標題詐欺になってしまう……
区切れない
小説で大切なことに言及……するところまでたどり着けない……!
諦めて、私が一話一話の区切りや流れについて意識していることを。
・複数の場面を入れてもいい
・話の終わりの場面はきりをよくする
・物語に動きがない話はあまり連続させない
・「情報」を詰め込みすぎない
・「情報」に伏線は含めない
(絶対に何かを忘れている気がするんだけどな……忘れっぽい自分を信じられない……)
とりあえずこれが学校ものストーリーとすると。
・複数の場面。
朝ごはんを食べて登校して教室に入るまでが一話にまとまっていてもいい。
朝ごはんで一話が終わるのは文字数や表現によってはちょうどよく、人によってはすぐ読み終わってしまいもの足りず、母親や父親の紹介で埋まるようなら冗長かもしれない。
・話の終わりはきりをよくする。
ちょっと難しい。私は苦手な気がする。話の終わりは少しそれまでの文章と温度を変えた一行にしたい。その一行を目立たせればとりあえずなんとかなる気がする。
・物語に動きがない話は連続させない。
席につこうとしたところで主人公が親友に絡まれ、親友の紹介とじゃれあいで一話。親友が噂話を知ってるぜ自慢をするのを聞いて二話。次々集まって会話に参加してくるクラスメイトの紹介で三話。鐘の音と共に教室に入ってきた担任教師の紹介をして四話。
読者へ人物紹介をしたのを含めた結果、物語の世界で十分ほどのやりとりがこの四話だとしたらどうだろう。私は嫌だ。かつてやっていて思ったのだ。飽きるなぁと。
これがアニメだったら。これら全ては五分もかからず終わり、転校生が紹介されるだろう。主人公たちの人物紹介はテンポよく素早く処理されていく。
アニメなら小説一話目で教室にたどり着くまでのことだって五分しないと思えばどれほどだらだらしているかわかる。そして読者は待ちくたびれてしまう。
じっくり文字数、話数、アニメの放映時間をかけるべき時。それが敵についた親友を説得する場面やスポーツの試合開始の笛を待つ間だったり、探偵と容疑者の腹の探り合いや事故で意識を失った家族の目覚めを一人静かに待つ子供の内面を読者に見せる時など様々な場合があるが、どれだけそれらを費やせるかは違ってくる。
私の考えでは、費やせる文字数、話数はどれほど読者がその場面に関心をもってくれるかによる。もしくは関心を持たせられるか作者の実力が問われる。関心がなくなる前に区切りたい。
いやそもそも書いている私が飽きる前に終わらせたい。はよ先が読みたいのだ(私が)。
はーい!
では読んでいる皆さんはここで一度止まって深呼吸だ~!
疲れた! という人は、ここまで読んだと分かりやすく行間をとにかくすごく開けたので目印にして休憩だ~!
まだ行けるぜ! と思った人!
もう一回深呼吸するんだ~!!
・「情報」は詰め込みすぎない
この「情報」とは、読者に覚えていて欲しい小説の人物や出来事などだ。主人公の名前、教師や友人の名前、得意な科目、学年組時間季節、舞台「学校」の移動教室先……。
読者に早く知って欲しいと思っても、一度落ち着くのだ。それらを片っ端から読者に説明していく必要はない。「書いてあること全て重要だから全部覚えろ」なんて教科書でも言われない。
むしろ朝食を共にする両親の紹介も、親友の紹介も、得意科目も苦手科目も、なんなら教室の階数も初登場時に全部教えちゃうのはもったいない。
無数にあるだろう小説のキーワードをどのタイミングでどんな順番でどんな具合に読者へ披露していくか、それがやり方によっては小説の味になるのだから。
かの有名な、頭脳は大人な少年探偵も言われた通りだ。嘘で己を綺麗に着飾る女は美しい。嘘をどう手離すのかは作者次第だ。
悪い例を出そう。
そう、今まさにこれだけ「あれもこれも覚えておけ」と言わんばかりに書かれているこの一話、途中で休憩を挟んでも読むのが面倒くさくなっているはずだ。
それもそのはず、とっくに1000文字を越えて1600文字だ。
いつもなら軽くふざけたりしているけどこれだけクドクドと説明が並んでいたらこんな気持ちになるわけだ。
というわけで最後の一つはまた次回に持ち越すのだった。
つか……れた……(強制終了)




