10 瀬奈の過去①
「……鈴先輩」
「なに?」
瀬奈は不機嫌な鈴から目を逸らしながら声をかけた。犬や猫と目を合わせると威嚇していると知った瀬奈は鈴に野生動物の習性を重ねていた。
「先輩は今日も来てないんですか?」
「えぇ、そうよ」
放課後になって瑞己を迎えに行くとこの二日間は欠席していた。鈴によるとどうやら風邪を引いたらしい。病欠なら仕方がないのだが、何故か鈴は昨日から機嫌が悪い。理由は恐らく瑞己のことなのだろうと瀬奈は話を聞くために今日は鈴を連れていつものカフェに来ている。
「なんでそんなに苛々しているんですか?」
「別に苛々してない!」
それで隠せてるつもりなのかと鈴の態度に瀬奈は溜息をつく。
さっきから考え事をしているようでカップの中身を永遠とスプーンで掻き混ぜている。そして時折我慢できずに何かに向かって舌打ちをしていた。
「じゃあ、どうしたんですか?」
「別に苛々してる訳じゃなくて……むかついてるだけよ!」
(やっぱり苛々してるじゃないか)
一体何が違うのだろうかと瀬奈は疑問に思ったが、ここで話を遮ったら自分に矛先が向いてきそうな予感がして腹の中に飲み込んだ。
「喧嘩でもしたんですか? それとも先輩が怒らせるようなことをしたんですか?」
「そうじゃないけど……」
当てずっぽうに瀬奈は思いついたことを口に出す。瀬奈はあくまでも瑞己とは嘘の恋人関係だ。仮に瑞己に本命がいたとしても構わない。
しかし、瑞己に対して嫉妬も執着もありはしないがストーカーを見つけるまでは他のことに気を取られるのはできれば遠慮して欲しかった。二人が問題を抱えていれば瀬奈の計画にも支障がでるためなるべく早く解決させたいと思っていた。
ただ、嘘でも今は瀬奈が瑞己の恋人ということになっているのに彼氏を好きなのであろう人の恋路を手伝うのは複雑な心境だった。
「……カレー」
「はい?」
「カレーを食べてもらう約束してたのよ」
「なっ……」
何それと言いかけて瀬奈は口を紡ぐ。全く予想していなかった鈴の言葉に思わず本音が漏れるところをぎりぎりで抑えた。そんなことでこんなに腹を立てられる鈴に瀬奈は驚愕を通り越して感嘆した。
照れを誤魔化すようにカップの中身を一気に飲み込む鈴。どうやら恥ずかしいという自覚はあるようだ。
「そ、そうなんですね。えーと……酷いですね!」
「そうでしょ? せっかく私のカレーが食べられるっていうのにね!」
飲み終わったカップを音を立てて置くと鈴はぐいっと身を出して瑞己の非を強調する。
「因みにそれは昨日だったんですか? それとも今日?」
「いつかは決めてなかったけど?」
「え?」
「え?」
瀬奈は鈴のあまりの理不尽さに一瞬思考が停止した。
「そ、それは先輩わるくなんいんじゃ……」
「そんなことないわ! だって、楽しみにしてるって言ってたもの!」
「……そうですか」
最早説得は無理だと瀬奈は諦めることにした。今度瑞己にあったときにはきっと鈴と一悶着あるのだろうと同情するも哀れにも思いつつこの話は切り上げることにした。
あまり会話を重ねていないのに瀬奈は気づいたら無性に喉が渇いた。鈴とのやり取りは想像以上に体力が消耗してカフェに来てあまり時間はたっていないのに帰りたくなった。
そんな瀬奈とは逆に鈴はこれを機会に瀬奈との距離を縮めたいと考えている。異能の力で男にも女にもなれると聞いてはいるが鈴からすれば性別は関係なかった。ただ頼ってくれた後輩と仲良くなりたい、その一心だ。だが、それが空回りしているとは思いもしていないだろう。
「そういえばストーカー被害は最近どう?」
「……目立った事はありません。でも、たまに夜中起きてに部屋の外を確認するとこっちを見ている視線を感じて少し怖いです」
「大丈夫よ、今に尻尾を掴んでやるから!」
そう意気込む鈴に瀬奈は勇気づけられる。しかし、今のところこれといって発展がないのも事実。彼氏役の瑞己と見せつけるようにカフェに足を運んでいるが成果はいまひとつのまま。どうにかして見つける方法はないものかと瀬奈は新たに作戦を考える。
瀬奈が考え事に耽っていると、頼りにして欲しそうに鈴が見つめていた。せっかく手を貸してくれる先輩がいるのだからとここは意見を求めることにした。
「何か良い方法はないですかね?」
「ふふっ、私良い方法を考えてたの」
自信満々の様子の鈴に瀬奈は期待とほんの少しの不安を感じながらその方法とやらを聞くことにした。
「いい? ストーカーは総じて臆病で卑怯な連中よ。あなたが瑞己や私と一緒にいたらきっと近づいて来ないわ。だから、貴方には申し訳ないけどわざと学園外で一人になってもらってストーカーをおびき出しましょう!」
「つまり、自分が囮になれと?」
「嫌かもしれないけど、それが一番効率がいいと思うの」
「…………」
鈴の作戦に瀬奈は少し悩む。それは囮になるのが嫌だからという訳ではない。もう一つの懸念が心配で鈴の作戦に賛成できないでいる。
「囮作戦自体には賛成なんですが、一つ問題があります」
「問題?」
瀬奈にとってその問題は正直に言えばストーカーよりも深刻な事だった。
「自分の母達です」
「母……達?」
