北の大地
アレクト国 空軍 特殊戦コマンド BECKER チーム9 第一中隊 所属旗艦 テンペスト級飛空母 ダイスノッカー
過酷な戦闘空域を睥睨する飛空艦はその重厚さからは想像がつかないほどの速度で航行を開始する。前後八か所に搭載された魔力炉タービンが熱く唸った。大気魔力を食いつくさんとする勢い。
甲板への帰投を試みる隊員は使用魔力源を体内に切り替える。航行初期に周辺空域の魔力濃度が不安定になるためだ。
「機龍隊1より旗艦司令部!当該の所属不明民間人二名を確保!これより帰投する!甲板中央の隊員に避難勧告を。以上。」
ウィラの操る赤い飛竜は翼膜を見れば何か魔術的保護が施されているほか、手足の鎧には火器が搭載されている。一見して過積載に思えるが二枚の翼で軽やかに俺とシモンを飛空艦へと運ぶ。柔らかな着地。ウィラから渡された白い外套で風の冷たさはかなり軽減されたが手足の感覚は当然のように無い。元の装備が貧弱なのだ。甲板でシモンを背中におぶったまま動けずプルプルしているとそれを見かねたのか飛竜が嘴で襟を咥え、鉄扉の方へポーイッと転がしてくれた。ありがとうございます。
「ちょっとちょっと、シモン様に怪我はないでしょうね。」
「多分今笑ってますよ...」
俺が痛い目に遭っている時は必ず笑っているものだ。1歳となり相当大きくなったシモンを腕で長時間抱えるのは辛くなってきたので最近はもっぱら背負っているが、表情はなんとなく分かる。
それを確認したウィラは笑顔を解き俺を対象として何か魔術を行使する。暖かい。
「出入口で転がらないで。ほら、さっさと動く動く。」
俺が邪魔で少し行列が出来ていた。ゴーグルでどんな目をしているかは分からないがきっとイライラしている。申し訳なさを全力でアピールして中へ転がり込んだ。
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「で、お兄ちゃん。私がどうして怒っているか分かる?」
固く冷たい鉄板の上で仲良く正座させられていた。あ、いやイェールは足を崩している。1年ぶりだと言うのにベルはあまり変わっていないようだ。少し背が伸びたくらいで髪の長さは肩で切りそろえているまま。圧倒的な覇気を纏い、隊長席から俺たちを見下ろす。
「ベルちゃん、私たち月で色々頑張ってさ「お姉ちゃんうるさい!」はい...」
しゅん...と小さくならないでほしい。援護を求む。鋭すぎる視線が俺に舞い戻ってしまった。
「や、約束を守らなかったからです...」
危ないことはしないで。そういう約束があった。にも拘わらず1年間の行方不明。怒る理由も理解できよう。俺だけならまだしも姉であるイェールとセットでの行方不明だ。無理もない。
しかし聞けば海底のあの転送門は俺たちを吸い込んで以降起動しなかったらしい。救助が来なかったのはそういう理由か。
「もーう信用なりません。二人とも、私の部隊の支援兵として身柄を預かります。艦から出ないでください。出るときは必ず私と一緒です。」
「そんな。」「あんまりだよぅ...」
これ以上情けない兄姉がいるだろうか。
イェールが抗議を続けようとしたその瞬間、飛空艦は爆発音とともに大きく傾斜する。同時に内線から呼び出し音が聞こえ、眼にもとまらない速度でベルが受話器を取った。
「こちら隊長室。」
事態の概要を聞いたベル。表情は変わらないが、心なしか歪んだように感じる。
「最悪ね。了解。私が出る。全体待機。」
ふう、と一息ついてこちらに向き直る。自然と背筋が伸びる。
「二人とも、この部屋で待機。いいね?出たら許さないから。」
俺は流れを薄々理解している。ベルが望んだことは大体逆の形で叶うのだ。
彼女との別離はこれから三十分後となる。
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「あ、いた。ケルン、とイェールさん。何してるの?」
「正座です。」
「そういう趣味だっけ。」
通りがかったネアが話しかけてくれた。大体がベル隊長案件だと察してそそくさと立ち去るので暇していたのだ。勝手に正座を崩してもあとで怒られそうなのであのまま継続していた。イェールはベルのベットに腰かけて外の様子を見ている。知らんぞ。
「前の方で火災があったらしいよ。」
「大変じゃん。落ちるの?」
「この大きさの船だから大丈夫だとは思うけど、上の方で相当やり合ってるよね。というか、あれケルンの妹さん?」
「茶髪の、お前より少し背は小さいかな。」
「やっぱり。かなり動けるね。本当に兄妹?多分俺より強いよ。」
「俺よりって...あいつが喧嘩で負けたところ見たことないし、まあなんとかなると思う。」
「情けない兄貴だなあ。そういえばテュートと会ったよ。お前ほどじゃないけどめちゃくちゃ怒られた。」
むしろ怒られるだけで済んだことを喜ぶべきだろう。五体満足で何より。
「情けないのはお互い様だな。」
「違いねえ。」
すると黙り込んでいたイェールが妙に急いで荷物をまとめ始めた。よく見ればベルのものであろう私物も鞄に入れている。どういうことだ?
