花は紅? んなことねーよ、他の色だってキレイじゃん。あ、でも柳の緑はキレイだよね。あーでも青竹も捨てがたいわー。(柳緑花紅真面目)
好きなことは何かと聞かれたら、温泉に行くことだと即答する。
休みがもらえたら、まあだいたいどこかの温泉に行く。
地域柄、日帰り温泉も充実してるし、源泉かけ流しもよりどりみどりだし。
まだ日が明るいうちから風呂にのんびりはいれるのって最高の贅沢だと思う。
先日も残業相殺用の代休で、日帰り温泉に行ってきた。ど平日の開店直後。ほぼ貸切状態だ。
ゆっくりと熱い湯に浸かりながら、あ~刺青入れなくて良かったなあ~としみじみ思う。
遡るのは大学時代。
当時、精神年齢ガキンチョレベルだった私は、刺青にめちゃくちゃ憧れを持っていた。
授業そっちのけで刺青のデザイン画を描き、友人たちにどれがかっこいいか選んでもらったことがある。
もちろん「ねえねえ、俺が入れんならどれが似合うかなあ?」と質問して。
だってここは都会だべ。
彫師さんの一人や二人、探せばすんぐ見つかるはずだべや。
せっかく東京さ来たんべから墨さ彫ってもらわんばオラ田舎さ帰れねえべ!
という田舎根性だった。(と思う)
んで田舎に戻ったときに、オラオラ! これがオラが東京で彫ってきた刺青だべ! 見てけろ見てけろー! って地元のダチ(超少数)に自慢してみたかったんだべなあ。
だけんども、オラにゃ背中一面に彫ってもらう根性はねえだよ。だってすんごい痛いんだっぺ……。
オラ泣いちゃう。無理無理。無理だッペ。
だからね、肩口にね、ちっちゃいのでいいから入れてもらいたかったの。
アニキとか親分みたいなのじゃなくて。
肩から鎖骨にかけて入れてたら、絶対におしゃれだなってずーっと思ってた。
襟首からチラ見せとか、最高にかっこいいじゃん。もちろん和彫りね。タトゥーじゃなくて。絶対に和彫り。そこは譲れないね。
しかし、ありがたいことにみんな常識のある人たちだったから、全ての友人(超少数)にこれでもかと否定され、反対され、馬鹿にされ、私は泣く泣く刺青デビューを断念したのである。
そんな大学時代の懐かしい思い出がある。
おかげさまで、今でも私の身体はヴァージンのままである。
入口の立看板に怯むことなく堂々と入店し、堂々と服を脱ぎ、堂々と裸体を晒し、堂々と温泉に入ることができる。どうだすごいだろう。
温泉で羽をのばすたびに、常識のある大学時代の友人たちに心の中で感謝する。
卒業してから一切連絡とか取ったりしてないような関係だけれども。
止めてくれてあんがとね。
私が馬鹿だったさ。
肩にちみっこい龍なんか乗せてたら、今ごろ恥ずかしくて人前で服が脱げなくなってたさ。
で、温泉に話を戻す。
温泉つったらさ、やっぱ露天だよね。
季節の植物を眺めながら風呂にはいるのって最高だよね。
お湯がちょっとくらい熱くても、風が吹いたらちょうどいいの。最高だよね。いつまでも入ってられるよね。ゔぁー極楽極楽って言っちゃうよねー。
え? 年寄りクサイ? だって年寄りだっもーん。
んでね、たまたま露天風呂の庭にね、すっげえきれいなアジサイが咲いてたの。
全体的に青系統のアジサイの集団があってね、その中に点々と赤紫が咲いてたわけさ。
まあ、当然のように疑問が浮かぶ。
あり? どっちが酸性でどっちがアルカリ性なんだっけか?
あの赤紫色のとこだけ土の成分を変えてんのかな?
雨で土が流れたら、赤い色素のアジサイの比率が増えてくのかな?
あ、そういえば最近真っ白のアジサイよく見かけるけど、あの白い色、あんま好きじゃねえんだよな。なんつーかちょっと不気味。
あれどうやって改良したんだろ。色素の遺伝子編集したのかな? それとも交配? どっちにしても妙に変な白なんだよな。
どういうルーツの植物なんだろ。
あ、そういえば品種改良っつったら、最近花屋で見かけた万華鏡ってアジサイ、超かわいかったなー。
欲しいなー。地植えで大きくしたいけど絶対に変色するしなー。あーでも欲しいなー。
etc...
のぼせるまでアジサイのことについて延々と思考することとなった。
アジサイの花言葉は「移り気」だ。
夏を涼しく彩る色調の花なので、アジサイを贈り物に考えることもあるけれど、女性はけっこう花言葉を気にする人も多いので、悩んだ結果、候補から外してしまうことがよくある。
最近よく見かける白いアジサイはアナベルという品種らしい。こちらは色が変わらないためか花言葉は「ひたむきな愛」となっている。
でも個人的にはアナベルより、ヤマアジサイやガクアジサイのほうが好きだったりする。
大多数の人たちが一般的なアジサイの花言葉に対して、ネガティブな印象を持っているようだ。
心変わりは、不誠実というイメージだからだと思う。
でも――。
なんとなく風呂に浸かりながらアジサイを見ていたら、心が変わることって別に悪いことじゃなくね? って考えが浮かんだ。
自分が根を下ろした大地に合わせて、自分の色を染め直して生きるアジサイ。
自分を変化させることができるのも一つの才能だと思う。
郷に入ってはなんとやらって言葉もある。
色を変えても、アジサイがアジサイであることに変わりはない。
つまり。
アジサイって、すっげーおっとな〜!
思わずアジサイ先輩を尊敬の眼差しで見つめてしまう自分がいた。
青いアジサイたちの中で、ぽつんと咲いている赤紫のアジサイ。
だけど赤紫のアジサイが浮いているとか、調和を乱しているかといえば、そういうわけではない。
お互いが対比し合うことで、お互いの色が強調されて、より美しく見えるように感じた。
青のアジサイだけでは、きっとこんなに映えないと思う。
青いアジサイたちだって、みんな同じ色をしているわけではない。
白みがかっているのや、淡紫、濃青、淡青……。
作為ではない偶然のグラデーションが、不思議な調和を生み出している。
そして雨が降れば、土が溶けて、流れて混ざって、アジサイたちの色を変えていく。
水色のアジサイは淡紫に。
青紫のアジサイから赤紫に。
もしかしたら、赤紫のアジサイのほうが青に変わっていく可能性だってある。
つながっている大地の影響を、それぞれがそれぞれに感じ取って、思い思いに変化していく。
アジサイって、人と似てる。
近くの人の影響を受けて、感化されたり、逆に誰かへ知らないうちに影響を与えたりしている。
離れているようで、実はどこかでつながっている。
そういえば、昔は突出していた自分の悪い面も、最近はあまり出てこなくなった。
もしかしたら知らない間にどこかへ溶け出ていったのかもしれない。
だとしたら、誰かに移してしまっていないことを祈ろう。
もしかしたら誰かの何かが流れ込んで、薄まったのかもしれない。
だとしたら、誰かも思い出せない誰かに感謝しよう。
きっと私の色は、あの頃から随分と変わったのだろう。
そんな結論に辿りついたところで、のぼせてしまったので露天風呂から退散した。
よーし!
ちめたいコーヒー牛乳を飲むのだー!
お腹がゴロゴロしないように、ちびちび飲むのだー!
・・・
結局、いまの私は何色から何色になったんだろう。
もしも大学時代の友人に会うことがあったら尋ねてみたい。
もしアジサイを彫るんなら、やっぱり場所は二の腕かなあ。