている。
そこには偏差値70を越える難関を越えて、この学校へと入学してきた生徒のみが座っていることになる。
僕なんかはよくて上の下の成績だったのだから、この学校に入れたのは奇跡とも言える。
昨日、あの後リースと城下町のマーケットを一通り回り、必要品を買い揃えてログアウトしたのが12時に差し掛かった所。僕は焦って今日の分の予習を済ませて寝たんだけど、やっぱり眠い。
「えー、じゃあ、次。永野」
「はい。身分、教養の高い女御たちは、それをたいそう嫉みましたし、身分が同じ程度か、低い地位の更衣たちは、心穏やかではありません。朝夕の宮仕えのうちにも、そうした嫉みからくる苛めに、更衣は次第に病まれるようになっていきました」
「うむ。少し話を入れようか。
ここで更衣と呼ばれている人物、訳のせいではなく書き方の問題でこの段階だとハッキリしないだろう。
こういった独特な書き方をしている部分があるから気をつけて見ることが大事なわけだな。永野、続きを頼む」
「父である大納言はもうこの世を去り、古い家柄の出である母尼君だけが里のお邸を守っておられましたが、ほかの女御たちのように皇族や大臣家の出身ではないということもあって、後ろ盾は何一つありません。住まいのお局も、帝のお住まいである『清涼殿』からはるかに遠い『淑景舎』でした。淑景舎は、中庭に桐が植えられているために桐壺という別名がありましたので、この方は桐壺更衣と呼ばれていらっしゃいました」
昨日のうちにあらかじめ読んでおいたこともあって、つかえることなく読むことができた。源氏物語など、有名な作品なら父さんに言えばいくらでも貸してくれる。
「そこまででいいぞ。ここで、先ほどの更衣の名前が紹介されるわけだ。最も、本名じゃないぞ?
桐壺更衣は紫式部が創作した架空の人物、つまりキャラクターだ。楊貴妃なんかをモデルにしたなどという説もあるが、モデルがどうあっても我々には関係のない話だな」
キャラクター。創作された人物。
オーヴィエルにいるユウも、もちろんキャラクターだ。
そこに文書との差異はない。僕が作って、僕が演じる。
こういった物語のキャラクターに触れることでRPに関する知識が蓄積されていくようで、僕は自然とこの授業に力が入っているのを感じた。
「よし、じゃあ今日はとりあえず読むまでは終わらせてしまおう。単語毎の注釈は黒板のものを見ながら意識して目で追うといい。
あと2,3人に読んでもらおう。えー……藤次」
「あっ、ハイ」
今日もいつも通り、ゆるやかに時間は経っていく。
……ハズだったのに。
昼休み、四時限目終了のチャイムと同時に生徒達の雰囲気は若干明るくなっていく。各々自由な休憩時間が待っているのだ。
浦葉は堅苦しい印象を持たれがちだけど、生真面目な連中が多いせいですこぶる学則がゆるい。というよりも、無い。学則は「日本法律に準ずる」とだけ書いてあり、ようするに法律を破らなければ何をしてもいいということだ。
しかし、生徒のほぼ全員は生真面目であるし、そもそも問題などを起したことのある生徒はこの学校には入れない。よって、学則は緩いものの普通の高校レベルの雰囲気となっている。
私服、髪加工自由、バイク登校すらアリの学則でようやく普通高校レベルの雰囲気という意味でもあるが。
「はー……」
そんな僕、永野裕也はと言うと。
体育終わりだというのに暑苦しい詰襟に着替えていた。
父親の指針で、高校在学中は制服でなければならん、ということだった。標準学生服に、校章はついていない。
着替え終わった僕のすぐ横を通り過ぎていく生徒達は皆私服。
ごく稀に僕と同じく制服登校をする生徒もいるが、せいぜいがクラスに一人。そんなわけで、服装面で大変浮いている僕だった。
「さて、今日はどうしようかな……」
もちろん昼食のことだ。
