3 お詫び
瑞己が深呼吸をして衝動を沈めた頃、扉の向こうから声がかけられる。
「先輩、服着たので入ってきていいですよ」
少年のようにも、少女のようにも聞こえる声にしたがって瑞己はゆっくりと扉を開けて様子を伺いながら保健室に入る。
瑞己を待っているその子は中等部の男子生徒の制服を着ていた。と言うことは、性別は男子ということになる。
しかし、肩や腰の細さは女性の体型に見える。特にその顔立ちが同性だと思えなかった。
「男……じゃないよな?」
その確証を得るために瑞己は失礼かも、と思ったが尋ねた。それともう一つ、男に対して興奮した事実を認めたくなかったから。
「……どっちだと思います?」
しかし、その子は瑞己の戸惑いを感じとったのか、答えをはぐらかして瑞己をからかう。
後ろに手を組んで体を傾ける、その仕草は女子生徒を彷彿とさせる。
「俺には……女子にしか見えない」
「それじゃ、女子ってことで」
その答えに瑞己は溜め息をつく。結局、正解は教えてくれない。
答える気がないなら何度聞いてもわからない。瑞己はその子のことを女として認識することにした。
しかし、そうなれば覗いた件に関して瑞己は謝罪をしなければいけない。男同士であれば裸を見てしまおうが何と言うことはないが、男女であれば話が変わる。
「えーと、その、事故とはいえ着替え中に覗いてごめん」
「別にいいですよ、見られて減るものでもないですし」
「いや、そういうわけにもいかないんだけど。えと……」
まだ、名前も知らないことに気づく瑞己。言葉が詰まっているとその子が先に口を開く。
「自分は、瀬奈。深見瀬奈って言います。今年で中等部の三年になります」
「俺は東雲瑞己、高等部一年だ」
瀬奈は自己紹介をする瑞己をまじまじと見る。
「…………」
「何?………顔になにかついてる?」
自分の顔に何かついているのかと頬を触ったりしていると瀬奈が不思議そうに尋ねる。
「いえ……どうして髪が濡れてるのかなって。それに制服も若干湿ってますし」
「あー……それは、聞かないでくれ」
「??」
とある女子のスカートを下ろして、水筒で殴られ、中身をかけられたなどと瑞己は言いたくなかった。自業自得とはいえ、瑞己に自虐趣味はない。
「そのままだと風邪引きますよ、これどうぞ」
瑞己が苦笑いを浮かべていると瀬奈が引き出しからタオルを取ってくれた。
「勝手に使っていいのかな?」
「大丈夫ですよ。雫先生はそんなこと気にしませんから」
瀬奈が言うと瑞己は遠慮なく髪を拭く。ただ、終始その様子を瀬奈が見つめていて瑞己は妙に恥ずかしくなる。
「ふう、ありがとう」
「どういたしまして………あのー」
使用済みのタオルは専用のかごに入れるからと瀬奈は回収する。すると急に瀬奈が困ったように瑞己を見る。
どうしたのだろうと瑞己も瀬奈を心配そうに見つめる。
「どうかしたのか? やっぱり勝手にタオル使っちゃまずかった?」
「いえ、そのー………」
「俺から先生に事情を説明するよ! そしたら瀬奈には迷惑をかからないから!」
いきなり瀬奈に対して献身的になる瑞己。しかし、瀬奈は瑞己の態度が変わったことに驚きを見せない。そうなることがわかっていたようだ。
「手……離してもらえませんか?」
「え? ……!」
そう言われて瑞己は自分の手を見る。その手の中には柔らかく綺麗な手が収められていた。しっかりと握った手の先には瀬奈が苦笑いを浮かべている。
そこでようやく自分が無意識のうちに瀬奈の手を握り締めていたことに気がついた瑞己。
「あれ!?」
「わぁ!」
何でこんなことをしているのか訳がわからない瑞己。慌てて手を離そうと腕を引く。
しかし、握った手は離そうとせず、瑞己が勢い良く引っ張ったせいで瀬奈が瑞己に抱き着くような態勢になった。
