コンペイトウ畑に立ち入らないでください
首にタオルを巻き、地面に膝をついて、ゴム手袋を装着した手で雑草すら生えていない畑の土を30センチほど掘り返す。土の中に埋まっている、パステルカラーのキラキラしたコンペイトウを、一つ一つ慎重に指先で摘んでは傍らのプラスチックバケツの中に入れる。バケツの中のコンペイトウと、投げ入れたコンペイトウがカチンと音を立てて衝突した。それらはホタルのように淡く発光して流砂となり、バケツの底へと流れ落ちていった。
そんな作業を今日も朝九時半からやっていたものだから、腰が痛くなってきて、立ち上がって腰に手を当てて伸びをする。市役所の職員の平均年齢からすればかなり若い部類に入る私だけど、中腰の体勢をずっと維持するのは相当にしんどい。昔の日本人は稲の苗を一本ずつ手作業で植えていたというのだから全く尊敬する。それが仕事だからやるしかないのだけど… そう。私もこの退屈な作業をひたすらに続けるしかないのだ。日差しよけの麦わら帽を外して、タオルで首筋の汗を拭い、帽子を被り直してまたコンペイトウを掘り返す作業へと戻る。
四年前、火星探査機『ブライテン』が地球へと持ち帰った有機生命体肥料、MOF-22(いわゆるコンペイトウ)について、農林水産省のホームページには以下のように掲載された。
>火星探査機によって発見された新型有機生命体肥料22型(以下MOF-22)は土中の水分、窒素、リン、カリウムなど数種類の物質を強力に固着することにより植物の成長を促進します。MOF-22自身が植物に影響を与えないため、人体および生態系への影響は極めて小さいと考えられています。畑に対する使用だけではなく、砂漠などの緑化にも有用であることが示されています。
>MOF-22は衝撃を与えると固体から砂状へと変質し、砂状になったMOF-22は栄養が潤沢な環境に置かれると体組織が再構成されます。この際に栄養状態によっては元の個体数よりも増殖する可能性があります。この特性により、市販の液体肥料などを用いることによって誰でも容易にMOF-22を増やすことが可能です。
>MOF-22は塩酸などの強酸に浸漬させることで溶解して死滅します。この性質により比較的用意に処理することができますが、強酸は危険物であるため取り扱いには十分に注意しましょう。また強酸溶液を処理する際には下水に流さずポリタンクに貯蓄し、各自治体の指示に従って正しく廃棄しましょう。
「おい、姉ちゃんよぉ」
私が地道にコンペイトウの駆除作業を続けていると、隣の畑で私と同じように作業を続けていた藤嶋さんが大きな声で話しかけてくる。私は一旦手を止めて、声のする方を振り返ると、藤嶋さんはあぜ道に座って、ゴボウのような黒く細い腕でバケツの中のコンペイトウをかき回して手遊びをしていた。彼が着ているランニングシャツは、元は真っ白だったのだろうが、特に襟ぐりの部分が汚らしく黄ばんでいる。
「はい、なんでしょう」
本当なら無視をして早くコンペイトウの駆除作業を終わらせたかったのだけど、怒らせるとめんどうくさいので、できるだけにこやかに応対する。
「俺の爺さんは豪農やって。知らなんだか? 苗代村の藤嶋ゆうたら隣の村まで探しても知らんもんはおらんゆうくらいの名家やって。ほんでこない立派な瓦屋根の邸宅を建てて、小作人もようけ囲いよったゆう話を散々聞かされてのぉ」
また藤嶋さんの長い昔話が始まった。私は生まれも育ちもここ多賀浜市だけど、両親の出身は他県なので、そういう話を聞いたことはない。全く興味が湧かないし、話の着地点が見えないけれど、一応ふんふんと相槌を打つ。
