彼の白昼夢
ピエロはそれらしい人物を必死で探しながら歩き回った。足元に転がるボールをよけ、ゆっくりと歩く象が道を開けるまで待ち、背の高い一輪車の団体の間をすり抜けながら探した。中が見えるテントは中も覗いてみた。でもそこにはカラフルな衣装と化粧をした女たちが芸の練習をしているだけだった。気が付くとピエロは人ごみから少し離れたところに出ていた。今までの華やかな音楽はまだ聞こえているが、ずっと静かだった。何人かの男が無言で木を削ったり色を塗ったりしている。初老の男も数人おり、動物の毛並みをそろえていた。ピエロはそばにあった切り株に腰を下ろした。ピエロに気づく者は誰もいない。目の前に置かれた仕事に熱中するさまは鬼気迫っているようにも見えた。それもそのはずだ。彼らのすぐそばで長身で痩せた男がノートを片手に何かを書き込んでいた。きっと担当の仕事をしっかりとこなしているか監視しているのだろう。それをぼんやりと眺めながらピエロは懐からカード取り出した。何かをしようとしていたわけでもなく、ただ無性にいじりたくなっただけだった。ピエロは慣れた手つきで華麗にカードをきり始めた。すると、今まで目の前で働く男達にしか目を向けていなかったあの長身の男が、ピエロにくぎ付けになった。ピエロは横目でその男を見ながら少しだけ得意げになった。ジャグリングや一輪車はここの者たちの方が優れていたが、見た限りでは手品において、自分の右に出る者はいないだろうと思っていたからだ。男は書き物をすることなどすっかり忘れ、口をあんぐり開けながらゆっくりとピエロのほうによって来た。ピエロはカードをきりながらすました顔で少しだけその男の顔を覗き見た。
カードは音もなく空に舞った。
青年だった。ピエロだった。二人は抱き合った。カードがささやかな花吹雪のように二人を包み、運命的で感動的な再開だと思わせた。
「やっぱりお前か。あのカードをきる様を見てわかった。あんなに華麗に指を動かせるのはお前しか知らない」
青年はピエロの手をきつく握りしめながら涙声で言った。
「ここにいたのか。会えないかと思った。話したいことも、聞きたいことも、山ほどある」
ピエロは泣きながら言った。二人は何度も頷きあいながら手を握り合った。
ピエロは青年に誘われるがまま、一つのテントに入った。そのテントは小さかったがしっかりしており、温かかった。青年はスーツケースから酒を二本引っ張り出してピエロと乾杯した。二人して同時に飲むと、体が熱くなるのが分かった。でもここまで熱くなったのはきっと酒のせいだけじゃない。そして二人はきちんと向き合い、真面目な顔になって今までのすべてを話し合い、聞きあった。
青年はしばらく、ピエロの事を待ち続けた。しかしそろそろ潮時かもしれないと思い、自分に合った仕事を探そうと決めた。そんなある日、青年は偶然にもこのサーカス団に出会った。幼い時にピエロの芸を間近で何度も見ていた青年はある程度の知識とセンスを持っていたからか、オーナーに気に入られて働くことになった。しかしすぐに青年のセンスにはまだまだ伸びしろのある事が判明し、青年の仕事はより多く、より重要なものになった。そして世界中を飛び回りながら再びここにやって来たのだった。もちろん青年は、ピエロから話を聞くまで友人の身に何が起こったかなんてちっとも知らなかった。きっとピエロは孤独だったに違いない。一年後に来るとわかっていたら一歩も動かずにピエロを待つことだってできていただろう。そう思いながら青年は酒の瓶を強く握りしめた。ピエロも同時に同じことをした。もしあの時、一年も青年と会えないとわかっていたなら、どんな事があろうと一言だけでも青年に伝えるために駆けて行っただろう。でも今こうして会えている。一年という歳月があったからこそ、自分たちはいろんな思いを巡らせながら互いに酒瓶を握りしめているのだと彼らは思った。二人はこの時、当たり前のことを初めて喜びと感じた。二人はもう一度、乾杯し、夜が更けるまで語り合った。
目が覚めるとテントの中にいたのはピエロ一人だった。まさか夢だったのではないかと不安に襲われたが、枕元に置かれたメモを見て再び喜びがこみあげてきた。青年からのメモだった。
仕事の準備があるから先に行く。起きたら中央の赤いテントに来るといい。
と走り書きされており、ピエロがその通り中央の赤いテントに行くと、そこには昨日と同じ青年がいた。絹でできた上等なスーツに身を包み、黒い髪も撫でつけられていたが、昨日と同じ調子だった。
「サーカスの持ち物さ。俺の金で買った物じゃない」
