全力で引きこもりたい
現実はそんなに甘くはなかった。
ダンスを踊る為に差し出された手。
その手をとることさえままならない。
手を伸ばそうとするものの、再び怯えた兎が発動しぴるぴるする始末。ハンスはそんなレティーシアを笑みにちょっと苦い物を混ぜながらも急かす事もなく見守ってくれている。非常に申し訳ない。こちらの都合で勝手に呼び出した挙句、この態度。流石に申し訳なくなって勇気を振り絞って手を伸ばす。
自分より大きな手に指が重なる。
周囲からほっと息を吐く音が聞こえた。
手を取っただけで安堵の息、周囲のハードルはだだ下がりだ。
そしてドラゴンに対峙するより怯えてるってどういうことだ、そう突っ込んでくれる人間は存在しない。
音楽が流れる。
昨日までは普通に踊れたパートも心臓がバクバクな今はちっとも上手く熟せない。だから余計にハンスに呆れられているんじゃないか、蔑まれているんじゃないかという不安から足はますます縺れるばかり。
「あっ」
そしてついにやってしまった。ハンスの足を踏んづけた。
「ごめんなさいっ」
半泣きで謝るもそっと躰を引かれる。男性と密着することにびくりと躰が震えた。
「止まらないで。足はそのまま、音楽をよく聞いて」
穏やかな声がすぐ側で響く。
「そう、その調子です。謝られることはないですよ、練習なんだから。その為に僕が呼ばれたんです」
にっこりと微笑んでくれるその顔には怒りは見れない。
セバスチャンとよく似た顔で、彼のように優しくハンスはレティーシアに笑いかけてくれる。
「お上手です」
「……ありがとう」
そして、曲が終わった。
礼をして、そしてレティーシアはジャンヌの後ろへと戻った。
苦笑いを浮かべたジャンヌはそれでも妹の頭を撫で、ダンスを褒めてくれる。そしてハンスに向かって軽く謝罪と素晴らしい対応へ礼を告げた。
「まだ課題はございますが後半は素晴らしかったですわ。あとは…お相手に向き合って笑顔を浮かべられるようにしましょうか」
講師のマルグリット夫人はそう告げる。
そう、ダンスの間…レティーシアは始終俯いていた。
相手の顔を見ることはおろか笑顔などもってのほかだった。
「はいぃ」
思いっきり自覚はあったため、情けない声を上げるレティーシア。
レッスンを終え、レティーシアはジャンヌと共にお茶をしていた。
次回からもハンスは時々レッスンの相手を務めてくれることに決まった。
交流を深める為にもハンスもお茶に誘ったのだが、レティーシアが疲れ切っていることを察したハンスは自分が一緒では落ち着かないだろうと今回は辞退した。
8歳なのに気遣いが凄い。流石は有能執事の息子、将来有望。
「凄く可愛かったわ」
「でも…全然上手に出来ませんでした」
しゅん、と音がしそうな程に落ち込むレティーシア。
うさ耳があったならぺたんと垂れていることだろう。
「そうねぇ、ダンスは問題なかったのだけど…。レティは本当に男の人が苦手ね」
「……はい」
妹の人見知りは知っていたがあそこまでと思わなかったジャンヌは正直驚いていた。昔から人見知りがちだったが悪化してる気がする。
そう考えるも、まさか前世の記憶があってそこで酷い扱いを受けていたから対人恐怖症などという吃驚な理由は思いつきもしないのでただ不思議だった。病弱で屋敷の外の世界をほとんど知らないレティーシアが何故そこまで男性を怖がるのかと。
ロマンチックな恋物語は大好きだし、物語の王子や騎士に憧れを持っているから男の人の存在がだめというわけではないだろう。
ならば駄目なのは“生身の男”か。
物語に憧れるあまり綺麗な上辺だけでない男性に抵抗があるのか、それとも父や兄が甘やかし過ぎだからか。すごくそんな気がする…。
全く、仕方のないことだ。そう思いつつも父や兄の気持ちもわかった。
可愛い妹はどうも「自分が守ってやらなければ!」そう思わせるような庇護欲をそそる存在だ。先程のぴるぴる震える姿もすごく兎っぽかった。そうジャンヌは回想する。
「ハンスは凄く優しいのに…」
しょんぼり俯いてレティーシアは呟く。
正直、レティーシア自身あれほどダメダメだと思わなかったのだ。
苦手意識はあれど、何とか接することは出来ると思っていた。実際、ハンスは凄く優しくて紳士的だ。それに生まれた時から知っているセバスチャンによく似ていて、初対面の男の子としてはハードルは思いっきり低かった筈。
それでもあんなに怯えてしまうなんて……。
「わたし…これからやっていけるんでしょうか…?」
思わず弱音が口をつく。
「だ、大丈夫。レティはまだ7歳だし、それに可愛いから!」
ジャンヌのフォローにミモザも後ろでうんうんと頷く。
正直、社交界に出るにあたって問題はあるが…。
でも可愛いから!というフォローも本心だ。その外見と性格からレティーシアは愛され、可愛がられやすい。先程一同が慈愛の眼差しで見守っていたのがいい例だ。
「でも…これからお茶会やパーティーに参加しなきゃいけない時も来るし…」
「そ、それは…」
「それにわたし、学園に通えるのでしょうか……?」
「「……」」
想像してジャンヌも、ミモザも、部屋にいた他のメイドも一同が無言になった。
超絶心配!!
ついて行きたい!!
一同の心はいま一つになった。
学園とはこの国の貴族が一定期間通う学習機関だ。ジャンヌが現在通っているのが正にそれ。
因みにジャンヌは騎士科に在籍している。いずれレティーシアも通わなければならず、人嫌いのレティーシアにとって恐怖の象徴みたいな場所だ。
期間は3カ月から2年。開きがあるのは貴族の子は家庭教師がつくのが普通だから。
それなのに何故学園なんていうものが存在するかといえば、要は本格的に社交界に出る前に集団行動を学びましょうね、ということだ。
その最低期間が3カ月で、あとは本人の希望により申請可能。レティーシアは当然3カ月のつもりでいる。人、特に男性が恐いコミュ障なので。苦痛は最低期間でいい。
ジャンヌもレイナードも11歳から学園に通っていた。人脈作りが大切な貴族にとって同世代のあつまる学園は出会いの場でもあるから11歳から13歳までの2年間フルで通うパターンが一番多い。優秀なレイナードは学園卒業後、さらに学術的な知識を学べるアカデミーへ編入している。
つまりは、嫌でも見知らぬ人間がひしめく空間に足を踏み入れなければならない。
しかも一人で。
ジャンヌは来年卒業だし、学園にメイドや使用人は連れて行けない。行くとしたら生徒として入学する以外の方法はない。
ついて行きたい!!!
一同は強く願った。
人見知りなレティーシアが一人で学園でやっていけるのか?
心細くて泣いてしまうのではないか?
万が一いじめられたりしたらどうする?(その時は相手を社会的に殺る!)
いや、可愛いレティーシアのことだからいじめられたりはしないだろうが、同世代の男子がこの可愛い天使を果たしてほっておくだろうか?否!!
心配から始まり、仄暗いオーラが部屋を包んだ。
それに気づかないのはレティーシアだけ。
「わたし…ずっとお家に居たい」
無理と知りながら呟いたレティーシアは呟く。
そして無理と知りながらもそうして欲しいとみんなは思った。
その夜、ローズヴェルト家ではレティーシアを除いた緊急会議が開かれた。
緊急会議しようと学園へ通うのは貴族の義務みたいなものだから覆すことは叶わないのだが…。




