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その婚約破棄、喜んでお受けします。

作者: 遥彼方

「ドロシー! お前とは婚約破棄する!」


 私は卒業パーティ―の場で、高らかに叫んだ王太子に指を突きつけられた。彼の腕にはストロベリーブロンドの可愛らしい女生徒が、立派なお胸を押し付けるようにして立っている。


「婚約破棄ですね。喜んでお受けしますわ」


 うふふと笑って、パチンと扇を閉じる。


 私としては万々歳。もろ手を上げて歓迎である。


 私はドロシー・リアット。リアット公爵家の長女だ。王家と公爵家との政略で、幼い時からスペンサー王太子と婚約が結ばれている。


 のだが。


 このスペンサー。女好きの浮気男だ。

 十五の頃から王宮の侍女やら貴婦人やらを取っ替え引っ替え食い荒らしていたが。アカデミーに通うようになっては、貴族令嬢や平民を問わずだ。


 最近特にご執心なのが、今スペンサーに抱きついているリリー嬢。家名はない。三ヶ月前に特例で入学してきた平民である。


「私と婚約破棄となれば、王太子妃候補の座が空いてしまいますが」

「心配するな。聖女であるリリーが埋める」

「なるほど」


 このアカデミーは才能があれば身分関係なく門戸を開く。

 とはいえそれは建前で、財のないただの平民が入学しようとすると、とてつもなくハードルが高くなる。類を見ないほどの才能を持っている者しか入れない。

 リリー嬢は、とてつもない聖力を持つ聖女だった。


 聖女は世界に蔓延る瘴気を浄化し、人の住める環境を整え、豊穣を約束する。大変ありがたい存在なのだ。

 妻に迎えれば、民の支持が爆上がり。天候も安定するので作物の収穫量も移住者も増え税収も上がる。

 当然、聖女というだけで、王侯貴族は喉から手が出るほどほしい。


 平民であろうが、妃としての仕事をろくにできなかろうが構わない。いるだけで象徴として使えるのだから。


 その上リリー嬢は大変容姿も可愛らしかった。


 柔らかなストロベリーブロンド。染みひとつない白い肌に薔薇色の頬と唇。小さくて形のいい顔のパーツ。瞳だけはぱっちりと大きく、睫毛は長い。それなのにお胸はボンッ! である。


 幼い顔立ちの割に背が高いことを除けば、スペンサーのもろ好みのタイプだ。


 ちなみに婚約者である私には見向きもしない。招待したお茶会はすっぽかし、パーティーでは体面上エスコートはするものの、すぐ他のご令嬢と休憩室に引っ込む。


 理由は私が小うるさいことと、可愛げがないこと。そして一番の理由は、女性なら出るはずの部分が出てないこと。


 ええ、ええ。貧相ですとも。それが何か?


「俺はリリーとの真実の愛に目覚めたのだ。お前のような悪女より清廉潔白なリリーの方がふさわしい」


 清廉潔白ねえ。


 私はスペンサーの腕をがっちりと掴んでいるリリー嬢に視線を向けた。リリー嬢はふっとせせら笑う表情をスペンサーにやってから、顔を伏せた。もちろんスペンサーは気づいていない。


 稀代の聖女という鳴り物入りでアカデミーにやってきたリリー嬢は、その容姿も相まって大変モテた。


 政界の重鎮である宰相の息子、財界を牛耳る商人の息子、将来有望な魔法使いの卵、未来の剣聖と名高い逸材。

 そして王太子殿下。


 いずれも将来は国を背負って立つ五人を、たった三か月で篭絡したのである。

 清廉潔白という言葉よりも、ビッチの方がしっくりくるような所業だが、リリー嬢は見た目に反して男前な性格で、男子だけでなく女性とにも人気が高かったりする。


 リリー嬢が婚約者になれば、国民の支持と国政の安定、優秀な側近もついてくるのだ。私から乗り換えるのも納得というもの。


 あら。ひょっとしなくても私、分が悪いですわね。

 などと思いつつ、口を開く。


「私とスペンサー様の婚約は、王家と公爵家の契約です。勝手に破棄できるものではありませんが」

「問題ない。お前は罪人になるのだからな」

「まあ。何の罪でしょう」

「とぼけるな。お前は散々俺の家財や宝石を売り払い、横領していただろう。証拠があるんだぞ」


 王太子がぱちんと指を鳴らすと、控えていた宰相の息子が帳簿と書類を突き出した。


 王族には予算から個人にたっぷりと助成金が支払われている。スペンサーの言う『俺の家財や宝石』は助成金を使って購入していたので、勝手に売り払って、その代金を着服すれば国家予算の横領である。重罪だ。


