29 黄昏時
「今のは……まさか、他にも生徒が被害に!」
「事態は想像より悪いかもしれないわね」
雫と菊は後ろを振り向く。
遠くには学生寮が見える。きっと、今頃は夕食まで友達の部屋で楽しく過ごしている時間だ。
そんな生徒達の和気藹々とした雰囲気を脅かす訳にはいかない。
「考えてる猶予はないわ、向こうに行きましょう!」
「えぇ、急がないと!」
二人は声がした方向に向かって走り始める。
「でも、一体誰が? 何のために?」
走りながら、菊には当然の疑問が浮かぶ。
「わからないわ。でも、この学園でこんなトラブルを立て続けに起こすなんて……舐められたものね」
雫の表情が険しくなる。それは菊も同じだった。
「許せないわ、生徒達を巻き込んで!」
学園の教師であり、異能者を保護する立場にある菊は、いるはずのない敵に激怒する。
「えぇ。それに行方知れずになった、その子も探さないと」
「もし拐われたのなら、まだ学園の中にいるはず。でも、どうやってここに侵入できたの?」
異能学園には独自のセキュリティーがある。生徒には手帳型の端末が与えられ、それが学園の敷地を出入りするためには必要不可欠だ。
だか、九割の生徒は異能者だ。敷地内に寮があるのに、わざわざ学園の外に出向くこと事態が休日以外は滅多にない。
それに生徒達が退屈しないように男子寮、女子寮には運動施設や中庭、カフェエリアもある。
生活必需品も学園が負担しているから、金銭に困ることも少ない。
狙われるとしたら学園外から通う適正者の生徒だろう。
しかし、仮に彼らから端末を奪い取ったとしても学園には入れない。
それは適正者だけが顔認証と各々が決めたパスワードの打ち込みを毎日学園の入り口で取り組んでいるからだ。それに校門には警備員が常に昼夜関係なく一人はいることになっている。
ただ、一人だけ例外もいる。
「わからないわ。でも、あの声のもとまで行けばきっとわかるわ」
「……そうね」
納得がいかない様子の菊だか、今は目前の問題に意識を集中させる。
寮がはっきり見える距離まで近づくと男子寮と女子寮、それぞれに続く別れ道に出た。
「ここは二手に別れましょう。貴方はこのまま真っ直ぐ女子寮に、私は男子寮に行くわ」
「わかった……気を付けてね、姉さん」
そう言って菊はそのまま走り続ける。雫はそれを見送ってから、自分も目的地に向かう。
が、そこであることを思い出して立ち止まる。
「まさか、あいつらの仕業?」
過去の因縁から一つの可能性が頭を過る。それと同時に菊が向かった方角を見る。
「いえ、そんなはずはないわ」
考え始めたら不安が膨れ上がる。
雫にとって生徒は大事だ。でも、本心を言えばそれ以上に菊の方が何よりも大切なのだ。駆け付けたい衝動に駆られる。
でもあの時、菊には生徒を助けてほしいと懇願されて、それを約束した。ならば、今はこの不安を押し込んで菊を信じるしかない。
「お願い、無事でいて」
そう呟いて、雫はもう一度走り始める。
▽▽▽▽▽
雫と別れてから菊の視界に二人の生徒が小さく映る。距離はまだまだある。
「いた! あれは……うちの生徒?」
近づくにつれてその様子が鮮明になる。
「あんな生徒、見たことない!」
職業柄、学園の生徒の名前と容姿は一通り確認している。その中に白髪の生徒はいなかった。
学園の制服を着ていたことから、菊の中で結論が出た。
(本当に侵入者がいたなんて!)
