狙った養殖モノではない
翌朝、すっきりとした気持ちでレティーシアは目覚めた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ミモザ」
大好きなミモザの柔らかな笑顔ににっこりと笑顔で返す。
「今日はお目覚めが早いですね。いつもは一度で起きて下さいませんのに」
耳に痛い言葉に「ごめんなさい」と隣に座る兎を抱きしめながら上目遣いにミモザを窺う。小言をいいつつもその声は優しく、怒っている様子はないが……どうにもアラベラだった前世を思い出してからというもの対人関係に臆病になりがちだ。
幼い身体と同じ程の大きさの兎のぬいぐるみを抱きしめながら不安そうに上目遣いで自分を見る美少女の姿にミモザは心の中で「ぐあっ!!」と奇声を上げた。危うく声にも出すとこだった、危ない。
それくらいその動作はミモザのハートを打ち抜いた。思わず両手で胸を押える。
「お、怒ってませんよ。お嬢様を起こすのは私の役目ですから。
それに寝ぼけて駄々をこねるお姿も可愛いですし」
可愛い!を十回ほど心の中で叫んで心を落ち着かせたミモザはさも冷静を取り繕って笑顔で言葉を紡ぐ。つい、どもったし、うっかり後半感情がダダ漏れになったが。
「本当?」
怒ってない?と目線で問いかけるレティーシアに大きく頷く。
そしてミモザは気づいた。
自分が仕える大事なお嬢様であるレティーシアのことが可愛くて可愛くて仕方がないミモザは彼女の変化には敏感だ。
手を伸ばし、まろやかな頬の僅か上、目元を指先ですっと撫でる。
「お嬢様、泣きました?」
覗きこんでくるアッシュグレイの瞳に肩をびくっと震わす少女の姿が映る。
「な……泣いてないわ!」
あからさまに動揺したレティーシアは嘘が超絶下手だった。
思いっきり肩が跳ねたし、声はどもった上に、視線は遥か彼方。抱きしめていた兎のぬいぐるみをぐいぐいと突き出してミモザの視界を塞ごうと必死の抵抗をしてくるレティーシアをミモザは無言で見つめる。
「な、泣いてなんかないもの。本当よ?」
ミモザの視線に圧を感じたのか、声はどんどん弱気になり、それこそ大きな瞳には涙が滲み始めた。
あ、やばい。これ以上問い詰めるとマジで泣くとミモザは追及を諦めた。
泣き顔も可愛いが、泣かせるのは本意でない。
「今日のドレスはどれに致しましょうか?」
話題を変えれば、レティーシアは小さく息を吐き出してあからさまにほったした様子を見せた。
壊滅的に嘘が苦手な美少女の姿にミモザは冷静を取り繕いながら「可愛い!天使か!」と心の中で呟いた。内心で悶えながらも甲斐甲斐しくレティーシアの世話を焼くその手つきは淀みなく滑らか。正にプロフェッショナル。
ブルネットのロングヘアに派手さはないが整った顔、アッシュグレイの切れ長な瞳のミモザは見掛けだけならいかにも冷静沈着で有能そうなメイドだった。
実際、非常に有能ではある。
有能かつ基本的には冷静沈着なのだが、大事なお嬢様ことレティーシアのことを大切に想うあまり心の中では割とよく昂っているし、レティーシア絡みだと偶に我を失う。
「今日は……ピンクのドレスがいいわ。レースが薔薇の模様になってるやつ。それと髪にも同じレースのリボンをつけて」
少し考えて告げたのはお気に入りのドレス。お気に入りだから大切な時にしかきない特別なドレスで、控えめな色味ながらも乙女っチックで可愛らしいデザインのものだ。
お姫様みたいな可愛らしい女の子になる!昨夜の決意を胸にレティーシアはドレスを着付けて貰いながらひとつ小さく頷いた。
「お父様、お願いがございますの」
「いいよ。お父様が何でも叶えてあげよう」
朝食の席、レティーシアはレックスへと意を決して切り出した。
そしてレックスは願いを聞くでもなく受け入れた。身長差もあり必然的に上目遣いになった可愛い娘からのおねだりに父はデレデレ。ただでさえ垂れ目の目元が下がりきっていた。
予期せぬ父の反応に一瞬怯むも、これは好機だとレティーシアはお願いを口にする。
「ダンスやマナーの家庭教師をつけて頂きたいです」
「え?」
「マナーは兎も角、ダンスはまだ早いのではないか?」
てっきりドレスやぬいぐるみのおねだりか何かかと思っていたレックスは目をしぱたかせ、レイナードはナイフとフォークを一度皿へと置いてレティーシアへと向き直った。
「わたしはもう6歳です。決して早くはありませんわ」
「でもお前は病弱だし……」
「いいのではないですか?あまり頻繁に予定を入れさえしなければ。躰を動かすのも健康にいいかも知れませんよ」
レティーシアの反論にも過保護な兄は渋り、それに姉のジャンヌがやんわりとフォローを入れる。とはいえ、彼女も可愛い妹が体調を崩そうものなら断固としてレッスンを休ませるだろうが。
格式ある貴族の家柄なら幼少期から英才教育が施されるのは珍しくない。
実際、学習面に於いてはレティーシアにも既に家庭教師はついているし、兄のレイナードも姉のジャンヌも同じ年の頃には既に様々なことを習い始めていた。
ただレティーシアはあまり躰が強くないということもあってダンスなどはまだ習っていなかった。尤も、病弱とはいっても季節の変わり目に体調を崩しやすいとかいう程度で特に持病があるわけではない。
つまりはレティーシアが可愛くて仕方がない家族の過保護が半分。
結果は、おねだり成功。
うるうる潤んだ瞳(天然)で必死におねだりされた男性陣はあっさり陥落した。ただし、無理をしないという条件をつけて。
決してわざとではないのだが、どうもレティーシアの涙腺は緩い。
アラベラであった時はどれほど辛くとも涙なんて流れなかったのに。
傷つき、消えてしまいたいと思った時も、たとえ重傷を負っても零れる涙なんてありはしなかった。それはもしかしたら自衛だったのかも知れない。
一度泣けば、もう二度と立ち上がれないとそう思っていたからかも知れなかった。
そしてその反動なのか、レティーシアの涙腺はすこぶる緩い。
それは前世の記憶を思い出す以前からで、大きな瞳は常から潤みがちだし、甘やかされ大切に扱われてきたからか外部刺激にめっぽう弱い。
何はともあれ、天然あざとい動作でレティーシアのおねだりは大成功したのだった。