「…ほんで俺ぁ藤嶋家の長男だもんで、この畑を受け継いでよ、小せころの友達はこんな田舎にはおれんゆうて都会に出たもんも大勢おったけんども、俺はここで嫁さんもらって、昔のように羽振りがよくはならんけども必死で、雨の日も風の日も、必死でご先祖様の努力を無駄にせんようにちゅうて」
私のような公務員は、市民の声をこうやって聞くことも義務なのだろうか。私は直立不動で、できるだけ神妙な顔を作って少しでも早く話が終わるように祈る。
「あんたらが収穫量増えますぅ害はないですぅゆうたから俺はコンペイトウさ撒いたのに、せやのに四年でこの有様ちゅうのはいくらなんでもなぁ」
そう言って、藤嶋さんは大きな大きなため息を付いて、がっくりと肩を落とした。私のせいでは決してないのだけれど、藤嶋さんの丸まった背中があまりにも哀愁を帯びていたものだから、「すみません」という謝罪が口をついて出る。それを聞いた藤嶋さんは、少し困ったような顔で、
「いや、あんたに謝ってほしかったわけでのうて。気ぃ使わせて、すまんかった」と謝った。
ようやく藤嶋さんの話が終わった。せっかく立ち上がったしバケツも結構一杯になってきたので、軽トラの荷台まで駆除したコンペイトウを持っていこう。そう思って地面のバケツを持ち上げると、座っていた藤嶋さんも立ち上がった。これまで真面目に作業をしていた証に、藤嶋さんのバケツにもたくさんのコンペイトウが入っている。
「藤嶋さんのも持っていきましょうか?」
私がそう尋ねると、藤嶋さんはかぶりを振って、
「ああ、これ結構重いんやって。自分で持ってくよ」と答えた。
私たちは道路の脇に止めてある軽トラまで藤嶋さんのペースに合わせてゆっくりと歩いてコンペイトウを運びに行く。
「それにしてもなぁ、あんたも大変やの。多賀浜市役所ゆうたら駅の向こう側やろ。わざわざこんな山の麓まで派遣されてよ。なんだ、農務課だっけか。同僚はクーラーのなぁ、ようけ効いた部屋で左うちわで仕事しとんのやろ」
「あ、農務課で合ってます。まぁ、公務員ですからね。上に言われたら逆らえないですから」
「あんたの責任なんか一切あらへんのになぁ」
「まぁ… 誰かがやらないといけないですからね…」
「あの農林水産省の大臣がようわからん肥料を推進したのが原因でねんか? 自分で駆除せえっちゃ」
ハハと愛想笑いをする。私もあの丸々と太った元農林水産大臣は好きではない。
年季の入った軽トラのところまでたどり着いて、荷台に鎮座している金属製のコンテナにバケツの中身をぶちまける。
「あーあ、俺ももう歳やけど、息子は名古屋行って帰って来んやって、このまま廃業でもええかもしれんね。あんたもうちんとこの畑にかまけんと、役所に戻りぃ」
「何言ってんですか。どうせやらないといけないんですから、早く終わらせてまた何か植えましょう。ほら、バケツ貸してください」
藤嶋さんのバケツも同じようにコンテナに空ける。その多くがカラフルな砂粒へと変化する。
そう。たとえ藤嶋さんが廃業しようが、生態系への影響を最小限に留めるためにこの作業を止めるわけにはいかないのだ。この辺り一帯のコンペイトウを取り除き、この軽トラで山の中腹にある処理場まで運んでコンペイトウを廃棄してもらう。そこまでが、私の目下の仕事だ。藤嶋さんがコンペイトウの駆除をあきらめてしまったら、私の作業が多くなってしまって困る。
こんな単純作業、本当は外注に出したいのは山々なんだけど、コンペイトウの駆除にはものすごい時間がかかるし、その分人件費も嵩む。それに、コンペイトウの使用を推奨した公務員が率先して後始末をしないと、反感を買ってしまう。
空になったバケツを渡すと、藤嶋さんはまた喋りだした。
「そういえば、うちの孫が、今度一六歳やで、俺よりもよっぽどインターネットを使いこなすんにゃけど、コンペイトウによる作物の被害はアメリカの陰謀いいよるんや。税金を大量につぎこんだ火星探査計画の成果を分かりやすぅ提示したいやって、危険性を公表せんかったんやって。あんたはどう思っとる?」
