1-1 魔女の喫茶店(前)
「いらっしゃいませー、調薬ですか? それとも喫茶?」
りりん、と鳴ったドアベルの音に、さざめく笑い声の輪から顔を上げた。
戸口から入り込む午後の陽射しが、遠慮がちな来訪者に先んじて、板張りの床を伸びやかに照らしていく。
「あら。こんにちは、ユーガーさん!」
「お。今日はゆっくりだな、ダグ」
「昨日はおつかれさーん」
扉をくぐって現れたのは見慣れた常連のお客さん。ダグハルト・ユーガーという名の、日に焼けた肌に黒髪の若い狩猟者さんだ。
顔見知りの先客たちと軽く挨拶を交わすと、ユーガーさんは控えめに微笑みながら、喫茶フロアの方を指差して
「こんにちは、……魔女さん。いつもの席、いいかな?」
「ええ、どうぞ。いつもの遅めの昼食でいいのかしら?」
「うん。頼みます」
「はいはーい。もうすぐ干しブドウのケーキが焼けるけど、よかったらいかが? 甘いものはお好み?」
「あ、じゃあそれも」
言葉少なな彼に、承りました、の返事代わりにパチンとウインクをひとつ。
背面にそびえる食品棚の中から、大きな黒麦パンの塊を抱えて調理台へ置いた。
よく研がれたパン切り包丁をかまどで軽く温めて、慣れた手つきでスライスしていく。
彼――ユーガーさんが午後から店にやってくるのは、大抵 前日に仕事があったオフの日だ。
狩猟者の仕事といえば文字どおり狩りだけれど、その肩書にはそれ以外にも『森を含めた市街地周辺の治安維持』の役割が含まれる。たとえば迷い人の捜索だったり、野盗の摘発だったり。街道の倒木の撤去をやらされた、なんて話も聞いたっけ。
今回もその手の“何でも屋さん業”に駆り出されてきたのだろう。先客のおじさまたちの会話の中に、そんな愚痴の切れ端が混じっていたし。
そんな慣れない仕事の翌日は、大抵 午前中に仕事道具の手入れをして、備品の買い出しなんかを終えてから、ゆっくりと食事とお茶をしに訪れてくれる。
わたしのお店をそういう“自分へのご褒美”みたいに使ってもらえるのは、正直、うん。
(へへ。うれしいもんだなぁ)
我ながら現金なものだけど、調理場を行き来する足も弾むってもんです。
ゆるく垂らした三つ編みの髪が、はしゃいだ犬の尻尾みたいに背中で揺れてるのが、自分でもわかった。
単身 山を下り、この街で喫茶と調合薬のお店を始めておよそ半年。
開店間もない頃から通ってくれていて、さほど代わり映えのしないサンドイッチと香草茶のランチにも、毎回「美味しかったです」の一言を欠かさないユーガーさんは、わたしにとって良いお客さんだ。
なので多少の特別扱いもむべなるかな。ハムを一枚多めに切るとか、ケーキをサービスしてあげるとか、ね。
――ここは魔女アガテの店、栗鼠の花籠亭。
魔女の心は勝手・気まぐれ・猫の目の如し。
お気持ち次第でお客様のえこ贔屓くらい、平気でしちゃうのが魔女なのです。
今日はカウンター席で茶飲み話に花を咲かせている友人のミーツェが、自宅で採れたうみたて卵をおすそ分けしてくれたから、半熟に焼いて添えてあげよう。
焼き加減の好みは聞いたわけではないけれど、前に出した時、固焼きの時より目がキラキラしてたから。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――さて調理の途中ですが、『魔女』という言葉から連想するイメージといえば何でしょう。
黒いローブ、黒い猫、黒い陰謀。 老婆にホウキにお菓子の家?
巷に蔓延るソレら『悪い魔女』の側面も、一概に否定できないけれど。
わたし、アガテ・タールフェンは声を大にしてこう言いたい。
「わたしは、『善い魔女』ですから!」
……自分で言うとかえって怪しくなっちゃうのが悲しいんですが。
この店を任せてくれた恩人と、私に魔女術を教えてくれたひいおばあちゃんの名にかけて。わたしはいつでも、胸を張ってそう言える魔女でいなくちゃあいけない。
とはいえまだまだ『魔女』には日陰者のイメージが付きもの。
田舎から出てきたわたしがお店を始めた当初は、偏見と疑いの目は今とは比較にならないほどに多かった。
街の顔役で、この店舗の大家でもあるDr.オイゲンが口添えしてくれなかったら、わたしは今も朝から晩まで窓辺でぼーっと頬杖ついていたことだろう。
オイゲン先生の助力と、わたしの『魔女といってもぜんぜん怪しくないんですよ運動』――街角のお掃除やご近所さんへのご挨拶などなど、草の根的な活動――が少しずつ実を結び、新しいもの好きな若い女の子たちや、外食先を求めていた単身者の人たちなんかが足を運び始めて。
今では名前で呼び合える友達も、気さくに声をかけてくれる常連さんも出来て、ようやく『この街の魔女』として溶け込めるようになってきたと思う。
――悲しいかな、わたしに魔女術の楽しさを教えてくれた師匠本人は、魔法にずっと“戦うため”の力を求めていた。
『アタシはアイツにギャフンと言わせてやるまで死ねないんだよ』
『必ず目にモノ見せてやる。それで高笑いしながら人生を締め括ってやるのさ――――』
手仕事の誠実さのわりに荒っぽい口癖は、その波乱万丈な人生の表れ。
だからそれがひいおばあちゃんにとって大切なことだとわかっていても、割り切れないもどかしさがあった。
わたしが習った魔女の魔法は、草木の力を借り受け、妖精と語らい、日々を少しだけ良くする、“営みのための智慧”。
ヒトと妖精の望みを取り持ち、人間の暮らしと自然の営みを繋ぐ仲介役。
そこに悪意の緯糸を織り込む者がいるとしても、それが『魔女』の本質じゃない。
特別だけど特別じゃない――小さな命の流れに寄り添うモノだと、一人の魔女として、わたしは示したい。
そう。目指すところは『魔女』のイメージの改善と、人々との共存。
そのためにわたしは日々パンを焼き、お菓子を焼き、お茶を淹れてはおしゃべりに勤んでいるのです。
……あれ、魔女のイメージってこれで良くなる……?