「な、なんで?」
「やっぱりこうなった」
さっきから事態を軽く受け止めている瀬奈とは違い、瑞己は混乱している。それでも瀬奈の華奢な体や絹のように柔らかい髪が鼻を掠める感触はしっかりと感じていた。
「わ、わさどしゃないんだ! 体が勝手に……!」
今度は瀬奈の背中に手を回して瑞己が抱き締める。
理性がきかず、瑞己の意思とは関係なく体が瀬奈を求める。いわゆる本能というものに瑞己は抗えずにいた。
「いいんですよ、わかってますから。でも、流石にここまでされると恥ずかしいですね」
照れながら瀬奈が言うと瑞己の体はさらに抱き締める腕に力を入れる。
(畜生! ……こうなったら……)
瑞己は瀬奈を引き寄せていた手に意識を集中させて指を一本ずつ離す。途中、何度も手をつりそうになったが何とか瀬奈の手を解放することができた。
「すごい、先輩やるじゃないですか」
「ぐっ! くっ!」
返事をする余裕のない瑞己。油断すればまたこの手が瀬奈に触れようとする。
理性と本能が戦っている。瀬奈と密着しているせいでせっかく押さえ込んだ独占欲も少しずつ顔を出してきた。
「先輩、頑張ってください」
「あぁ、すぐ連れて帰るから…………ん? 違う!!」
「先輩……面白いですな、ふふ」
(笑ってんじゃねぇ!)
瑞己が一生懸命堪えているというのに当事者に危機感がない。
瑞己の中で欲情と苛立ちが募る。それが頭の中で渦を巻いたようにこんがらがって本当の自分がわからなくなってきた。
(やっぱり……すごく綺麗だ)
瀬奈がどんどん輝いて見えてきた。彼女さえいれば後はなにもいらない、そんな考えが脳内を埋め尽くそうとする。
「ぶふっ!!」
だから、その前に瑞己は自分で自分を矯正した。
「始めてみた。自分のこと全力で殴る人……」
瀬奈が驚いていると瑞己は自分を殴った勢いでそのまま後ろに倒れた。
「………………」
「先輩?」
瀬奈が倒れた瑞己をしゃがんで上から覗く。瑞己の顔にはまだ拳がめり込んだままだ。
「……気絶してる?」
瀬奈が指先で突いても瑞己は反応しない。今度はもう少し強めに突いたり、肩を揺らしても瑞己が起き上がることはなかった。
そのかわりに腕が落ちて瑞己の顔が現れる。
「あ、鼻血」
鼻血を流しながら瑞己は何かを悟った表情をしていた。
▽▽▽▽▽
瑞己の鼻血を拭き取ってから瀬奈は耳元で囁く。
「せんぱい、起きてください。……せーんぱーい」
「……! うおっ!!」
ぺしぺしと頬を軽く叩かれて瑞己は目を覚ます。痛くないが瀬奈に触れられると自分が制御できなくなってしまうため咄嗟に離れる。
「悪いけど……あまり近づかないで欲しい」
「まるで被害者みたいなこといいますね」
瀬奈の皮肉に瑞己が苦い顔をする。事情がどうであれ、先に手を出したのは瑞己だ。ジト目で見つめてくる瀬奈から逃げるように顔を背ける。
「何であんなことしたのかわかんないけど、悪いとは思っている」
「まぁ、理由はわかっていますけどね」
瀬奈が自分を指差す。
「……もしかして、君の異能?」
「異能と言えばそうですけど、これは副作用みたいな物なので自分にはどうすることもできないです」
原因が自分にはないとわかると瑞己は安心した。しかし、瀬奈に無断で抱き着いたことに関しては少々罪悪感が残る。
「何かお詫びにできることはないか?」
怜奈のこともあって、瑞己は罪の意識が高まっていた。瀬奈に尋ねながら、後で怜奈にも何かお詫びをしなければと瑞己は思った。
「別にいいですよ、こういうのは慣れてますから」
それを聞いて瑞己は尚更償わなければいけないと思った。
よく知りもしない人から抱き着かれるのは男だろうが女だろうが気持ちのいいものではない。それに慣れていると言うことは日常的にそういうことが起こっているということ。