この学校での昼食といえば主に二つの派閥に分かれる。
片方が弁当、もしくは持ち込み昼食組。もう片方が学食組だ。
僕の場合は親が弁当を用意してくれた日は弁当組に混ざって昼食を採るし、そうでないときは登校中にコンビニか弁当屋で購入するか、学食を利用する。
今日は弁当が無いので必然的に購買か学食になる。
メニューをいくつか思い浮かべたところで、僕の足は学食へと向かっていった。
普通の休み時間より若干人通りの多い廊下を歩きながら、清掃の行き届いた校内を移動する。一階の一年次教室が連なる廊下の丁度真ん中にある連絡通路、そこを東へ進んですぐのところに学食はある。
基本的に落ち着いた生徒が多いからか、ざわついてはいるものの、他の高校に比べると穏やかな印象を受ける──といっても、実際に他の高校の昼食時の風景を見たわけではないので聞いた話になるのだが。
教室が軽く10個は入りそうな広い食堂。いくつものテーブルと、調理場からなるカウンターと、その横にある券売機。清潔感のある学生食堂といったところか。
しかし、一般の学生食堂とは違った点がいくつかある。
いや、正確には食堂に違う点があるわけではなく、この場所のシステムに特殊な点が見受けられるといったところか。
ここ浦葉高校は何度も言うようだが男子校。しかし、今僕が見渡す限りでもかなりの数の女子生徒が飲食をしている。
これはどういうことかというと。
この学生食堂は大図書館と隣接している。大図書館とは浦葉、浦葉一女の両学食と隣接して作られている。浦葉の学食からも入れるし、浦葉一女の学食からも入れるのだ。
校則がそもそもないので、図書館を経た両学校間の移動に制限はない。というより、休み時間に堂々と校門から学校を出て反対側の学校へ移動したとしても咎められることはない。
「あれっ、ハルどうしたんだろ?」
券売機で購入したカレーうどん券をおばさんに手渡す。
いつも使っている席のあたりを見てみるも、ハルの姿はない。ハルは昼休みになると決まって窓際の席で食事を採っている。
誰かがいつも使う席というのは暗黙の掟のようなものを作り出すらしく、たとえハルが使っていなくてもそこに座る者がいない。勿論その隣の僕の席も空いていた。かなり混んでいるにもかかわらずだ。食事で競争心を燃やす人種がいないことも、この学校の特色といえる。
カウンターの端に置かれたカレーうどんを回収すると、とりあえずいつもと同じ席に座ろうとトレーを持ちながら歩く。窓際なので結構遠い。
「今日は学食か、裕也」
別の列から定食を受け取りながらこちらへと歩いてくるクラスメイトの数少ない友人の姿が。
「今日はいつもより少し混んでるから席がないようならこっちへ来るといい。大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
190cmにさしかかろうとしている身長を持つ巨漢、一年にして剣道部レギュラーの座を得た柏大悟だ。クラスでは決まってダイゴと呼ばれている。
真っ黒な短髪をオールバック気味にまとめ、細い目をさらに細めるようにしている。ガタイはいいものの、全体的に引き締まっていることもあってどこか洗練された印象を受ける。
「そうか。俺達はあっちで食べてるからよかったらいつでも来るといい」
そういうとダイゴは片手で大盛りに盛られた定食を持ちながら飄々と人ごみの中を歩いていった。
ダイゴはいつもカウンターに近いテーブル席を寄せ集めて一年の剣道部メンバーと食事を採っている。中心にいるような人柄ではないが、グループの保護者的な立ち位置にいつもいる。頼もしくもあり、羨ましくもある。
僕は人混みに踊らされながらも、いつもの窓際の席へと移動する。
ここからは校庭が見えて、そこそこ景色もいいのでお気に入りの場所だ。
(あれ?)