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
はい、おかえりなさい。
意識を手元に戻すと、ハーブソルトを振ったハムとオニオンマリネのサンドイッチの隣に、よそったばかりのフライドエッグがぷるんと揺れた。
うんうん、カンペキな半熟具合。ナイフを入れた瞬間に、とろっとあふれ出す黄身の雪崩が目に浮かぶよう。
「なにフライパン持ってニヤニヤしてるのよ、アガテ」
おしゃべりに興じていた内の一人、大人びた顔立ちの友人・ヒルダが、わたしの様子に気づいてくすくす笑いを零す。
「ふっふーん。やっぱり魔女アガテ様は何を作らせても一流だと思いまして?」
「自画自賛~」
「自意識過剰~」
「こらー! 容赦しろー!」
気の置けない友人たちの、言葉のわりに毒気ないツッコミを笑いながら、手元の呼び鈴を鳴らす。
うちは料理が出来たらお客さんの方から取りに来てもらうシステムになっている。
呼び出したユーガーさんはといえば、鈴の音とほぼ同時に席を立っていた。
反応の良さは、さすがハンター、ってところだろうか。ちょっぴり感心しながら、料理とお茶を並べたお盆をカウンターの上に置いた。
「お待ちどおさま。ケーキは少し冷ました方が味が落ち着くから、後で持っていきますね」
「ありがとうございます……アが、あー、たまご、上手に焼けてると思います。美味しそうです」
「あはは。ごめんなさいね、いつもうるさくって」
わたし達の軽口が聞こえていたらしい。ご丁寧に卵の焼き加減にまで言及してくれるユーガーさん。
律儀な褒め言葉はうれしくもあり照れくさくもあり。
照れ隠しにへらりと笑って片手をかざすと、つくづく紳士なユーガーさんは、「いえ!」と一生懸命に首を横に振ってくれる。
「魔女さんは実際、すごいと思います。料理も薬も、俺はいつも助けられてるから」
「そ……う、ですか?」
「うん。……医者にかかるほどじゃないケガとか、しくじってよく悪化させてたけど。ア……魔女さんの塗り薬のおかげで、今はそんなこともなくなったし」
「そ、そですか。えへ、いや、照れますな……」
頬が紅潮するほど熱心に褒められて、こっちまでヘンな感じになってしまった。
……人が好きで人里暮らしをしているわたしにとって、感謝の言葉は最大の報酬といえるんだけど。あんまり山積みにされても困ってしまう。
ここでナチュラルにふんぞり返れる度胸がないのは、わたしの未熟さかなぁ……。
調子を崩されたわたしが面白いのか、やけにニヤニヤしたヒルダの顔が目の端をかすめて、わたしはハッと我に返った。
「ほ、ほら。聞いた? 一流のハンターさんにはわかるのですよ、一流のスゴさってやつが!」
「え。いや、俺は一流なんて……!」
「謙遜、謙遜」
なんてつい、ふざけて混ぜっ返してしまうのがわたしの悪いクセ。
人の好いユーガーさんが慌てる横で「はいはい」「きゃー魔女様すごーい」なんて囃し立てるヒルダとミーツェの声にいつもの調子を取り戻すと、にっこり笑って彼に木の盆を差し出した。
「お仕事お疲れさま! どうぞごゆっくり」
「……ありがとう。いただき、ますね。ア……あの、はい」
「?」
代金の銅貨と引き替えにお盆を受け渡す。
わたしが言ったとおりのお疲れモードなのか、ユーガーさんはどことなくとぼとぼとした足取りで、座席に戻っていった。
「…………ども」
「あ。ありがとーございましたー」
食事を終えた別の若い男性客が会釈しながら足早に帰っていくのを見送って、わたしは小さく肩をすくめた。
ユーガーさんときたら本当に、ちょっと心配になるくらい素朴ないい人だ。
歳はわたしより二つか三つ上だったはずだけど、全然すれたところがない。
うちのお客さんで彼と同年代の男の人といえば、大抵 今のお客さんみたいに素っ気ないか、過剰に馴れ馴れしいかのパターンが多いのに。
『ただの店員』のわたしにも、ずいぶん丁寧に、紳士的に接してくれる。
(……もしかして、もしかすると……あれかな)
……ユーガーさんって――――ものすごく、育ちがいいのでは?
