理想は砂糖菓子みたいな女の子
祝福というよりいっそ呪いじゃ……?
幸福とはいえなかった前世を思い起こされたレティーシアは偉大なる神々の祝福の証である紋章を見つめながら、不遜にもそんなことを思った。
忘れたままでいれば幸せだったのに。
心の底からそう思う。
何の意味も恩恵も持たないこんな祝福の証なんて要らない。
レティーシアはそう思うが、実際は何の恩恵も持たないということもない。
太陽紋や月紋持ちのように特別な力や使命を持つわけではないが、転生紋持ちは幸福な身の上に生まれることが多いという。それは前世の行いに対しての神々からのご褒美のようなものともいわれる。
それに今世で特別な能力を有していなかったとしても、転生紋持ちは多くの世界や国では敬われ、大切に扱われる。
何せ神に認められる程の世界への貢献を果たした者達だ。
国によっては王城に住まわし、その生活さえ一生保証してくれることも在る。そうでなくとも就職・結婚あらゆる場面によって有利に働く。
紋章持ちを名乗る詐欺とてあるほどだ。
だがレティーシアは心底要らないと思った。
何故、レティーシアに転生紋があるか。
その理由など考えるまでもなく一つしか思い浮かばない。
騎士であったアラベラは沢山の戦場や魔獣の討伐に立ち合い、沢山の命を奪い、そして同時に沢山の命を救った。だけど神からの祝福を与えられる偉業といえば考えられるのは一つだけ。
アラベラが命を落とした理由。
それは魔物の中でも最強を誇る種族・ドラゴンとの闘いだ。
勿論、ドラゴンと一口にいっても種類も強さも様々。
アラベラが倒したドラゴンはまだ年若い赤竜だった。ドラゴンの中ではまだまだ小さく未熟で弱い存在、だけど人間にしてみれば厄災と呼べるほどの脅威に他ならなかった。
沢山の騎士が死んだ。
沢山の人が喰われた。
突如飛来した赤き竜は蹂躙の限りを尽くした。
原因が何だったのかはわからない。
人間がかの存在に手を出したのか、あるいはただの気まぐれに過ぎなかったのか。
魔物の中でも最強を誇るドラゴン。
だが、凶悪な印象を持つドラゴンの被害は魔物の中でもとりわけ少ない。何故なら高い知能と桁外れの力を持つ彼らに牙を向く種族などそうそう存在しないからだ。
そして彼らもまた他の種族のことなど歯牙にもかけない。
そのはず、だった。
その赤竜が未熟で若いドラゴンだったのが幸いか不幸か。
もしそれが成体したドラゴンで、ましては最も力と知能の高い黒竜だったりしたならば瞬きする間もない間に国は一瞬で消し飛んでいたことだろう。
だけどもしもそれが年若く未熟なドラゴンでなかったならば、きっと荒ぶることなどなかったはずだ。彼らにとって他の種族など蟻のようなもの。原因となったそれをその場で潰し、その後はきっと意識に止めることさえも、それこそ人里に来襲することなどなかっただろう。
闘いはどれぐらい続いたのか、それすらもはっきりと記憶にはない。
沢山の騎士が死んで、沢山の騎士が逃げ出した。
沢山の血が流れ、沢山の人や家が燃えた。
小さいといえ、人からすれば小山程はあろうかという見上げる巨体。
真っ赤な口から噴き出す火炎と咆哮。
鋭い爪に、人々を簡単に踏みつぶす巨大な足と薙ぎ払う尻尾。
肉が焼ける匂いと、悲鳴と怒号。
そして鼻が馬鹿になるほどの血の匂い。
それらははっきりと覚えているのに、自分がどう闘ったのかはっきりとは覚えていない。
夢中だった。倒さなければ!とただそれだけが胸にあった。
後ろには国が、民があり、守らなければと…そう思った。何を守りたかったのか、誰を守りたかったのか…本当に守りたいと思っていたのかさえわからないままに。
それでもただ、そう思って剣を握った。
そして_______。
覚えているのはドラゴンの胸元へ剣を突き立てたこと。
躰はもうボロボロだった。
だからその一撃に全てを賭けた。
身体強化を掛けた躰で跳躍したアラベラは振り下ろされたドラゴンの腕を踏み台に魔力を最大限に宿した剣を胸元へと突き立てた。
血飛沫が顔へと散った。
アラベラは下降する自分の体重ごと剣へ力を込めた。
命を奪うには到底足りない傷。
右手に剣を強く握りしめたまま、アラベラは左手を剣から離すとその手を傷口へと突っ込んだ。そして練り上げてあった魔力を発動した。
