16 遅刻
翌朝、中途半端な時間に食事をして睡眠を取ったせいで瑞己は大急ぎで下宿を飛び出した。
登校中、遅刻しないために走っていると見覚えのある女子が歩いているのを見かけて足をとめる。
「お、おはよう」
(よかった!間に合いそうだ)
「あら、おはよう。何で東雲君汗かいてるの?」
怜奈は少し汗ばんだ瑞己を見て、嫌な顔をして横にずれる。
(流石に傷つくな)
「ちょっと寝坊しかけただけ」
二度寝をした後、目覚ましをかけ忘れた瑞己はいつもの登校時間ギリギリまで寝過ごしてしまったため、ここまで急いで筋肉痛の足を酷使していた。
「ふーん、そう。よかったわね、間に合いそうよ」
至極どうでもよさそうに同情してくれた。なんて優しいんだろう。
その後からは特に会話がなく、並んで歩く間柄ではないけれど一緒に登校する。
これはあれだ、特に親しくないから会話をする必要もない。けれど、目的地が一緒なせいでお互い遠慮して離れられないやつだ。
これなら走り去った方がよかったかもしれないと額に流れる汗を裾で拭いながら思っていた。
それを見た怜奈が何やら鞄をゴソゴソし始めた。
「これ、使って」
「え?」
沈黙を破ったのは怜奈からだった。突然ハンカチを渡されて困惑する瑞己を見て怜奈が溜め息をつく。
「制服で汗を拭くのは止めなさい」
「あー、悪い。助かる」
折角差し出してくれたものを断るのも申し訳ないので、遠慮なく借りることにした。顔から首にかけて汗を拭く。
(あ、いい香りがする)
ハンカチから不思議な匂いがする。柔軟剤にしては覚えのない香りだ。これは何の匂いだろう、ハンカチを嗅ぎながら考えていると隣から冷たい視線を感じる。
「変態」
「…………すみません」
否定できないからダイレクトに瑞己のメンタルがえぐれる。
「拭き終わったなら返して」
「いや、洗ってから返すよ」
人から借りて自分の汗が染み付いた物をそのまま返すほど瑞己は礼儀知らずではない。
「そうね、そうしてちょうだい」
「ところで、このハンカチの匂いは何の香り?」
「匂い? あー、そう言うことね」
瑞己のとった行動の理由がわかり納得してくれたようだ。
「柔軟剤や芳香剤の香とかじゃないわよ、それ。」
怜奈が人差し指で空中に円を描く。すると、その指先から何か粉のようなものが吹き出て宙に散らばる。
目には見えないほど小さな桃色の粉末が日の光に照らされて輝いて見える。そこから微かにハンカチと同じ匂いがした。
「匂いの正体はこれか」
「ええ、私の能力の一部よ」
なるほど、彼女の能力によって付けられた香りだったのか。
納得している瑞己に怜奈が横から空中にまだ留まっている粉に息を吹き掛けて顔に浴びせてきた。
「う゛っ!? けほっ、けほっ、けほっ、けほっ!」
突然のことで避けることができず、思い切り桃色の粉末を鼻と口から吸い込んでしまった。微かに感じていた甘い匂いがより強く甘く感じ、脳に直接送り込まれているような感じだ。
「いきなり何するんだ!」
粉が目にかかったせいで少しぼやける。手で瞼を擦りながらクスクスと笑い声が聞こえる方に向いて問い詰める。
「これでおあいこよ」
何の事かわからずに噎せ返る喉で問い返し、まだぼやけている視界で見渡しても霞んで見える背中に小さな笑い声と遠ざかっていく足音しか聞こえなかった。
その後、結局置いていかれた瑞己は登校時間に間に合わずに罰として反省文の提出が命じられた。
「あははっ。それは災難だったね、東雲君」
「でも、美人と評判の怜奈さんと一緒に登校できるなんて贅沢だね」
瑞己は昼休みに入ってから事の顛末を夏目と太陽に説明し、昼食もとらずに反省文を書いていた。
というか、いつの間にこの二人は仲良くなったのだろうか。
「? ああ、みっきーには言ってなかったね。僕達は同じ部活なんだ。その名もAPC(特殊能力者相談)部!。まぁ、部活と言っても学校公認じゃないし、顧問もいないから知名度は皆無だけどね」
「そうなんだ。部員も僕らを含めて五人しかいなからね」
この学園の部活立ち上げ条件は部員数が七人と顧問となってくれる人を確保する事。部活として確立させたいなら部員をあと二人、そして顧問が必要になる。
「そうか、頑張れよ」
「誰か暇な人はいないかな」
「そうだね。部活にも入ってなくて話しかけやすい人がいいな」
まるで用意してきたような台詞に瑞己はああ、何て面倒な友人を持ったのだろうかとまだ書き終えていない反省文に集中することにした。
夏目と太陽は見向きもしない瑞己に意地でも興味を持たせようと部活動についての熱心な説明を始めた。
嫌でも聞こえてしまう二人の話を簡単にするとAPC部とはこの学園の悩める生徒のために相談を受ける部活だそうだ。そんな生徒のために太陽を始めとする彼らが、心優しい部員を探し求めている最中らしい。
そして部活名は能力者相談を英語に書き換えてその頭文字を取ってAPCと名付けたらしい。
(何て安直な)
等々、瑞己にとっては至極どうでもよい説明会が反省文を書き終えるまで続いた。
「書き終えたから提出してくる。太陽またな」
二人の勧誘に耐えた瑞己は、逃げるように教室からバックを持って出ていった。
「はぁ、全然興味を持ってくれなかったね」
「まぁ、そうだろうとは思ってたけど。なっつーはみっきーと知り合ってどのくらい?」
夏目が指を二本立てて太陽に向ける。
「二ヶ月たたないくらいかな」
「それでどう思う?」
夏目は顎にてを当てて考える。
「そうだね、知り合いにはなったけど友達といえるほど距離が縮まった感じもしない。いや、彼の方からわざと距離をとっているようにも感じる」
二ヶ月同じクラスで過ごす夏目の率直な感想に太陽は頷く。
「そう、まさにその通り。みっきーは誰に対してもある程度の距離をおいてる。僕もあだ名で読んだり、一緒に昼食は食べるけどさ、ほとんど、いや毎回僕が誘ったり隣が空いていれば近寄ったりはしてる」
椅子を揺らしながら天井を見上げて話を続ける。
「でも、その距離感がかえって楽なんだよね。軽口を言っても平気で流してくれる。嫌々ながらも話は最後まで聞いてくれる。聞き上手って言うのかな。それに何となく何でも話したくなってくるだよね、瑞己といると」
「へぇー、ただの人見知りじゃないってことね」
夏目は眼鏡を拭きながら太陽の良い話をさらっとまとめた。
「…………」
その態度に太陽が夏目をジト目で見るが向けられている本人は「それで?」と促す。
「えーと、だから我がAPC部には是非! そう言う人材が必要だってことを言いたかったんだ」
拭き終わった眼鏡をかけて夏目が言う。
「でも、東雲君にはやる気がないみたいだけど?」
「そこはこれから考えるさ二人でね」
立ち上がる太陽を見上げて僕もかと溜め息をついて夏目は重い腰を上げることにした。
「それじゃ、どんな脅迫をする?」
「いや、それはだめでしょ」
爽やかな笑顔でなんて事を言う。これがもし夏目の本音だったらと思うと、太陽はここにいない友人に申し訳なくなった。