おしまい
三年生の引退を前に、ただ一人の二年生であるわたしに部長引継が行なわれた。
事務的に終わると、あまり会話のなかった前部長に、世間話のひとつでもしておくべきかと思った。
「進路はどうするつもりか?」
先輩男子は唐突な質問に、瞬間、すべての動作を停止したが、
「そーゆー言い方を聞くのも、これが最後かな」と笑った。
「まあ、なあんも考えてないけどな」
「そう」
「ただ、こんなこと言うじゃん」
人の行く裏に道あり 花の山
「皆が買うから俺も買う、皆が売るから俺も売るじゃあ、高値をつかまされて安値で売るってことになるわけだろ? 出口が混み合っているときにそっと入って、入口に殺到しているときにそっと出てゆく」
「ピーター・リンチの言葉と聞く」
「らしいな。でさ、進路もそうしたほうがいいのかなと、なんとなく思う」
「そうしたほうがいいとは?」
「皆が目指したがる進路より、目指さないようなところがいいのかなと」
「例えば?」
「例えば? そうだなあ、農業とか面白いかもな」
「農業?」
「作る奴、高齢化でどんどんいなくなってるらしいじゃん。でも、メシはいつの時代も食うんだから、農家は絶対に必要だろ? 今は過疎で田舎の土地は二束三文だし、農業やってくれるんなら大歓迎するところも多いって聞く。今なら大地主になることだって夢じゃないんじゃないか」
「なら、農学部をめざすのか?」
わたしの質問に、先輩男子は「はあ?」と大きな声を上げた。
「んなカネかけてお勉強しなくても、農業ぐらい誰だってできるだろ。田舎のじいさんばあさんでもやってんだぞ」
「では、どこかの農家に働きに行くのか?」
「誰が農業やるって言った。例えばの話をしただけだって。なあんも考えてねえよ」
十分に考えているではないかと感じたが、進路など軽々に決められるものではないと理解はする。これ以上、なにも出てくることはないと考え、わたしは追加の質問を控えた。
沈黙に、相手はなにか話を継ぐ必要を感じたのか、間を開けてから、口を開いた。
「人生はさ、結局、ギャンブルだと思うんだよな」
どの進路を選ぶのか、それって一択じゃん。そりゃあ、途中で別の途に変えることができるにしてもさ、株みたいにリスク分散できるわけじゃねーだろ。
「だから、なんつーか、あんまり小賢しく動いてもなあって」
「小賢しく動く、とは?」
「うーん、なんつーか、なんだ、だから、先回りしてあれこれ考えても、結局、なるよーにしかならないって思ってさ」
わたしは少し首を捻って、部長の言葉を反芻した。
「それは、現実逃避ではないのか?」
相手は失笑した。
「おまえ、ちっとは言葉を装飾しろよ」
三年生の投資決算は。
かわいい人は元本を4倍にしていた。部長も2倍にしていた。
「たまたま環境がよかっただけだよ」
かわいい人は一言で片づけた。
「2年や3年上がったからって、それで運用する力がついたなんて思えない」
でも。
「おかげで、運用と経済の初歩の初歩を知ることができました」
総括して先輩ふたりが引退していった金曜日、世間では大きな出来事がふたつあった。
ひとつは、大谷翔平が移籍したドジャースが地区優勝したこと。もっとも、野球に興味ないわたしには関心がない。大谷は記録を伸ばしつづけているそうだが、そしてそれは、とてつもなく凄いことなんだろうが、わたしには他人事でしかない。
もうひとつは、9人もの立候補者が出た自民党総裁選で、激戦の末、石破茂氏が選ばれたこと。
興味深かったのは為替と株式市場の動き。
1回目の投票では、高市早苗氏が一番だった。それを受けて、為替は円安に、株価は高騰した。
しかし、決戦投票で石破氏が逆転すると、為替は円高になった。東京株式市場は閉じられた後だったが、先物は下落した。
「金融緩和を続けると言ってましたからね。株式市場としては、高市さんの期待が大きかったんではないですか。それに対して石破さんは金融所得課税を打ち出していましたから」
顧問はそう言った。
「じゃあ、今度の選挙で、自民党は、なんか間違った選択をしたってことですか?」
のっぽの後輩女子が聞く。
「それはわからないなあ」
顧問は苦笑した。
「でも、株価が落ちたら、なんかみんな困るわけでしょう? 貯蓄から投資へとか言ってた話からしても」
「まあでも、選挙結果なんて、いっときのことですから。大勢に影響はないでしょう」
「じゃあ、円がなんか下がったり上がったりしたのは、どうしてですか」
「それは高市さんが、今、利上げなんかしたらアホやと言ったからでしょう」
「?」
為替の変動要因はいろいろありますが、そのひとつに利回りがあります。
今、日本円の利回りは1%に満たないですが、例えばアメリカドルは5%ほどあります。なら、たくさん利息がつくドルを買ったほうが、円を買うより有利ですよね。だから為替でドルが上がり、円が下がるわけです。
日本もインフレが進み、日銀も金融緩和を改めて利上げする方向を打ち出していますから、円はその分、高くなると思われていたのに、利上げをしないと言ってた人が首相になる可能性が高まったので、円が下がったんです。でも、結局、そうならなかったから、円は高くなった。と考えられます。
「でも、あなたたち若い人は、よく見ておかなければならないことがありますよ」
「よく見ておかなければならないこと、ですか?」
「そう、今の政治家はお金もないのに、大盤振る舞いは大好きですからね」
「?」
「国が抱える借金は途方もない額です。世界を見回しても、日本ほど借金まみれの国は、他にほとんどないですから。そんな借金、日本の場合は大したことないと言う人もいるようですけど、わたしは懐疑的です。1980年代のバブルのときも、日本は特別だから大丈夫と言う人が少なからずいました。でも、結局は特別でもなんでもなくて、株価が当時の最高値を更新したのは、ついこの間のことです。借金は誰がどう言おうが借金であって、自分の稼ぎで賄うことができないから、借金をするわけです。増え続けて問題ないわけがないのです」
のっぽの後輩は不思議そうなかおで尋ねた。
「それがどうして若いわたしたちがよく見ておかなきゃならないんですか?」
顧問は笑った。
「身近な話に置き換えたほうがわかりやすいですね」
例えば、あなたのおじいさん、おばあさんがずいぶん気前のいい人で、どこに行くにもいい服を着て、いつも高価なものばっかり食べて、いいところに住んで、誰かからお金が足りないと言われればお金を出してあげるような人だったとしましょうか。
当然、お金はどんどんなくなってゆきます。
普通なら、ムダ使いをやめるとか、華美な生活をやめるでしょう。でも、足りない分はお金を借りて、今までどおりの生活を続けるとすれば、どうですか?