「二人とも、ちょーっと逃げた方がいいかも?」
気が付くと轟音が近づいている。遠くで小さく聞こえていた音が、すぐそこだ。
「なんで?」「何か外にいるんですか?」
そう言いネアと共に窓の外を見てみる。明るかった昼の空が見えると同時に、真っ暗闇に切り替わる。
おかしい話だ、そう思った瞬間分厚いガラスにひびが入る。
ネアと顔を見合わせて、冷や汗を感じる間もなくすぐさま窓から跳ねるように距離を取った。
しかし判断が遅すぎた。外殻に衝突した黒い何かは亀裂に身をねじ込み、そのまま室内へ乱暴に押し入る。真っ黒な腕だ。禍々しく艶めく黒い鱗。
窓から最も離れた扉に背中を預けたままその動きを見つめる。
ベルの本棚や机、ベッドはもうめちゃくちゃだ。頑丈な素材で作られているはずのそれらは黒い爪に切り裂かれ、押しつぶされ、形状を留められていない。
ギリギリここまでは指が届かないようだが、腕がもう少し押し込まれたら俺たちも同じ目に遭うだろう。なんで内開きなんだこの扉は。引き戸にしてくれ。
絶体絶命の四字熟語が脳裏というか表立ってよぎる。ネアの剣もこう狭い室内では振るに振れないらしい、いや単純に武器を部屋に置いてきている。なんなんだこいつは。泣くのをやめろ。
すると突然、大暴れしていた腕がピクリとも動かなくなる。力なくその質量を床に任せ、窓の向こうから聞いたことのない生物の絶叫。
一瞬の静寂。直後また何かが壁の亀裂を押し広げた。見覚えのある人影。
「お兄ちゃん大丈夫!?」
「お兄ちゃん大丈夫。」
血まみれのベルが息を切らしながら部屋の中に降り立った。装備は所々切り裂かれているが、全て返り血だろう。相も変わらず頼りがいのありすぎる妹だ。
「お前お兄ちゃん呼びされてるのかよ。」
「気にすんな。それより逃げようぜ。」
「二人とも、もうすぐで艦外避難が始まる。甲板近くのウィラかウィレと合流して。彼女たちなら安心できる。それと...お姉ちゃんは...?」
「逃げた。」
「...。」
深呼吸している。感情を押し殺すように目を閉じている。
イェールは逃げ回ることに関して相当な実力者なので心配ないと思うが。
「...分かった。お兄ちゃんとネアは甲板に向かって。お姉ちゃんを見つけたらそのまま一緒に行動してほしい。」
「了解。ベルも、気をつけてな。」
「うん...。」
運よく無事だった手荷物を回収してそそくさと立ち去ろうとする。扉に手を掛けた際、「待って」と背中越しにベルから呼び止められた。
「この襲撃には魔女が絡んでいる。恐らくお兄ちゃんたちの誰かが奴に狙われているんだと思っていた。魔女の使役する竜の執着からしてお兄ちゃんか、そのネアさんがその対象となっている。」
「既にこの位置は把握されてしまった。だから、一刻も早く逃げてほしい。出来るだけ時間は稼ぐから、調査団本部と合流して。」
ベルの目には薄く涙が浮かんでいた。どこか様子がおかしい。まるで今生の別れかのような口ぶりだ。
「何年も追い続けた私だから分かる。もうすぐ奴がここに現れる。だから急いで。」
「で、でも。」「急げッッ!」
返す言葉も無いまま、俺とネアはその場を後にする
ことは出来なかった。扉が動かない。先ほどの衝撃で歪んだのかそう思われたが、それはすぐに否定される。
滞留していた粉塵が、その動きを完全に停止している。配線から弾ける火花が中空でその光を保っている。吹き込む風を掴んで捲れた毛布が、重力に従わない。
時間が止まっている?振り返り、ベルを見ようとするがそこには別の誰かがいた。
その向こうでベルが呟くのがはっきりと耳に届く。
「――魔女」
黒一色。第一印象はそう。
無言でただそこに立つ。言ってしまえばベルのような他者を圧する雰囲気は無い。しかし、異様なほど静か。
「ベル。」「お兄ちゃん、何もしないで。」
制止される。大人しく従うことにした。
「ふふ、久しぶり。迎えに来ちゃった。」
魔女の目元はその黒いベールで隠されている。しかしはっきりと視線が交差した気がした。夜の雨のようにしめやかで、冷たい声。
彼女は確かに迎えに来たと言った。しかし俺と彼女は初対面だ。こんな人、一目見たら忘れるはずもない。ネアを見れば顔から血の気が引き真っ青だ。初対面でこの反応は失礼ではないか?
