完結させるには? ~過去の失敗から対策を練る~
戦略が必要だ
懲りもせず長編小説を書こう、そして今度こそ完結させよう。などと野望を抱いたまではいい。ここで立ち塞がるのが「完結させたことねーだろ」という、このエッセイで何度も繰り返し登場する事実である。もはやラスボスと言ってもいいと思う。こやつを倒さねばこのエッセイも生きていけない宿命なのだ……。
かつての自分よりも歳をとり、人間的にちょっとは成長したかもしれない私だが、じゃあその成長ぶりは長編小説をさらさらっと完結させるほどのものなのか? と聞かれたら首を横に振ることしかできない。それはありえない。何も考えずに挑めば同じ敗北が待っていると確信している。自分のポンコツっぷりは身に染みているのである。一方でラスボスは手強い。
かつて私は何度も未完の大作()を作り出した。今書きたいと思っているものも大作になる予定だ。つまりこのままでは未完の大作()が増える危険性が莫大。
書きたいものを変えるなんてことはないので、こうなったらかつてとは違う書き方をするしかない。かつての私といえば――
――書きたい、書く、ここどうしよう……そして封印。
始めの勢いと、行き当たりばったりで書いていたのだ。出だしと主要人物の大体のイメージが出来たら書き始めていた。そして一番悪かったのは紙のノートにボールペンで書いていたことだろう。書いてしまったら消すには修正ペン、豪快にいくならページを引きちぎり闇に葬ることになる(つまり二ページ分の書き直し)。書いたところを変更したくなくなる。これはストレスが積み重なるな、今思うと。
一応wordで書いていた時もあったのだが、段々と画面をスクロールするのが辛くなった。短い文章ならともかく、何十ページも書いて書いて書いてとなると気になる何かに気が付いてもどこを確認したかったのか見つけにくく、やはり行き当たりばったりで書いていたので登場人物の言動が段々と混乱してくる。私は何をしたかったんだっけ?
どうやら共通するのは「行き当たりばったり」という部分のようだ。物語の始めは多分それでも大丈夫だったのだが、中学生時代の小説は結末も考え付かぬまま書き始め、高校生時代の小説は脇役がしゃしゃり出てきた。脇役はその小説の前日譚に当たる、また別の小説の主人公の予定だったので二作目でも活躍させたかったのだ。まあその前日譚はアイデア止まりで書き始めてもいなかったのだが。
こうしてぼろぼろの設定しか考えていなかったアホな私は、それらの小説の世界の舵取りができなくなり行き詰まるのであった。
ボールペンで紙のノートに書くの、かっこいいと当時は思っていたんですよ
これも中二病…?