Another World 1
ガタン、ガタン。
駅のホームから響くアナウンスが列車から発せられる雑な音にかき消される。
ホームの反対側から僕を刺し貫いていた眩しい夕日は列車に遮られ、途切れ途切れにホームのアスファルトを照らしていた。
大きな影絵を映すスクリーンとなった駅のホーム。
この電車に乗れば、すぐにでも自宅だ。
疲れきった体を賦活するように「よし」と呟き、電車の中へと足を踏み入れる。部活帰りの学生や、スーツを着た大人達。そうした人、人、人。酷い人口密度。この時間、この路線は混むのだ。
僕が高校、浦葉高等学校に入学して僅か数日。今日は金曜日。明日になれば、ようやく休みだ。部活道には入らずに毎日こうして学校が終わってからは帰宅しているのだが、やはり慣れない環境のせいか疲れが溜まってしまっていた。
県内一の進学校である浦葉高等学校は関東圏でも有名な高校で、競争率、偏差値共にトップクラスの高校だ。いくら中学時代成績が優秀なほうだった僕でも、この高校に入学できたことは奇跡みたいなものなんだ。文武両道の男子学校である浦葉高等学校、どうして僕のような運動音痴が入学できたのかは分からない。
入学早々の学力テストは満足のいく結果に終わったが、その後に待ち構えていた50km走は比喩なんかじゃなく死ぬかと思ったほどだ。なんとか教師達にいい印象を抱いてもらうために、必死に、必死に、それこそ意識がなくなるほど必死に走りぬいた。結果、クラス内順位は中の下といったところ。よくもまぁ、この僕がそんな結果を残せたものだ。来年も50km走があるのだから、来年なんてこなくていいだなんて思ってしまう。
人の波に埋もれながら、家に帰ってからの事を想像し、つい顔に笑みが浮かぶ。そう、家に帰れば僕の初体験が待っている!
厳格な父、心配こそしてくれるものの直接口には出さない母。一人っ子ということもあってか、両親は僕に大きな期待を寄せているようだった。幼い頃から毎日のように英才教育を受け、ひたすら勉学に励む毎日。遊びなんてもってのほか。僕はそんな毎日に飽き飽きしていたんだろう。
中学三年生、いざ進路を決める段階で、父は僕の成績、偏差値などを鑑みて自宅から大分離れたところにある進学校に通わせようとした。その学校も随分頭のいい学校だったが、僕はここで一つ、自分自身と父親に挑戦してみることにした。今思えばそれがきっかけだったんだ。
「もし、浦葉に進学できたらさ、何かご褒美ください、父さん」
父は余程この言葉が以外だったのか、複雑な表情で暫く考え込んだあと、一言。
「いいだろう。お前が浦葉に入れたら、一つだけなんでも聞いてやる。──頑張れよ」
「え……は、はい!」
僕は必死に勉強した。そりゃもう、回りがドン引きするくらい勉強した。みるみるうちに上がっていく学力に、両親も自分も満足していた。充実した日々、そう、僕にとっては充実した日々だったんだ。
でも、その時は何を貰おうかだなんて、考えていなかった。
そうして勉強だけして過ぎ去っていく日々の中、たった一日。僕にとっては変わった日があった。もちろんいつものように勉強漬けではあったけど、それでもいつもとちょっとだけ違う一日が。
冬休み、突然叔父から電話が来た。
内容は、冬休み中にうちに遊びに来ないか、というものだった。僕はこの大切な時期に遊びだなんて論外だ、と一蹴したのだが、どういうわけか父さんも折角の誘いなんだから行ってこい、と言うんだ。仕方なく、駅で二十も離れた場所にある叔父の家まで向かうことになった。
叔父の家に着き、チャイムを鳴らすも反応がなかった。十分の間、一分おきにチャイムを鳴らして反応がなかったので、しかたなくノックをして入ることにした。ドアの鍵は開いていたので、問題なく入ることができたから。
