間違えを重ね続けた末に
きっと全てが間違っていた。
母を殺し、生まれ堕ちてしまったことも。
あの日、自分の身体能力を人目に晒してしまったことも。
この手に剣を取ってしまったことも。
そして、
生まれ堕ちたその場所さえ。
アラベラが生まれた世界と国は平和とは言い難かった。
仮初めの平和と安らぎ。その裏で魔獣の脅威はすぐ傍にあった。
レティーシアが生まれた世界と国でも魔獣の被害は存在する。
だけど前世の記憶を思い出してみれば初めてそのことに気づく。
魔獣の発生頻度も、現れる魔獣の種類や強さも今生きている世界とは全く違う。
それから人々の強さも。
レティーシアの姉であるジャンヌが騎士を目指しているように、レティーシアの生まれた世界と国では女性の騎士もそれから冒険者なども存在する。
勿論、男性に比べれば数は圧倒的に劣るが、別段珍しがられる程希少な存在でもない。
魔獣の脅威と背中合わせな世界。
それにも関わらず、アラベラが生まれた場所では女性が闘うことはなかった。
男は闘う者で、女は守られる者。
そんな境界線がはっきりと存在していた。
男達は例え騎士でなかろうとそれなりの強さを求められる。
兵役もあり、一般人だろうと最低数年間は厳しい訓練や魔獣の討伐に当たらされる。寧ろ強くなければ男として認められない、そんな慣習すらあった。
そしてその逆に、女性は愛らしく淑やかであること。
守られる存在として存在していた。
着飾り、微笑み。まるで脅威など何も知らないように愛でられ、男達の帰りを待ちわびる。
それはもしかしたら…脅威が巨大であったが故なのかも知れない。
女はどうしたって男に比べて戦力も体力も劣ってしまう。
そして相手が強ければ強く在るほどその実力差は如何ともし難い。力不足は足手纏いになり味方すらも危険に晒す。
過酷な世界だったからこそ女は守られるだけの存在となり、ひと時でも脅威から目を逸らすための愛でられる存在として求められたのかも知れない。
女性は守られる者で、愛されるべき生き物。
今思えば、それは何処か歪にさえ感じる。
城壁の外が魔獣の脅威や戦乱に晒されようと、国の中で生きる女性達は和やかに朗がらかにいつだって微笑んでいた。
男たちが外で闘っている間も繰り広げられるお茶会に観劇にパーティー。綺麗なドレスに可愛いお菓子。沢山のモノに囲まれて微笑む彼女たちは楽園の住人のようで。
実際、彼女たちは楽園の住人だったのだ。
幼い頃のアラベラのように。
何も知らないで、倖せで。
その事に誰も疑問すら覚えていなかった。
女も、男でさえも。
こうして生まれ変わって思い起こしてみればいっそ異常にすら感じる。壁一枚隔てた向こうで行われる生と死の遣り取りと仮初めの楽園。
どうして疑問も違和感も覚えずにいられたのだろう。
そして____、
そんな世界でアラベラの存在は異端でしかなかった。
13歳になったアラベラは騎士団へと入れられた。
女性の騎士など存在しなかった国に於いて異例の事態は嫌というほど人々の注目を浴びた。
嘲笑と共に一蹴される筈だったその提案が通されたのは、有能且つ忠実な臣下であった父親の進言だったことと偏にその実力故。
「一撃で倒しなさい。お前なら出来る筈だ、いいな?」
震えるアラベラへ言い聞かす父親。
「お父様、でもっ…!」
「いいか、アラベラ。お前はお父様の子だ。
お前の実力をもってすればあんな男、わけはない。いい子だ。お父様の言うことが聞けるだろう?」
こんな時ばかり優しく、微笑んで額へと落とされた唇。
溢れそうになる涙と、震える手。
無意識に小さく揺り動かした頭は、首を振ったのか頷いたのか。自分ですらよくわからない。でも父親は後者ととったようで満足そうに破顔した。
脅威を増す魔獣の群れに、性別に関わらず力を持つ者の育成が必要だと進言した父親は当然の如く反対する者達へ一つの提案をした。
即ち、その実力をその目で確かめろと。
そして大衆の面前の前で行われた見世物。
