救済なぞと馬鹿にして
文章力向上のための短編シリーズを作っています。本作品『救済なぞと馬鹿にして』はその第一編です。出来れば一週間に一、二回は投稿したいと思います。
私の幼馴染はとても優しい。困っている人がいれば助けるし、利用されても何も言わない。どんな大罪人にも許しを与える。そしてその善行のせいで自分がボロボロになっても世界が滅んでも、いつも通りの笑顔を振り撒くのだろう。
私のことをシユウと呼ぶ彼女はいったい何を思っているのか。民はみんな彼女を"慈悲深い"とか"聖女"だと形容するが、私はその本質はただの異常者だと思うのである。それでも私はそんな彼女が愛しくてたまらない。
「シユウ?どうしたの、ボーッとして」
「何でもないわ。貴方こそ大丈夫なの?今日も使ったのでしょう?使いすぎは貴方の身を滅ぼすかもしれないわ」
「シユウは心配性ね。大丈夫、神官様も特に身体に害はないと言っていたもの。午後からもサリュがあるの」
大丈夫と言っていた彼女の顔色は悪くて今にも倒れそうだった。サリュは彼女が大いに力を振るう祭式のことである。"救済の力"を手に入れてしまった彼女は、教団により洗脳に近い教育を施された。救済が義務であると思い込んでしまっている彼女は休息という行為に躊躇いを抱いていた。
私はそれを何とか言い含めて彼女をベッドに寝かした。シーツにまばらに広がる長い髪は大分絡まってしまっている。彼女は昔から緊張すると髪をくるくると指に巻く癖があった。手元に櫛はあったのだが、何だか触れたい気分になってしまって、彼女の髪に手で触れた。艶やかでサラサラな彼女の髪は手で軽く鋤けば簡単に綺麗になった。
本来私の身分ではこのように進言することも許可なく触れることも許されないのだが、そこは幼馴染の特権というものだ。コネと言えば見も蓋もないが、私はなんとか平民ながらも聖女付き侍女の位置を有している。コネで手に入れた地位だとしても、彼女を見守ることも傍にいることも出来る。だから私は自分が誇らしい。
何せ私達がいるこの建物は新興宗教、エヴィヴァド教団の本部なのだから。彼女を閉じ込めるように、無駄に広い部屋には窓は片手で数えられる程度。只でさえ少ない窓には交差している格子が取り付けられている。換気出来るほどしかない隙間は逃がすまいという教団の意向が透いて見える。
彼女はベッドに入ればすぐに眠りについた。それほど疲労が貯まっていたのだろう。それに村にいた頃の寝顔とは対照的に彼女の寝顔は随分と歪んでいた。毎日夜に彼女は魘されてしまう。時には夜に苦しくなって嘔吐してしまうこともある。理由は彼女自身も把握していないそうだが、きっとストレスのせいだろう。何のストレスかまでは断定出来ないが、私はサリュでの救済だと思っている。無意識だろうが、サリュに送り出す直前に固く握った手が震えているのを私は知っている。それを見る度に自分は無力だと、どれだけ強くなっても大切な彼女一人も救えないのだと、惨めになるのだ。
いつの日か、彼女が幸せになれる未来が来れば良いのに。その為なら私は何でもするから。
「貴方が幸せになれる時までは、私がきっとーー」
そっと彼女の髪を手に取り、私はーーーー。
窓にかすかに霜がかかる時期になった。本部は最近、教団員が右へ左へ走り回っている。どうやらエヴィヴァド教団が長年要請していた国王陛下への謁見の話が進んだらしい。お針子や商人を呼んだりと、彼女も大分準備に手間取っていた。
「セーレ!今日のサリュにいらっしゃる方の名簿よ。確認して席を用意しておいて。」
何分人手不足な本部では、彼女の世話以外の仕事のない私によくお鉢が回ってくる。忙しなく小走りで去っていった教団員の女性に渡された書類を捲り、軽く目を通していると一際目につく名前を見つけた。ロレンティア子爵。この本部のある領地を統べる領主の名前であった。対して外に出かけることのない私でも、領主の悪評は耳にしたことがある。気に入った女は拉致同然で館に召し上げ、歯向かう店は即とり潰し。それでいて、上には媚を売りまくる。典型的な貴族であった。まだ日も上りきらない空は当然ながら薄暗く、私を憂鬱な気分にさせた。
朝の鐘がなると、ちらほらと各々が家から出て活動を始める。商店の看板には開店を知らせる旗が上がる。薄汚れた窓に息を吹き掛けて拭くとその様子がよく見えた。頼まれた分の仕事は終えたのでしばらくは自由時間になる。
