砂漠の呪い
「初めまして。あなたは何者ですか?」
薄暗く乾いた空気。木の椅子に砂まみれの床。頭上の電球は点滅を繰り返す。尋問室だろう。
ぼんやりとした頭のまま、正面の彼女を見据える。赤色の長髪に褐色の肌、銀色の首飾り。
「困ります。尋問になりません。水です。飲んでください。」
乾ききった喉を水が伝う。口の中に張り付いていた砂粒が押し流された。
「ケルンです。ケルン・フォーアスター。水、ありがとうございます。」
「名前には興味ありません。感謝も不要です。所属は?どこから来た?目的は?仲間の居場所は?」
彼女は扉に背を預けながら淡々と捲し立てる。小さな声量だがその語調には鬼気迫るものが宿っていた。腕を組んで顔は軽く俯きながらも目だけは俺を捉えている。それは間違いなく敵意だった。
立て込んでいる状況に鉢合わせてしまったようで、自身の運の無さを恨んだ。
「南の大陸から来ました。こちらに敵意はありません。私は調査団、この大陸の歴史や文化の調査団の所属です。南の沖合で嵐に遭い難破して、北へと数日森の中を歩いていたらここに辿り着きました。」
「仲間は何処へ?」
「浜で目を覚ました時には私一人でした。悲しいですが、今は残念だったとしか...」
「そう。災難でしたね。事が済んだらまた来ます。大人しくしていてください。」
そう言って名前も名乗らず退室する。両手は椅子の後ろで手枷により拘束されていた。身動きが取りにくい。きい、と金属の擦れる音と共に扉が開いて一瞬外が見えた。差し込む光に目を細めながらも、その光景に記憶していた文献の情報から確信する。
ここは熱砂と岩山の大地。竜と生きる砂漠の国。西方大陸の更に南西に位置する王政国家。
ドラスティだ。
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先ほどの女性の肉親だろうか、とても容姿の似た人物が入室する。短髪である点と語調が少し柔らかである点が異なる。
彼女は手に持った食料と小さい背嚢を一度入り口近くの机に置いて椅子に拘束された俺の背後に回る。
「どうも、君の見張り役だよ。まあ仲良くしようよ。妹が何か言ってても気にしないでね。最近少しピりついててさ。」
外された手枷を指先でくるくると回しながら彼女は言った。手枷が外されている間は見張りがつくようだ。与えられた食料は固いパンと水。ありがたく頂く。
「あれ君の荷物。問題がないから返すよ。それと私の名前はウィラ。呼び捨てでいいよ。因みに妹はウィレ。こっちは様付けしないと怒られるからね。あ、君の名前は?」
「ケルンです。南の大陸の出身です。」
口の中を急いで空にして答えた。少し慌てた俺を見て意地悪な笑みを浮かべる。
「へえ、乳牛の乳首を切るってホント?食べたことある?」
「初耳です。どこらへんの風習ですか?」
「全部嘘だよ。」
なんなんだこの人は。水でふやかしたパンをもやついた気分と一緒に腹に押し込む。疑心の目を感じ取ったのか、彼女は続けた。
「あはは。そんな目で見ないでよ。このあたりの事情も分かってるよね?」
「いえ、最近の事情は全く分かりません。国交が続いていた時代までの記録しか文献に載っていなかったので。」
「ふうん。それもそっか。ケルン君さ、浜まで送るから帰りなよ。ここから北は少し危ないよ。」
「ありがたいのですが、そういった情勢の調査が目的なんです。活動の邪魔はしませんので、ここから出していただけませんか?」
少し眉間にしわを寄せ目を細める彼女。俺の主張が意にそぐわないようだ。
「君は南から来た。その時点で限りなく白だから私個人としては信用してるよ。でもこの部屋は部外者を保護するためでもあるんだよね。」
「私を使い走りとして使っていただくことは出来ませんか?」
「妹のような人が殆どだよ。少なくとも君は我々に歓迎されていない。限りない白では足りないんだ。」
断られる。用は済んだと再度手枷を使用して拘束された。
「でも、ここにいるなら嫌でも目にすることになるだろうね。ようこそ、呪われた大地へ。」
白い手袋を外し、軍服の袖を捲る。異様の黒い肌、いや、鱗がその前腕を覆っていた。
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一人、人を殺した。
尋問室で例の黒い鱗に覆われた女を殺した。最悪の夜だ。酷く騒がしい夜だった。酒盛りでも始まったかと思ったが、聞こえる声に悲鳴が混ざりそれが一人二人と増えていった。明らかに異常だった。