鈴が瀬奈の言葉の意味を理解できずに首を傾けているとそれを少し可愛いなと瀬奈は思いながら鈴にわかりやすいように説明し始めた。
「自分は元々養子なんです。九歳の時に孤児院から引き取られました」
「……本当の親は?」
「自分は覚えていませんが、二歳の頃に交通事故で亡くなったそうです」
「そう……残念ね」
心配そうに見てくる鈴に瀬奈は気を遣わせないように苦笑いを浮かべながら話を進める。
「覚えていないのでそんなに辛くはないですよ。それで、自分を養子に迎え入れた人が今の母なんですが。……その母が自分には二人います」
「母親が二人? どういうこと?」
「自分の母はいわゆる同性愛者で、引き取ってくれた時は自分も驚きました。いきなり母親が二人もできたんですから」
瀬奈の家庭事情があまりにも複雑で鈴は開いた口が塞がらない。当時は記憶の乏しい幼子だったとしても両親を亡くした事実は辛い経験だ。それなのに養親が同性愛者というのだ。
「…………」
鈴はなんて声をかければいいのかわからずに珍しく無口になってしまった。
「それでその母達なんですが、かなりの過保護というか……いえ、どちらかと言えば束縛ですね。ここに来る前は朝起きてから寝るまで監視されていました。いえ、きっと寝ている間も監視の目はあったはずです」
「何よ、それ。まるで囚人じゃない」
「囚人の方がまだよかったかもしれません。自分には何の罪があったんですかね?」
瀬奈は笑い話のように自虐しているが、鈴にはそれが無理をしているように見えた。瀬奈がその養親に引き取られて喜んでいないのはわかるが、今の鈴にはどうすることもできない。鈴がそんな歯がゆい思いを顔に出していることに瀬奈が気づく。
「今は大丈夫ですよ! 自分の異能が発覚してからは雫先生が自分を学園に招いてくれてあの人たちから離してくれました。おかげで今は何の心配もありません」
「そう、ならいいんだけど……」
鈴の心配そうに見てくるその瞳を見ると瀬奈はなんだか安心した。それと同時に顔に変な熱が集まっているような気もしていた。
それが何かは瀬奈にはわからないが、もし鈴に気付かれると思うと恥ずかしくなり誤魔化すように早口になっていた。
「そ、それで何が問題かと言うと学園内なら問題ないんですが、ここの外となると母達の監視の目に晒されてしまいます。もし、自分がストーカー被害にあっているなんて知られるとあの人たちはきっとこの学園に難癖をつけて自分を取り戻そうとしてきます」
「親が子供の心配するのは当然じゃない?」
「母達は自分の事をそんなふうには思っていません。あの人たちは気に入っているんです、自分のこの体が」
瀬奈はそう言って自分の胸に手を置く。それは瀬奈という存在を指しているのではなく、人を引き付けるその容姿や男にも女にもなれる特別な体質の事だ。
瀬奈の母親達にとってそれは瀬奈本人よりも大切なこと。瀬奈の人生を狂わせるに足る理由だった。
「そんなの親でもなんでもないわ! ただの自分勝手な我が儘よ!」
「この学園から一歩でも外に出れば自分に自由はありません。あんな日常には戻りたくありません」
瀬奈は引き取られた頃の記憶を遡る。
そろそろ梅雨が明け、夏季に入ろうとしていた頃。孤児院に迎えに来たのは中老を迎えたであろうスーツを着た男性だった。あまり背が高くない男だったが幼い瀬奈は孤児院の大人しか知らず、しかも孤児を育てていたのは女性ばかり。怯えていた瀬奈は年老いた院長の後ろに隠れていた。院長もそれを察して無理に瀬奈を突き離す訳にもいかなかった。
当時の瀬奈の容姿は現在よりも男女の区別がつかず魅惑的だったため、他の孤児達は不気味がって近づかず瀬奈はいつも院長の後ろにくっついていた。そんな日常が当たり前だった瀬奈は臆病な性格になってしまった。
そんな瀬奈と距離を縮めるために男はあるものを用意していた。それは家族のいない男が買うことはないであろう物。男一人では買いに行くのには少し抵抗があるその贈り物は、可愛いワンピースだった。
白を基調としていて胸に一輪の花をデザインしている。簡素だが無駄に飾られていない服飾に瀬奈は興味が湧いた。
特別高いわけではないが子供服にしてはそこそこ良いものを用意していた。
その贈り物に瀬奈は心から喜び、院長以外の大人に初めて心を開いた。院長もそれを目の当たりにして一安心だった。他の子供達とはどこか違う瀬奈を気にかけていたが瀬奈ばかりをえこひいきする事はできない。養親が決まれば孤児院から出て行き、新しい生活が待ち受けている。瀬奈にそれを受け入れられるか不安だった。しかし、ワンピースを受け取って嬉しそうにする瀬奈を見ると杞憂だったと院長は快く見送ることできた。
せっかくの贈り物を瀬奈は我慢できずに着替えて院長や孤児の皆に見せびらかしてから別れを告げ、男と手を繋ぎながら孤児院を出て行った。
(思えば、あの瞬間が一番幸せだったな)
最後まで院長が手を振っていたのを今でも覚えている。
そして、この日を境に瀬奈の人生が狂い始めた。
読んでいただいてありがとうございます。
最近、ブクマ登録されないのはやっぱり面白くないのかなと不安になっています。
読者さんの声が聞きたいので良ければ感想を書いてもらえたら嬉しいです。