それが罪人とアラベラの一騎打ちだった。
相手が罪人なのは騎士では女性相手に力を出せなかったと言わせないためだろう。勝負に勝てば無罪放免。そんな条件をつけて凶悪な罪人に刃を持たせた。
嫌だった。
逃げたかった。
だけど逃げ出す強さのなかったアラベラはその舞台へと立ち。
結果は、あっけないほどのアラベラの圧勝だった。
そして騎士団へ入れられたアラベラだが、そんな彼女に居場所なんて在る筈なかった。
誰もがアラベラを持て余し、そしてアラベラさえも自分自身を持て余していた。
やがて実践へと出されたアラベラは数えきれない程の武勲を上げる。
怯え、蔑み、侮蔑に好奇。ありとあらゆる視線に晒されるアラベラにとってもはや人は恐ろしい存在でしかなかった。
殺意を剥き出しに牙を向く魔獣、命を狩らんと突進してくる敵兵。
それらは少しも恐くはなかった。
寧ろそれは分かり易い害意で敵で、形の見えない言葉や視線を前にするよりよほど心安らげる相手だった。
可笑しなことだと自分でも思う。
だけど、剣を手に敵へと対峙するアラベラの心は酷く静かだった。
命の遣り取りからくる高揚も、身体的な鼓動の高鳴りもある。
死を感じたことだって何度だってあるし、恐怖や焦りも当然あった。
それでも心の何処か、酷く冷静で静かな心境をいつだって感じていた。
世界に自分と相手しかいないような、そんな静けさ。
剣を振るっている時だけは、煩わしい周囲の声も視線も忘れてただ目の前の敵とだけ向き合える。
だからアラベラは剣を振るった。
守る為に、生きる為に、父の為に。
沢山の言い訳を重ねて、無我夢中で剣を振るい続けた。
夥しい数の死体の群れの果てに、数えきれない程の武勲を上げ、昇進を重ね、周囲から誰も居なくなろうともただ一心に。
兄であった人には、アラベラが彼に勝った時から距離を置かれた。
父親が無理矢理据えた婚約者は、やはり騎士だった。
家の事情があったのかも知れない。望まぬ婚約だっただろう相手は、それでも最初はアラベラを女性として扱おうとしてくれた。
だけどやはりアラベラが彼に勝ったその時から、その視線と行動にははっきりと嫌悪と憎しみが滲みだした。
見せつけるように沢山の可憐な女性を周囲に侍らかせ、侮蔑の言葉を浴びせられたことも暴力を振るわれたこともある。
騎士仲間には当然のように腫物扱いをされた。
最初は好奇と憐憫を。次には蔑みや嫌悪を。アラベラが昇進を重ねるにつげ妬みと憎しみを。
怯えを隠した瞳は、怪物を見るそれそのもの。
陰口は当たり前、訓練に託けて痛めつけようとされたことも、魔獣のひしめく戦場に置き去りにされたこともあれば、数人がかりで組み伏せようとされたこともある。
女性は守られる者で、愛されるべき生き物。
騎士としての精神が染みついた彼らがアラベラへ平気で暴力さえふるおうとしたのは、彼らにとってアラベラが女という生き物から外れる存在であったからで。
それなのにアラベラを辱めようとしたのは、
女という武器を使って出世をしているんだと嘯かれるのは、
それでもアラベラが女という形をした生き物であったからだ。
勿論、中にはそうでない人間だっていた。
だけどアラベラを擁護するものは同じように敵と見做され、害意を受ける。
自分のせいで優しい人たちが被害を受けるのを見ていられなくてアラベラは誰かと関わるのを止めた。
アラベラは女としてではなく男として生まれてくるべきだったのかも知れない。
せめて、女が闘うことが異常でない世界に生まれれば良かったのかも知れない。
迫り来る死を感じながらアラベラは考える。
何が悪かったのか。
何もかもが悪かったのか。
答えはでないまま、流れ出る血の温かさとは裏腹に酷く寒さを感じる。
千切れ堕ちた利き手。
口の端から流れる血に、あちこちに負った裂傷。
潰された臓器に、歪む視界。
視線の先にあるのはこの体勢からは全容が見えないぐらい巨大なドラゴンの屍と千切れ堕ちた自分の腕。
それがアラベラが最後に見た光景だった。