勿論彼女の部屋の掃除などはあるものの、彼女が部屋にいない今私の仕事は少ない。本部の最上階にある彼女の部屋に向かおうかと重い足を前に出すと、豪華絢爛な装飾のついた馬車がこちらに向かっているのが見えた。良く言えば華やか、悪く言えばごたついたその馬車は街の静かな雰囲気から絶妙に浮いてしまっていた。
そして朝を知らせる鐘の凛とした音とは対照的な、ガランガランという濁った音が本部内に響いた。サリュの始まりの近づきを知らせるそれが鳴ったことで一気に騒がしくなった。
「セーレ!やっと見つけたわ。今回は貴方も祭場に行きなさいって神官様が!それに侍女の貴方も領主様には挨拶しておくべきよ。」
それなりに顔見知りの教団員が私の名前を呼んだ。どんなに悪評高い貴族様でも、身分の低いものから話しかけることは許されないことを知らないのか。ここで子爵に話しかけられる者は本来いないのに。サリュの会場まではここからそう遠くなかった。急いで身だしなみを整えて、向かうと彼女がいつも通り上座に座っていた。まだ誰も用意された席には座っておらず、問題なくサリュに間に合ったようだ。
「聖女様」
「あら、シユウじゃない!今回は貴方も傍にいてくれるのね?とても心強いわ!」
恐らく私の参加が決まったのは、子爵によって聖女が無理矢理連れ去られるのを防ぐため。教団員に戦える者は少ない。護身術程度でなく、実践レベルともなれば片手で数えられるほどだ。私もその一人に数えられているのだが、侍女の役目がある私以外は全員教団の神官ーートップーーの護衛に回っているらしい。それならば全員で守れば良い話ではあるのだが、それをしないのが神官なのだ。
私は彼女の下座の方の斜め後ろに立っていた。今日の午前のサリュに参加するのは、子爵、商会の息子のみだ。二人は知り合いらしく、「平民と同じ空間にいるなど許せん」と言った子爵が唯一許した平民だ。その分、午後のサリュは人がいつもよりも増えている。一日合計ならば、特に増えてはいないのだが。
「ロレンティア子爵、レアレーズ・チーズ殿来場です」
「ふむ、中々に華美な祭場ではないか!俺好みだ」
「それは良かった。紹介した甲斐があったというものだよ」
比較的建物内では華美な装飾の祭場を賛辞する声に何故か憤りを感じた。この祭場は教団が街の人から召集した人手と金で作られた。教団員だけなら問題ないのだが、普通の領民にも恐喝まがいのことをして。何故領主が対処しないのかと思っていたが、こういうことか。きっと子爵は領民に欠片も興味を示していないのだ。
「貴殿が聖女か。中々に見目麗しいようだ。俺の妾に欲しいくらいだな」
「それはどうかご容赦を。閣下、王城への取り次ぎ教団一同感謝を示させていただければ」
「ほう。感謝か」
すると、入り口から何人かの黒づくめの男達が入ってきた。教団員の正装である真っ黒なローブは怪しげな雰囲気を醸し出している。この教団であれを着ていないのは神官と私と彼女だけだ。
男達が引いてきた台車には様々な宝飾品が乗せられていた。そのどれもが、金がつけられており、お世辞にも優雅だとは言えない。子爵はそれを見て途端に興味を失ったようだった。落胆した顔をすぐに取り繕ったおかげで宝飾品に目を奪われていた教団員達は気づいていなかった。そして子爵は後ろに備えていた侍従にちらりと視線を向けて受け取らせ、彼女の方へまた視線を戻した。
「巷で評判の救済とは如何なものなのか。是非見せてもらおうじゃないか」
「聖女様、お願い致します」
教団員に促されて彼女は手の平を合わせて目を閉じた。そして言葉のようで言葉ではない。異国の言葉を思い浮かばせるような呪文を唱え始めた。所々音を聞き取れる部分もある。だが、何を言っているのか彼女自身も覚えていないらしい。何かが乗り移ったように勝手に口が動くのだとか。
「ジェマンドーーサタラーシー」
時間が経つにつれ、彼女の手に光が灯っていく。レアレーズは感心したように目を見開き、子爵は難しそうに眉を寄せた。
ーーーー