来た道をゆっくりと引き返しながら、藤嶋さんが質問してくる。こういう質問はよく市役所の電話にもかかってくるし、否定するのは簡単なんだけど、そういう人たちは妙に頭が凝り固まっていて聞く耳を持たない。藤嶋さんはそうではなさそうだけれど、お孫さんはどうなのだろう。
「そういう色々な眉唾物の話はインターネットに転がってますけど、全部デマですよ。アメリカだって結構な被害を被ってるんですから…」
「そうだよなぁ。悪気があったわけじゃあねぇよなぁ。にしてもなぁ、やりきれんよ。ご先祖様に申し訳が立たねぇ。いっそ、アメリカや総理大臣やらを恨めりゃあ楽なんだが」
「…大丈夫ですよ。来年には、また元通りですって」
いつまでも老人の愚痴に付き合ってるわけにもいかないので、話を切り上げて、また元の畑に戻って空になったバケツを置いて作業を再開する。ひとつひとつ、地面に埋まったコンペイトウを拾っては捨て、拾っては捨てを繰り返し、次第に太陽は高く上がって、首筋を強く照りつける。
火星探査機『ブライテン』の地球への帰還は盛大な拍手でもって迎えられた。火星極地の地中に存在する氷を地球に持ち運ぶ試みは世界初の偉業であり、最終的に米国航空宇宙局は五千億円以上の費用をこのプロジェクトに投資することになったが、その成果、とりわけ地球外生命体MOF-22の存在は、学術的な価値のみならず、アメリカにもたらした利益は易々と費やしたリソースをペイバックできるものであった。
MOF-22はその量産性の高さや農業用肥料としての適性の高さから、またたく間に世界中に広がった。MOF-22をばら撒けば、一年以内に砂漠は草原へと様変わりした。
MOF-22は、当初は強い衝撃によってしか増殖しないと考えられていた。それは数々の実証実験によって明らかになっていたはずだった。故に、増殖しすぎることによる生態系への被害はほとんど起こり得ない。日本では大地震による増殖は懸念されていたが、それでも土中成分におけるMOF-22の体積割合は0.02%以下に抑えられるとの試算だった。
しかし、それは間違いであった。三年前、まるでイナゴが大量発生するかのように、想定を遥かに超える勢いで世界中のMOF-22が大増殖を始めた。土中の増殖に必要な元素をすべて食い散らかすか、3ヶ月におよぶ増殖期を抜け出すまで、大増殖を止めることはできなかった。MOF-22は体表に存在する棘のような器官に大量の水分やリン、窒素などの物質を吸着し、そこからほんの僅かだけ吸収して自身の生命維持活動に充てる。MOF-22が増えすぎた土壌では、植物に分け与える栄養は残らない。
現在、科学者が様々な方法で効率的にMOF-22を駆除する方法を模索しているが、MOF-22に物理的衝撃を与えられないという特性上、機械的に駆除するのも難しく、農薬のような化学物質で駆除しようにも、農地の土壌への影響が少ない薬品はまだ開発できていない。MOF-22駆除の研究が世界中で始められて一年が経つが、未だに人間が手で掘り返す以上の効率はまだ達成できていない。
時刻は午後三時を回って、この時間になってくると、私の腰はもう悲鳴を上げていて、立ったり座ったりを高頻度で繰り返さなければならなくなるので、作業効率はぐんと落ちる。隣の畑を見ると、藤嶋さんはいつの間にかいなくなっている。多分、今日はもう切り上げたのだろう。藤嶋さんにとって畑は大切な仕事道具だけど、私と違ってコンペイトウを拾う作業が仕事なわけではないから、いつも体がしんどくなった時点で切り上げて、さっさと家に帰ってしまう。畑に関しては、半ばあきらめているのだろう。私だってあきらめて、一気に畑のコンペイトウ全てが回収できるような新技術が開発されるのを待ちたいけれど、これが私の仕事だから終業時間までは頑張って拾い続けないといけない。
