人の血、王の血、そして
無謀とも思えたこの遠征における最初の成果は一人の死体だった。
彼女は死んでいた。首都郊外、血の牢獄の更に外で、岩陰に砂に埋もれて眠っていた。
首から下を呪いに覆われて、人でなくなる前に自死を選んでいた。
調査団の団章が刻印された放送局はその横で血に汚れて転がっていた。
そして荷物の中に含まれていた手記に全てが記載されていた。
ウィレの推測は正しかった。確かに抜け道、いや抜け穴は存在していた。その情報から損害無しにドアグレブ地下大砂城へ潜入し、目的は達成された。王権派は医師局の構成員を一名拉致することに成功した。
これら成功によって一つの真実が齎される。一つの誤解が浮き彫りとなる。
医師局の構成員は人間ではない。
「初めまして。では、あなた方医師局の実情を説明してくださいますね?」
あの尋問室でウィレが男に問いかける。男は黙ったまま。俯いたまま。表情は見えない。
「困りました。尋問になりません。急いでいるのですが。それと、抵抗は無意味です。」
尋問室の壁と床には内部での魔術行使を禁止する魔術が刻まれていた。魔術を封じられた魔族は人族に劣る。男は観念しその頭を上げ、ウィレを見据える。
「無様だな。人間。我々には時間がある。貴様ら劣等と違ってな。」
「魔族の国。フィノアート北方連合の生き残り。いえ、残党。そうですね?」
「分かっているなら話が早い。俺を解放しろ。命が惜しければな。」
一人の調査員が命を賭して得てみせた情報。それに従うなら、王権派には時間が無い。
医師局の正体は魔族の侵略派を構成する一団だ。
彼らの出自は大陸の最北に位置するフィノアート北方連合。国民の殆どが魔術を扱うとされ、人族と敵対する魔族により支配される帝政国家。また魔族は世界で二番目に長寿とされる。
そしてここドラスティ王国における彼ら魔族の目的は竜。竜を使役し、さらに広域を支配するための戦力とする。だが竜とは幻の存在。
ドラスティ全域を覆う砂漠は竜の吐く炎によって生まれた。何度も何度も大陸南西域に位置する国家をその炎で焼き融かした。彼らは西方海岸付近の高山に棲みつくとされる。
そういった伝承や噂のみが現代に伝わり、実在を証明する手掛かりは何もない。ただ為された事物がそこにある。
魔族はその竜が歴史の表舞台に身を現す時期にある規則性を見出した。
魔族は結論付けた。竜は浄化装置である。大陸に淀む呪いを火を以て消去する存在。
つまり竜を捕獲するには、とびきりの呪いを用意すればいい。そしてそれは完了している。
ドアグレブ地下大砂城には竜が現れる。
「驚きました。相手の正体を見誤っていたのは私たちだけではなかったようです。」
「何?俺を解放すれば貴様らを保護してやると言っているのだが。とうとうイカレたか?」
「私たちはドラスティ王権派。人として、この終末を生き延びる者の集まり。そしてドラスティ王国の興隆を目指す最後の生き残り。シモン様はとうに国外へ避難させている。王家の血は絶えない。故に今の私たちは死兵です。呪いへの対処を全て調べて次の世代に託します。」
「見るに堪えんな。...くそっ!」
ウィレが注射器を取り出す。同時に魔族の男から余裕が消え失せた。
尋問室は拷問室へ、そして更に残忍な空間へ変貌する。
「あなた方魔族はどうしてか呪いを受けない。その特別なあなた方の血を、命を、全て貰い受けます。」
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竜の火はドラスティの砂漠を再び焼き融かした。
そこにあった何もかもが沁みとなるか、それどころか蒸発し上空で冷え固まり結晶の雨となって各地に降り注ぐ。
俺はシモンと他の部隊と共にハドリーの後を追ってドラスティの砂漠を抜けていた。ウィラとウィレは俺たちに残る砂牛を全て渡し、事が済んだらまた戻るように伝え俺たちを送り出した。彼女たちはさようならと口にはしなかった。だから俺たちは信じている。
そして森に入った直後に背後から極光と熱波が襲った。あまりの熱量に乾いた葉や落ちた枝が自然発火する。偶然にも光を直視してしまった者が目に熱傷を負い、絶叫する。
上空では雲が蒸発する。晴れ渡った空にガラスの雨が降り始める。
この時代の人間はほとんどが物語の中にのみ知る竜という存在。俺は確信する。
人や、たとえ魔族でさえ彼らを超えるような日々は訪れない。およそ生物の扱えるであろう熱量を遥かに超越している。呆けていると誰かが叫んだ。
「急げ!火に囲まれる前に森を抜けるぞ!すぐにまた次が来る!」
腕の中でシモンが泣いているが気にしない。ひたすらに走る。皆の希望をここで死なせてたまるか。
一名が魔獣に襲われた。
一名が焼き折れた木の幹に足を潰される。
一名が熱風に外套を捲られ全身に火傷を負い次の熱風で意識を失う。
気付けば一人になっていた。数時間火に追われて走っていると湖沼に辿り着く。腕と足の皮膚がずたずただ。じゅくじゅくと布越しに体液が滴っている。
「おう、ケルンじゃねえか。」
「ハドリー...」
ディートニカに入ったのだろう。日差しが豊かな木々に遮られ涼し気な風が増えた。湖沼のほとりで見知った男が火に枯れ枝をくべている。彼は今砂漠で何があったか何も知らないのだろう。
「何があったんだ?酷い傷だ。いや、これは酷すぎる。医者だ。急ぐぞ。」
「あ、ああ。助かる。だがその前にこの子を頼めないか。もう腕に力が入らない。」
ハドリーは俺の腕からシモンを抱え、そのまま器用に背負った。荷物の殆どは置いていくつもりなのだろう。肩掛けの鞄に食料だけを詰めている。
「ここはまだドラスティとディートニカとの国境付近で、医者は更に向こうにいる。もうひと踏ん張りだ。気張れよ兄弟。」
「当然だ...お前には話すことが多すぎる。頭がどうかなりそうだ...」
「その調子なら大丈夫そうだな。」
火の手から解放され緊張の糸がぷつんと切れたのか痛みが一気に増した気がする。だが足の鱗による痛みはいつの間にか火傷のそれに置き換わっていた。鱗は森の中を走っている間に植物か何かに引っかかって皮膚と一緒に削げ落ちていた。何もないピンク色の肉がそこに広がっている。竜の炎は確かに呪いに有効なのだろう。
数時間更に歩くと大きな川が前に現れた。向こうには町が見える。人はまばらだが、確かに小さな社会がそこにあった。安堵が一気に押し寄せる。
全身を包み込む激痛にも揉まれまともな思考もままならない俺を意に介さずハドリーは言う。
「ドラスティがそうであったように、あのディートニカもまた面倒な事情を抱えている。」
「何が言いたい...」
川の向こうで俺たちを確認した彼らは手に武器を握っていた。
「自分の身は自分で守れよってことだ。」
1章 砂の国 謎一覧
- 地下にいる古竜とは?
- ドラスティ王族と竜の関係は?
- シモンとウィラたちの関係は?
- どうして呪いが生まれた?どうしてそれが人を鱗まみれに変える?