「確かに売り払いましたね。帳簿の通りですわ」

「そら見ろ。お前はそういう女だ。この悪女め!」


 にっこりとうなずくと、勝ち誇ったような表情になった。


「ですが、売ったのはスペンサー様が一度も袖を通さなかった衣服と、デザインの古くなったアクセサリー。国庫のスペースにも限界がありますからね。不用品の処分ですわ。浮気をなさったスペンサー様に悪女呼ばわりされたくありませんけど」


「ふん! 男の浮気など甲斐性だ。王太子の婚約者という立場を利用して、俺の個人資産を勝手に横領した、お前の悪事と比べれば可愛いものだろう」


 うわーお。浮気は甲斐性ですって。皆さま、お聞きになりました?


 会場の生徒、教師陣の顔を窺えば、大抵の皆さまは眉をひそめ、一部はうなずき、一部はスペンサーを睨んでいる。


「不要な財産を処分するのが悪事ですか?」

「は! それだけならいいがな! 問題は売り払った金の横領だ。その金を賄賂としてセミタ商会に渡し、癒着していただろう。その証拠も帳簿に残っている!」


 セミタ商会は三年前に発足し、あっという間に大きな収益と勢力を誇った新進気鋭の商会である。

 帳簿にはセミタ商会への融資が記載されていた。私名義での頻繁な取引明細もある。


「うーんまあ、そうですわね」

「認めるのだな」

「ええ」


 あっさりとうなずくと、スペンサーは鼻を高くした。

 これ以上ふんぞり返ったら、ひっくり返ってしまうんじゃないかしら。


「まだあるぞ。魔王と結託して我が王家を滅ぼそうとしているだろう!!」

「ま、魔王」

「なんて恐ろしい」


 ざわっ。『魔王』という単語に、会場が騒然となった。警護にあたっていた騎士たちが抜刀し、私に剣先を向ける。


 魔王とは、瘴気を生み出す魔族の王。聖力で瘴気を浄化する勇者と聖女とは、真逆の存在だ。

 魔族の生み出した瘴気は空と大地を汚し、生態系を狂わせる。忌むべき種族である。古来より人は自分たちの生活を守ろうと、魔族と戦い続けてきた。


 その魔王と結託するなど言語道断である。


「‥‥‥結託というのは語弊がありますけれど、友誼・・でしたら結んでいますね」


 私のすぐ後ろに控えている侍女が、緊張に体を硬くしたので、大丈夫だと扇で軽く小突いておいた。

 なぜかびくっと怯えられた。失礼な子ね。


「分かっているのか。魔王に与するなど国家反逆だぞ。いや、世界の敵だ!」

「あら。我が国とも世界とも敵対などしておりません。むしろ国と世界を救った側です」

「この期に及んで何を言う」

「だって本当のことですもの」


 さて。そろそろ種明かしといきましょうか。

 ぴりぴりとした空気の中、私は反撃を始めることにした。


「まず、スペンサー様の財産を売ったことですが。スペンサー様が湯水のようにお使いになるから、助成金が底をついておりましたの。毎月赤字でしたわ」


 色街で高級娼婦を侍らせては、ぼったくりなお酒を飲みまくり。カジノではカモ。

 お気に入りのご令嬢たちにも、景気よくドレスや宝石を買ってあげていましたもの。


「はあ? そんなはずは‥‥‥」

「あら。証拠をお集めになったのなら、分かっているはずですが。ちゃんと確認なさりました?」


 スペンサーが慌てて帳簿と書類を確認する。毎月残高はなく、複数の借用書があった。


「た、確かに、かなり苦しかったようだな。だが、売り払った金を返済に充てた形跡がないぞ」

「当り前です。そのまま返済に充てても焼け石に水。その場しのぎにしかなりませんもの」

「だから横領したのか」

「したといえばしましたわね」

「そらみたことか!」


 魔王の首でも取ったような顔で私を指差す。


「よくご覧になって。家財や宝石を売ったお金よりも、もっと高額の返済証明書がありますでしょう」

「へ?」


 ぽかんと口を開けてから、分厚く積み重なった書類をめくった。


 ああ、やはり全部見ていなかったんですわね。

 ま、そう思って書類の束の真ん中に差し込んでおいたのですけれど。


「ど、どど、どういうことだ」

「どういうことも何も、再三言っておりましたでしょう。帳簿も書類も隅々まで確認して、精査なさいませ、と」


 小うるさいと言って、聞きもしませんでしたけど。


