第八話 遅刻はダメです その2
またオーバーしてしまった…。
申し訳ないです。
油断大敵とはこういったものだろう。速度を落とさなければ、
玲奈に遭遇することもなかった。
自分の詰めの甘さを悔やむ。しかし、ここまで来て諦めるわ
けにはいかない。そのためには、打開策が必要だ。
「あー、おはよっす。先輩」
まずは時間稼ぎとして、適当な話題を振ることにした。とい
ってもただの挨拶だが。
「おはよう。ところで、君はなぜここにいるんだ?」
わざとらしい口調で問いかけた。それには、こんな時間に登
校しているのはおかしい、というニュアンスが含まれている。
「困っていたおばあさんを」
「嘘だ」
「誘拐されそうになっていた子供を」
「嘘だ」
「母親が倒れて」
「嘘だ」
ことごとく、即答されてしまった。健斗はあまりの信用の無
さに愕然とした。
「何で信じてくれないんだ!」
「そんな嘘が通じると思うのか?」
「……だよな」
自分でも信じられないのに、相手に効くはずもなかった。
「で、君は相応の理由もなく遅刻したんだよな?」
「…………」
ふい、と顔を逸らす健斗。その行動が肯定していることを物
語っていた。
「それに下でもずいぶんと暴れていたようだな」
玲奈の目付きが鋭くなる。
「今ならまだ危害を加えない。大人しく遅刻届を書くんだ」
「……断るっ!」
断固たる意志を持って拒否した。言葉だけ聞くとかっこいい
が、理由はとても間抜けなものだ。
「ふふっ、君ならそう答えると思ったよ」
さっきとは違って、玲奈はどこか嬉しそうな様子だった。
そして、手に持った金棒の先を健斗に向ける。
「これで入学式の借りが返せるな」
「いやいや、返さなくて結構です」
といっても玲奈は既にやる(殺る)気満々だ。戦闘は免れな
いかと諦めていた。
「委員長、大丈夫ですか!」
しかし不意に訪れるチャンス。玲奈は後ろから来た風紀委員
に注意がいった。これを見逃すはずもなかった。
素早くポケットから涼にもらった閃光玉を取り出し、それを
床に叩きつける。閃光玉からは目も開けられない光が溢れだした。
「うわっ」
「む……」
その光に風紀委員の二人は怯んだ。
(よし、今の内に)
早くこの場から逃げよう。
健斗は踵を返した。
「逃がさん!」
急に現れる背後からの殺気。健斗は直感で屈んだ。わすがな
差で頭上を何かが、ぶぉんと音を立てて通り過ぎた。
「なっ!?」
慌てて健斗は距離を取る。
「くっ、外したか」
閃光をまともに食らったはずなのに、玲奈は平然としていた。
「まさかあのタイミングで反撃されるとはな。すごいな先輩」
だから健斗は純粋に感嘆した。
「小細工が二度も効くわけないだろう。それに私だってあれが
避けられるとは思わなかったぞ」
「避けないと死ぬだろ!」
もう完全に殺る気だった。直撃していたら、大切なものが飛
び散っていたに違いない。
「正々堂々と勝負しようじゃないか」
「ちっ」
苦々しく舌打ちをした。
どう足掻いても戦闘するしかなさそうだからだ。これが他の
男子生徒だったらよかった。玲奈は女子、さらに入学式のとき
に泣かせたのでやりづらいのだ。
「委員長、加勢しましょうか?」
ようやく立ち直った風紀委員が声をかけた。女子二人になる
と、もっと面倒くさくなるので健斗は勘弁して欲しかった。
だが玲奈はその申し出を断る。
「ここは私に任してくれ」
よほど入学式で負けたことが悔しいのだろう。その瞳はメラ
メラと燃えている。
「俺が勝ったら見逃してくれるか?」
「それは勝ってからの話だ!」
金棒を上段に構えながら健斗に迫った。勢いそのままに金棒
を振り下ろす。全てを粉砕するような一撃を、左足を半歩ずら
してかわした。
それを予測していた玲奈は、軌道をずらし脇腹に叩き込む。
健斗は鞄でそれを防ぎ、インパクトの瞬間にバックステップを
して衝撃を和らげる。
「前より速いな」
(あっぶねー!)
