16 好きだ
瀬奈は一息つくと、喋り疲れた喉を潤すためにカップを持って珈琲を飲む。
「これが自分と母達との……!」
「……駄目よ!」
瀬奈が口を開こうとすると鈴はその言葉が出た瞬間にその口を手で塞いだ。
「そんな人達を母と呼んじゃ駄目よ!」
「!」
「その言葉は呪いよ……あなたがそれをやめない限り、その呪縛は一生解けないわ!」
鈴が怒っているのは瀬奈を縛る悪魔に対して九割、残り一割はそれをよしとしている瀬奈にだ。
「瀬奈がここに来れたのは異能が発現したから?」
「……はい、運が良かったです」
「いつから?」
「えと……二年前からです」
鈴は指を折って年数を数える。
「なら、あなたが学園に来るまでの……約五年間。その間、母と名乗る悪魔との地獄を生き抜いてきたんでしょ?」
「えぇ、そうですぅ!?」
何を思ったのか、鈴は瀬奈の隣に立つとその首に手を回しそっと抱き寄せた。
「え、えぇ? り、鈴先輩!?」
瀬奈は周囲の視線が集まるのを肌で感じた。ヒソヒソと女子達がよからぬ事を口々に語り始める。
だが、突然の出来事による外野の反応に不安を感じつつも瀬奈は密着している柔らかい体と重なる心音が妙に心地良くて突き放せずにいた。
「ありがとう」
「……え?」
「私は嬉しい。瀬奈が生きていてくれて嬉しい」
「……」
「辛かったでしょ? 苦しかったでしょ? ……泣けなかったでしょ?」
「…………」
瀬奈の目元が熱くなる。
「よく頑張ったわね、もう大丈夫よ」
誰かに慰めてもらうのは何年ぶりだろう。心にじんわりと温かいものが注がれるような気分に視界が潤んで、周りが見えなくなる。
「私が瀬奈を守るわ。辛かったら逃げなさい……苦しかったら叫びなさい! ……泣きたかったら、泣きなさい」
心を覆っていた淀んだ雲が晴れるように清んでいく。
「そ……んな、自分、は……泣きたい……なんて」
「これからは我慢しなくていい……私が側にいるから」
どうしてこんなにも安心するんだろうと、瀬奈は不思議に思う。今までも優しくしてくれた人はいた。でも、その人達からは感じなかったものを鈴からは感じている。
まるで、本当の母のような親愛と包容力。瀬奈は鈴なら全てを受け止めてくれるような気がした。
「……つら……かったです」
「うん」
「……くる゛しかったです」
「うん」
「…………な゛いても……いいですか?」
「……うん」
鈴は瀬奈の顔を自分の胸にうずめる。人前で泣き崩れるのは恥ずかしいだろうと、鈴なりの気遣いだ。
「ーーーーー!!」
今まで溜め込んでいた悲しみを吐き出すような、声にならない叫び。
全てを受け止めてほしいと願うように鈴に強くしがみついて瀬奈は泣いた。
「ねぇ、あれどうしたんだろう?」
「え? 泣かせたの?」
「あれって、先輩だよね?」
視線と共に声があちこちから飛び交う。煩わしいと思い、鈴は丁寧に周囲へと視線を向ける。
「「「!!!」」」
どう伝わったのか、目があった生徒達は順に急いでカフェから出て行った。全員何かに怯えるように走り去って行ったのを瀬奈が知ることはない。
▽▽▽▽▽
夕日が沈み、星空がうっすらと輝き始めた頃に瀬奈はようやく泣き止んだ。
今まで溜め込んでいた分、涙の量は鈴の想像以上に多かった。制服に広がった染みがその証拠。流石に驚くが鈴はそのことを責めることはしない。寧ろ、鼻水を流す瀬奈を優しく介抱していた。
涙で酷く腫れた瞼を見て鈴は定員に冷やしたおしぼりを頼んだ。それを受け取ると瀬奈の目元を覆う。なんとかそのおかげで少しだけ腫れは軽減した。
「落ち着いた?」
「……はい、鈴先輩。ありがとうございます」
正直、瀬奈は心の整理がまだついていない。これからどうしたらいいのだろうかと、今まで自分の意思と向き合ってこなかった瀬奈はそれがわからなかった。
