1-2 とりあえずの『ザマア』を残して
立ち去る連中を、私ことマリー・ミルフィーユ・エクレーアは、魔法金属オリハルコンさえも溶かす燃え盛るドヴェルグの魔法鍛冶炉の高温の炎の如くに睨みつけました。
通常なら、このように王太子などから公衆の面前で婚約破棄されようものなら、立場を失った私のような令嬢を、人々はひそひそと扇子の蔭で誹るのでしょうが、皆はさっと顔を横に向けて私と目を合わせないようにしています。
猛獣ですか、私は。確かに【若い頃】には『超獣マリー』と物騒な二つ名で呼ばれた時代もあったのですが。ああ、過去から無かった事にしたい黒歴史。
深い、深い、日本海溝のように深い溜息を吐きながら、私は自分の取り巻きの女の子に申し付けました。
可愛らしい金髪巻き毛の伯爵令嬢の子で、昔からの悪友なのです。子供の頃はよく共に屋敷を抜け出して、これまた一緒に叱られたものです。
ちょっと裏山に発生したゴブリンキングとかを締めに行っていたりしていただけなのですがね。討伐した成果は、いいお小遣い稼ぎにもなりましたし。
このフロートも、はっきり言って武闘派令嬢なのですが。そうでなければ、この私と行動を共にできようはずがありません。
「わかっていますね、フロート」
「もちろんですよ。くふふ、マリー様も悪よのお」
「ふっふっふ、フロートさんこそ」
そして、私はその場から爽やかな春の風のように踵を返して、その華やかな空間を辞しました。工作員たるフロートをその場に残して。
私が癇癪を起して、その場で王宮を突き崩すほどのハリケーンの如くに大暴れをするのではないかと危惧していた人々の深い安堵の息がまたウザイのですわ。
あの人達も、いつかきっと締めよう。王妃の座を手にいれた、その暁にね。
あのぼんくら王子などは、いつでもどうにでもできます。幼い頃から知り尽くした相手の再攻略の糸口など、空を埋め尽くす大銀河系の星の数ほどに転がっているのですから。
◆◇◆◇◆
「ふふ、どうされましたの、愛しい方」
アリエッタは少し含みのある笑いを浮かべ、王太子スフレに寄り添った。
「ああ、いや。あの子が、あんなにあっさりと引いたのが腑に落ちなくてね。
あの場で僕を半殺しにするくらいはやると思っていて、命をかけるくらいのつもりで覚悟していたのに。
あの子も大人になったという事なのだろうか。いや、やっぱり納得できないな」
それを聞いたアリエッタは、またしてもスフレの腕を胸に押し付けるようにしたので、彼はまた顔を赤らめた。
だが、そこへいくつもの、けたたましい悲鳴が聞こえてきた。女性の控室の方からだ。その場で向かおうとしたスフレをフロート・アイス・クリーム伯爵令嬢が押しとどめた。
「いけません、王太子殿下。令嬢達の控室に殿方が入っていくなんて。ここは王太子婚約者たる方の出番なのです!」
「そ、そうか」
「まあ、何事ですの?」
怪訝そうな顔をしたアリエッタは、訳もわからずにフロートに手を引かれるままに連れていかれてしまった。
「さあ、アリエッタ様。早く王太子婚約者、次期王太子妃候補としての御使命をお果たしください」
そう言って彼女から手渡されたものは、『蠅叩き』だった。少し装飾とかが一般の市販品よりは豪華になっているような、明らかに特注品と思われる品だ。
「ま、まあ何ですの、これは」
だが、他の御令嬢も何人か集まって口々に声をかける。むろん、その全員がグルである。
「聞いておりますよ。【王宮御用達神聖蠅叩き】の主が交代したのですってね! 早くお願いしますわ~、アリエッタ様」
「え」
「さあ、お早く」
そしてフロートに指差されたところにいたものは、黒々とした翅を輝かせた見事なサイズの『G』。
それはもう手の平サイズ。同じ手の平サイズといってもベストフィットなおっぱいなるものとは非常に異なり、男性でもあまり嬉しくはなさそうな奴であった。
何故、王宮にそのような物が存在しているのか。
「きゃあああー」
「もう何をやってらっしゃるんですかー。王太子婚約者ともあろうものが。マリー様は、それはもう果敢に攻めていらっしゃったのですわ。
こういう事も王太子妃になる方のノブレス・オブリージュであると。さ、さ、お早く。きっとまだ鼠とか蜘蛛なんかも出番を待っているんでしょうから」
「ひいいいいー」
だが、さしもの彼女も断れなかった。周りにはGに怯え、彼女が次期王太子妃としての責を果たすのを心待ちにしている令嬢たちの視線が集中していた。
マリーがやれていたのなら、やらずには新婚約者とは周囲から認められないのだ。この国はそういう気風があった。
予想外の展開に泣く泣く蠅叩きを取るアリエッタ。
だが、マリーに仕込まれている『ペットのG』は素晴らしい空中機動を見せ、蠅叩きを見事に躱しすり抜けてジャンプすると、アリエッタの顔に張り付いた。
その軽やかな足さばきは見事というほかない。並みの昆虫ではありえない動きだ。
豊かでリアルな足の感触を顔面いっぱいに張り付けて。わさわさとアリエッタの顔面で足踏み状態を続けるG、いや名はハンニバル。
ただのGではなく一種の従魔なのである。そして、マリーの側近である令嬢達の手により籠から放たれた同じマリーズ・ペット軍団であるネズミと蜘蛛の群れ(従魔軍団)が彼女アリエッタに襲い掛かった。
王宮の一角に、隣国マンジール王国貴族アリエッタ・コケティッシュ・エロマンガの、絹どころかオリハルコンすら引き裂きそうな、凄まじい悲鳴が響き渡ったのだった。
こういう時のために、この国を跋扈する害獣どもすら手なづけておく。それがあの超獣マリーこと公爵令嬢マリー・ミルフィーユ・エクレーアなのであった。
少なくとも、その心根は、そのミドルネームや家名のように甘ったるくはない。