視線を魔女に向けたまま、ネアがこちらに小声を届ける。
「どうするんだよ?世界おっかない女ランキングトップ2が勢ぞろいだ。」
「無差別級でもいい線行くぞ。」
「お兄ちゃん、それとネアさんも。しばらく黙って。」
何か魔術が行使され、口が利けなくなる。呼吸は出来るのに声を出そうとしても何も出ない。パクパクと無様に無を主張する時間が過ぎ、少しして諦めた。
魔女は後ろのベルを見やる。
「君は、少し邪魔かな。」
「―ッ、上等!」
何か魔術を行使する魔女、左手を薙ぎ防御するベル、停止世界で吹き飛ぶ瓦礫。ちょっと待って。逃げ場がないのでこれ以上は向こうでやってほしい。
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「天使隊1より調査団本部。識別個体魔女と交戦を開始。以上。」
「また秘密のお話?ふふ、寂しい。」
「どうして、お兄ちゃんを狙うッ!」
「話してあげない。」
「問題ない。すぐに、話したくなるッ!」
飛空母艦ダイスノッカーは山嶺の戦域を離脱し、帝国上空を超え、中央湾共和国上空に差し掛かっていた。そこを魔女が襲撃する。
本来ならケルンと魔女以外が静止する世界で、なぜかベルとネアだけが自由を獲得していた。魔女の行使した魔術の制約。
そう、どんな強力に思われる魔術にも欠点・対抗策は存在する。例えば、類似魔術による反転防御、月の祝福による無効化防御。それらにもまた欠点は存在するが、些細なものだ。しかし魔術師同士の戦いにおいて、これら制約は重要な意味を持つ。
「魔女、大した腕だ。」
「ありがとう。でも、嬉しくないわ。」
天使隊の名にふさわしく、ベルは空中を自由自在に飛び回る。魔女は反対にじっと動かず、まるで楽団の指揮者のように指先で魔術を行使する。
ベルが攻勢に回ることが出来ていない。
つかの間の反撃も、用意された時間的、そして空間的間隙に行われる。全ては魔女の掌の上だった。百戦錬磨のベルも広い空の中、次第に追い詰められていく。
だがそれこそがベルの狙いでもあった。
魔女の駆使する不可視の軌道空間爆撃。その本質は重力崩壊点の近似再現。ベルを取り囲むように配列されたそれらは、あらゆる構造をその潮汐力をもって崩壊させる。
だがその特性上、配列子の相互接触は連鎖的な崩壊点の消失を招いてしまうため奇跡的に精緻な魔力操作が求められる。そして何より、これが直接的な有効打とならない相手には双方向にあらゆる攻撃を通さない壁として機能してしまう。
ベルが良く部隊に向けて言う、「つまらない魔術」ではあるが戦闘を遅滞させる一点においてこれほど優れた魔術は無い。
にも拘わらず彼女たちはその壁を介して攻撃魔術の応酬を継続している。なぜか?
