標題詐欺に……なってしまうよ……
あくまでも完結させたこともない1物書きの勝手に考える理想でええええーーーーす!!!!!!
前話にて「こんなにも一話にあれこれ詰め込むとこんなに読者に圧力をかけてくるんだぞ☆」と言いたいがために1000文字を大幅オーバーして全エネルギーを使い果たした作者、晶。
頑張るところを間違えていると思いながらも今回も今回とて自分の頭の中を整理するため書きまくる。
というよりも前話から大幅にはみ出た部分を避難させた、執筆中小説の完成へ尽力する。
もう長編小説を書け。読者の幾人かの気持ちは一つになりつつあるかもしれない。しかし、今はエッセイを書いていてもいいのだ。その謎解きは「真! 小説に大切なのは」の次の話で明かされる(諦めないからな)。
前話にて、私が意識している小説を書くための五つの事から、四つまでは書いた。
あの四つをなぜ気を付けるのか。物語の余計すぎる贅肉をできるだけ抹消することが期待できるからだ。霜降り肉は食べ応えがあり贅沢に美味しさを満喫できるが、霜一色ではただの油だ。わずかな肉は赤身ではなく単なるスジにしか見えない。
これは私のうだうだぐだぐだごねごねとした書き方に私自身が辟易して気を付けるようになったという経験から来る反省なのだった……。
一度書いたものを読み返してみればあれこれある。
モブなおっちゃんの名前をわざわざ登場させ生き生きとした表情を書きおっちゃんが苦労してそうな過去を振り返る一言も追加し、実は主人公アンド親友コンビが訪れたばかりの町を散策しまくるのを書きたいだけ。
ライバルも初対面の主人公にあんな意味深なセリフやこんな意味深な行動をするけど、おかげで戦闘よりケンカの方が長い。親友は清々しいほど何も書いてないから邪魔はないのに、なんか長い。
一方、高校時代の小説では「舞台は金持ち学校でデカイ」としか決めておらず、主人公の物語最初の第一声は「ここどこ?」であった。……作者もである。どこここ。
何階かもわからない校舎の中。主人公はファーストコンタクトとなる見知らぬ男子学生たちに意味もわからず連行され、どこへかもわからず走り続け、自己紹介も何もかも置き去りにして廊下の壁が白いなあくらいのことしか考えず、当然のように学校の名前など聞く暇もなく「寮」と呼ばれる場所へ着く。
何も明かされていないし、道中の描写などないし、主人公の名前すら謎のまま彼らは進んでいくのだが。謎しかないのに主人公も読む側としての作者も立ち止まらない。
これだと思った。きっと物語の流れを足止めするものに敏感になることが私に必要な意識なのだ。その上であれこれやってみようと思えた。
さて、そして最後の気を付けるべき一つがある。
・「情報」に伏線は含めない
読者に覚えていて欲しい「情報」と、そんな願望のない伏線では読者が食らうストレスが違う。読者は「伏線に気が付かない自由」がある。
読者に異変を匂わせる程度の伏線。
読者の意識の端にのぼるかどうかな伏線。
掴み取るか、掴もうとするのか、それは読者が自主的に決められる。掴みとったつもりの伏線を「考えすぎだ」と手放すことさえもだ。
さらにいうと伏線を入れすぎてバレバレになっても、一切なしに意表を突く結末もいい。
……読む側としては伏線を見つけたと思ったら嬉しくなるけど、果たして張れるかなぁ……。
でもそもそもの話、どんな形であれ伏線は必要なものなのだ。理由なく結実する物語はないんだ。その結末にはそこに至る理由が、作者の創る運命を回す様々な何かがある。主人公たちは気が付けないような、作者から彼らへの祝福が。
読者に主人公たちと共に結末へたどり着いて欲しいなら。作者の描く主人公たちの葛藤に寄り添ってもらいたいなら。物語の未来を祈って欲しいなら。隠すだけでなく何もかも教えてあげるのでもなく、読者には読者への祝福がある。物語の中に介入することはない読者にしか見えない伏線は、一番の読者たる作者に必要なのだから。
(息切れ)