「……自分はこれからどうしたらいいでしょうか?」
「それは……私にはわからないわ」
自分のことは自分にしかわからない。それを他人に聞いたところで答えは帰ってこない。瀬奈もそれは良くわかっている。しかし、まだ自分の行動を人任せにしようとしているのはまだ過去の経験を克服できていないからだろう。
だから、鈴ができるのはせいぜい助言くらいだった。
「小さなことからでいいんじゃないかしら?」
「小さな……こと?」
「例えば、今日は珈琲じゃなくて紅茶にしてみようとか。明日は食べたことのない食堂のメニューを選んでみようとか。……りょ、料理の練習をしてみようとか」
最後だけ恥ずかしそうに言う鈴。
「その日その日でいつもと違うこと、興味があることを見つけて選んで、少しの勇気を出して挑戦してみたらいいんじゃないかしら?」
「少しの勇気……」
瀬奈は一度だけそれをやったことがある。それは遊園地に行きたいと自分から懇願した時だ。あの時は真奈とメイの正体に気付いていなかったから我が儘を言うことができた。
その後から瀬奈は自分の願望を口にしたことがほとんどない。あったとしてもそれは真奈とメイによって否定されてきた。
今、瀬奈を縛る存在は学園にはいない。孤独に囚われていたあの時とは違い、ここでの瀬奈はただの学生の一人。
「ここは異能学園よ! 何だってできるわ!」
「何でも……」
瀬奈はこの学園に来た頃、一つの楽しみがあった。それはあの時瀬奈を助けに来てくれた菊がこの学園にいると聞いて再会できると思っていたからだ。
しかし、会いに行こうと思っていた瀬奈だったがあることを思い出した。瀬奈が結ばせた真奈と菊の契約だ。
『瀬奈に二度と近づいてはならない』
この契約がある限り、瀬奈と菊は互いに会える距離にいたとしても顔を合わせるわけにはいかない。もし、契約に背けばあの苦痛が菊を襲う。
それがわかっていて瀬奈は菊に会いに行けなかった。
でも、ここなら真奈の異能を打ち破る方法がわかるかもしれない。鈴の言う通り、ここは異能学園。この国の特異な存在が集結しているここなら希望があるかもしれない。
「会いたい人がいます。自分を母……あの二人から助け出そうとしてくれた恩人がいます」
「へぇー、そんな人もいたのね。きっと、向こうもあなたに会いたいはずよ」
「……そうだと、嬉しいですね」
「大丈夫よ! そんないい人が瀬奈の事忘れるわけないじゃない!」
どこからその自信は出てくるのか、胸を張る鈴。
(そっか……なんでこの人にこんなに安心するのか、やっとわかった)
瀬奈の中で鈴と菊の面影が重なる。
瀬奈の憧れであり、常に堂々として自信に溢れた姿勢。優しく、そして丁寧な指導を向けてくれるうちに瀬奈の目標となった人。
「鈴先輩みたいな人ですよ」
「私みたい? 尚更、間違いないわ! なんせ私はいい女だからね!」
「ふっ……ふふ、あはははっ!!」
「ちょっと、何で笑うのよ!?」
その言葉に瀬奈は笑った。きっと鈴は本気でそう思っている。瀬奈はそれを馬鹿にしているわけではないが、疑い無く言いきれる鈴を見て何故か嬉しくなり、楽しくなってしまった。
自分の感情をコントロールできない。目の前の女の子が楽しそうなら自分まで楽しくなってしまう。もし、彼女が泣けば自分も泣いてしまうだろう。喜びも怒りも哀しみも、なにもかもを共感したくなる妙な気分にさせてくれる。
(あぁ……先輩に申し訳ないな)
瀬奈はここにいない瑞己に罪悪感を覚える。
この気持ちに気付いてしまったから。
いくら誤魔化したところでこの気持ちは抑えられない。
なぜなら、瀬奈はもう我慢することをやめたのだから。
(自分もこの人が……鈴先輩が好きだ)