魔女は複数の重力的間隙をあらかじめ用意していた。ベルの展開する防御魔術を侵轍する攻撃を行うため。
配列子は動的にその位置関係を変更する。重力崩壊点はあくまで近似された現象であり、接触による防御魔術の損害は戦闘継続に何ら問題は無い。もっとも損害が無いというわけではないのでベルは数千の配列子が展開する領域のうち、航行可能な領域を瞬時に見極める。
魔女もまたベルの展開する防御魔術を破らんと、前方への攻撃と同時に背後の配列子を退ける。そして死角からの一撃を見舞うが回避され、莫大な熱量がベルの右掌へ吸収される。
と同時にベルはその穿孔に目もくれず、人差し指を向け収束させた熱量を魔女の下へ送り届けた。紫電一閃と形容するにふさわしい一撃。
ベールが少し捲れ、魔女が初めて「あら」と驚きを含む声を上げた。ベールの向こう、その余裕が少しだけ軋む。
その隙を見逃さないベルではない。
重力崩壊点の再現魔術の解析を一気に終了させた。
戦闘開始時点において未知の魔術であったが、天才的な頭脳と莫大な経験によりベルは魔女と同様の領域を展開することに成功する。出力で劣るが、目的はあくまで航行空域の奪還であるので問題はなかった。重力崩壊点の逆、斥力点を同様の密度で敷き詰めたのだ。ついでにそれぞれ『引力格子』『斥力格子』と命名する。安易だな、と思いながら。
空間から魔術的作用が消え失せ、大気魔力が自然な滞留を再開する。
ダイスノッカーを背に浮かぶベルは正面に敵を見据え、広く視野を保つ。どんな魔術にも対応してみせる、そんな気概で溢れていた。
一見して膠着状態。だがベルは最初から覚悟していた。いずれ殺される。これは命を懸けた時間稼ぎなのだ。
「もう、いいかな?」
「何がッ!」
「ううん。ごめんね。」
黒いベールの下、整った唇を静かに開くと同時、ベルはその航行能力を失った。
絶叫は漏らさない。冷静に状況を分析し、未知の魔術作用の解析を開始する。しかし体内魔力が一切の反応を示さない。大気魔力の吸収補助ユニットの電力も残りわずか、解析に必要な魔力量には決して届かない。小さくため息を漏らした。
切り札が切られる。
「励起、循環、共振、収束。」
「――『装衣魔術』鎧殻」
「『基底指定』、守護天使ッ!」
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「―あ!あー。」
突然声が出るようになった。ベルと魔女が姿を消してから数分、ベルに何かあったのだろうか。
「ケルン。お前の妹何者なんだよ!?人間か!?」
「人間だって。でもキレると怖いぜ。」
「怖いどころじゃねえだろ!」
動かない扉、穴の外は空。声なき二人の傍観者となって魔女とベルの戦いに魅入っていた。先ほどから船の反対側に回られて音と光だけが伝わっている。二人だけなのにお祭り騒ぎだ。おっかない。
「ふふ、怖がらないで。」
「――ッ!?」
部屋の真ん中に、いるはずのない存在が現れる。
ベルが相手取っているはずの魔女がそこにいた。
「来て?」
どこへ?血色の無い真っ白な掌が俺に差し出される。危険すぎる美女からのお誘い。ネアを見ると「やめとけ」そういう顔だ。俺もそう思う。
「えっと、お名前は?私はケルン・フォーアスターと言います。」
「...」
「あのー...困ったな。」
「...分からない。ごめんね?」
困ったな。
「...来て?」
「どこへ?」
「...分からない。ごめんね?」
困ったな。しかし、この受け答えから見るに、自己喪失に近い何かか?
本人の意思とは何か別の意思で動いている?アスガナは魔女と決して戦うなと言っていた。今も船を揺らしている衝撃から、それは自然に飲み込むことが出来る。
しかし、交渉も何も、まるで赤ん坊を相手にするかのような難しさ。会話にならない。
そもそも衛星国と共和国の両方を滅ぼした存在を相手に、こちらの意志を押し通すことが出来るものなのか?
すぐにでもお帰りになってほしい。
するとネアが口を開く。
「本日はどちらから?」
「...」
「もう昼食は取られましたか?」
「...」
「ご趣味は?」
「...」
なぜか質問攻めを始めた。
魔女の視線がネアに突き刺さる。ネアが一瞬たじろぐが、下らない言葉を投げかけ続ける。
魔女は固まったまま。
まさか、突然話しかけられて混乱している?
...いいぞ、ネア。時間を稼げ。その間に何か、何か考えろ。この状況を打開する何かを―ッ!