 私を断罪しようという、大切な局面でさえ確認を怠るだなんて。きっと私は殿下にとって、取るに足らない存在だったのでしょうね。


「他にも、売り払った金を横領し、その金で商会と癒着と言いましたわね?」

「?」

「癒着ではありません。売ったお金を資金に、私が商会を立ち上げたのですから。癒着というより、私が商会主そのものです」

「は?」

「私は商会を立ち上げ、商会で得た利益を返済に充てて差し上げていたのです。返済だけでなく、その後も大きな税収と私が開発した魔道具の利益の配当金が入っております」


 ほら、ここに、と閉じた扇で差せば、スペンサーはぎぎぎっと音がしそうなぎこちなさで、血走った目を書類に走らせた。


「ああ、言っておきますけど、スペンサー様の私財を売ったお金を商会への運用することは、予算編成をされている財務大臣閣下と王妃殿下の了承を得ております。でなければ横領ですもの」


 本当に詰めの甘い方。いえ、詰め以前ですわね。

 でもね。スペンサー様のそういうお馬鹿なところ、私は嫌いではありませんでしたわ。


 女好きで、私の努力をちっとも顧みずにぞんざいな扱いをしても。愛情がなくても。別に良かったのですよ。

 商会の配当金で、殿下の助成金を維持していたように。殿下がいくら散財しても、国政に興味がなくても、私がなんとかすればいいと思っていました。

 国家予算となれば助成金とは規模が違いますけれど、根本は同じですし、専門の大臣もおります。国王が少々お馬鹿でも、周りが優秀であれば国は回せます。実際、お父上である現国王陛下は、殿下にそっくり。女好きで遊んでばかり。王妃殿下と重鎮たちが国政を担っておられます。


「私はスペンサー様にもきちんと報告いたしましたよ。分かった分かったと聞き流して、内容も見ずに判を押されておりましたけど」

「な。そ、それは」

「そのくせお金が足りなくなれば、私の管理が悪いと責め立てるんですもの。これ以上予算を組めないと王妃殿下に言われておりましたし、自力で増やすしかないでしょう」


 それなのにスペンサー様は、私を罪人に仕立てあげようとしたのです。

 そんな方と、一生連れ添っていけますでしょうか。私は無理です。


「最後に魔王との結託ですが」

「それだ!!」

「魔王とは結託でも与したのでもありません。魔王とは交渉の末、友誼・・を結んだのです」

「凶暴で好戦的な魔王が交渉などに応じるわけないだろう」

「そんなことありませんわ。歴史上、魔族との戦は開戦と停戦の繰り返しです」


 人が魔族を根絶させることは無理だが、魔族もまた、人を根絶させることはできなかった。

 魔王が現れては、魔族は瘴気を増大させて人を蹂躙するが、呼応するように勇者が現れて魔王を倒すからだ。


 魔王が倒れると今度は魔族が劣勢になるのだが、その時には人に甚大な被害が出ている。ゆえに数十年はお互いに不可侵の停戦協定を結んで回復に努める。


 前魔王は六十年前に倒れ停戦中だが、今年に入って新しい魔王が現れた。近々人の国々に攻めてくるはずだが、まだ勇者は公に現れていない。


「詭弁だ! 停戦は人間側に勇者が現れて、魔王を倒した時だけじゃないか。お前にできるわけがない。魔王と結託し、嘘で丸め込み、王国を乗っ取ろうとしている悪女め。国賊め。このスペンサーが成敗してくれる!」


 懐から短剣を取り出し、スペンサーが私に向かってきた。否。向かおうとしたが、令嬢が腕を離さなかったため、向かえなかった。


「ああ、リリー。大丈夫だから手を離せ」


 勘違いしたスペンサーが、リリー嬢の手を振り払おうとする。スペンサーにひしと抱き着いている、可憐なリリー嬢がふるりと震えた。

 かのように見えた。


 震えたように見えたのは、残像で。

 手を掴んだままのリリー嬢のドレスとスペンサーの体が、くるりと宙を舞っていた。


「さっきから黙って聞いてりゃ、この馬鹿が!」

「ぐぇっ!?」


 いつものソプラノな裏声ではなく、ドスの効いたテノールが響いた。


 ダン! と派手な音を立ててスペンサーが床に打ちつけられる。その背にリリー嬢のヒールがぐりっと押し込まれた。もちろん手を掴んだままなので、後ろに捻り上げる体勢で背中をヒールでぐりぐりやられている。