氷の魔術を用いたのはドラゴンが火炎を操る赤竜であったから。
肘の先まで潜り込ませた体内で荒ぶる氷の魔術を展開して獲物を中からズタズタに引き裂く。
硬質な鱗に覆われた躰を傷つけてもびくともしなかった赤竜が甲高い咆哮を上げて暴れた。鋭い爪を携えた腕がアラベラを吹き飛ばし、躰は岩へと叩きつけられた。
そして続いて眼前へと降ってきた腕。
剣を握ったままの己の腕を見ながら、アラベラは立ち上がった。
先の己の魔術で凍りついた左腕。
折れた肋骨に潰れた内臓。
額から流れ出す赤い血が、赤い世界をいっそう赤く染め上げる。
失った利き腕。
二度と剣を持つことの敵わない自分の右腕。
怒りの咆哮をあげ、ギラつく視線のままに口を大きく開く赤竜を見据えてアラベラは小さく、だけどはっきりと呟いた。
「《破壊》」
力を持った言葉と共に、アラベラが赤竜の体内へと残した魔術の核が爆発した。
耳をつんざくような一際高い声と、雨のように降り注ぐ鮮血。体内から飛び出した無数の氷の刃が赤を帯びながらキラキラと陽光に煌めく様が酷く不釣り合いに美しく。
地響きと共に倒れた巨体を見届けると、アラベラの膝も崩れ落ちた。
両手は使えず、躰を支えることも出来ずに崩れ落ちた。熱く燃えるような傷口と、裏腹に凍える程に寒さを感じる躰。
薄れゆく意識の中、届いた静かな声音。
『哀れなる我が妹』
『せめて、祈ってやろう』
『プラチナブロンドにピンクサファイアの瞳、
闘いなど知らぬ華奢な躰に小さな手。
来世ではお前が夢見たあの物語の姫君のように無垢で愛らしい存在へと生まれてこれるように______』
あの時、彼はどんな表情をしていたんだろう。
『アラベラ』
最後にそう、名前を呼んだ あの人は_________。
懐かしい兄の声を思い出し、レティーシアは両手で胸元をギュっと握り締めた。
「兄様…」
呟きは、誰に届くこともなく消える。
レティーシアに転生紋がある理由はアラベラが竜殺しの英雄だからだろう。
ドラゴンが人間に干渉しにくく、比較的被害の少ない魔物と謂えど、一度その牙を向けば国は絶滅さえ免れないこともある。
被害は出たし、アラベラ一人で挑んだわけではないが……結果としてアラベラは赤竜の被害を最小限に留め、多くの人を救ったことになる。
その行いに対し、神々が与えた祝福が太陽と月を組み合わせたこの紋章だ。
「もし誰かに転生紋を知られでもしたら……」
言葉にして、ぶるりとレティーシアは身を震わせた。
それはアラベラだった前世を知られるということだ。
見られてしまえば、必ず聞かれる。
前世で自分がどう生き、何を成したのか。
本来ならそれは、誇るべきことなのだろう。
だけどレティーシアは知られたくなかった。
自分自身知りたくなんてなかったし、他の誰にも知られたくなんかない。
夢見て憧れた、綺麗で可愛いお姫様とは正反対の自分の姿なんて。
そう思って、不意に気づく。
「綺麗で可愛いお姫様…?」
そういえば、兄様は言っていた。
『プラチナブロンドにピンクサファイアの瞳、
闘いなど知らぬ華奢な躰に小さな手。
来世ではお前が夢見たあの物語の姫君のように無垢で愛らしい存在へと生まれてこれるように______』
死の間際にきいたあの言葉。
そして転生した自分は正にアラベラが絵本で憧れたあのお姫様によく似ている。
転生紋は前世で偉業をなした者へ与えられる祝福の証。
ようは神々からのご褒美的なものだろう。
「と、いうことは。
わたしの今の姿は兄様の祈りが通じたか、アポロス様とルーナ様が前世のご褒美に与えて下さったものということ?」
大きな瞳を零れそうなほど見開いて、そしてそっと胸元で握りしめた手を開く。
小さな手。まだ幼いことを除いても、白くて小さくて傷ひとつない手は剣ダコで節くれたアラベラの大きな手とは似ても似つかず、剣を握るには適さない。
呆然と見つめた先の手をぎこちなく握りしめた。
「決めた」
ピンクサファイアの瞳に宿るその色の名は、希望と決意。
「そうよ。これはきっと神様と兄様が下さったチャンスだわ。
今度こそわたしは、わたしとアラベラが夢見て憧れたあのお姫様みたいな女の子になる!可愛くて、綺麗で、素敵な女の子に!」