朝からずっと鳥の声と藤嶋さんの声しか聴いてなかったけど、遠くの方から笑い声が聞こえてくる。顔を上げると、鴨谷小から下校してくる子どもたちの姿が遠くに見えた。小学校から真っ直ぐ家に帰ろうとするととこの道は通らないはずだけど、今日は道草を食っていくらしい。道の横幅いっぱいに広がって、もつれ合いながら歩いてくる彼らの姿は悩みなんて一つもないかのようにとても楽しそうで、自分の現状との差に嫉妬心がむくむくと湧き上がってしまう。
鴨谷小学校は、ここから三キロほど離れたところにある歴史のある小学校だけど、少子化の煽りを受けて生徒数は減少の一途を辿っている。最近では生徒数が全校で60人もいないみたいだけど、その大半は比較的栄えている駅方面に住んでいる子たちばかりで、農地しかないこっち側に帰ってくる子供は輪をかけて少ない。しかし、そのおかげと言うべきか、下校してくる六人の子どもたちの集団は学年や男女の垣根を超えて仲がよく、そしてみんな一様に悪ガキだった。
私はコンペイトウを掘り返しながらも、横目で彼らを観察する。私が気づいていないとでも思っているのか、彼らはコンペイトウがどっさり入ったコンテナが積まれたトラックへふらふらと近寄っていき、その中の一つを手に取ったようだった。さすがにコンペイトウの危険性は知っているのだろう、はじめのうちは、コンテナからコンペイトウを拾って、それをまたコンテナに投げ入れて遊んでいた。コンペイトウは見た目だけはお菓子みたいにカラフルできれいだし、固体だったものが衝撃を与えるだけでぼんやり光って砂状に変化するというのは、初めて見た時は私だって面白いなと思った。今となってはそんな性質、ただただ鬱陶しいだけなのだけど。だから、そうやって遊んでいるうちは、私も気づいていないふりをしていた。だけど子供の遊びというものは得てしてエスカレートしていくもので、私がしばらく目を離してコンペイトウ拾いに集中していると、ふと見たときには子どもたちはコンペイトウを投げあっていた。
面倒だからと、それまで全く注意しなかったのも悪かったのかもしれない。投げられたコンペイトウの一部は、きっと道路にぶつかって粉々になって、またそれを私が拾わなければならなくなる。本日何度目のため息だろう。私は大きく息を吐いて、膝を鳴らし、トラックの方へと駆け出す。
「こら! やめなさい!」
私は声を張り上げる。麦わら帽を被って首にタオルを巻いた今の格好だと、迫力が全く出ない。それでも、子どもたちはしまったというような顔をして、握りしめた手をこっそりと自分のポケットにつっこんで俯く。
小学生の人数は全部で六人。その中の、最年長と思われる体格の良い男の子に近寄る。
「君たちさぁ、これがなんだか知ってるよね」
「はい」
私が怒気を含んだ声で詰め寄ると、青い顔で俯いた男の子が、蚊の鳴くような声で答える。
「これが今田んぼや畑をダメにしてて、取り除かないといけないってこと、学校で習ってるよね」
「はい」
「君たちがやってること、立派な犯罪だからね。鴨谷小学校の生徒だよね?」
私がそう言うと、彼らは顔を見合わせた後、示し合わせたように走って逃げていく。炎天下の作業でくたくたな私は追いかける気になれず、去っていく彼らの背中を眺めていると、しんがりを走っていた小さな男の子が道の真ん中で転んでしまった。それに気づいた上級生は、私の方を振り返って追いかけてきてないことを確認してから、転んだ子の手を取ってまた歩きだした。