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「お兄ちゃん大丈夫!?」
「お兄ちゃん大丈夫。」
何かいい案が思い浮かぶより先にベルが戻ってきた。って何その恰好。可愛い。
全身に形ある光を纏っている。猫耳と、尻尾が印象的だ。軍服の武骨さがキラキラのスカートで隠され、何故かノースリーブ。赤とピンクを基調としている洗練された意匠。
魔女は部屋の真ん中でそんなベルに組み伏せられていた。
「魔女。この停止魔術を解け。さもなくば...分かるな?」
分身と同じ目に遭わせてやる。その言葉を殺気と共に視線で送り付けた。
魔女は無反応で静かに見上げている。ちなみにネアの時間稼ぎは効果的も効果的で、ベルが戦闘を続けていた十分ほど魔女は機能停止していた。
すると、魔女が静寂を破る。語気を変えて、まるで別人かのように語りだす。
「我々人間は君たちに敗北した。」
「君たち魔人を駆逐したとして、この星に女が一人残るだけ。」
「だが、君だ。君が私の前に現れた。ケルン、君なんだよ。」
ベルは力を一切緩めず、それどころかより拘束を強める。魔女の視線は俺に向けられたまま。ベルのそれをまるで意に介しない。
「...お前は何者だ。」
「ふふ、奇遇だね。私も同じことを聞きたかった。」
「君だけが、その因果を空にしている。未来を決定する可能性の波を、君だけが自ら発していない。水面に浮かぶ葉のように、ただ受け入れて揺れている。」
「周囲の存在に存在を補完されて、君は君を保っている。裏を返そう、君はなんにでもなれるんだ。」
...突然教育番組みたいなことを言い出した。あの静かな雰囲気は薄れ、人間らしさ、悪意のようなものをはっきりと感じる。
口数はまだ増え続ける。
「恐らくここに至るまで命を危うくする状況がいくつもあったね?その全てを乗り越えたのが君だ、と言いたいが君の周囲の者が望んだ未来に君が生きていた、だから君はここに形がある。まあ、恐らくはあの赤子の願いだろうが。」
思い返せば何回も危ない目にあった。
王国で竜の火に焼かれたとき。
公国で騎士団に囲まれたとき。
帝国で銃を突き付けられたとき。
共和国で海生生物に襲われたとき。
衛星国で機械群に追われたとき。
思えば、その全てでシモンと一緒にいた。魔女曰く、あいつが俺の生存を望んだから俺は生存したという。
「君は生きながら死んでいるんだ。可能性の鏡、写された未来に付き従う人形、と言うべきか。恐らく妹ちゃんにでも奪われたのかな?」
「さて、喋りすぎた。要求を言おう。私、人間が求めるのはケルンだ。」
「...お兄ちゃんをどうする気?」
「私と子を為してもらう。」
「は?」
聞いたことがないほど低い声がベルから聞こえた気がした。ベル?
「魔人から人間への変化、不可逆の変性も彼ならば乗り越えられる。そういう未来を私が望めば彼はそれを写すのだから。なに、ちょっと中身が作り替わるだけさ。」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
ベルが纏う光がごうごうと部屋中に広がる。
ってなんか熱い。この光、熱いよベル!?
突然、停止した世界全体が明滅を繰り返し始める。
「ふふ、少々制約の激しい魔術だったが、問題なく起動したようだ。」
見覚えがある青白い光。転送門のそれと酷似している。ってまさか!?
「ふざけるな!!!」ベルの怒号とともに光が爆発的に拡がる。魔女の頭蓋が握りつぶされる光景を最後に世界が脈動する。
魔女が仕込んでいたもう一つの仕掛け。それは転送門の強制展開だった。
あまりの光量に腕で目を遮ることしか出来ない。
「...お兄ちゃん、ごめん。守れなかった。必ず迎えに行く。だから待っていて。」
そんな声を最後に転送が完了する。
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「...起きた?」
「魔女。」
「...うん。」
魔女の雰囲気は最初の状態に戻っている。静かな声と少ない口数。
俺は固い床の上に放り出されていた。辺りを見れば俺と魔女だけ。ベルとネアは何処にもいない。というか人の気配は全く感じられない。
痛む尻を摩りながら立ち上がる。...やけに寒い。風が吹き込む音がする。外は吹雪だろう。
「ここはどこ?」
「...。」
あ、固まった。面倒くさいな...。それより、魔女呼びで心が痛むので仇名でもいいから教えてほしい。
「...北。」
「というと、魔族の国かな。」
ここが西方大陸であるなら、の話ではあるが。
だが魔族の南進と巨人族の北進、北の大地に何かがあるのは明らか。
間違いない。
ここはフィノアート北方連合。
魔族の敗戦地であり、俺たち魔人の旧実効支配国。
そして、魔女の陰謀が眠る国。