青年はそう言ったが、ピエロには青年の物同然に見えた。それから二人はベーグルとコーヒーで朝食を済まし、ピエロは青年に連れられてサーカスを案内された。朝のサーカスは夜より幾分静かで、幾分忙しなかった。何頭かの動物は眠り、何頭かの動物は起き、何人かの人間は働き、何人かの人間は休む。進んでいくにつれピエロの裾は朝露でぐっしょりと濡れてしまった。それだけじゃない。うっすらと霧が出ているせいで青年のせっかくのスーツもピエロの服も湿ってきてしまっている。ピエロがくしゃみをした時、青年が立ち止まった。ピエロが覗くと青年の目の前には小柄で太った男がおり、ピエロを見ると踊るように駆け寄ってきた。ふくよかなその体はオレンジ色のスーツにゆったりと包まれ、丸い赤ら顔の上には紫色の帽子と真っ白な花が飾られていた。そして裾からたまに見える革靴を軽やかに動かしながらピエロの周りをぐるぐると回り、胸元から片目レンズを取り出すと、ピエロを楽しそうにじろじろ見始めた。そしてピエロがこの男から離れようとするや否や男はピエロの腕をむんずと掴み、自分の方へ引き寄せてニタニタと笑った。ピエロはその無遠慮さに腹を立てる間もなく、まず怯えた。
「素晴らしい!生まれ持った才能だ!天性の宝物だ!何百年に一人の逸材だ!何万人に一人の希少な人材だ!」
と空っぽな誉め言葉を心底嬉しそうに言いながら、彼は再びピエロを観察し始めた。青年は止めに入ったが、男は青年の腕をつねってどかした。青年はあっけにとられていたが、ピエロは男の手を払いのけて怒鳴った。先程までの怯えが怒りと引き換えに消え失せた。
「いい加減にしろ!どこのだれかは知らないが、私の友人に乱暴するな!」
しかし男は相変わらずニタニタと笑いながら
「友人!そうか!それなら謝るから。どうだ、うちのサーカスに入らないか?」
とピエロに言ってきた。我に返った青年は腕をさすりながら、この男がサーカスの団長であることをピエロに告げ、一緒にやらないかと聞いてきた。
しかしピエロはすぐには頷かなかった。ここに来る前、あの彼に、サーカスに入るといい、と言われたその言葉が頭によぎったが、目的の青年とは会えた。そんなピエロを見て目の前の男は、もちろんそれはそうなのだからと意味の分からない納得の言葉を並べ、帽子からチケットを取り出してピエロの胸に押し付けた。
「知っているさ!知っているとも!君はきっと迷っているのだろうね!サーカスを見てみるのも一つの手さ!でもあいにくこのサーカスは大人気でね!二か月先まで満員なんだ。このチケットは二か月先のだけれど、一等席だよ!どうだ?君の友人の活躍も間近で見れるさ!彼は司会だ!私が育てた!一流さ!」
そう言うと男は青年の背中を叩き、ピエロの前に押し出した。青年は苦笑いしながらピエロに耳打ちした。
「司会以外の時は、裏方の力仕事をやってるんだけどね」
青年はその後すぐに、向こうのテントから名前を呼ばれてピエロに手を振るとそちらに駆けて行ってしまった。
「行ってしまったな!まあ、彼も忙しいのさ!何しろ一流だから!私が育てたんだ!彼を一流にしたのは私だ!だが彼はいい人間だ!彼をいい人間という私もいい人間なのさ!」
ピエロの横に来た男は、上機嫌にそう言いながらピエロを自分のテントに招き入れた。そのテントは他のテントよりも広く、天井も高くて色鮮やかだった。様々なレースが垂れ下がり、数多くの骨董品が床に転がっていた。それを踏み分けながら男は奥にあるハンモックに腰かけ、その足元のガラクタから酒瓶を取り出してピエロにそのまま飲むようにと促した。ピエロは骨董品をかき分けてから床に座ると、男からもらった酒瓶の栓を抜いて黙って飲み始めた。そうそう手に入らない代物だという事はピエロにもすぐにわかったが、すぐに酒瓶を床に置いて男と向き合うことにした。
目の前の男はというと、自分の頭から丁寧に帽子を外して汚れを払うと、ハンモックにそれをとてもとても愛おしそうに寝かせていた。そしてピエロの方に歩いてくると、自分も床に腰を下ろした。その間もずっとニタニタと笑っており、ピエロは今すぐここを抜け出したい衝動に駆られたが、行くあてもないし結局はサーカスを見に再びここに戻るのだからと自分を言い聞かせた。
「いやあ!やっぱり君は逸材だ!やっぱり待てないよ!早くこのサーカスに入りなさい!」
すぐ真横にいるというのに、男はさも楽しそうな大声でピエロにそう言った。ピエロは苦笑しながら、サーカスを見てから決めます、と言うと男はころころ笑いながら頷いた。
「それはそうだ!その方がきっといい!見てから決めなさい!」
青年が帰ってくるまでずっとこのオーナーと一緒にいるのかと思うとピエロは心底うんざりしたが、オーナーは用を思い出したと言ってその後すぐにテントから出て行った。去り際に男はピエロに、
「好きな場所で好きにするといいさ!でもサーカスには来てほしいもんだね!」
と片手をあげて言った。そして残されたピエロはぐるっとテントの中を見渡すと、骨董品をのけてその場に寝そべった。薄いテントの生地から太陽の光が透けていて、眩しかった。もう少しすれば太陽は真上に到達し、人々は昼だと実感するはずだ。秋も深まったといえども、こうして日の光に包まれると忘れかけていた温もりも思い出される。ピエロは静かな安心を体で感じながら眠りに落ちた。夢に見たのは幼少期の青年とピエロで、二人してあの灰色の路地で仲良く芸を披露していた。