赦せますか?
ぱーとすりーになってしまった
人はどんなことを「悪」だと考えるかは各々(おのおの)で違うだろう。前回はそんなふうに締めた。
やっぱり「善」をちぎりとってよかった。「悪」だけでこんなに長くなるとは思わなかった。かれこれ二時間は書いてるけど終わらない。その上さらに翌日に持ち越して書いているけどそれでも終わっていない。「悪」に飲まれそう。助けて。
どんな人を、どんなことがあったからと「悪」だと感じるかを議論したら椅子の投げ合い、机の破壊の止まらない大騒ぎになってしまいそうだ。途中から人が増えて武器も増えて何もかもバズーカで燃やし尽くされるのか、椅子も机も完全にどかされ、枕とふとんが持ち込まれて枕投げ大会で雌雄を決するかはわからないけど、枕投げって結構痛いよね。質量あるから結構勢いよく潰される。さらに投げにくい。よって枕投げは「悪」である。
……とにかく、それだけ「悪」に対して人は敏感だと思うし、「悪」を許さないことは大事だと思う。人はそれぞれ自分なりに「悪」を感知している。
でも「悪」というものは物語の出来事だったら気軽に判断が揺れるものじゃないだろうか。
物語の中で悪役が意識して「悪」な行動をとったとき。主人公が失敗して誰かを傷つけてしまったとき。散々悪事を働きまくりとうとう追い詰められた悪役が「いい親ではなかったことだけはすまないと思っている」と主人公側で戦ってきた我が子に謝罪したとき。
果たして「悪」かどうかは最後まで変わらないだろうか。
いればいるほど足を引っ張ったり、或いは主人公の転落をそばで待ち構えたり、或いは強大な敵として立ちはだかり、或いは残虐な行為を働き、といった登場人物たち。
……そんな彼らが主人公の生き別れの父親だったとか、実は主人公が途中で偽物に入れかえられていて本物の主人公が復讐のチャンスを狙っていたり、勝負では不正なく誇り高く戦って命を落としていったり、親友だからと罪を被って沈黙を守ることを選んだ人物だったり。
そんな登場人物たちは最後まで「悪」だと判断されるだろうか。最善のことができなかったらもう悪印象は返上不可能なのだろうか。私はそんなことはないと思っている。去り際の潔い敵は敬意を表したくなるし、病気の家族を助けたかった子供が盗みを働こうとしたのなら心が痛む。
でももし彼らに対して「見直した」「誤解していた」と思うのは。
以前は「悪」だと思った誰かを「悪」ではないと感じるのは。
幾度となく「ふざけるなさっさと退場しろ」「目障り!」と感想欄で罵ったあとでそう思ったら。
自分が「悪」ではないと思う人を「悪」だと思って攻撃してしまっていたら。それに気がついてしまったとき。
もし自分が「悪」になってしまっていたら。
そんな自分を赦せますか?
まだあるんだよ……