やや居心地の悪い気分になりながらも、一つずつ部屋を確認していき、リビングへと辿り着く。そこには、一人用のソファのようなゆったりとした椅子に座り、静かに目を閉じている叔父の姿と、その隣にある大きなスクリーン。そのスクリーンには童話や神話に出てきそうな幻想的な風景、自然に囲まれ、不思議な色の光が飛び回る光景が映し出されていた。その中央で赤い髪の美男子が大きな剣を構えている。
赤い髪の美男子の回りには二人の少女。緑の髪と、青い髪の二人。それぞれ杖を持っていて、少女の回りには不思議な文様が刻まれた円形の陣が浮いていた。
そして、赤い髪の男と少女達が向き合っているのは、とても大きな竜。黒々とした硬質的な肉体がとても印象的で、力強く見える。音声は聞こえないが、もし聞こえたのならが耳が痛むほどに大きな声で咆哮をあげているだろうことがわかる。
やがて男がその手に構えた大きな剣を振りつつ、竜に突進した。それに合わせるようにして少女達が杖を振りかざすと、男の回りに光の幕が展開された。すると少女達は目を閉じ、何かを呟くようにして杖を構え始めた。
男は叫び、跳躍と共に竜に剣を叩き付けた。しかし、竜はそれをいともたやすく払いのけると、男に噛み付いた。男もそれを予想していたような動作で避けると、地面に着地。素早く竜の背のほうに回りこんで尻尾に大振りの一撃を与える。
竜は大きく仰け反る。そこに、目を閉じていた少女達が目を開け、視線を向けると再び大きく杖を振りかざす。二人の少女の杖からそれぞれ竜巻と、氷の槍の嵐が巻き起こり、竜へと襲い掛かった。
一つ一つが突き刺さるようにして竜に殺到し、そのいくつかが翼に弾かれながらも、嵐のような猛攻が続き、やがて力尽きたように竜が倒れた。
一仕事終えたように少女達が男の元に駆け寄ると、お互いの健闘を称えあうような雰囲気でさっきまでの戦闘が嘘のように和やかに会話をしていた。
そして男が最後に一言何か言うと、少女達は笑顔で手を振った。
「ふぅ──あ」
もうスクリーンは真っ黒になって、何も映っていない。
「裕也君、ごめんもう来てたのか。ついつい長引かせちゃってね……ハハ」
「…………」
「裕也君?」
すまなさそうに頭をぽりぽりと掻く叔父。四十を越えているが、いつまでも童心を忘れないというか、いい意味で子供な人だ。父さんとはまた違った意味で尊敬している。この人は父さんの弟だが、むしろ親友といった感じの二人なんだ。全然雰囲気は違うけど、あんな、そう、一言で言うなら堅物の父さんと仲良くしている光景は若干引くものがある。
「あ、すみません、勝手にあがっちゃって」
「いやいや、こっちから誘ったわけだからね。っと、裕也君、今の見てたかな?」
「今のは、ゲームですか?」
僕が興味を示したからか、叔父さんは嬉しそうな顔で嬉々として語りだした。
「うん、AWMMORPGって言ってね、K-dexが開発した新しいタイプのオンラインゲームなんだ。このソファみたいなのでセットアップしてネットに繋ぐだけで第二世界っていうゲームサーバーにアクセスできるんだ。
今やってたのはβテスト版だけど今一番期待されてるオンラインゲームでね。『Material World Online』っていうゲームなんだ」
「なんだか、面白そうですね……」
「ほんとはやらせてあげたいんだけど、あいつに止められてるからね……。それはそうと、お腹空いてるだろう? どこか外で食べようか。どこがいい?」
「あ、だったら──」
この後叔父と外食に行って色々と話した気もするけど、僕は覚えていない。
この時既に、僕の頭の中は一つのことでいっぱいに溢れかえっていたから。