重い扉が勢いよく開き放たれる。掛けられていた鍵を意に介さず、力のまま引いたようだ。
影は人のものだった。しかし、容姿は人ではない何か。全身が血まみれの鱗で覆われている。
「竜...?」
文献で見た竜の特徴を多く備えている彼女。だが彼女は既にフラフラだった。そして彼女は俺に近付き、口を開く。決して会話が目的ではなかった。
俺がパンを食べるように、彼女は俺の肉を食べる。
俺は脚を思い切り持ち上げ、伸ばす。前方の彼女を向こうへ倒した。この反動で俺は後ろの壁に強く頭を打つ。岩の壁は無情なまでに固い。
見ると、それだけで彼女は動かなくなっていた。よく見ると黒い鱗は所々切り裂かれ、鱗の向こうにピンク色の肉が見える。
「おい!大丈夫か!」
男が息を切らしながらこちらに叫びかける。部屋の内部を確認して鱗の彼女を拘束する男は俺の手枷を外し、着いてこいと促した。
「お前よそ者だろう。いい加減理解したんじゃないのか。もう帰った方がいい。この土地を離れろ。こいつらみたいになるぞ。」
「ありがとうございます。死ぬのは勘弁ですが、それ以外なら全て許容するつもりです。」
「お前馬鹿だぜ。俺はウィレ様にも口が利く、本当にいいのか?」
はい、そう答えるとこの男性、ハドリーは拠点について説明してくれた。
ここはドラスティの南部、王権派と呼ばれる一団の拠点。数十人程度が生活している。
呪いに侵され鱗に覆われた者の治療と生存者の保護を目的に活動する。
「人手が足りないんだ。お前、ケルンと言ったか。人並みに動けるだろう?手伝えよ。ほかの連中は俺が黙らせてやるから。」
願ってもなかった。人の集まる部屋へと案内される。
ハドリーはウィレ様と呼ばれる彼女を説得して見せた。これで次の遠征に参加させてもらえるという。
「ケルン、手前に一つ忠告する。奴らの血に触れるな。呪いは血に溶け込むんだ。ここいらの竜の呪いは強烈だぞ。一瞬で鱗塗れだ。」
木箱を運びながら地面に並ぶ彼らを横目にハドリーが言う。布の敷かれた地面の上に横たわる彼らは何か呻いている。痛むのだろうか。
暴れるのを防ぐためか手足を縛られ、首と柱が繋がれていた。医師に見える白衣の人物が処置に奔走している。
「ああはなりたくないだろ?ウィラ様とウィレ様は国民だからと全員を救おうとしやがるんだ。そんなこと出来やしないのにな。」
「どんな目的があって遠征を?」
「医師局の連中への牽制だろうさ。俺たちはまだ諦めていないって健気にも伝えるためだろう。」
医師局と呼ばれた組織は王権派と対立しているようだ。
何でもこの症状を治すことができるためドラスティ各地から患者が治療を求めてその拠点が設置されているかつての首都へ向かうらしい。
「だがな、俺は医師局の連中には裏があると見ている。この鱗が治るなんてあり得ねえよ。常識だぜ。」
「それでも確かめる価値はありそうです。」
「そう。それが今回の遠征の最大の目的になる。計画は主に俺、そして王都の構造に詳しいウィラ様で組み立てた。」
ハドリーは普段の飄々とした雰囲気から一転、どこか決意に満ちた声で言う。
「決行日は明日。今日はもう遅い。しっかり休め。」
それは初めて聞いた。
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「ラジオは聞くか?新入り。」
「はは。そうか、そりゃ勿体ない。悪いことは言わない。聞いておけ。特に俺たちにゃ、楽しみが必要さ。」
差し出された小さな傷だらけのラジオは今もこうして雑音を奏でている。手回し充電機を内蔵するそれは先輩もその更に先輩から受け継いだ物だと言う。レバーは折れているためひどく充電しずらいが、とにかく長持ちしている。
「ケルンだったか。俺はもう寝る。見張りは頼んだぞ。あ、それと音量はなるべく下げろ。ラジオは耳元で小さく聞け。奴らをおびき寄せるかもしれないし、充電の減りも早くなる。それに俺が寝るのに邪魔だ。」
先輩はそう言って焚火の近くで向こうを向いて横になった。
とにかく、あの夜はとても長かった。
砂漠の夜はそれに似ていた。加えて日中の茹だるような暑さはどこへやら、吹き込む風に身を震わせる。
眠れないので昔先輩から譲ってもらったラジオを聞くことにしていた。
運が良ければ何か放送を捕まえられたのだろうが反応は無かった。周波数を変え様子を見るが何も反応は無い。仕方がない。寝よう。
すると雑音が意味のある音に変わる。女性の声。
「これを聞いている調査団の誰かへ。ドラスティの王都へは近付くな。治療は罠だ。人でなくなる前に東へ向かえ。アストルの誓いを忘れるな。」