天啓のような閃きに、すみっこでティーポットを傾ける横顔にカッと視線を向けてみる。
それにしては身なりや食の好みが庶民派な気がするけど。
どちらにせよ、ヘンな女の人に引っ掛かったりしないか心配になっちゃう。
わたしが悪い魔女だったら今ごろ頭からぱくりだよ、まったく。
若干 失礼なことを考えながら調理台と空いたテーブルを片付け終えると、かまどからパチパチと黄色い火花が散るのが見えた。
『あがて、あがて。ころあい なのよ』
「はあーい」
星のようにチラつく火の粉は、かまどの妖精からの焼き上がりの合図。
分厚いミトンを両手に嵌め込みながら、カップを傾ける友人たちを振り返る。
「ケーキ、折角だから焼きたても味見する? すこし置いた方が美味しいけど」
「食べたい! 冷ましてしっとりしたのもいいけど、焼きたてほかほかもいいのよねー」
味を想像するだけでうっとり顔のミーツェを笑いながら、オーブンの鉄扉を開ける。
慣れた作業でも、焼き上がりの時はいつもわくわくする。ぶわりと庫内から漏れ出す熱気に目を細めながら、並んだケーキ型に手を伸ばした。
本日のケーキは干しブドウをお酒に漬け込んだタイプと、子供向けにそのまま混ぜ込んだものの二種類。
きつね色に焼き上がった生地から、砂糖とバターのいい匂いが立ちのぼる。
刺した楊枝にも生地は残らず、文句なしの焼き加減。満足な出来に、自然とほころんでいた。
「ありがとう。今日もいい焼き色ね、かまどのレディ?」
『もちろん、もちろん。とうぜん なのよ?』
ミトンの先に摘まんで差し出したドライフラワーは、かまどの精へのお礼の品。力を借りた妖精には、必ず返礼をするのが魔女の礼儀だ。
小さな火の玉が踊るように渦巻いて、乾いた花を絡め取る。
片目を閉じるわたしの癖を真似るように火の粉を瞬かせると、妖精はまた炉の中へ帰っていった。
自然豊かな川辺にあるこの街の周辺は、もともと妖精の集まりやすい土地柄なのだけど、この店にも結構な数の妖精が住み着いている。
魔女と契約して仕事を手伝ってくれる子もいれば、ご褒美目当てに気まぐれに手を貸してくれる子、姿隠しの魔法を使ってお客さんの頭の上でお昼寝三昧なんて困ったちゃんまで、内訳は様々だ。
人家に住み着くような妖精は、もともとヒトが好きな子たちばかりだから、あんまり厄介な悪戯をする子はいないけどね。
そんな小さな隣人たちの力を借りて出来上がった本日のケーキを、三切れ分だけナイフで切り出し、残りは木綿の布巾をかぶせておく。
お客さまに出す分は、粗熱が取れてからカットしよう。
「はい、焼けましたよー。食べよ食べよ」
「やった、いただきまーす♪」
カッティングボードに並べたままのケーキに三方向から手が伸びる。
元からこまごまとお行儀を気にするような店ではないけど、この二人が来るとなかばプライベート空間みたいに気を抜いてしまったり。
まあ、それを咎めるようなお客さんはめったに来ないし、今も客足が落ち着いて誰も見てないだろうから、気にすることもないだろう。
何気なく店内をぐるりと見回すと、数名のお客さんたちはみな自分たちの話に夢中。
同じくのんびり昼食の最中だろう隅の席にも顔を向ける――と、意外にも視線がかち合った。
「――――」
「――――」
「あ」のかたちに開いた口に、卵の黄身を浸したパンのかけらが運ばれる瞬間を目撃。
ぼさぼさの前髪の下にある穏やかなブラウンもまた、ケーキをかじろうとするわたしを、まっすぐに映している。
「――……っ!」
(んっ?)
と思ったら、バッ! と音がしそうな勢いで顔を逸らされた。
予想外の過剰反応に目をぱちくりさせる。
そのまましばらくじーっと見つめてみるが、首が固まってしまったかのようにこちらを向いてくれない。
……食べてるトコ見られるのは恥ずかしいのかな?
パッと見ただけだけど、別に変な顔はしてなかったけどな。
もくもくケーキを咀嚼しながら、なんだか申し訳ないことをしたなと反省する。
たまたま店員と目が合っただけでこの照れよう。
こんなに繊細な人なんだもの。
顔を背けた時に黄身が顎に垂れちゃってることとか、耳まで真っ赤になってちょっとカワイイな、とか。ツッコまない方がいいんだろうなぁ。