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祝福は要らない

 







「ど、どうしようぅっ~…」




 全てをはっきりと思い出したレティーシアは泣きべそをかいた。






 ばふりと掛け布団を両手で剥ぎ取り、頭からすっぽり被る。

 はしたないとかそんなこと知らない。今は取り敢えず隠れたい気分なのだ。

 両手で頭から被った掛け布団をしっかりと握り締め、その中からきょろきょろと無意味に部屋を窺う。そして誰もいないことを確認して小さく息を吐く。




 涙目でふるふるするその様は、怯えた小動物そのものだった。




 ぶっちゃけ、前世でドラゴンさえも倒した竜殺しの英雄(ドラゴンスレイヤー)の威厳などこれっぽっちも存在しない。





「やだやだ、やだやだ…」




 桜色の唇から漏れるのは泣きごとで。


 躰も手もカタカタと小刻みに震えていた。






「……兄様っ……」




 アラベラだった頃の兄の顔が脳裏に浮かぶ。




『アラベラ』


 どこかぎこちない、微笑むことになれていない兄様の…それでもアラベラへと笑いかけてくれた幼い笑顔。





 そしてその笑顔はやがて冷めた視線へと変わり、




『レティ』




 その冷たい瞳にレティーシアの兄であるレイナードの瞳が重なった。





「…っぅ!」




 記憶の中で重なる似ても似つかない二人の兄の姿に華奢な肩がびくりと跳ねた。




 脳裏で思い描いた、見たこともないレイナードの冷たい瞳に。


 前世で見慣れた蔑みと憎しみと畏怖さえも孕んだ怪物(バケモノ)を見る瞳に。





 もはや止めようもないぐらいに躰中が震え出していた。


 まるで子供がふざけて躰を揺すっているかのように、それ程に激しく痙攣をする心と躰。溢れ出した涙が雨のように手の甲を濡らす。




「やっ、いや……レイナードお兄様っ………」




 (すが)りつく先すら知らぬまま、零れる嗚咽(おえつ)を拳で抑え、レティーシアは泣き続ける。

 幼い心を恐怖と哀しみにただ染めて…。








「どうしよう」



 そして、最初と同じ台詞を零した。




 但し、今度の言葉は前世を思い出してしまった混乱のためではない。

 最大の原因は思いっきりそれだが。



 ひとしきりぐすぐすと泣き伏せたレティーシア。




 つまりは、

 泣き腫れた瞳がパンパンだった。






 鏡に映るのは真っ赤に染まった眦と、やっぱり真っ赤に染まった瞳。

 完全に泣き腫らしました、なその姿にレティーシアは大いに焦る。


 だってこんな姿を見られてしまえばどうしたのかと心配されるし、原因を問い質されることは確実だ。

 それだけは避けなくてはならない。

 どうしよう、とまた涙が滲みかけて慌てて頭をぶんぶんと振った。これ以上泣いて状況を悪化させるわけにはいかない。




 今が夜なのが幸いだった。




 夕食もお風呂も終わり、あとは寝るだけ。


 ここで騒ぎ立てさえしなければ今日はもう誰にも会う必要はないし、明日の朝にミモザが起こしにくるまで時間は稼げる。




 鏡の中の自分に向かって気合を入れるように一つ頷いたレティーシアはそっと爪先を忍ばせた。

 音を立てて誰かに様子を窺いに来られるわけにはいかない。





 小棚から薔薇の刺繍の入ったハンカチを取り出し、足音を忍ばせて洗面台へ。


 ハンカチを水に濡らしたレティーシアは足早にベッドへと戻った。ほんのりと冷たいハンカチを(まぶた)へと押し当てる。

「どうか明日までには腫れが引きますように」そう願いながら軽く(まぶた)をマッサージする。






 温くなったハンカチを外し、再び鏡台の前へ移動したレティーシアは鏡を覗きこんだ。


 まだほんのりと赤いけれど、先程と比べれば少しはマシになった目元にほっと一つ息を吐く。






 そしてそのまま鏡を見つめる。




 鏡の中に映るのは、幼い少女。


 ふわふわと波打つプラチナブロンドの長い髪は光を弾いて儚くも眩く輝く。髪と同色の長い睫毛に彩られた瞳はピンクサファイアの様な鮮やかな色彩で。

 幼い少女らしいまろい輪郭を描く頬、白く柔らかそうな肌は傷一つなく滑らかだ。

 不安そうに少し下がった眉と目尻。薄く色づく頬に可憐な花びらのような唇。




 まるで絵本の中から抜け出したお姫様のような可憐な美少女。




 実際にレティーシアは侯爵家・ローズヴェルト家のお姫様で父も兄姉も使用人に至るまで正にお姫様の如く彼女を可愛がっていた。



 幼く、無邪気で、優しい美少女。

 少し気が弱くて人見知り。家族が大好きで頑張り屋。

 そんなレティーシアのことを誰もが慈しみ、愛してくれた。




「可愛い」と誰もが口を揃えて言ってくれて、

 レティーシア自身も自分の容姿はとても気に入っていた。



 瞳だけはほんのり下がった目尻がいかにも自分の気の弱さを象徴するようで、姉のジャンヌ程とまではいかなくてももう少し(まなじり)が上がっていても…とは思っていたけど、それ以外は(おおむ)ね不満は無かった。


