深窓の令嬢=引き籠り
ローズヴェルト侯爵家には、深窓の姫君が存在する。
御年11歳の姫君はまだ学園にも通っていない。
美しいと評判だった亡き侯爵夫人のプラチナブロンドとピンクサファイアの瞳を受け継ぎ、現侯爵の優し気な面差しを思わせる柔らかな目元と雰囲気の絶世の美少女。
美しさと愛らしさを併せ持った姫君はかの家の珠玉。
優秀な当主である侯爵も、切れ者と有名な兄君も、凛々しい若き騎士である姉君も。かの屋敷の者達は皆、姫君を目に入れても痛くない程にそれは大切に可愛がっているらしい。
気立ても優しく、幼いながらも完璧なる淑女の鏡。
そんな侯爵家の姫君だが……幼いころから病弱で、外に出ることは殆どない。
多くの者がその相貌を一目見たいと誘いをかけども、姫君は茶会やパーティーはおろか、王族の前にすら姿を現さぬ病弱さ。
美しく儚い、姿を見せぬ深窓の姫君。
……嘘です。
特に後半、大嘘です。
初めてその噂を耳にした時は、一体だれのことかと思った。
ぶっちゃけ、他の侯爵家の話だと思いたかったけれど、容姿やら家族構成やらが自分とモロ被りで「まさかね?」と思いつつ恐る恐るミモザを見れば、重々しく頷かれた。
思わず遠い眼になった。
何故そんな噂がっ………?!
驚いていれば噂の出所はまさかの家族や屋敷の人間で、レティーシアは再び口をぽかりと開いて愕然とした。
美しく優秀で、非常に人目につく家族たち。
そして可愛い可愛い娘・妹の話題になれば、甘い甘い表情と声音になる彼ら彼女らに周囲の関心がその先に向かうのは当然だ。
レティーシアが公の場に出ないことに加え、彼女の躰を心配して仕事や付き合いを切り上げ帰宅する家族の姿は度々目撃されている。侯爵家の末姫の病弱さと、彼女がどれだけ愛され大切にされているのかは社交界ですぐに広まった。
結果、出来上がったのが先程の噂である。
ベッドの上、涙目でレティーシアは兎のぬいぐるみを抱きしめる。
熱い躰、熱い吐息。
目尻を生理的な涙が一筋流れ落ちる。
「少し熱が上がりましたね」
きつく絞られた布が額の上に置かれ、その冷たさに潤んだピンクサファイが僅かに緩む。「気持ちいい」小さく呟いた声にミモザが小さく微笑み、額にかかる前髪をそっとよける。
今日も今日とてレティーシアはベッドの住人だ。
今年で早、11歳。
気付けば今の在り方を決めた、あの別荘での出来事があった時のジャンヌとほぼ変わらぬ歳になっていた。
あれから、4年。
レティーシアは再び剣をその手に取った。
但し、そのことは目の前にいるメイドのミモザしかしらないことだ。
自らの弱さを嫌悪し、呪ったあの時から、あんなにも忌避し疎んだ過去の残像を。
“強さ”を得る事を願った。
それでも、
今この手にある倖せも、家族も、希望も。
何一つ手放す勇気も諦める覚悟も持てはしなかった。
だから、頼んだ。
レティーシアはミモザに頼み込み、誰にも内緒で鍛錬に励んだ。父が、兄が、姉が屋敷に居ない時にこっそり内緒で兄たちの鍛錬場に立てこもり、剣を、拳を振るった。
勿論、ミモザには大反対された。だけど必死に頼み込み、泣き落として漸く許可を得ることが出来た。
不審に思っている屋敷の者も、鍛錬場に向かうレティーシアに気づいている者もいるだろう。
だけど彼らも、鍛錬場の扉の前でいつもはらはらしながら待ち続けるミモザも、魔物と遭遇して恐ろしい眼にあった少女が健気にも無為な努力を重ねていると思っているだけだ。
姉であるジャンヌが怪我をしたことに酷く沈んでいた当時のレティーシアを知っているから、それがトラウマになっているのだろうと。そのトラウマに向き合う方法が彼女にとってそれなのだろうと黙認しているだけだ。
尤も、怪我などすれば話は違うが。
なのでレティーシアは部屋から出る時は掠り傷の一つも残しはしない。
彼ら、彼女らは閉ざされた扉の向こうの光景を誤解している。
幼い少女が重く似合わぬ木刀でも持ち上げて震える手で必死に振り上げて打ち下ろそうとしている。あるいは体力をつけようと、彼女がかつてダンスのレッスンの為にしていたような筋トレに励んでいる。
そんなある意味微笑ましい鍛錬を想像していた。
だが、実際は……。
《身体強化》を施した身で風のように舞い、魔術により創り出した剣で仮想敵の首を刎ね蹴散らすような本場の戦闘職さながらの、否、一般のそれより激しい鍛錬が行われているのを誰も知らない。
そして、その結果。
過度な《身体強化》の反動と魔力切れや筋肉痛で、レティーシアは寝込むことになる。
これが病弱の真相だった。
そうして強さを求めた結果、それを他人に知られるのが怖いというコンプレックスは肥大し、ますます他人が恐ろしく。特に男性は苦手意識の塊に。
鍛錬する→倒れる→強くなる→強いの知られるの嫌・他人怖い→引き籠る→時間があるから鍛錬する。
完璧なる負のループの完成だった。
「お水を飲みましょうか」
抱き起され、背に大きなクッションを差し込まれる。
グラスを傾ければ、喉を通る冷たさが心地よい。
こくり、こくり。喉を鳴らしながら躰を支えてくれたミモザの腕を盗み見る。
「どうされましたか?」
「んーと、ミモザは細いのに意外と力持ちね」
飲み終わったグラスを受け取ってくれる手は自分よりも大きく、だけど女性らしい手。
体調が酷く悪い時には躰を抱き起し、身の回りの世話をしてくれる手は見た目に反して力強いことを知っている。
「日々の仕事で鍛えてますからね」
「………」
すごく複雑な心境で黙り込む。
鍛えているというなら、この四年……自分は物凄く鍛えている筈だ。成長期だし、それなりな成長は遂げたもののレティーシアは同じ年頃の少女と比べて小柄だし、相も変わらず華奢なまま。手も足も脂肪はおろか筋肉はほぼついていない。
ムキムキになるのは御免なので嬉しい。すごく嬉しいのだが…。
あれだけ鍛えてるのに何故?と疑問には思う。
華奢なのは嬉しいが、躰が出来上がっていないからこそ鍛錬が負担になって、深窓の令嬢なんていうデマが流れるぐらい寝込む羽目になるのだから複雑だ。
というか、寝込む原因が剣と武術の鍛錬とか……。
それで深窓の令嬢とか詐欺感が酷い。
そしてもう一つ、デマ感満載の噂よりもレティーシアを苛むモノ。
それはレティーシアの年齢だ。
先の噂でもあったが、レティーシアはまだ学園に通っていない。
だが貴族の子息・令嬢は11歳から13歳の二年間、希望する期間(最低でも3カ月は必須)集団行動や協調性・社交性を学ぶ目的もあり学園へ通わなければならない。
つまり、最低の3カ月にするにしても来年には学園へ通う身。
「ううっ……このまま引き籠ってたいぃ」
もふもふな兎の耳の間に顔を埋め、レティーシアは泣き言を吐いた。
レティーシア・フォン・ローズヴェルト。御年11。
今や家族と屋敷の人間以外とはほぼ顔を合わせることすらない、立派な引き籠りである。