「「「えっ」」」


「痛い、痛い、痛いっ!!」


 目を丸くする聴衆と騎士たち。泣き叫ぶスペンサー。スペンサーの背中を踏み続けているリリー嬢。

 カオスである。


「リチャード様。その辺にしてあげてくださいませ」


 痛がるスペンサー様の姿は正直スカッとしますが、このままだと事態の収拾がつきません。

 私はため息交じりに、リリー嬢‥‥‥いえ、リチャード様をたしなめました。


「嫌だね。君にしたことを思えば、こんなもので足りるか」

「ええと。お気持ちは嬉しいですが、スペンサー様にはほら、まだ王太子の廃嫡とリチャード様暗殺未遂による投獄という断罪が残っておりますので」

「痛っ! り、リチャードだと!?」


 渋々といった体でリチャードが足をどけると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったスペンサーが、首を捻じ曲げてリチャードの顔を見た。

 足はどけたものの、手を後ろに捻り上げたままなので、そうせざるを得ないのだ。


「リリー? リリーがリチャード? 嘘だろ」


 二重のショックでスペンサーの顔色が土気色になった。

 可愛い女の子だと思ってたら男で、自分の腹違いの弟だったのだから。しかも自分が暗殺したはずの弟となれば、それはそれは驚くと共に血の気が引くだろう。


「リチャード第二王子殿下‥‥‥!?」

「二年前に行方知れずになったという?」

「生きておられたのか」


 スペンサーは亡き正妃の子で、リチャードは後妻に入った現王妃殿下の子である。

 現王妃殿下は正妃の顔を立ててご自分の子であるリチャードではなく、スペンサーを王太子に推していた。リチャードの方が優秀で、貴族や民の支持を得ていたにも関わらずにだ。


 当然スペンサーはリチャードをよく思っておらず、何かにつけて目の敵にしていたが。

 ついに二年前、視察に出ていたリチャードを事故に見せかけて、馬車ごと崖から転落させたのだ。


 ただちに救助と捜索が行われたが、壊れた馬車とこと切れた馭者が見つかっただけで、リチャードの行方は分からなかった。

 川に落ちて流されたのだろうと推測され、崖の高さからして死んだものと思われていた。


「女装しているとはいえ、至近距離で見て気づけ。この色呆けが」


 本当に。

 かつらとお胸以外は、化粧もしていらっしゃらなかったのに。それで違和感がないほど可愛らしいリチャード様も大概ですけれど。


「は? む、胸は‥‥‥!」

「一番に気にするところがそこなのか。偽物に決まっている。まあこれは、気づけないだろうがな」


 ピンクブロンドのかつらを取ったリチャードは、ドレスの胸元にずぼっと手を突っ込むと、すぽんと特製パットを取り出した。リチャードの肌色だったパットは、半透明な水色に変わって、ぷにょぷにょと揺れる。


「我がセミタ商会の新商品ですからね」


 ふふふ。女性たちからの熱い視線を感じます。この商品もヒット間違いなしですわね。


 自然な弾力は魔族の一種であるスライムの特性を生かしたもの。肌色を完璧に再現するのは、色替えの魔法だ。発案は私で、開発者は魔法使いの卵くんだ。


 政界の重鎮である宰相の息子、財界を牛耳る商人の息子、将来有望な魔法使いの卵、未来の剣聖と名高い逸材。

 将来を背負って立つであろう有能な人材である彼らを、リチャードはたった三か月で口説き落とした。


 あ、ちょっと男性たち。なぜ私の胸を見て‥‥‥ち、違いますわよ。確かに今日はちょっとだけこのパットで盛りましたけども。新商品の使い心地を試しただけですわ。この商品の開発だって、世の女性たちのコンプレックスを無くしてさしあげたかっただけで、決して自分のためではありませんわ。


「こほん。話しを戻しましょう。魔王との交渉の末の友誼ですけれど。魔族の作法に則って、拳での交渉をいたしましたの。結果、リチャード様が魔王を圧倒されまして。快く停戦ではなく和平を受け入れてくださいましたわ」