 記憶にはないお母様とお揃いの髪と瞳の色も、ふわふわと柔らかな波打つ髪も。




 小さな頃から鏡の中の自分へ向かって何度もにっこりと笑いかけた。




 大好きだった女の子らしい自分の姿。








 そんなレティーシアの容姿は、



 アラベラだった頃に憧れていた絵本のお姫様そのものだった。




 なのに自分の前世が女の子らしいどころか、まさかの竜殺しの英雄(ドラゴンスレイヤー)…。








 吃驚(びっくり)を通り越して愕然(あぜん)とする他ない。




 レティーシアは鏡の中の自分から瞳を逸らすように濡れたハンカチを鏡台の上に置いたまま椅子から立った。心持ちふらつく足取りでベッドへと三度(みたび)戻る。






 先程頭から掛け布団を被ったお蔭でベッドはぐちゃぐちゃ。


 極力音を立てないようにそっとベッドを整える。




 整え終わったベッドへよじ登ったその時、ネグリジェの裾が軽く乱れた。




 太腿まで覗く白い足。




 少し考えて、ベッドの上に座ったレティーシアは指先でその裾を持ち上げた。

 足の付け根、太腿に刻まれたうっすらと光り輝く太陽と月を組み合わせた紋章は変わらずそこにあった。そっと触れて擦ってみる。消えない、お風呂でも何度も試したことだけどやっぱりそれは消えも薄れもしない。


 痛みは紋章に気づいた最初の瞬間だけで、それ以降は特に感じない。




 忌まわしくさえ感じるそれをじっと見つめる。




 誰にも見られるわけにはいかない忌まわしい紋章(しるし)




 あの日以来レティーシアは着替えもお風呂も気を遣っていた。

 誰にもバレないようにタオルを巻きつけたり、極力一人でお風呂に入るようにしたり。

 流石にドレスは一人で上手に着られないがワンピースタイプのシュミーズを着ていれば太腿を見られることはないので何とか誤魔化すことは可能だった。





 レティーシア自身、実際にそれを見たことはなかったがそれでも絵本などで見たことは何度かあった。


 まさかそれが自分自身に現れるなんて思いもよらなかったが……。

 それでもその紋は幼子でも知っている有名なモノだ。




 それは神から与えられる紋章(しるし)




 世界とは双子神、アポロスとルーナが創り上げた箱庭だ。




 太陽を司る男性神アポロス。


 月を司る女性神ルーナ。




 双子神は幾つかの世界を創り出し、そしてそこに生命が生まれた。


 人も魔獣も花も虫も、全ての生命の魂と呼ばれるモノは死した後、長きに渡る眠りを経てまた世界へと舞い戻る。


 神々は世界を常に見守って下さる。


「だから悪いことをしてはいけないよ。善き人であれば来世もきっと人として生まれてこられる」そんなふうに大人は幼子へと言い聞かせるし、それは誰もが知っている(ことわり)だ。




 神は時に愛し子へと紋章(しるし)を授ける。




 種類は三つ。




 一つ目は、太陽神アポロスの授ける太陽紋(スーリヤ)


 雄々しきアポロスを象徴する太陽を象った紋章を持つ者は強靭な肉体、優れた身体能力、攻撃魔術の適正など武に関わる恩恵を持つ。


 所謂“勇者”と呼ばれる存在だ。




 二つ目は、月神ルーナの授ける月紋(チャンドラ)


 麗しきルーナを象徴する月を象った紋章を持つ者は人並み外れた癒しや守護魔術の適正や、災禍を防ぐための知力などの恩恵を持つ。


 所謂“聖女”と呼ばれる存在だ。


 尤も、これを授かるのは女性に限らず、男性の場合は“聖者”“聖人”などと呼ばれるが、ルーナの加護を授かる者は圧倒的に女性が多い為に聖女と呼ばれるのが一般的だ。




 太陽紋(スーリヤ)月紋(チャンドラ)も世界を守り維持する為に神々が偉大なる力の一部を人へと与えた加護の象徴だ。


 故に勇者も聖女も、強く、心優しい者が選ばれ、彼らは巨大なる力と共に常人からすれば過酷な運命と使命をも背負っている。






 そして三つめが……レティーシアの持つ転生紋(カルマ)


 太陽と月を組み合わせた紋章は他の二つの紋章とは全く異なる。


 何故なら、転生紋(カルマ)は特別な力も使命も帯びてはいない。






 それは神々からの祝福。





 転生紋(カルマ)とは前世に於いて世界への貢献を果たした者へと贈られる祝福(しるし)


 偉大な指導者、大勢の命を救った英雄や治癒者、厄災を防いだ賢者など…。

 幾千、幾万の命を救い、神々の箱庭である世界を守った者へと贈られる祝福の証。




 その祝福の証である転生紋(カルマ)を見ながらレティーシアは泣きべそをかいた。




「い、いらないですぅ~」




 偉大なるアポロスとルーナが本当にほんの少しでも自分を祝福してくれているというのなら、忘れていた前世の記憶も何もかも、封じたままにしていてくれれば良かったのに…。


 そうレティーシアは涙目で嘆いた。














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