誰かは誰かにとっての
「悪」がなんちゃら談義、完……!
あまりに長い。どう考えてもこのエッセイに書いても内容的にも浮いてる。あれこれちゃんと考えて書き始めたはずなのにものすごく回り道をしている気がしてならない。
やはり寝そうで寝られないくらい命を削った集中で書いていると危険ですネー。
もしも自分が「悪」だったら、「悪」だと気が付いてしまったら?
自分が「悪」だと認めずに否定する人あり。
認めて、原因となった何かに向き合う人あり。
認めもせず否定もせず、ただ逃げる人もあり。
いざどうするかはその時にしかわからないだろうけど、どうするか決めることはそれぞれの自由。
さらに言うとどう行動してもしなくても、誰かが必ず「お前は悪だ」と判断してくるだろう。してしまったことはなかったことにならないのだと訴えてくる誰かはきっといる。存在そのものをゆるせないと言ってくる誰かも多分どこかから出てくる。呼んでもないのに湧いてくる。
それは誰かは誰かにとっての「悪」に、簡単になってしまうから。
特にほんの一ページめくれば「悪」な人が現れるかもしれないのが小説の世界で、なろうサイトには感想欄にも様々な人がいる。
ただ私はどんな形であれそんな色んな「悪」に直面しても、向き合うことを諦めないでいて欲しい。
どんなことが「悪」であるかなんて決まりがない以上、誰にでも好かれている人も誰にでも嫌われている人も存在しないと思う。
その人が小説の主人公でも悪役でも、どう行動してどう考えるのかを読むうちに「悪」だと思う姿を見るかもしれない。「悪」だと思っていた人物が「悪」だと思えた何かはミスリードだったと気が付くかもしれない。それまで信じて応援していた誰かが主人公を陥れた張本人だったことを最後に知ってしまうかもしれない。
ずっと信じていた「悪」かそうではないかの姿は偽りだと思い知らされる時は、いつかきっとやってくる。
だから「悪」に出会ったときには赦して欲しい。
そんなつもりではなかった人に「悪」を背負わせてしまわないように見てあげて欲しい。
それでも間違えたと思うようなことを考えてしまっていたら、そのときはまず自分の思わぬ心変わりを赦していいから、その誰かとちゃんと向き合って欲しいと思う。
その誰かが本当に「悪」なのかなんて、あっさり覆るものだから。
ところで私は「悪」な奴だと思う。心の中にはなかなかの悪意が起きて暴れている。
悪者が自分のやったことが巡り巡って返ってきたりして「ぎゃー」と倒れていくのは爽快だし?
気に入らない奴には「おのれ落とし穴に落っこちろ」と思うし?
「いかにもな悪人でーす☆」な奴を小説に登場させて感想欄に呪いの怨嗟を充満させた後で「はーいドッキリでしたー☆」って梯子を外すことをして感想欄が静まり返るところを見たいし?
ものすごーーーーく見たいなーーーー!!!!
他人事のように読んでいるような人間たちに!
「悪人を糾弾する正義のつもりが、お前も結局は悪だったと知った気分はどうだ?」
ってやってやりたいなーーーー!!!!
これはこれでちゃんと「悪」と向き合っているんじゃないかな!?
何よりも「悪」の存在が前提というあたりで闇の力が溢れてると思うなーーーー!!!!
…ただ、それを成し遂げられるほどの小説を書きあげる力があるなら、「悪」がなんとかとぐだぐだ夜中に書いた話がこんなに長くわかりにくくなるわけがない。
これは……滑った小説になる予感……。
……はっ!
わ、私は一体何を書いていたのだ……!?