目を凝らすと一人は倒れ、もう一人の白髪の男がそれを見下ろしていた。
この際どうやってここに入ったのか、そんなことは今さらどうでもいい。それよりも今、目の前に生徒が倒れている。
あの悲鳴を上げたのはきっと倒れた生徒で、その原因はあの白髪だと。菊はそう思い込んだ。
確かにそうなのだが、本質を勘違いしている。
「……嘘っ! まさか、あれって!?」
もう間もなく彼らのもとに辿り着く。だがその直前、地面に転がる肉塊が目に入った。それが何かは見た瞬間にわかってしまった。
悲惨な現場を幾度も体験したおかげで、そういったものに耐性は備わっている。だが、守るべき対象が悲惨な目に遭うのはどんな時でも我慢できない。
白髪の男がしゃがんだ。
次に何をするつもりなのか、思い当たる最悪の結果を想像すると菊は声を荒立てる。
▽▽▽▽▽
「生徒から離れなさい!!」
(何、あの手?)
菊は龍悟を翻弄した鋭利な爪と獣のような毛並みを見て驚く。
これまで様々な異能を菊は見てきた。物を動かしたり、鼠と交信したり、存在を認識させなかったり。
そのほとんどが生き物に作用するか、もしくは無機物に対してのみ有効な異能しかないはずだった。
瑞己の姿は明らかに人の形態から逸脱している。
しかし、どのような異能を持っていようが生徒を助ける。この意思は変わらない。
「……早かったですね」
「貴方は、神島君!」
瑞己は菊に顔を見せないように背を向けながら立ち上がる。
学園の関係者に自分の正体がばれてはまずい。そう思い瑞己はこの場を立ち去ろうとする。
「待ちなさい! こんなことをして、黙って見過ごすわけにはいかないわ!」
(酷い傷、それに……)
菊がそれを簡単に見逃す訳はない。だが、一刻も早く龍悟を病院まで運ばなければ腕の出血が命に関わる。
「貴方の目的は何? どんな理由があってこんなことができるの!?」
歩みを進めながら、瑞己は答える。
「彼が僕の親友を傷つけたからですよ。でも、もう終わりました。後はご自由にどうぞ」
「それだけ? たったそれだけのために、こんな無惨な真似ができたって言うの?」
「それだけ?」
その言葉に瑞己は反応して立ち止まる。振り返ることはしなかったが、菊は背を向けたままの瑞己から重く乗しかかるような殺気を向けられる。
「貴方の常識を押し付けるな、僕にとってはこの子が全てだ!」
「うっ!」
そう言うと瑞己は殺気を引っ込めて、今度は龍悟に告げる。
「君、わかってるよね?」
「わ、わかってる!」
言葉の意味を理解して龍悟は急いで倒れたまま頷く。頬が地面をじゃりじゃりと擦る。
「それでは、さようなら」
今度こそ止めるものがいなくなり、瑞己は菊が目で追えないほどの速度でその場を離れた。
「……はっ! もう、大丈夫よ。すぐに助けるから!」
我に返る菊、慌てて龍悟の容態を見る。予感はしていたが、改めていると酷い。飛び散った肉片と龍悟の腕を見る。もう元には戻らないだろう。
けれど、命は助かる。良くはないが、生徒の生存確認は取れた。
そこからの菊の行動は早かった。携帯で病院に繋ぎ、ここは保護観察官としての特権をフルに活用する。生徒の状態と今すぐにそっちへと送る旨を伝える。
「貴方を今すぐ病院に送るから、きっと助かるわ」
「あ゛……あ゛りがとう、ございます」
その前に菊は龍悟に尋ねなければいけない。
「神島君、どうしてこんなことになったの? あの白髪の少年は誰?」
「……言えません」
「えっ!?」
「全部、俺が悪いんです。……ごめんなさい……ごめんなさい」
あまりの恐怖体験に彼は心が壊れたのだろう、そう思った菊は事情聴取は龍悟の精神と容態が安定してから聞くことにした。
「そう……ありがとう。今、送るわね」
龍悟の手を握る。菊の瞳がうっすら輝くと次の瞬間、龍悟が病院へと転送された。
「……何がどうなっているのよ」
その質問に答えたのは黄昏時の冷たい風だけだった。