それも自分たちが死んでから何十年も後で返す約束の借金だとすれば?
「死んだ後に、どうやってお金を返すんですか?」
「それはおじいさん、おばあさんの知ったことじゃない。孫のあなたが考えることだから」
「え? どういうことですか?」
「だから、あなたがその借金を返すんです。あなたなら、何十年後でも生きてるでしょ」
「え、それって、わたしが使ったお金じゃないんでしょ?」
「そう、あなたのおじいさんおばあさんが自分たちが裕福に暮らせるようにと借りてきたお金です」
「えー、そんなの絶対イヤです! なんでわたしが」
「と思うでしょう? でも、それと同じことを今、国はやっているんですよ。経済対策の名の下で、国債という借金を増やし続けています。その借金を払うのは、あなたたちが大人になってからです」
「えー、うそ、信じられない」
後輩と顧問の会話を聞きながら、その借金が既に積み上がっている以上、大変だ大変だと騒いでも仕方なかろうと思った。
では、解はどこにあるのか。
莫大な借金を莫大なものでなきものとするには、貨幣価値を下げることが近道であろう。
インフレである。
とは言え、物価高だけなら、生活が苦しくなる一方で、せっかく世界一貯めた国民の貯蓄まで毀損することになる。ならば、貯蓄から投資へ国全体、国民全体が取り組めばいい。
ふっと息が漏れた。
なんのことはない。新NISAで政府がはじめたことと変わりない。
岸田政権は支持率が最悪だったし、金融所得課税を当初打ち出して総スカンを食ったように、経済において当初はトンチンカンなところがあったものの、結果的にすべきことを成し遂げたと言えよう。
わたしの部活はあと一年になった。
後輩は、女子がしっかりしている一方で、男子は危なっかしい。つい先日も、ちょっとした値下がりで慌てて売る売ると騒いでみたり、ネットかどこかで見た銘柄を買う買うと狂ってみたりで、顧問を閉口させている。これを見てると、個別銘柄の選択に逡巡する時間を節約するためにも、インデックスファンドを愚直に積み立てるのが無難かつ合理的と感じる。
月曜日は、きっと株価が下がるだろう。あるいは暴落するかもしれない。
しかし、下がった株価はいつか戻る。暴落すれば、そこは買いという視点が今のわたしにはある。買う資金がないという現実もまたある。
2024年9月27日現在 わたしのポートフォリオ
・1678 NEXT FUNDS インド株式指数 Nifty50 連動型上場投信 2,000株 買値319.8円 株価363.8円 時価767,600円 含み益128,000円
・2579 コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス 200株 買値1,530円 株価2,045.5円 時価409,100円 含み益103,100円
・3445 RS Technologies 200株 買値3,200円 株価3,805円 時価761,000円 含み益121,000円
・5888 DAIWA CYCLE 200株 買値1,800円 株価2,953円 時価590,600円 含み益230,600円
・7134 アップガレージグループ 800株 買値835円 株価994円 時価795,200円 含み益127,200円
・8306 三菱UFJフィナンシャルグループ 400株 買値1,067円 株価1,451円 時価580,400円 含み益153,600円
現金 41,769円
時価総額 3,945,669円 含み益945,669円 含み益率32%
参考文献
バートン・マルキール 「ウォール街のランダム・ウォーカー」 (原著第13版)井出正介訳 日経BP社、日本経済新聞出版 2023年
ピーター・リンチ、ジョン・ロスチャイルド 「ピーター・リンチの株で勝つ(新版)」 三原淳雄、土屋雄二訳 ダイヤモンド社 2001年
ピーター・リンチ 「ピーター・リンチの株の法則」 平野誠一訳 ダイヤモンド社 2015年
田中慎一、保田隆明 「コーポレートファイナンス 戦略と実践」 ダイヤモンド社 2019年
大手町のランダムウォーカー 「会計クイズを解くだけで財務3表がわかる 世界一楽しい決算書の読み方(実践編)」 KADOKAWA 2022年
安倍晋三「安倍晋三回顧録」中央公論新社 2023年
エドワード・チャンセラー 「金利 「時間の価格」の物語」 日経BP社、日本経済新聞出版 2024年
山本謙三 「異次元緩和の罪と罰」講談社現代新書 2024年




