砂糖菓子だけでは淑女は務まらないらしい
かくしてマナーとダンスのレッスンを受けれることとなった。
前世での記憶はあれど、世界や国によって文化の違いもある。そして何よりアラベラの時は剣に集中するために途中で大好きなレッスンを受けさせて貰えなくなった。
再び学べることに喜びと希望を抱いてレティーシアはレッスンへ挑んだ。
そして……レティーシアは、あまりの惨状に愕然と躰を震わせていた。
「こ、こんな…こんなことって……」
ダンスもマナーもある程度の知識も技術もある、そう思っていたのが甘かった。その認識たるや、砂糖たっぷりのケーキよりなお甘々。
レティーシアは現実をまざまざと見せつけられた。
まずダンスのレッスン。
頭は動きを完璧に理解しているのに躰が全然ついていかない。
踏み出した足はもつれ、自身の足に引っかかり転びそうになる。さらにはすぐに息があがる。
一曲踊り終わってではない、始まってわずか数十秒でへろへろだ。
ダンスが得意でないといえば定番は相手の足を踏んでしまうことだろうが、もはや相手の足を踏む以前の問題。ペアを組む以前に自分のパートを踊りきることさえままならない。
支えなしに立つことさえ出来ずに壁に手をついて肩で息をするレティーシアはズズーンと重い暗雲を背負って項垂れる。
「レティーシア様は病弱でいらっしゃったから…。少しづつ身に着けていかれれば大丈夫ですわ。そう落ち込まないで」
ダンスの講師であるマルグリット夫人は頬に手をあてながらそう慰めてくれた。優しい口調ながらもその顔には苦笑いが浮かんでいた。
マナーのレッスンに於いてはテーブルマナーや一般教養に至ってはお墨付きを頂いた。
だが、挨拶。
淑女の基本ともいえるカーテシー。
スカートの裾を軽く持ち上げ、片足を斜め後ろへ引き、もう片方の足の膝を軽く曲げる。勿論、背筋は真っ直ぐにのばしたまま。
言葉にすればいかにも簡単そうな一連の動作。
だが、イメージと実際するのでは大違いだ。
ぷるぷると震える足、引き攣る笑顔に、バランスを崩す躰。
優雅なカーテシーはその実、筋力と体幹が必要不可欠。
そしてレティーシアには致命的にその二つが欠けていた。結果、無様に倒れ込む小さな躰。
倒れ込んだ彼女にハラハラと見守っていたミモザが慌てて駆け寄る。見るからに気落ちして泣き出しそうな小さな背をあやすようにぽんぽんと叩いてくれる。その優しさが余計に身に染みた。
幼い頃しかしたことはないが前世では出来たし、なんなら一般女性より筋力も体幹も圧倒的に勝っていただけにあんまりにもあんまりな自分の現状にレティーシアは愕然とする。
勿論、今世の自分がか弱いことは知っていたし、何ならちょっぴり嬉しくも思っていた。
だけどまさかここまで貧弱オブ・ザ貧弱だとは思ってなかった。予想以上。
「大丈夫、大丈夫です!食事やお茶の作法などはとても良く出来てますもの。あとは体力をつけるだけです」
マナーの講師であるミス・セグレタは泣き出しそうなレティーシアの手を握って言い聞かせるように強く頷いた。
初日のレッスンを終え、レティーシアは正に満身創痍でふらふらと自室へと戻った。
ソファに座り、クッションを抱きしめたまま溜息を一つ。
それは躰中の空気を吐き出すような、長く大きな溜息だった。
正直、ダンスはちょっと体力的に自信がないなと思ってはいた。
だがまさかマナーで躓くとは思っていなかっただけにショックが大きい。
しかも知識や所作でなくまさかの体力。
貴族令嬢として生きるには美しく優雅なお辞儀の習得は必要不可欠だし、お辞儀だけでなく座っている時や立っている時だって美しい姿勢を保つためには最低限の筋力と体幹は必要なのだ。
無理な体勢でクロスした足がドレスの中でどれほどぷるぷるしようとも優雅な微笑みを張り付けなければならないし、無様に頭が揺れることなどあってはならない。
それに美しいカーテシーはレティーシアの憧れでもある。
美しく優雅な、淑女の挨拶。
なのに実際は…。
笑顔は引き攣り、足はぷるぷる、躰は左右にグラグラと揺れ、挙句の果てには倒れ込んだ。とても人様で披露できる有り様ではない。
「うぅ…」
ミス・セグレタの前で晒した無様な姿を思い出してレティーシアはクッションに深く顔を埋めた。
更に翌日。
「お嬢様っ、大丈夫ですか?!」
ベッドから起き上がろうとして、激痛で起き上がれなかったレティーシアにミモザは血相を変えて駆け寄った。
「…っ!」
大きなピンクサファイアの瞳に涙が滲む。生理的に滲む涙、鈍い痛みと思うように動かない躰。
典型的な、筋肉痛だった。
たった一日。
たった一日ダンスとマナーのレッスンを受けただけ。
しかも基礎の基礎。
それなのにこの有り様。ますますじわりと涙が滲む。
今度のそれは痛みからくるものではなく100%自分の情けなさにだった。
ベッドの上で生まれたての小鹿のようにプルプル震える躰。
立ち上ろうと懸命にもがく姿は正に生まれたての小鹿そのものだった。
ゆっくりと立ち上がった時にはミモザは思わず拍手した。
彼女があの話を知っていたならきっとこう言っていただろう「クラ○が立った!」と。
割れんばかりの拍手と感動を贈られたレティーシアは震える足に力を込めた。まだ足がプルプルしてる。揺れる躰をミモザがそっと支えた。
「筋トレしよう」
今世では剣とも筋肉ともおさらばしようと思っていたが、そんなわけにもいかない。
以前見たいに引き締まった筋肉を手に入れるつもりはないが最低限の筋力は必要だ。レティーシアは固く決意した。
それからミモザには口止めを頼んだ。
この惨状が知られれば過保護な家族にレッスンを反対されかねない、そう思ったレティーシアはその日一日、引き攣る笑みを顔へと浮かべ家族に接した。その際動きは最小限。
その日の夜から自室で専属メイドと共に腹筋や屈伸に励む侯爵令嬢の姿があった。