いつもの僕の席は空いている。それは間違いない。
ただ、その隣には先客がいた。
そこに快活そうなポニーテールはなく、代わりに肩ほどまで伸ばした茶髪のセミロングがあった。
やや小柄な体格で、背も小さく見える。ふんわりとした白いワンピースを身に纏っていて、一見して一女の生徒だということは分かる。
「すみません、隣いいですか?」
「…………?」
その生徒はゆっくり、それこそ時間が止まってしまうのではないかと疑いたくなるほどにゆっくりとこちらへ振り返ると、比較的静かなこの学食の喧騒でさえも消えてしまいそうな声で、
「いちいち確認取んじゃねぇよ、イライラすんな」
と、間違いなく言ったのだった。
「え、その、ゴメンナサイ……?」
僕はそのあまりのギャップに気圧されておどおどとその生徒の隣の席に腰を降ろしたのだった。
しかしイントネーションや語調、表情からして普通の会話をしているような感じだったのだが、台詞だけに違和感があるような掴みどころのないような子だった。顔立ちがやや幼いが、雰囲気は大人びている。
僕が箸を割っている時、ふと気になって視線を向けてみると、何をしているのか分からなかった。むしろ、何もしていなかったというのが正しいのだろうか。その生徒はただじっと机に視線を落としている。
「な、何してるの?」
「てめーには関係ないだろ、ほっとけよ」
綺麗な声と裏腹に台詞は不良少年のそれと間違えてしまいそうなほどに汚い。
「それもそうだね」
僕は小さくイタダキマスをすると少し冷めてしまったカレーうどんを口に運ぶ。詰襟のメリットといえば、カレーの汁が飛んでも大きな被害を受けずに済むということくらいだ。
しばらく細々としたことを考えながらカレーうどんをすすっていた。ここのカレーうどんは甘すぎて不人気なのだが、一女から来た女生徒には人気がある。逆に一女の辛いカレーは一部の男子に人気があるといった具合だ。ちなみに僕は甘口が好きなのであちらの食堂でカレー系のメニューを頼むことがない。
ふと。
そういえばもう武器できてるかな、などと考える。
そう考えると、急に帰宅が楽しみになってきた。今まで帰ることが楽しみ、なんていうことはあまり経験にない。僕は妙にうきうきとした気分でカレーうどんの残りをかっ込んだ。
「────ちっ」
可愛らしい舌打ちが隣から聞こえた。
恐る恐る振り向きながらトレーの上を片付ける。
「勝ち組気取りかてめぇ! どうせ私のことを心の中で口汚く罵ってんだろ!」
「何なの君!?」
その女子生徒は席から凄まじい音を立てて立ち上がると、僕を睨みつけるようにして少女の声にヤンキーばりの迫力を宿して怒鳴り散らしてくる。
「ああそうさ! どうせ私はマイ発砲スチロールハートを粉々にする覚悟で乗り込んだ浦葉の学食で狙ってた一日限定1食のあんこ入りパスタライスを食べ逃した愚かな雌豚だとも! それを隣でカレーうどんなんかすすって笑い飛ばして昼食を採ったてめぇはさぞいい気分だったろうよ! ええ!?」
自分よりも頭一つ分小さい女子生徒に胸倉を掴まれて怒鳴られている僕。突然すぎて状況を把握するのに時間がかかる。
「ほら、笑いたきゃ笑えよ、おら!」
「ええと、どういうこと!?」
がくんがくん、と無抵抗のまま揺らされ続ける。学食全体の注目が集まってるのがよく分かる。恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
(ダイゴ助けて……!?)
視線を剣道部グループの席へと移す。
ダイゴと視線がばっちりとあったところで彼は、親指をグッと立てていい笑顔で何か合図を送ってきた。僕がよくわからない修羅場にいることを分かってもらえたのか、もらえていないのか。
ダイゴは諦めるとすると、学食組にはあと一人しかいない。
図書館の入り口のほうを見る。
先ほどからそこにいるのは分かっていた。すらりとしたスレンダーな体格に、真っ黒の快活なポニーテール。おーいと手をふりふりしているのが分かる。
「ははは、おーい。……って違う! 助けてよハル!」
するとハルは声が届いてはいないものの、ジェスチャーでなにやら合図を出してきた。手首を指でとんとん、と叩き、続けて右手で指を三本立て、同時に左指で○をつくり、こちらに見せてくる。
「私の……血液年齢……30才……?」
「聞いとんのかわれぇ!」
「うわっ、聞いてます聞いてます!」
ハルはしきりに図書館の一女側のほうを気にしているように見える。先ほどのジェスチャーは血液年齢のことじゃなかったのか? いや、僕も本気でそうだとは思ってないけど。
しばらく僕がロデオマシーンもかくやという速度で揺らされ続けていると、ハルが一人の女子生徒を連れてこちらにパタパタと走ってきた。
「秋兎様! 秋兎様ぁ~!」
「ユウ、大丈夫ー?」