それがどんな相手だっただろうが瑞己が謝らなくて済む理由にはならない。
「駄目だ。こいったことはちゃんと償うべきだ」
瑞己は改めて瀬奈を見る。もう不本意な本能には翻弄されていない。しっかりと体の主導権を握ったまま瀬奈と向き合う。
「嫌なことははっきりと、嫌だっていわなきゃ駄目だ」
「いつものことですから。先輩が気に病む必要はないですよ」
諦めたように言う瀬奈に瑞己は腹が立った。自分が傷つき慣れていれば何の問題もない。そんなふうに聞こえたからだ。
「嫌だったんだろ?」
「………びっくりはしました。でも、さっきも言いましたけど、よくあることなんで大丈夫ですよ」
瑞己は本音を聞きたいのに瀬奈は大丈夫の一点張り。これでは拉致が明かないと思った瑞己は会話の仕方を変えてみた。
「それなら、これは先輩としてのお節介だ。かわいい後輩の手助けになりたいんだ!」
柄にもなくここにはいない瑞己の友人である太陽の口調を真似して瀬奈に申し立てる。
内心恥ずかしがりながらも何とか顔には出さずに瀬奈の返事を待つ。
「……何か先輩のイメージに合わない言い方ですね」
(……そこは無視してほしかった)
慣れないことはするものじゃない。瑞己は恥ずかしくて穴があったら入りたくなる。
「とにかく俺が言いたいのは、男として嫌な思いをさせた女性をほっとけないってことだ!」
「自分、女って確定なんですね」
そこを考えてしまったら迷宮入りしてしまいそうで、瑞己はあえて無視した。
「はぁ……わかりました。そこまで言うなら一つお願いを聞いてもらいます」
「あぁ、俺にできることなら何でもするぞ」
「それじゃ……自分と恋人になってください」
「…………何て言った?」
瑞己は自分の耳を疑った。まさか節操なく手を出そうとした男に対して恋慕を望むなんて人がいるはずはない。
(まだ、理性を完全に取り戻せてないらしい)
「自分の恋人になってください」
「なんでそうなる!?」
幻聴ではなかった。
「さっきなんでもするって言ったじゃないですか。それとも先輩の覚悟はそんなものですか?」
「うぐ……」
そういわれて言われてしまえば返す言葉もない。
「自分が彼女になるのはそんなに嫌ですか?」
「うぐ……」
瀬奈がわざとらしく下から瑞己を悲しそうな瞳で見つめる。瑞己がせっかく押さえ込んだ衝動がちらりと顔を出す。
「そんなことない!……あっ」
「はい、決まりですね」
まんまとやられた瑞己。あざとい態度を見せられたら瀬奈の思う壷になった。
瑞己が唖然としていると瀬奈がくすくすと笑う。
「大丈夫ですよ、本当の恋人になってほしい訳じゃないです。恋人のふりをしてほしいんです」
「恋人のふり?」
瑞己は思考が追いつかない。あっという間に仮初とは言え瑞己に初めて彼女?ができた。
「ところで先輩は異能者ですか?」
「……えっ、あぁ、違うと思う」
それを確かめに瑞己は保健室に来た。今の段階では瑞己は何とも言えないのだ。
「さっき伝えた副作用なんですけど、一般人よりも異能者に効果が高いみたいなんです」
瀬奈の言葉はほとんど答えのようなものだ。瑞己は自分が異能に目覚めたのだと半信半疑だったが、これで確信に近づいた。
「先輩が何を隠してるのかは聞きませんよ。でも一応、彼女になったので先輩の事を色々と教えてくださいね。それでは来週からよろしくお願いします」
瀬奈は一礼してから、そのまま保健室を出ていった。
「彼女か……」
その存在は何となく自分を大人に成長させるような気がした。しかし、瑞己は瀬奈と恋人のふりをするにあたって大きな悩みを抱える。
「鈴には秘密にしておこう」
ここにはいない獰猛そうな彼女にも瑞己は罪悪感を感じた。