「でたらめを言うな」

「でたらめではありません。ね? 魔王陛下」


 にっこりと後ろの侍女に視線を移すと、侍女あらため魔王陛下が変化を解いた。黒髪黒目、黒い翼と角を持つ美丈夫の姿になる。


「ドロシー殿の言う事は本当だ。そこの男と彼女はたった二人で我と魔族をボコボコにしおった」


 もともと蒼白い顔をさらに蒼くさせた魔王が、ぶるぶると震えながら首肯した。そんなに怯えなくてもよろしいのに。


「そんな馬鹿な。勇者でもない限りそんなことは不可能だ」

「俺はその勇者で、彼女は聖女だからな」

「は?」


 アカデミーの入試でリリー嬢が示した莫大な聖力は、聖女ではなく勇者のもの。

 勇者も聖女も使用方法が違うだけで、同じ聖力なのだ。


「本来なら魔王を殺し、数十年の停戦だが。慈悲深い聖女と俺は、魔王を生かしてやったのだ。魔王は感激し、喜んで和平を受け入れたぞ」


 魔王城を中心に境界線を定めた。境界線には私の聖力をたっぷりと込めておいたので、簡単には越えられないし、越えればすぐに分かる。


「ドロシーが聖女? そんなことは今まで」

「聖力が発現したのが二年前ですので」


 二年前、『ともしびを助け、御しなさい』との女神の啓示を受け、崖の下で瀕死のリチャードを発現したばかりの聖力で治癒した。リチャードが回復し、力をつけるまで匿った。


 なんとも抽象的な啓示だったが、何をすればいいのかは直感で分かった。


 匿っている間に、弟のような親愛が、恋情に変わってしまったのは誤算だったが。


「わ、悪かった。婚約破棄はなしだ。やり直そうっ」

「もう遅いですわ。ここでの一部始終を、皆さま見ておられますの」


 チャンスは何度も差し上げていたのに。振り払ったのはご自分です。


 私は上を指差した。

 そこには映像と音声を繋ぐ魔道具が設置されており、両陛下と国の重鎮が映し出されていた。


「スペンサー。わたくしは貴方を本当の息子と思い、接してきましたが。そう思っていたのはわたくしだけだったようですね」


 悲しそうな王妃殿下の声が静かに響く。


「スペンサー。お前を王太子から廃嫡、リチャードを立太子する。また、第二王子暗殺未遂の罪で幽閉。一生出られぬと思え」


 国王陛下が苦々しく処分を告げると、映像が消えた。



****


「はー、すっきりしましたわ!」


 淡い月光をまとい、大きく伸びをしたドロシーを、女装を解き、本来の姿に戻ったリチャードは眺めた。

 昼間の太陽の下のドロシーも輝いているが、月明りの下のドロシーも眩しい。


 リチャードは夜空を見上げた。


 女神の啓示というのは気まぐれだ。


 生まれた時から第二王子という立場で、それを超えることは許されなかった。リチャード自身も納得していた。


 別に国を背負う気はなかった。

 無能であろうと周りが優秀であれば国は立ちゆく。あくまで自分はスペアで、よほどのことがなければ正妃の子である兄が継げばいい。

 そう思っていた。

 思うようにしていた。


 それなのに。


 どんなにないがしろにされていても、凛と振る舞う彼女が。誰もいない神殿奥の女神像の前で、そっと涙を流すのを見た時。心に強烈な火が(とも)った。


 心に蓋をしていただけで、(ともしび)は己の奥でくすぶっていたのだろう。


 胸に灯った火が燃えさかり。

 あまりの熱さに飲み込まれかけた最中。

『光を得たければ、死を超えよ』という啓示を受けた。


 光が何を指すのか。直感で分かった。

 女神像の前で涙を流すドロシー。天窓から射し込んだ光が、彼女を包んでいた。


 そしてリチャードは、スペンサーの襲撃計画を利用(・・・・・・・)して死を超えた。


「ドロシー。俺はスペンサーのように浮気は絶対にしない。君しか愛さない。君しか見ない。君の声しか聞かない。君にしかこんなことは言わない」


 一気に火が灯ったように、青白い月光の下でも分かるほどドロシーが赤くなった。


「愛している。俺と結婚してほしい」

「喜んでお受けしますわ」


 差し出した手の中に落ちてきた、白く小さな手を掴み、引き寄せる。唇を重ねれば、焦がすほどの熱と、柔らかな光が溶けあった。


 俺の光。俺の聖女。俺の火を御せるのは君だけ。

 この胸の灯が全てを焼き尽くしてしまわないよう、俺を包んでいてくれ。

 灯が消えるその日まで。

お読み下さりありがとうございます。


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