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蒼き蝶は記憶を運ぶ





「わぁっ…!!」


 それはとても美しい光景だった。





 柔らかく吹き抜けた一陣の風。

 晴れ渡る蒼空。わた菓子みたいな白い雲。季節は春。


 小鳥のさえずりが聞こえる麗らかな日差しの中、レティーシアは髪を抑えた。

 吹き抜ける風に緩くウェーブがかかったプラチナブロンドがふわりと舞った。



 瞳を閉じて一瞬。



 反射的に閉じた瞳を開けば、とても美しい光景がそこにはあった。

 そよそよと揺れる花々。

 風が舞いあげた花弁がひらひらと舞い落ちる。



 それはまるで薄紅の雪のよう。



 舞い散る薄紅の雪と咲き誇る色とりどりの花々。

 夢のように美しい光景に暫し見惚れる。




 薄紅の雪を散らす美しい樹は彼女の父親が遠い異国から取り寄せたものだ。

 (チェリーブロッサム)というらしい。


 うっとりと見惚れていたレティーシアは、お兄様たちにも見せて差し上げたかったなとこの美しい光景を共に見れなかったことを少しだけ残念に思う。

 そしてまたの機会にお兄様たちもお誘いしよう、と。


 楽しみを胸に気を入れ替えたレティーシアはスカートの裾を掴んでしゃがみこんだ。

 大きな瞳で花々を吟味して、ごめんなさいね、心の中で呟いてそっと細い指を伸ばす。

 5輪、6輪と花を手折って小さな花束を作り上げた。

 せめてこのお花を屋敷に飾ってお兄様たちにも見せてあげよう。そんな他愛ない思い付きと共にレティーシアは機嫌よく立ち上がる。




 広大な庭を鼻歌混じりに散策していると、不意に視線の先に美しい蒼が()ぎった。



 つられるように視線をやれば、吸いこまれそうな深い蒼に黒い縁取りをした蝶が一匹。

 儚くも凛とした美しさに誘われるように足を向けた。



 小さな湖面に翅を止めた蒼い蝶。


 水を飲んでいるのかじっと動かないその姿を暫し眺めていたレティーシアはやがて湖面へ映る自分の姿へと意識を映した。



 ふわふわと波打つプラチナブロンドの長い髪。

 長い睫毛に覆われたピンクサファイアのような大きな瞳。

 柔らかそうな白い肌。

 完成された美貌と、それを裏切る小動物を思わせるようなあどけない表情。それらはレティーシア本人は気づいてないが彼女が影で『兎姫』と呼ばれている所以(ゆえん)だ。



 白いレースが幾重にもついたお気に入りのドレスと、メイドのミモザが可愛らしく編み込んでくれたハーフアップの髪型。

 水面に映るおろしたてのリボンが嬉しくて、レティーシアはにっこりと笑うと手の中から一輪の花を抜きとった。

 湖面を鏡に見立てそっとそれを髪へ挿す。

 白いレースのような花びらは今日の装いとも髪を彩るレースのリボンとも良く似合って、レティーシアは湖面を覗きこむように僅かに身を乗り出した。




 蒼い蝶がひらりと舞う。



 優雅に翅を広げた蝶は、湖面に映るレティーシアの上へと降り立った。



 微かな波紋が弧を描く。



 そしてその波紋によって湖面に映るレティーシアの顔がほんの僅かに揺らいだ。




「え…?」




 ごくごく小さな波紋だった筈なのに、突如ぐにゃりと歪んで見えた湖面。

 ぐにゃぐにゃと歪む湖面に、そこへ映る自分の姿に。

 花弁のような唇からは戸惑いと怯えの声が漏れた。




 湖面へ映る知らない女性の顔。



 違う、知らなくはない。

 私はその顔を知っている。



 心の中でレティーシアは呟いた。

 突如世界が翳ったような気がした。




 湖面の中から此方を覗く、自分よりも幾つも年上の女性の姿。



 金というよりも蜂蜜色に近い真っすぐな髪。

 一つに括られたそれにも、化粧を施さない顔にも飾り気はない。

 けれども端正なその顔の中、一際眼を惹く蒼い瞳。

 切れ長な瞳は鋭利にも見え、だけどその蒼い瞳の奥にある深い哀しみと怯えを孕んだ色彩(いろ)がその印象を覆す。




 そして再び、蝶が舞った。



 同じ色彩(いろ)のその翅を翻し、飛び去って往く。



 湖面の揺らぎが停止し、瞳が合った。



 ピンクサファイアの瞳と深い蒼を宿す瞳がはっきりとかち合う。






 その瞬間、躰に震えが走った。





『哀れなる我が妹』





「やっ…あ…っ…!!」


 カタカタと震える躰。

 耳を閉ざすように頭を両手で抱え込む。



 紅い紅い、記憶の中の光景。

 意識を失いそうな程の激しい痛み。



 見覚えの無い筈の光景に、聞き覚えの無い筈のその声に。

 自分が何処にいるかすらもわからなくなった。

 ただ自分を守るかのように躰を只管(ひたすら)に小さくして身を屈めることしか出来ない。





『せめて、祈ってやろう』





 静かな声が告げる。

 脳裏に映るのは血塗れの手。倒れ伏す巨体と、全てを染める鮮血。

 血の気を失っていく躰と、痛みと寒さ。



 剣を握った血塗れの手。



 あれは、私の手だ。

 岩の上に転がるそれは、()()()()()()()私の腕。



 息絶えた巨体。

 あれに、命からがら倒したあのドラゴンの爪に薙ぎ払われた私の右手。



『プラチナブロンドにピンクサファイアの瞳、

 闘いなど知らぬ華奢な躰に小さな手。

 来世ではお前が夢見たあの物語の姫君のように

 無垢で愛らしい存在へと生まれてこれるように______』




 ぐらり、と躰が傾いだ。





『アラベラ』





 水音と共に名が響く。



 我を失い、躰を乗り出し過ぎたようだ。

 恐慌する心とは裏腹に、何処か冷静な思考で現状を把握した。

 流れ込んでくる水が冷たい。ゴボリと吐き出した息が幾つもの泡となって視界が揺れる。

 水を吸って沈んでいくドレス。

 水の中から覗く太陽が酷く遠い。





『アラベラ』





 それは私の名だ。


 強く美しいライオンを意味する、私の名。


 強くも、美しくも在れなかった。不釣り合いな、私の名前。




 止めて、呼ばないで…。




 苦しくて涙が溢れた。光へ向かって手を伸ばす。

 届かない太陽へと。




「レティーシアっ!!」




 何処か遠くで、私を呼ぶ声がした。





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