ハルともう一人の女子生徒、紺色のセーラーに身を包んだ姿の女子。やや脱色がかった髪を腰ほどまでに伸ばし、腕には『浦葉一女生徒会』と書かれた腕章。制服に腕章といえば、全校生徒で知らない者のいない生徒会役員である。
その生徒会役員が僕の胸倉を引っ掴んでいた女子生徒を引っ剥がすと、ずりずりと引きずって図書館の入り口のほうまで強制的に持っていった。見かけによらず大した腕力の持ち主だ。
「ユウ、もしかして会長ちゃんに話しかけた?」
「え、ああ、うん。確かに僕から話しかけたよ」
「あちゃー。なるほどねー」
ハルはくすくすと堪え笑いをしている。
「会長ちゃん男性恐怖症なんだよねー。悪気があったんじゃなくてただたんに怖かっただけだと思うから気にしないであげてよ」
「う、うん。別に気にしてはないけど──って、会長?」
「そだよ? こっちの生徒会長」
「うわぁ……」
それは大変そうだなと視線をやると、図書館の前で先ほどの役員によしよしと慰められながらえぐえぐと泣いていた。怖いというのが本当らしいのは分かったが、あれは男性恐怖症とひとくくりにしていいのだろうか。
「あっ、そろそろ私達戻るね。次体育なんだー」
「うん、ありがとうね。
っとハル、そういえば今日はどうしたの?」
いつもはいるはずのハルがいなかったことについてだ。
「んー? ああ、なんだっけ、長谷川君って人が奢ってくれるっていうもんだからあっちで食べてきたんだよ。ほら、ユウ同じクラスじゃなかった?」
「長谷川君……? そっか。ゴメン、引き止めて」
「んっ」
ハルは長いポニーテールを尻尾のように翻して先ほどの役員と秋兎と呼ばれていた生徒会長を連れて図書館へと走っていった。
それを見送ると、席に置いたままだったトレイを持ってカウンターへと歩く。
(それにしても)
長谷川君とハルだなんて妙な組み合わせだなと思った。
長谷川君は僕のクラスで話が面白くて格好いいと評判の生徒で、僕が憧れている生徒でもある。実際ユウの髪型なんかは彼のそれを模倣した。
普段から女子とも仲良さげに話している彼だが、ハルと話しているところは見たことがない。女子の中でもややギャル系の子としか話さないためだ。
(なんか面白くないな)
僕は胸にモヤモヤとしたものを感じながら食堂を後にした。
「ふぁ……っ」
大きく伸びをする。
夕焼けが目に眩しい夕方、一日の日課から解放された放課の時間。生徒達は各々部活道や帰路へと向かう。
僕は校門付近で鞄を片手に立っていた。毎日の日課のようなもので、いつでも自然とこうなっている。
「ユウー!」
校舎側からぶんぶんと大きく手を振っているハル。と、その後ろには一女の生徒会長こと秋兎の姿があった。いくら行き来自由だからと言ってもここは男子校。周りの生徒からの視線は痛いが、慣れなければいけない。
「今日は会長さんも一緒? 僕嫌われてそうだけど」
「んやー、途中まではそうだけど、違くてねっ! 会長ちゃんがユウに謝りたいっていうからさー」
ハルの後ろに隠れるようにしている秋兎。平均身長のハルの影に隠れられるのだから凄い。
「その、先ほどは大変失礼しました……。本当にごめんなさい!」
ハルの背中に叫ぶ。
「あー、うん。いいよ気にしてないから。なんだったら今度僕が頑張って食券狙っといてあげるし」
「すみません……」
しかしいちいちイメージの安定しない子だった。
「いいからいいから。ほら、帰ろう」
「そだね。ほら、会長ちゃん北浦葉でしょ? 途中まで一緒一緒ー」
「あ、ええと私急用がっ!」
「だーめ。帰るよー」
たまにはこんな賑やかな帰りもいいかなと思いつつ。
静かにオーヴィエルへと思い馳せる僕だった。
◇◆◇
三つの影を見送るようにして、校舎の人影達が蠢いた。
一年の生徒達だ。長谷川が人影達に聞く。
「なぁ、中村って永野と付き合ってんの?」
「ああ、あいつら中学から一緒にいっけど、付き合ってるわけじゃないらしーぜ」
「へぇ……」
意外だとでも言わんばかりに、歩いてゆく三つの影を見つめる。
長谷川の瞳は得物を見つけた獣のように、夕日に反射して輝いていた。
・Real information
『現実の舞台設定について』
ここではMaterial World Onlineの現実世界の描写に使われる舞台設定について解説します。いわゆるMWO内の世界の解説ではありません。
舞台は西暦2099年の日本です。
2076年に登場したVR技術が発達し、人間が世界に対して感じるのと同等以上の情報量を感覚情報として提供できるインターフェース『AW』が発表された年、それが2099年です。
日本は現代日本よりも遥かに高度な情報社会を形成していて、VRはもちろんのこと、AWがなくては成り立たないものとなっています。あらゆる地図や街灯、果ては看板や情報機器、ありとあらゆる電子機器などにVR,AW技術は貢献してきました。
日本の国政などには触れません。
また、日本全国の街並などは現代日本がやや進歩した程度のものと捉えていただければ幸いです。