憧れを抱く少女
今日も今日とてレティーシアは頑張っていた。
ミモザに起こされ、淹れてもらった紅茶を飲んで一息。
あまり朝が得意でないレティーシアは起き抜けは頭が回らないので一杯目のお茶はいつも少しだけお砂糖多め。糖分と暖かさを補給して、漸く頭が動き出したらまず考えることは本日のコーディネート。
「今日はどれにしようかしら?」
予定を思い浮かべながらドレスの色やデザインを考える。
色鮮やかなドレスを脳内に思い浮かべるのも、クローゼットを眺めるのも凄く楽しい。ドレスに合わせた小物や装飾品を選ぶのも。
何せアラベラだった時には叶わなかったことだ。
「これとこれ、どっちがいいと思う?」
爽やかなシンデレラブルーカラーとパステルイエロー、二つのドレスを鏡の前で躰に合わせながらミモザを振り返る。
「ブルー……、いいえ、パステルイエローはどうでしょう。髪を下の方だけくるくるに撒いて、サイド部分をリボンと一緒に編み込まれてみるとか」
真剣な顔で一緒に考えてくれるミモザの提案にパッと笑顔が弾けた。
「素敵ねっ!お願いミモザ」
「お任せ下さい。最高に可愛らしく仕上げてみせます!」
綺麗に着飾ったら、みんなで朝食。
「おはようございます、お父様。レイナードお兄様もジャンヌお姉様も」
「「おはよう、レティ」」
「今日も可愛いわね、似合ってるわ。おはよう、レティ」
レティーシア以外は仕事や学園と忙しい家族だが、それでも食事は出来るだけ一緒にとるのがローズヴェルト家の決まりだ。決まりというか、単純に仲良し家族なだけでもあるが…。
大好きな家族と一緒に居られる時間はレティーシアの大好きな時間だ。
まるで、夢のような時間。
以前は何の疑問もなく過ごしていた時間さえ、どれ程に尊く愛おしい夢のような時間なのかを今では思い知る。幸せで、倖せで……。
シャボン玉のようにいつかまた儚く弾けてしまうのではないかと時折怖くなるほど。
マナーのレッスンの成果は見事にレティーシアの身について、テーブルマナーも今や見事なものだった。小さな淑女は食事を終え、順番に出掛ける家族を見送る。
「いってらっしゃいませ」
手を振って、その背が見えなくなるまで見送る。
一人になったら、午前中は大体お勉強の予習復習。
本を片手に家庭教師に教わったことを反芻しながら理解を深め、時間があまったら趣味の読書や手芸をしたりお庭に出たり。
侯爵家であるローズヴェルト家の庭は見事なものだ。
特に病弱であまり外出しないレティーシアの為に娘が可愛くて仕方のない父が様々な花や彫像を取り寄せてくれているから。庭にはいつだって花が咲き誇り、レティーシアの目を楽しませてくれる。
家庭教師からの課題を終えたレティーシアは、本を片手に庭へ出た。
そよそよと風がパステルイエローのドレスの裾を揺らした。
「きれい」
本を抱いていない方の手で前髪を抑え、小さく呟く。
風に舞い散る薄紅の雪。
ひらひら、ひらひらと幻想的に舞うのは桜の花びらだった。
瞳を奪われてその光景に立ち尽くし、その樹の根元へと歩み寄りハンカチを広げた。幹に背を預けるようにそこに座れば美しい花びらと木漏れ日が降り注ぐ。
本の上へと落ちた花びらをそっと指でなぞる。
あれから一年。
蒼い蝶に導かれるように前世の記憶を思い出したあの日も桜が雪のように舞っていた。
あの日以来、あの湖には近寄っていない。
あんなことがあったから、家族からも一人で決して近づかないように言われていたし、レティーシア自身近づく気にはなれなかった。
水面に映ったアラベラの姿。
あの蝶の翅と同じ色をした蒼い瞳。
哀しくて、何かを諦めた色を宿した瞳だった。
だけど、何かを諦めきれずにいたアラベラ。
「……様、…-シア…様」
「…んぅ」
柔らかく肩を揺すられる感覚。
水の底から浮かびあがるように緩やかに浮上する意識。
「レティーシアお嬢様、お目覚めですね」
覗きこんでくるアッシュグレイの瞳をぼんやりと眺める。
「……レティーシア?」
ほっと息を吐いた冷静そうな印象の女性が見つめているのは私で。
「お嬢様?寝ぼけてらっしゃるんですか?」
そっと伸ばされた指が顔に掛かった前髪を優しく払ってくれる。
そう。
わたしはレティーシア。
「ミモザ?」
浮かんだ慣れ親しんだ名を口にすれば目の前の女性は可笑しそうに笑う。
「そう、メイドのミモザですよ」
ぱちぱちと瞳を瞬くと、ようやく意識が夢と現の狭間から戻って来た。急速に浮かび上がる意識。認識がやっと追いつく。
ミモザの手がずり落ちた肩掛けを掛け直してくれる。
淡い色合いの生地に控えめな小花模様が散るそれは今日のドレスにもよく似合う春めいたもので。だけど身に着けていた記憶はないからミモザが掛けてくれたものだろう。
「春とはいえまだ肌寒いですから。このようなところでうたた寝をしていては風邪をひいてしまいます。さっ、中に入って何か温かいものでもお召し上がりください」
促され立ち上がる。
どうやら知らないまにうたた寝をしてしまっていたようだ。
開いたままの状態で膝の上へと下ろした本の上にも花びらが幾枚も散っている。指先でそれを払い、本を閉じる。
読んでいた本はお姫様と王子様の恋物語。
優しくてきれいで可愛いお姫様と、優しくて強くて恰好いい王子様のお話しだ。本はお姫様が悪い魔女に攫われてしまったところでとまっている。きっとこの後、王子様がお姫様を助けにきて二人は幸せになるのだろう。
精一杯可愛らしく着飾って、お勉強も頑張ってるし、ダンスやマナーに刺繍。淑女としての教養だって頑張っている。体幹を鍛えるために夜の筋トレだった続けているし、甘いモノは大好きだけどぽっちゃりしてしまわないよう食べ過ぎは控えてもいる。
鏡の前でカーテシーや笑顔の練習だってしてるし、理想の女の子になるために努力してる。
わたしは、わたしが夢見た女の子に近づけているだろうか?
お姫様みたいな女の子に。
可愛くて、綺麗で、素敵な女の子に。
ミモザに付き添われ歩き出したレティーシアの頬を撫でるように一陣の風が吹き抜けた。
さぁぁ、と翻る長いプラチナブロンドとドレス。
ひらひらと舞い散る薄紅の花弁。
夢のように美しく、幻想的に桜の薄紅が視界を染めた。
それはまるで、触れれば儚く溶けてしまう雪のようだった。