初撃、追撃ともにスピードがかなり増していた。平静を装っ
ているように見えて、内心では冷や汗ものだった。
「言い訳ではないが、集中力は今の方が遥かに上だ」
「なるほどね……」
入学式では本気ではなかったということだ。
「せいっ!」
次は膝のバネを最大限に生かした踏み込みからの薙払い。接
近するまで何をするか分からないほどの速さだった。
今度は避ける暇がなかった。今日だけで、ぼろぼろになった
鞄を盾にする。玲奈は攻撃の手を休めずに、上下左右と金棒を
振るった。
「はっ、一撃が、ほっ、洒落にならない重さだな」
息絶えだえになりながらも、何とか対処していく。
「ふっ、受身ばかりじゃ、てやっ、勝つことはできないぞ」
玲奈も同様に息が切れていた。
(こっちも攻めるしかなさそうだな)
朝から走り回った健斗には、これ以上受けきる余裕はなかっ
た。だから、一発で決めることにした。
「おらっ!」
健斗は金棒を避けつつ、顔面に鞄を投げつけた。玲奈は冷静
にそれを防ぐ。しかし、鞄に目がいったために健斗の姿を一
瞬だけ見失ってしまった。
「むっ」
健斗は残り少ない力を使って、玲奈の死角へと移動していた。
玲奈は健斗を捉えるがもう遅い。
(しまっ――)
「にゃっ」
ピシッという小気味良い音とともに玲奈は尻餅をついた。健
斗は中指を親指から弾く、つまりデコピンで倒したのだ。流石
に殴ることはできない。
「俺の勝ちだな」
相手に宣言をする。デコピンといえど、一本を取ったのは事
実だろう。
本音を言うと、もう限界だからやりたくないということだが。
「…………」
玲奈はうつ向いたまま動かない。その様子に健斗はひどく焦
った。既視感。以前の光景と重なった。
(ま、まさかデコピンで泣くのか? いや、これは負けたショ
ックで落ち込んでいるんだ。うん、そうだ)
自分に必死に言い聞かせる。そうしないと挫けそうだった。
「……ひっく、ぐす」
「…………」
そんな期待も儚く崩れさった。前と同じように泣いたのだ。
「い、委員長!」
傍観していた風紀委員も慌てて玲奈に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「……ふぇ、痛い」
額を涙ぐみながら押さえる。
「アンタねえっ! 委員長は打たれ弱いんだから手加減しなさいよ!」
「いや、十分に……」
「うっさい!」
恐ろしい剣幕で吠える風紀委員。反論の余地など皆無だった。
「わ、悪かった」
「委員長に謝りなさい!」
「はいっ」
もう健斗はたじたじだった。
「落ち着いたか?」
「もう大丈夫だ」
今日一番の必死さで慰めたかいもあり、割りと早目に立ち直
ってくれた。
「アンタのせいだけどね」
「…………」
風紀委員の言葉が耳に痛い。
「それは悪かった。でも、勝負には勝ったんだから見逃してく
れるよな」
そんな約束だったはずだ。
「せいっ」
けれど、玲奈の返答は腰へのタックルという予想の斜め上を
行くものだった。
気力も体力も底をついているので、何の抵抗もできず、され
るがままに倒されてしまった。
「えーと、これは?」
腰にがっちりと抱かれ、身動きが取れない状況。これについ
て質問をした。
「……君を見逃すことはできない」
玲奈は、ばつが悪そうに目を伏せながら答える。
「でも俺は勝っただろ」
「それは、そうだが」
淡々とした健斗に、歯切れの悪い玲奈。
それに対して風紀委員は白い目で健斗を睨んでいるが、健斗
はそれを黙殺する。
「でも、風紀委員長として、君をそんなことできないんだ」
涙を溜めながらの上目遣い。金棒の一撃より破壊力があった。
「ぐっ、分かった。大人しく従う。だから泣かないでくれ」
がっくりとうなだれる。
泣かれた時点で、こうなるんじゃないかと思っていた。
「ありがとう」
玲奈は笑顔で礼を言った。
「いいけどさ。それより、そろそろ離れてくれないか」
非常に不味い体制だった。顔は近いし、胸とか女性特有の柔
らかさを服ごしとはいえ感じてしまう。甘い匂いも漂ってきて
いた。朝からこれは、刺激が強すぎる。
「す、すまない」
今さらながら玲奈は顔を赤らめる。恥じらう表情は、凛とし
たときと違って可愛らしかった。
「い、いや別にいいが」
健斗も変に動揺してしまう。
「泣かしておいて偉そうだね、アンタ」
「…………」
一人だけは、絶対零度並みの冷めた態度だった。
「ちきしょー」
一人廊下をとぼとぼ歩く。足は鉛のように重かった。
あれだけ頑張ったのに、遅刻になったのだ。愚痴を吐きたく
もなる。
――元々、寝坊しなければ全て済む話なのだが。
「俺、死ぬかも」
処刑台の階段を上る罪人の気分を味わいながら、教室へとた
どり着いた。
せめてもの抵抗として、後ろのドアからバレないように、ゆ
っくりと入ることにした。
「なっ!」
教室内の光景は凄まじかった。声が漏れるほどに。
それは、アイアンクローされながら宙ぶらりんな康介と、ア
イアンクローをしている詩織が作っていた。
「おや? 橘じゃないか、おはよう」
「お、おはようございます」
自分でもはっきりと分かるぐらいに声が震えている。
「橘は遅刻したのか……?」
詩織は康介を掴んでいた手を離した。康介は重力に逆らわず、
床(地獄)に堕ちていった。意識は無く、痙攣しながら泡を吹
いている。
正直、抵抗する気も起きない。
「せ、先生。一つお願いがあります」
「何だ?」
「優しくしてください」
「善処しよう」
右手がゆっくりと伸びてきた。覚えていたのはそこまでだった。