商会や領主とのいざこざも有ったりしたが、無事に王への謁見の日がきた。いつのまにか謁見に私は参加することになっていた。神官はいつもに増して豪華な装飾のローブを、彼女は簡素な純白のローブを身に纏っていた。私も今回は黒のローブを貸し出されることになった。衣装係の者によると一体感も大切らしい。
目の前に聳え立つ絢爛豪華な王城の門には武骨な鎧の騎士達が道を塞ぐように立っていた。騎士達の目は鋭く、まるで戦場のようであった。神官は煩わしそうにそれに目をやった。すると騎士達の中でも特に体格の良いものが口を開いた。
「エヴィヴァド教団ですな。私は第三騎士団長のレビというもの。謁見の間まで案内いたす」
「それはそれは。では案内してもらいましょうか」
騎士団長と言えば総じて騎士爵を国王から与えられる貴族の一員だ。神官は軽んじているのか、不遜な態度で応えた。レビの眉間に皺がよるが、何も言い返すこともなく歩いていった。足取りは早く荒く、配慮などは欠片もない。私は懸命についていく彼女を傍目に城の中を観察していた。
少しすると、後ろから誰かの視線を感じた。立ち止まれば背中に強い衝撃が走る。再び歩き始めると、後ろからギャーギャーとつんざくような声が聞こえた。
「ちょっと!無視しないでよねぇ?」
「何なの?変態野郎」
「野郎とかやめてよねぇ!私は乙女なの!」
私の肩を乙女とは欠片も思えない力で掴んでいるのは、神官の護衛のロンドだった。口調は女らしいが、声や姿は完全に男で喋らなければモテるとよく言われている。肩にふわりとつくくらいのひとつ結びのロンドは大分端正な顔立ちをしていた。よく私に紅をつけさせようとしてくる以外は良いやつだと思う。それと何故か神官のことを随分と慕っている。私は嫌いだが、こいつが惹かれるだけの魅力はあるんだろう。
「聖女様も大変よねぇ」
「どういうこと?」
「セーレちゃんは知らないわよねぇ。私も書類を盗み見ただけなんだけど、聖女様結婚させられるみたいよ?確かこの国の第三王子だったかしら。勿論聖女様の力を証明してからだろうけど」
「じゃあ今回の謁見って」
「そ、床に臥せっている王妃殿下に救済を与えるのが目的ねぇ」
頭が真っ白になった。怒りで体が震え出す。心配そうなロイドも気にせずにこれからのことを考える。教団に利用された彼女は次は国に利用される?そんなこと許されない。
悶々とする私の心とは裏腹に謁見は問題なくトントン拍子に進んでいく。多くの貴族達が見ている中で、ベッドごと運ばれた浅い息の王妃に彼女が近づき手を翳す。すると呼吸は落ち着き少しずつ顔色も良くなっていった。回りの王公貴族達からは感嘆の息と歓声が上がった。
「神の御業だ」
「是非とも国のために!」
顔色の悪そうな彼女を誰一人も気に止めない。国王が咳払いをするとシンと場が静まった。
「それではエヴィヴァド教団を王公認の宗教とし、聖女を第三王子レームの婚約者とする!」
誰も彼もめでたそうに頬を紅潮させ顔を綻ばせている。例外は私と彼女だけ。知っていた王と神官など数名は嬉しそうに目を細めて、知らなかった者達も動揺しつつもすぐに切り替えている。
婚約者の話はこの後、正式に書類にまとめられるらしい。保護者とされている神官の署名さえ居れば彼女の同意は必要ないようだ。王族の婚約者となることが確定した彼女には王城の一室が与えられた。白百合の間というらしい。私も特例で登城することになった。
流石王城というほどの一室では彼女がいつものように笑いながら涙を溢していた。力なく椅子に座り、彼女は私の手を握った。私がこの部屋に来て少なくとも半日はこのままの状態であった。
「知らなかったの。何も知らなかったの。でも救済は出来るみたい。それが私の義務だものね」
「いいよ、そんなの。もう」
彼女の前に片膝をついて、目を合わせる。いつの日かの約束が思い出される。窓から射し込む月の光が彼女の涙を照らした。私の服の黒い染みが一際目立つ。何処からか焦げたような匂いが部屋に入ってくる。急がなければ。火の手が回ってくる前に。私はポケットに手を入れて、指輪を握りしめた。
「約束覚えてるかしら?造花だからあの時とは違うけど許してね。貴女が好きです。だから一緒に来てください」
背後で燃え盛る炎になんて目もくれず、造花で作られた指輪を彼女の薬指に嵌めると同時にどうしようもなく焦がれた彼女の名前を呼ぶ。嗚呼、どうかあの男の名でなく私の名前をーー。
「メアリー!」