幸福は物語の主人公だけに許される
それから一週間、レティーシアは殆どの時間を自室で過ごした。
退屈はしなかった。元々あまり活発でないレティーシアは室内で過ごすことが多かったし、趣味の読書や手芸。ベッドの上で出来ることに事欠かなかった。
何より、父も兄や姉も事あるごとにお菓子や本、花に楽しい話題と様々な手土産を持って彼女の部屋を訪れてくれたからだ。そしてそれは使用人たちも同じ。
心に大きな不安を抱えながら、それでもレティーシアは心穏やかに過ごすことが出来た。
一週間がたった夜。
療養中ということでずっと自室に食事を運び込まれていたレティーシアは久々に家族と食卓を囲んだ。楽しい話に場が弾む。
笑顔が溢れる食卓に使用人達もにこにこと微笑み、レティーシアの快調を祝ってご馳走が並べられた。
「レティーシア、ずっと家に籠ってばかりで退屈だったろう。
どうだい、今度お茶会に行かないかい?王城でガーデンパーティーが開かれるらしい。レティはまだ出席したことがなかっただろう?」
父の提案にカップへ伸ばそうとしたレティーシアの手が止まった。
「まだレティには早くないですか。レティはまだ6歳ですよ。
美少女のレティをあんなところへ連れて行ったらたちまち縁談が湧いて出るに決まってます」
憮然とするレイナードに言い出しっぺのレックスも「確かに」と重々しく頷く。
そんな男二人の様子にジャンヌがクスクスと笑った。
「相変わらずレイナード兄上はレティに甘いですね。
私は6歳の時にはお茶会に出席してましたよ?確かに私はレティほど可愛いお姫様ではないですけど」
「や、別にそういう意味では。ジャンヌだって美人だし可愛い私の妹だ。
だがレティは大人しくて心配というか何というか…」
揶揄い混じりのジャンヌの発言に切れ者と名高いレイナードも形無しだ。
基本的に彼は妹たちにすこぶる弱い。
「でも確かに。そんじょそこいらの馬の骨に私の可愛いレティを任せるつもりはないですけど。
レティ、どうする?私と一緒に行く?」
戯れるように、姫君に差し出すかのように恭しく手を差し伸べた姉の指先をまじまじと見る。
そしてレティーシアはふるふると首を横に振った。
「止めておきます」
三対の瞳が驚きに丸くなる。
「いいのかい?」
「はい。あまり、大勢の方に会うのは好きでないので。折角ならお茶会よりも家族みんなで過ごしたいです」
はにかむように小さく笑った。
レティーシアは人見知りだ。
それは嘘ではない。引っ込み思案で大人しい。
だがそれと同じぐらい、いやそれを上回る程に可愛いモノや綺麗なモノが大好きで乙女思考の持ち主だ。だからこそ家族は意外だったのだろう。
美しい王城に王子様、正に物語の舞台のようなそこへ行くのを断ったことを。
だけど家族で過ごしたいという可愛らしい言葉に彼女を溺愛して可愛がってる家族はご機嫌でそれを受け入れた。
はぁ…。
扉を閉じて溜息を一つ。
最近自分の部屋へ入るなり溜息をつくことが増えた。
お風呂に入って髪を梳いて、寝支度をミモザに整えて貰ったレティーシアはベッドの上で大きな兎のぬいぐるみを抱きしめた。
レティーシアと同じ大きさぐらいあるそれは誕生日にレイナードが贈ってくれたものだ。
ぎゅうっっと顔を埋めて抱きしめる。
お茶会に行くのが怖い…。
もっというのなら人と会うのが怖い…。
それは以前から人見知りなレティーシアが抱えてた想いで、そして確実に以前よりも強くなっている切実な想いだった。
レティーシアは思い出す。
レティーシア・フォン・ローズヴェルトのことを。
そして、かつて『アラベラ』だった自分のことを。
レティーシア・フォン・ローズヴェルト。
侯爵家の次女で現在6歳。
兄と姉が一人ずついて、兄の名はレイナード。
歳は14歳でレティーシアとは8歳差。ダークブラウンの髪と瞳を持ち、端正な顔に細身の銀フレームの眼鏡を掛けた彼は明らかに理知的な雰囲気を醸し出している。
実際に通っているアカデミーでは学年トップ。
実はよく見ると垂れ眼がちな瞳は優しげなのだが雰囲気と眼鏡がそれを誤魔化している。
姉の名はジャンヌ。
歳は11歳でレティーシアの5歳上。ダークブラウンのストレートヘアにピンクサファイアの瞳の凛々しい面立ちをしている。
実際に性格も勝気で男勝り。だけど気遣いと優しさも持ち合わせた格好いい女性だ。
騎士を目指しているだけあって弱きに優しく気高い美人。
そして父であるレックスはダークブランの髪と垂れ眼がちで優しい瞳を持つダンディーかつ温和な印象の男性だ。
レティーシアたち3兄妹はあまり似ていない。
兄であるレイナードが父とよく似た髪と瞳を。
姉であるジャンヌが父の髪色と母とよく似た瞳を。
そしてレティーシアが母とよく似た髪と瞳の色に父の垂れ眼がちな目元をそれぞれに受け継いでいるからだ。
亡くなった母はレティーシアと同じプラチナブロンドにピンクサファイアの瞳だった。
だけどジャンヌのようなストレートヘアで凛々しい眼差しを持っていた彼女は殆ど肖像画でしか知らないが、やはりそっくりとはいいがたい。
唯一レイナードとレックスは実はよく似ているのだが、纏う雰囲気の違いから一見そうは見えにくい。
3人の母であり、レックスの妻であるアイリスはレティーシアが1歳の時に亡くなった。
レティーシアがあまり躰が強くない子だったこともあるのかも知れない。
母の温もりを知らない幼子を、天使のような愛らしさと亡き彼女の色彩を強く受け継いだレティーシアを、家族は慈しみ可愛がってくれた。
レティーシアは家族が大好きだった。
それは彼女の世界で、全てで、何よりも大切な存在だった。
父も姉もメイドのミモザもみんな好き。
だけどとりわけ、兄であるレイナードのことが大好きだった。
いつだって彼女を守り、慈しみ、愛してくれる彼。
それはまるで、
物語で夢見続けた王子様そのもので________。
「レイナードお兄様!大きくなったらレティと結婚してねっ!!」
薄紅の雪が舞ったあの庭で。
まだ桜が植えられていなかったあの庭で幼い日にそれを強請ったのを覚えてる。
幸せな物語の夢を見て。
物語のお姫様のように姉に騎士の真似ごとを願ったことを。
兄にお姫様を守り抜く王子様の真似ごとを願ったことを。
それは、悪なんてどこにも存在しない、優しい優しい夢物語。
本当の痛みも、哀しみも。
何も知らずにいられた幼い少女の夢物語に過ぎなかった。