子どもたちの姿が米粒ほどにちいさくなってからややあって、私はおしりのポケットから私用のスマートフォンを取り出して、鴨谷小学校を検索し、その電話番号に電話を掛ける。小学生とはいえ、このまま放置するわけにはいかない。
「もしもし、鴨谷小学校の的場です」
電話口からは中年男性の声がする。
「多賀浜市役所農務課の笹塚と申します」
「お世話になっております」
「今苗代地区の方でコンペイトウの駆除作業をやっていたんですけど、お宅の生徒さんが駆除したコンペイトウを投げ合って遊んでまして、注意の方お願いできますかね」
「あぁ〜。すいませんねぇ。厳重注意しとくんで、ご容赦願えませんか」
「はい。じゃあ、お願いします。失礼します〜」
「はい〜。失礼します」
ごく簡単な問答を終え、失礼しますの語尾を言い終わらないくらいのタイミングで電話が切れる。電話に出た先生の声は、私に匹敵するくらい気怠げで、同じ公務員同士、お互いに大変なんだなぁと変な仲間意識が生まれる。
私は小学生の後始末をするため、舐めるように道路を観察する。這いつくばって、視線地面と平行になるような形にすると、コンペイトウ特有のキラキラとした輝きが反射して見える。この程度の量なら、掃除機を持ち出して今すぐに砂を回収しなければならないというほどでもないだろう。きっと、明日には大部分のコンペイトウがまた固形に戻っているはずだ。
彼らは思ったより彼らは控えめだったみたいで、危うく許しそうになったけど、そういえば彼らは最後に握っていたコンペイトウをポケットに隠したのだった。あれも回収しておけばよかった。目につかない所に捨てていなければいいんだけど…。
悩みのタネがまた一つ増えて、なんだかもう働くのが面倒くさくなって、今日はもう切り上げようと心に決める。今から収集所に行って、市役所までゆるゆると戻れば、5時は過ぎるはずだ。私は諸々の道具をトラックに積み込んで、エンジンを掛ける。
最近では、マニュアルの軽トラの運転にもだいぶ慣れてきて、オートマ車に乗ると逆に左足が落ち着かないくらいだ。沈みかけた太陽が薄紫色に染めた空の下、田舎の一本道を軽トラは走ってゆく。元々何もなかったのに、コンペイトウのせいでさらに何もなくなってしまった多賀浜市だけど、軽トラのフロントガラスから見える田舎の原風景は未来に残したいと思う。
主に私の活躍によって、多賀浜市苗代地区のコンペイトウはそのほとんどが駆除された。しかしわずかに残ったコンペイトウは、身の危険を感じたのか、まるでスライムが集まってキングスライムになるみたいに、一つの塊へと合体した。その姿は、頭だけがスイカ大のコンペイトウで、体は細身のグレイ型宇宙人のようで、なんとなく愛嬌がある。たびたびテレビのUFO特番なんかで噂される宇宙人は、実はコンペイトウだったのかと合点がいった。
こいつを倒せば、もう多賀浜市でコンペイトウの駆除をする必要がない。そういう確信があった。長い長い戦いの締めくくりに、コンペイトウに対峙するはもちろん我が市役所の農務課メンバーの6人だ。
他の人達は機関銃やバズーカを持っているけれど、私は一番下っ端なので包丁でしか武装していない。それでも、私は一人でここまで頑張ってコンペイトウを追い詰めてきたのだ。とどめは私が刺す。そういう気持ちでコンペイトウのつるつるとした灰色の体に刃を突き立てると、コンペイトウの化け物はサラサラと砂状に崩れ落ちてやがて消えていった…
という夢で目を覚まし、時刻は午前7時10分。妙ちくりんな夢はコンペイトウを駆除できたという達成感だけを残していったけど、実際はそんなことが現実に起こるはずもなく、今日もコンペイトウは静かに畑の中に身を潜めて私を苦しめる。実際の所、苗代地区だけでもまだ六割程度しか駆除は完了していなくて、それが終わっても他の地区に回されるのかと考えると先が思いやられる。
市営アパートのワンルームの狭いキッチンで作り置きのスープを電子レンジで温め、予約炊飯をしておいたご飯と一緒に立ったまま流し込む。つい一年前までは、日本の食料自給率は100%を超えていて、まさしく飽食の時代へと突入したと思っていたのにこの変わりようだ。スープの中の具は野菜の切れ端と少しばかりの大豆が入っているだけで、ましてや肉なんて高すぎてとてもじゃないけど買うことはできない。まるで戦時中のような食事をすすって、昔はよかったと懐古趣味の老人のように愚痴りたくなってくる。
今日は比較的早く起きれたので、ご飯を食べ終わって、ふかふかの座椅子に座ってスマートフォンでニュースを見る。しかし、世界のニュースを見ていると、日本の現状は先進国の中では酷い有様だけど、新興国と比べれば日本はましな部類に入るように思う。本当に大変なのは、食糧事情の改善による人口爆発が起きた矢先に食糧供給が途絶えた、アフリカやアジアの新興国だ。そういった国々での貧困層の家庭の多くは、家族のメンバーの中で最も年少の、コンペイトウが広まった後に生まれた赤ん坊を見捨てることを選択した。そういうニュースを見る度に、私の胸はキュゥっと痛んで、居ても立っても居られないような気分になるけれど、そういう気分になるだけで、実際は目の前のことに手いっぱいで何もしてあげることができない。そうなるたびに、私は「日本だって、多賀浜市だって大変なんだから」と心の中で言い訳をする。「誰も予想なんてできなかったんだから」と。
…本当に予想できなかったのだろうか? 昨日藤嶋さんに言われた、「コンペイトウを売って儲けたいアメリカの陰謀だ」という話が蘇る。公式発表では、惑星探査機が火星の氷を地球に持ち帰ったときに初めて、コンペイトウという地球外生命体の存在に気が付いたと言われている。
つまり、意図的にコンペイトウを狙って採取したわけじゃないということで、火星上では他の生命体が全く見つかっていないのにも関わらず、コンペイトウだけが火星の氷に大量に含まれていた可能性が高いということだ。これはつまり、火星の他の生物をコンペイトウが駆逐したと考えるのが妥当なんじゃないか。
日本以外の先進国に目を向けると、アメリカは州によっては条例でコンペイトウが禁止されているから、壊滅的というほどではなかった。EUは、国ごとに法律が違ったから、EUの経済圏全体で見ればそれほどの打撃ではなかった。中国は、政治的な方針だろうけど、最初から禁止していた。その一方で日本は、他国に先駆けて全国の田畑にコンペイトウをばらまきまくっていた。
もちろん、コンペイトウは簡単に増やせるから、禁止されている地域でもこっそりと使われていたみたいだけど、それでも日本の現状よりはよっぽどましらしい。もしかしたら、アメリカ政府と日本政府の間で何かしらの密約があって、日本はコンペイトウの実験場にされたとか…?
そこまで考えて、私は首を横に振って、よからぬ考えを打ち消す。公務員がこんなことを考えていても仕方がない。私にできることは、一つ一つコンペイトウを駆除することと、一刻も早く画期的な駆除方法が見つかることを祈ることだけなのだから。
そんなことを考えながら座椅子にもたれてだらだらしていたら、始業時間まであと30分を切ってしまって、慌てて洗面所の鏡の前で化粧水、乳液、日焼け止めを塗りたくる。どうせ誰かに見せる場面もないし、汗で流れてしまうので、最近ではほとんど化粧をしなくなった。
汚れのひどい作業着に着替え、アパートを出て中古で安かった水色の軽自動車に乗り込む。クラッチを踏もうとした私の左足は宙を切った。
コンペイトウ畑には立ち入らないでください。市役所からのお願いです。